深海の青い世界で蛍光色に輝く、クサリトラザメの秘密
海は、光る生物でいっぱいだ。ゆらゆらと漂うクラゲ。輝く疑似餌を備えた深海魚。波打ち際をネオンカラーで照らすプランクトン。
海洋生物の進化において、光の生成は、繰り返し登場するテーマだ。けれども、光る「海の生き物」がすべて、自力で光をつくりだしているわけではない。なかには「生物蛍光」という、一味違った裏技を使うものもいる。そうした蛍光を発する海洋生物の一例が、大西洋に生息する小型のサメ、クサリトラザメ(学名:Scyliorhinus retifer)だ。
クサリトラザメは、一般的な白色光の下で観察するかぎり、これといった特徴のないサメに見える。地色は黄褐色から褐色で、そこに暗色の縞模様が複雑に交差し、鎖を思わせる。だが、このサメを青色光で照らし、黄色のフィルター越しに見ると、鮮やかな緑色に輝いて見えるのだ。
クサリトラザメの蛍光から、このサメが世界を知覚する方法についてどんな洞察が得られるのか。そして、この種のシグナルが、薄暗い海中環境でどのように進化したのかについて、以下に解説していこう。
■生物蛍光を発するサメ
クサリトラザメの蛍光を理解するために、まずは、生物蛍光(biofluorescence)と生物発光(bioluminescence)の違いを知っておくことが重要だ。この2つの現象は混同されやすい。
ホタルやグローワーム(ヒカリキノコバエの幼虫)、一部の深海魚などは、化学反応によって自分自身で光を生成する能力をもっており、生物発光生物と呼ばれる。一方、生物蛍光生物は、光そのものを生み出すわけではない。彼らは、特定の波長の光を吸収し、別の(通常はより長い)波長の光として再放出する。こうした生物の例としては、一部の鳥、サンゴ、サソリ、魚などがあげられ、クサリトラザメもこちらに含まれる。
クサリトラザメは、大西洋西部の大陸棚に分布する。この種が生息する水深に到達する太陽光は、海水という厚いフィルターを透過したものだけだ。ダイバーならよく知っているように、赤やオレンジといった長波長の光は、早い段階で吸収され消えてしまうため、深みに届く可視光はほとんどが青色光だ。
青色光は、最も効率的に海水を透過するため、海洋生態系の大部分においては、青色光が支配的な光源になる。このため、青色光をほかの色に変換できる動物は、新たな視覚的シグナルを獲得し、単色の背景のなかで自身を目立たせることができる。
こうした観点から見れば、生物蛍光は、青主体の視覚世界にコントラストを生み出すものだ。変換後の波長を検出できる動物にとっては、蛍光シグナルは、一種の視覚言語にさえなり得る。
2016年に学術誌『Scientific Reports』に掲載された論文によれば、クサリトラザメの生物蛍光プロセスは以下のようなものだ:
1. 青色光が、周囲の海水を透過する
2. サメの皮膚に含まれる特殊な分子が、青色光を吸収する
3. この分子が、吸収したエネルギーを、緑色の蛍光として再放出する
プロセスの根幹をなすのは外部の光源だ。海中環境において、光源は通常、水柱(water column:水面から底までの鉛直方向の層)を透過してやってきた太陽光という形をとる。
クサリトラザメの蛍光に関する知見のなかで、とりわけ興味深いのは、このサメ自身に蛍光が見えている可能性が高いことだ。『Scientific Reports』論文で述べられているように、クサリトラザメの眼は、自種が蛍光として生み出す波長を検出できるような適応を備えている。クサリトラザメの網膜の分光感度を分析した研究により、網膜の光受容体が、青緑色の光に特化していると判明しているのだ。
これはすなわち、ヒトの眼にはかすかな(あるいはまったく見えない)海中での蛍光が、このサメの他個体にとっては、よく目立つものかもしれないということだ。クサリトラザメの生物蛍光は、プライベートな視覚チャネルとして機能している可能性がある。言い換えれば、適切な視覚系を備えた同種他個体には視認できるが、こうした感覚能力をもたない捕食者や獲物には気づかれにくいということだ。
■サメが蛍光を放つ化学的メカニズム
