日本刀の目的は「人を斬る」ではない…「豊臣兄弟!」で頻出する「チャンバラ」が史実を無視していると言えるワケ

日本刀の目的は「人を斬る」ではない…「豊臣兄弟!」で頻出する「チャンバラ」が史実を無視していると言えるワケ

戦国時代の戦いでは、どのような武器が使われたのか。歴史評論家の香原斗志さんは「弓矢、鉄砲などの飛び道具が主に使われ、次に長い柄がある槍が使われた。ドラマでよく描かれる刀を振り回した戦いは実相とはほど遠い」という――。

■「豊臣兄弟!」に抱いた強烈な違和感

 NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、なかなかおもしろいが、強い違和感を覚える点がひとつある。登場人物が頻繁に刀を抜くことである。たとえば第6回「兄弟の絆」(2月15日放送)。前田利家(大東駿介)や佐々成政(白洲迅)が事あるごとに刀を抜いた。

 あるいは、大沢次郎左衛門(松尾諭)を斬るようにと、織田信長(小栗旬)から抜き身の刀を投げられた小一郎(仲野太賀、のちの羽柴秀長)が、大沢の居城で人質になっている兄の藤吉郎(池松壮亮、のちの羽柴秀吉)を見捨ててはいけないと、信長に食ってかかった場面。柴田勝家(山口馬木也)が「血迷うたか、乱心者め! この場で切り捨ててくれるわ!」と大声を張り上げ、刀を抜いた。

 第7回「決死の築城作戦」(2月22日放送)も同様だった。

 墨俣(岐阜県大垣市)に城を築く役目を引き受けた藤吉郎は、その周囲の、川が入り乱れた地域を仕切る川並衆の協力を得るため、元川並衆で織田家の家臣になっている前野長康(渋谷謙人)を連れて、川並衆の棟梁である蜂須賀正勝(高橋努)を説得しに行く。すると正勝はすぐに刀を抜き、長康とのチャンバラがはじまった。

 だが、いくら戦国の世だからといって、武士がこんなに軽々しく刀を抜いていたとは考えられないのである。

■よほどのことがなければ刀を抜かなかった

 世界的に大ヒットしたドラマ「SHOGUN 将軍」に対しても、筆者は同様の感想を持ち、プレジデントオンラインに掲載された記事に、以下のように書いた。

 「気に入らなかったり、礼を失していると思ったりすると、武将も家臣たちもすぐに刀を抜こうとする。だが、現実には、武士はよほどのことがなければ刀を抜かなかった。(中略)刀は武士のシンボルであって、振り回すものではなかった。ましてや天下人の城内で刀を抜くことも、抜こうとすることも、論外であった」

 しかし、そのときは、天下のNHKが制作する大河ドラマでも同じ轍が踏まれるとは、正直なところ思っていなかった。

 では、どうして武士は「よほどのことがなければ刀を抜かなかった」のか。それを考えるために、刀という武器だけがもつ特別な意味合いから考えていきたい。

■人を斬るのが目的ではなかった

 刀は古来、強い生命力が宿り、邪気を祓う力があるものだと考えられてきた。たしかに武器ではあるけれど、人を斬るのが目的の武器ではなく、神を守り、家を守り、自分や家族を守るための、いわば祭祀のための道具として人々は大切にしてきた。つまり「抜かない武器」だったのである。

 日本人が刀をどれだけ大切にしてきたか。それは国宝に指定されている刀の点数を数えてもわかる。日本の国宝は主として「建造物」と「美術工芸品」に分けられる。前者は232件、後者は912件で(2025年3月現在)、後者のうち122件は日本刀が占めている。国宝全体で1144件だから、日本刀が占める割合は1割を超えている。

 戦国武将たちは、こうした名刀を必死に追い求めたが、それは武器として使うためではなかった。武将たちは名刀を戦場に持参した。しかし、それはむしろ祭祀のための道具としてであって、刀をとって見ることで心を落ち着かせ、さらには研ぎ澄ませた。戦場とは自分自身や一族ばかりか、家臣、さらには自分が治める領土の命運を決する場だったからこそ、刀がもつ「強い生命力」に頼ったのである。

 もちろん、刀といっても名刀ばかりではない。実用が目的の、もっと簡素な刀もつくられていた。しかし、戦場でもそれらが使われるのは接近戦になってからで、使われるのは主に弓矢(のちに鉄砲)や、長い柄がある槍だった。合戦を描いた絵巻や図屏風には、刀を手にした武士や足軽が数多く描かれていることもあるが、あくまでも接近戦の描写だと考えられる。

