「狭く深い知識」と「広く浅い知識」を持っている人はどちらが優秀か?世界が後者を評価しはじめたワケを東大合格者が解説
「頭がいい」といわれる人の特徴になるような能力というのは、先天的に決められている部分があると考える人が多いのではないでしょうか。東大生が勉強に目覚めるきっかけとなった“神”授業を紹介する書籍『勉強が面白くなった瞬間』を9月に上梓する著者・西岡壱誠氏はその考えを否定します。
漫画『ドラゴン桜2』(講談社)編集担当も務めた西岡氏が、後天的に身につけられる「東大に合格できるくらい頭をよくするテクニック」を伝授するこの連載。第252回は知識の深さについてお話しします。
みなさんは、「狭く深い知識」を持っている人と、「広く浅い知識」を持っている人と、どちらが優秀だと思いますか?
これは、実はかなり長く続いてきた論争なのです。「一つのことを極めた専門家こそが最強だ」という考え方と、「いろんな分野をつまみ食いした人のほうが役に立つ」という考え方。学校の勉強でも、仕事でも、あるいは趣味の世界でも、この二つの立場はずっとぶつかり合ってきました。
■日本では“一つの道を極める”ことが美徳
日本ではとくに、「一つの道を極める」ことが美徳とされてきた側面があります。職人的な深さ、専門性への信頼。ビジネス書の世界でも、マルコム・グラッドウェル氏が『天才! 成功する人々の法則』で紹介した「1万時間の法則」——ある分野で一流になるには最低1万時間の集中的な訓練が必要だという主張——は日本でもよく知られていて、「早く専門を決めて、そこに人生を賭けろ」というメッセージとして受け取られてきました。
ところが、ここ数年、この空気が明らかに変わってきています。「むしろ広く浅いほうがいいのではないか?」という議論が、真面目に語られるようになってきているのです。
■世界的ベストセラー『RANGE』が突きつけた問い
その象徴が、デイビッド・エプスタイン氏の『RANGE(レンジ)知識の「幅」が最強の武器になる』(日経BP)という本です。原題は“Range: Why Generalists Triumph in a Specialized World”。副題を直訳すると「なぜジェネラリストが専門化された世界で勝つのか」となります。
全米ベストセラーになり、ビル・ゲイツ氏やダニエル・カーネマン氏らが絶賛したことでも知られています。
この本で語られているのは、まさに「広く浅いほうがいい」ということです。
エプスタイン氏はまず、スポーツの世界から議論を始めます。よく引き合いに出されるのが、ゴルフのタイガー・ウッズ選手と、テニスのロジャー・フェデラー選手の対比です。
ウッズ選手は幼少期からゴルフ一本に絞って英才教育を受けた「早期専門型」の代表。一方、フェデラー選手は少年時代にサッカーやバスケットボール、スキーなど幅広いスポーツを経験し、テニスに絞ったのはむしろ遅かった「多様経験型」の代表です。
エプスタイン氏が成功者たちを幅広く調査すると、じつは「タイガー型」よりも「フェデラー型」のほうが多かった、というのです。
この主張は、これまで無条件に信じられてきた「早期教育神話」への強烈なアンチテーゼでもあります。
「わが子を将来一流にしたければ、幼いうちから一つの分野に絞り込め」——多くの親御さんが漠然と抱いているこの信念に、彼は真っ向から疑問を投げかけているわけです。
■なぜ“知識の幅が広い”ほうがいい?
では、なぜ広いほうがいいのでしょうか?
もちろん、狭く深い知識を持っている専門家は、決められたルールの中では圧倒的に強い存在です。
同じ問題を何度も解き、同じパターンを何度も踏んできた人にはかないません。エプスタイン氏はこれを、チェスや音楽のように「ルールが安定していて、フィードバックがすぐ返ってくる、優しい(kind)学習環境」で発揮される強さだと説明します。
ところが、現代社会が私たちに突きつけてくる問題の多くは、そうではありません。ルールが頻繁に書き換わり、フィードバックも遅く、正解が一つに定まらない「意地悪な(wicked)学習環境」——彼はそう表現します。
生成AIの登場でホワイトカラーの仕事が根こそぎ変わろうとしている今の日本のビジネス環境は、まさにこの典型でしょう。
こういう世界では、狭く深い知識を持つエキスパートほど、ルールがわずかでも変更されたときに柔軟性を失ってしまう。過去の成功パターンにしがみつき、新しい状況に適応できなくなる。
心理学の世界では、これを「アインシュテルング効果」と呼びます。過去に成功した解法が頭に強く残っていると、目の前により良い解法があってもそれに気づけなくなる、という現象です。専門性が高い人ほど、この罠にはまりやすい。皮肉なことですが、これが「深さ」の副作用なのです。
逆に、いろいろな分野をかじってきた人のほうが、「あ、これは前にやったあの分野に似ているな」と、他領域の知識を持ち込んで応用できる。異分野の類推——エプスタイン氏はこれを“analogical thinking(類推的思考)”と呼び、イノベーションの源泉として最重要視しています。彼の主張の核心は、ここにあります。
■スティーブ・ジョブズのスピーチ
ここで思い出してほしいのが、スティーブ・ジョブズ氏が2005年のスタンフォード大学卒業式で語った、有名な「コネクティング・ザ・ドッツ(点と点をつなぐ)」のスピーチです(出典:Stanford News, “'You've got to find what you love,' Jobs says”, 2005年)。
大学を中退したジョブズ氏が、なんとなく潜り込んだカリグラフィーの授業。まったく実用性のなさそうなその経験が、10年後、Macintoshの美しいフォント設計として結実した。あのとき点を打っていなければ、線はつながらなかった——という話です。
ジョブズ氏自身、「先を読んで点をつなぐことはできない。あとから振り返って初めてつなげられるのだ」と語っています。
つまり、大きな成功を得たいのであれば、たくさんの点を打っておいたほうがいい。狭い世界に閉じこもっていては、線をつなぎたくても、そもそもつなぐ点が足りない。だからこそ、広い世界を持っていたほうがいい、ということですね。
実際、このジョブズ氏の話と同様で、何かの分野の専門家も、よく話を聞いてみると、まったく別ジャンルの趣味を持っていたり、副業で妙な経験を積んでいたりするものです。
表向きは深く狭く見えても、水面下では意外なほど広い。深さだけの人など、思ったより少ないのです。むしろ、深さを持っている人ほど、意識的に別の世界にも足を伸ばしている、というのが実感に近い気がします。
漫画『ドラゴン桜』でも、知識を広げるときの描写として「オセロをひっくり返すように」知識が広がっていく、という描写があります。こういうイメージですね。
■かつては「器用貧乏」と揶揄された生き方
もちろん、これは「専門性は要らない」という話ではありません。深さがゼロでは、そもそも点にすらならない。大事なのは、深さを持ちながらも、隣の畑、そのまた隣の畑にも足を運んでみることです。
いつもと違うジャンルの本を1冊読む。畑違いの人とランチに行ってみる。まったく関係のなさそうな講座を受けてみる。学生の方であれば、専攻とはまるで違う分野の授業をあえて履修してみる。社会人の方であれば、業界の外にコミュニティを一つ持ってみる。そうやって幅を広げていくことが、変化の激しい時代を生き抜く、いちばん現実的な戦略なのだと思います。
かつては「器用貧乏」と揶揄されたジェネラリスト的な生き方が、いまや世界のトップ研究者やビジネスパーソンから「最強の武器」として再評価されつつある。この時代の変化を、私たちはもっと前向きに受け止めていいのではないでしょうか。
