ヒトはなぜ無毛になったのか、体毛が示す「進化の賭け」
大半の哺乳類にとって、体毛を失うことは通常、不利益になる。多くの哺乳類は毛皮があるからこそ、寒さや紫外線、寄生虫、水分の蒸発などから守られている。
しかし我々人間は、地球上に棲む他の霊長類の種とは異なり、ほとんど体毛がない。その代わり、体温の管理については、体全体に広がる汗腺のシステムに、ほぼ全面的に依存している。
進化における例外事例は、偶然であることはまれで、この特徴も決して偶然ではない。生物学者によると、人類が体毛を喪失したのは、その進化の歴史の中でも最も重大なトレードオフの1つだという。では、さまざまな研究結果から、その理由をひもといていこう。
■人類の祖先に体毛があった理由
哺乳類は、毛皮があるのが標準的な姿だ。毛皮の第1の目的は、皮膚に近いところに空気を閉じ込め、体温を安定させるための断熱層をつくることだ。哺乳類の大半は、こうした断熱の仕組みに頼っている。こうした仕組みを持つ種では主に、ハァハァと浅く速い呼吸をしたり(パンティング)、涼を求める行動に出たり、体の一部にある汗腺を使ったりすることで、体から生じる熱をコントロールしている。
この傾向に関しては、霊長類も例外ではない。チンパンジーやゴリラ、マカク(アフリカや日本を含むユーラシア大陸に生息するサルの仲間)はすべて、体毛の密度が比較的高く、一方でエクリン腺(体温調節のための汗が出る汗腺)は最小限しかない。こうしたサルでは、一般的に体温調節の戦略として、日陰になっている場所を探す、暑さがピークに達する時期は行動を控える、手や足に多少の汗をかく、といった手段をとっている。
しかし、学術誌『Journal of Human Evolution』に掲載された研究によると、人類は、霊長類に属してはいるものの、このパターンを反転させたという。他の霊長類に比べて、ヒトは目に見える体毛が極端に少ないが、エクリン腺は体全体で200万から400万個と、並外れて多い。これらの汗腺は、水のような汗を肌の表面に分泌することで、気化による効率的な冷却を可能にしている。
もちろん、この変化は魔法のように一夜にして実現したわけではない。ヒト属の初期人類が、より暑く、開けた環境に対応する必要が生じた時期に、この変化が起きたことが、多くの化石および遺伝情報によるエビデンスから示されている。
■人類が毛皮を失った理由
『Comprehensive Physiology』に2015年に掲載された研究論文によると、この体毛の喪失を説明する最も有力な仮説の1つは、暑熱ストレスを主な要因とするものだ。約200万年前に初期人類は、木陰のある森を出て、サバンナの開けた環境でかなり多くの時間を過ごすようになった。
こうした環境で我々の先祖は、森と比べてより強い太陽の熱放射や、高い気温にさらされた。同時に、考古学や解剖学的なエビデンスから、当時の人類が、長距離を歩いたり走ったりする行動に依存する傾向が強まっていたことが示唆されている。当然ながら、暑い中で長距離を移動すれば、代謝作用によってかなりの熱が発生する。これを放散する方法がなければ、体温は、死を招くとはいわないまでも、危険なレベルまで上昇するおそれがある。
というわけで、防寒目的であれば毛皮は非常に有用だが、継続的に熱が発生する状況では、リスクの高い不利益と化す。具体的にいうと、毛皮は空気を閉じ込め、皮膚表面における熱の蒸発を抑制するため、熱の放散プロセスが大きく阻害される。
時間の経過につれて、人類は体毛が減り、発汗を増進させる方向に進化することで、この問題を解決するようになった。特に発汗は、蒸発効果を有効活用することで、唯一無二の効果を発揮している。水が水蒸気になることで熱を効率的に発散させられるからだ。分泌された汗が1g蒸発するたびに、かなりの量の熱エネルギーが取り除かれる。
■人類が発汗による体温制御を選択した理由
『International Journal of Biometeorology』に掲載された研究論文で説明されているように、人類は優れた発汗機能を持つ。その理由は、体全体にまんべんなく高密度に、エクリン腺を持つように進化したからだ。これによって、水のように薄い汗を大量にかくことが可能になった。さらに発汗は、パンティング(浅く速い呼吸)とは異なり、呼吸や食物の摂取を妨げることなく、体を冷やすことができる。
何よりもこのシステムは、長距離を歩いたり走ったりするような、持久力を要する活動の際に特に効果を発揮する。我々人間は、暑い中でも中程度の強度の活動を、他の哺乳類よりも長い時間継続でき、体に熱がこもるリスクもない。この能力が決定的な役割を果たしたのは、持久的狩猟(persistence hunting)の場面である可能性が高い。これは、初期の人類が採用した戦術を指す言葉であり、獲物の体に熱がこもって動けなくなるまで追いかけ回すことを意味する。
それでも、こんな疑問を持つ人も多いかもしれない──もし体毛を失うことが体を冷やすのにこれほど効果的なら、なぜ我々はふさふさとした頭髪を保っているのだろうか?と。
この答えは、日光から頭を守ることにあるようだ。つまり頭髪は、脳を保護するとともに、頭皮が直接日光を浴びて日焼けすることを防ぎ、熱の吸収を緩和してくれるわけだ。
頭髪(特に、タイトな縮れ毛)があれば、汗の蒸発を妨げることなく、太陽光による熱負荷を大幅に軽減できる。発汗作用と頭髪の組み合わせにより、初期の人類は、日射しが照りつける環境でも、脳がオーバーヒートすることなく、走ったり歩いたりすることが可能になった。これは、赤道直下の環境では決定的なアドバンテージだ。
■体毛を失ったことのメリットとデメリット
ただし、体毛を失ったことには、深刻な代償があることも触れておくべきだろう。具体的には、毛皮がないことで、人類は以下に挙げる3つの主要な脅威に対して非常に脆弱な状態に陥った。
・寒冷ストレス
・紫外線放射
・皮膚への損傷
これらのリスクは、我々人間の多くの行動適応を進化させる原動力となったと考えられる。衣服の作成や住まいの建設、火の活用などがその例だ。
言い換えれば、体毛を失ったことにより、文化を進化させる道筋が固まったということだ。毛皮を失うやいなや、人類の生存戦略は、道具や、他の人との協力、技術に依存する傾向が高まるようになった。生物学的特徴と文化の間に生まれた、このフィードバックループは、人類の進化を決定づける大きな特徴だ。
毛皮を失い、発汗機能が向上したことは、現在ではささやかな人体の機能のように思えるかもしれないが、進化的に見ると、人類の生態を根本から塗り替える分岐点だった。これによって、人類の祖先が手にしたメリットには、以下のようなものがある。
・1日の最も暑い時間帯にも採食活動が可能になる
・競合する動物よりも遠くまで移動できるようになる
・新たな食料供給源を活用できる
・協力やイノベーション、文化伝達の価値を学習し、日光や熱にさらされることのデメリットを抑える
進化という見地から見れば、この変化は非常にリスクの高い賭けだった。しかし最終的に、人類がこの賭けに勝ったことは明らかだ。人類は、熱に支配された世界で、持久力のスペシャリストとなった。
体毛がないことは無力に感じられ、汗をかくことも不格好に思えるかもしれないが、どちらも弱さを示すサインではない。むしろそれは、我々人類が防寒や引きこもることよりも、移動性と持久力を選んだ系統であることの動かぬ証拠なのだ。