クサリトラザメの蛍光を生み出しているのはいったいどんな物質なのだろう、と気になっている方もいるだろう。鍵を握るのは、彼らの皮膚に組み込まれている珍しい化合物だ。
2019年に学術誌『iScience』に掲載された詳細な研究により、クサリトラザメの皮膚に含まれる蛍光分子の一群が特定された。いずれも、それまで脊椎動物では一度も検出されたことのない物質だった。
具体的には、これらはアミノ酸の一種であるトリプトファンの代謝経路から派生した臭素化合物だった。つまり、トリプトファンが関与する生化学的プロセスから生み出された物質ということだ。これらの物質を青色光に曝露させると、緑色の蛍光を発した。
さらに興味深いことに、これらの化合物は、実験環境下で、一定の抗微生物特性を示した。つまり、蛍光の原因である分子は、それ以外にも生理的機能を備えている可能性があるのだ。もしかすると、サメの皮膚を微生物感染から保護するのに役立っている可能性もある。
このような多機能性は、進化生物学において広く見られる現象だ。一つの機能を果たすように進化してきた構造や分子が、のちに別の機能に転用されることは、けっして珍しくない。
クサリトラザメの蛍光は、その体表に一様に現れるわけではないことも、注目に値する。蛍光は、この種の特徴である、黄褐色の地に描かれた暗色の鎖模様を際立たせるように分布する。
この模様は、蛍光波長だけを透過させるフィルターを通して観察すると、とりわけ鮮明に浮かび上がる。『iScience』論文の著者たちが指摘するように、このサメの体の一部では、ほかの部分よりも強い蛍光が見られ、緑の蛍光と暗色の模様が鮮烈なコントラストを生み出している。
2017年に学術誌『Philosophical Transactions of the Royal Society B』に掲載された総説論文のなかで、著者たちは、クサリトラザメの一例から視野を広げ、動物界において蛍光は複数の生物学的機能を果たしている可能性があると論じた。具体的には、以下のような機能が考えられる:
・種の識別:蛍光は、視覚情報が乏しい薄暗い環境下で、個体同士が互いを識別するのに役立っている可能性がある。
・配偶相手へのシグナル:蛍光は、求愛行動のなかで、身体の一部の視認性を高めたり、配偶者選択全体に影響を与えたりしている可能性がある。
・カムフラージュ:蛍光は、浅い沿岸域の分光条件において、個体の輪郭を紛らわせ、見えにくくするのに役立っている可能性がある。
これらの機能のうち、野生環境において支配的なものがあるかを特定する研究が、活発に進められている。
■「蛍光ザメ」が教えてくれること
クサリトラザメの蛍光とその化学的基盤は、美しく興味深い発見であるだけでなく、生物医学への応用の可能性を秘めている。このサメの皮膚に含まれる原因分子は、特定の波長下で蛍光を発することから、研究者たちは現在、類似の化合物を生物イメージングツールとして応用する可能性を模索している。蛍光マーカーは、すでに細胞生物学や医学において、分子レベルのプロセスを追跡する際に広く用いられている。
さらに、蛍光分子に抗微生物特性が見られたことは、新たな抗微生物製剤の開発のヒントになるかもしれない。抗生物質に耐性をもつ細菌は、全世界の人々に影響を及ぼす重大な問題であり、こうした研究分野は、昨今ますます重要性を増している。
クサリトラザメの蛍光は、一見したところ、興味深い生物の不思議の一つでしかないように思えるが、このような発見は、海洋生態系にいまも広大な未知の領域が残されていることを思い出させてくれる。海のなかの視覚コミュニケーションには、特別な装置を使わないかぎり、私たちヒトにはまったく見えないレイヤーが確実に存在するのだ。クサリトラザメはまた、生息環境、化学的特性、感覚知覚の相互作用を通じて適応形質が創発することを裏づける、極めて興味深い実例でもある。
ヒトの眼には何の変哲もないものに見える生物の特性には、しばしば驚くべき秘密が隠されている。このことは、とりわけ海によく当てはまる。クサリトラザメの研究者にとって、美しい緑の蛍光は、進化が実に目ざとく情報伝達のチャンスを見いだすことを裏づける、数々の証拠のうちの一つなのだ。
