『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は科学的にアリ? タイムトラベル映画を実証分析

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は科学的にアリ? タイムトラベル映画を実証分析

わたしたちの時間移動は一秒につき一秒ずつ。あまりに当たり前すぎて面白くもなんともない話だ。

だが、アインシュタインの相対性理論によれば、光速近くまで加速することで未来に進む速度を変えられるばかりか、時空の中のふたつの点のあいだに橋を架ければ過去にも未来にも移動できる可能性があるという。

前に進むにしろ戻るにしろ、タイムトラベルは古くから、わたしたちの想像力と物語の中で大切なテーマであり続けている。見ることのできないはずの未来を探検したい、過去に戻って過ちを正したい——そう考えない人がいるだろうか?

だが、そういった物語を科学的に正しく描けるかどうかというのは、また別の話になる。最も成功しているのは、どの映画なのだろう? エルニオ・ヘルナンデスはこう問いかける。

「ご承知のとおり、(どんな説明がされていようと)わたしはタイムトラベル映画のファンだ。このプロットを最も正確に用いている映画は何だろうか?」

◾️良いタイムトラベル映画、悪いタイムトラベル映画

どうすれば良いタイムトラベル映画ができるのか、そして、あなたのお気に入りの映画は良いのか悪いのか、見ていこう。

科学的な正確さを目指すなら、時間移動がどんなふうに見えるかを理解しなければならない。アインシュタインの相対性理論がもたらした最も革新的な概念のひとつが、空間と時間は別々の絶対的な存在ではなく、分かち難く結びついているという考えだ。宇宙は時空と呼ばれる四次元の構造からなっており、あらゆる物質や粒子、放射線がその中に存在している。そのため、直観とは反する奇妙な現象が起きる場合がある。時間内の動きは空間内の動きに影響を受け、同様に空間内の動きは時間内の動きに影響を受けるのだ。

この時空内に存在する物質には、以下の3点があてはまる。

1.それらの物質と相対的に動いている他の物質は、距離が短縮され、その時計は遅れる

2.それらの物質と相対的に、光は常に同じ速度、すなわち真空内での光速cで動く。

3.時空内でのそれらの物質の動きは、時空の曲率によって決まり、曲率は、宇宙内の周囲の物質とエネルギーによって決まる。

あなたが特定の固定枠にいる場合(地球の表面で静止しているなど)、あなたに対して相対的に動く人は、空間の中をより大きく動き、時間の中の動きはより小さくなる。

これが、有名な双子のパラドックスが生じる理由だ。一卵性双生児の一方が地球を離れて光速に近い速さで移動した場合、地球に残ったもう一方よりも年齢の進みが遅くなるというものだ。

空間での移動が高速である人ほど、時間内での動きが遅くなる。重力の影響を考慮に入れる一般相対性理論を考えると、強重力場の深いところにいるときも同様の影響を受ける。ふつうの速度で時間が流れているように感じられても、遠く離れたところにいる人々はみな、もっと早く年を取る。この現象がもっとも極端になるのは、ブラックホールの内部と外部を分ける事象の地平線から、中心にある特異点のそばまで落ちたときだ。

時空内を移動する近道、ワームホール

だが一般相対性理論では、もうひとつ、興味をそそられる可能性が浮上する。ワームホールだ。ワームホールは一般に、空間内を移動する近道と考えられているが、それが空間内のみに限られると考えなければならない理由はない。時空内と考えてもかまわないのだ。ワームホールを作って安定させ、移動(あるいは情報を伝達)できれば、それを使って時間を前後に好きなだけ移動することができる。条件が整っていれば、強力な数学的解としてループ、つまり時間的閉曲線を作ることもできる。

たとえば、一般相対性理論の文脈のなかでは、過去の特定の場所に戻る方法もある。ただし、ちょっとした準備が必要となる。

物質から巨大ブラックホールを作り、その横に負の質量からできたブラックホール(論理的に存在すると仮定して)を作ったら、そのふたつのあいだにワームホールを作ることができる。