 また、接近戦であっても、長い太刀や大刀は、敵を斬るというより、叩きつけ転倒させる目的で使われたと考えられている。一方、短い脇差は、敵と組み討ちになったとき、鎧の隙間から突き刺したり、仕留めたのちに首を斬り落としたりするために使われた。

■メインの武器は弓矢や鉄砲

 歴史研究家で紀州雑賀衆の末裔という鈴木眞哉氏の『刀と首取り 戦国合戦異説』(平凡社新書)には、戦場で一番使われたのは弓矢、鉄砲の普及後は鉄砲だったと記され、同様の見解を示す研究者は多い。鈴木氏によれば、中世における武士の道では、弓術と馬術が重視され、そこに剣術は入らなかったという。

 また同書には、戦国期の合戦における軍忠状(自分の軍功を報告し、後日の論功行賞の証拠にするなどした文書)など201点に記された負傷者の内訳を鈴木氏が調査した、非常に興味深いデータが載せられている。

 それによると、負傷者1461人の内訳は、「矢疵・射疵」がもっとも多くて604人、次が「鉄砲疵」で286人、以下、「鑓疵・突疵」が261人、「石疵・礫疵」が150人と続き、「刀疵・太刀疵」は56人にすぎない。「切疵」の33人(刀による切り傷とはかぎらない)を加えても89人で、全体の数%にすぎない。

 同書には応仁・文明の乱以前の軍忠状を調べたデータも載せられている。こちらでも負傷者554人の内訳は、「矢疵・射疵」が480人で、「切疵」の46人の10倍を超える。

■チャンバラは架空の戦闘

 これに対しては、全体の一部を分析したものにすぎないという批判も寄せられ、賛否両論があるようだ。しかし、決して少なくない数のサンプルが参照されており、中世の戦場では弓矢、鉄砲、あるいは石礫などの飛び道具が主に使われ、次に、長い柄がある槍をもち集団で突撃した、という主張が覆ることはないと思われる。

 日本史学者の近藤好和氏は『武具の日本史』(平凡社新書)のなかで、「チャンバラは架空の戦闘」と断じている。ここまで述べたことから伝わると思うが、それは戦場においても「架空の戦闘」だった。ましてや、信長のような絶対的な主君の前で、家臣が軽々しく刀を抜くことなど、あったとは到底考えられない。

 江戸時代には、大小2本の刀を差している武士がそれを抜くことはほとんどなかった。あるとしたら、主君から命ぜられた「上意討ち」か、藩の許可を得て行われる「仇討」、切腹する武士の苦痛を和らげるための「介錯」のいずれかで、それ以外で刀を抜くことはほとんどなかった。むやみに刀を抜けば、死罪を覚悟する必要があるというほど、武士の抜刀は制限されていた。

 幕藩体制下で戦乱がなくなり、武士の責任のもとに法と秩序が確立された時代であっただけに、刀を抜くことに対して厳しい規制がかけられたのである。だが、刀とはすでに述べたように、そもそも祭祀を目的とした「抜かない武器」。戦国時代であっても、事情はさほど変わらなかったと考えられる。

■大河ドラマの時代考証の意味とは

 したがって、「豊臣兄弟!」に頻出する抜刀シーンやチャンバラの場面は、戦国時代の実相とはほど遠い。では、こうした描写がどこからはじまったかというと、近代になって成立した剣劇、すなわち刀による戦い(チャンバラ)を見せ場にする演劇と、それを取り入れた映画からだ。

 それらはフィクションにすぎないのだが、その後もドラマやゲームなどに波及し、私たちの戦国時代や武士に対するイメージを規定するに至っている。

 たしかに、刀を抜いたり振り回したりする場面には、スリルがあるし、場合によってはカッコいいということになるのかもしれない。だが、「歴史ドラマ」であるはずのNHK大河ドラマで、こういう史実とかけ離れた場面をたくさん流すのはいかがなものか。多くの視聴者が、描かれた時代について誤解することにつながってしまう。

 もっとも、チャンバラが長いあいだ時代劇の定番だったことを考えると、大河ドラマの制作陣が、「戦国の世なのだから、武士たちは刀を抜くのは当然ではないか」と思い込んでも不思議はない。そういうリスクがあるからこそ、大河ドラマには時代考証の専門家が2人もついている。ところが……。彼らは、いったいなにをしているのだろうか。

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