好きなだけふたつを離し、ワームホールの一方の端を光速近くまで加速する。その加速された端とともに移動するかぎり、好きなときにワームホールを通り抜けて、無傷のままもう一方の端までたどり着ける。その場合、一番面白いのはどこか? 光速に近い速度で移動しているため、時間の進み方が変わる。逆向きにワームホールを進むと、元の場所に戻ったとき、時間が進んでいないも同然になる。何百年という時間を旅したあとに、出発してからほんの数秒後の出発点に戻ることができるのだ。

そういう意味で、時間をさかのぼることは物理的に実際に起きても不思議はない。

◾️タイムトラベルの文脈で映画を評価する

可能性はいくらでもあり、だからこそタイムマシンと想像力豊かな物語を組み合わせた映画が数多く存在する。だがもちろん、科学をいい加減に扱っている映画もある。

『タイムコップ』、『オフロでGO!!!!!タイムマシンはジェット式』、『ビルとテッドの大冒険』といった映画を、信じられないくらい正確にタイムトラベルやタイムマシンを描いた作品として記憶している人はいないはずだ。

『26世紀青年』は、不活性状態の物(あるいは人)が不活性であるあいだも時間は進むという意味でしかタイムトラベルを描いていない(タイム"マシーン”だけは正確に描かれているが)。

『スーパーマン』では、スーパーマンがロイス・レーンの命を救うために時間を巻き戻すが、これは科学ではなく超人的な能力によるものだ。最近の『ドクター・ストレンジ』、古典的カルト映画の『ワーロック』『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』にも同じことがいえる。

タイムトラベルの仕組みに魔法を使っても、科学的には高得点を得られない。多くの映画で、タイムトラベルは科学的な正しさよりも、話を進めるための道具としての役割に重きが置かれている。『キャプテン・スーパーマーケット』も、作品自体は楽しいのだが、そこで描かれているタイムトラベルの仕組みは実現可能ではない。『ネクロノミコン(死霊秘法)』の呪文を唱えて過去に放り出されるというのは、映画として魅力的だが、科学のにおいはしない。

だが、なかには、その仕組みについて語ったり、くわしく描写したりしていなくても、どうすればタイムトラベルが可能になるかをうまく描いている映画もある。

未来へのタイムトラベルは簡単だ。光速に近い速度で進み、出発点に戻れば、遠い未来にいることになるからだ。これが、『猿の惑星』で、人類をはるか未来のディストピアに変じた地球に送る方法であり、一方で、『スター・ウォーズ』で描かれるハイパードライブ(超光速航法)が満足のいくものでない理由でもある。

高速での移動は、時間の経過に実際に影響を及ぼすものであり、何をしようと未来に運ばれてしまうのだ。

過去へ戻って未来を変えられるか?

過去への移動、とりわけ過去の特定の場所への移動は、タイムトラベル映画でもっともよく見られるものだ。過去への移動についてはふたつの理論がある。

1.タイムライン(年表)が固定している。起きたことはすべてタイムラインに書き込まれており、過去に戻っても出来事を変えることはできない。あなたのタイムトラベルもすでにタイムラインに書き込まれている。

2.タイムラインが変動する。過去に戻ってあなたが起こす変更が、別の未来をもたらす。それによってあなたの存在が消えてしまうこともありうる。

第一の理論の例として挙げられるのが、『12モンキーズ』と『LOOPER/ルーパー』だ。この両作品では、未来はすでに決まっている。過去への移動によってあなたは過去に生き、過去と関われるが、歴史を変えることにはならない。過去に戻る原因となった出来事はすでに起きている。あなたは世界の運命を知りながらただ生きるのだ。

一方で、未来からやってきたとしても、あなたの未来が決まっていない可能性もある。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ、『ターミネーター』、『ターミネーター2』は、この点をとても慎重に扱っている。タイムトラベルの物理的な仕組みについて、主要な構成要素以外は詳しく描かれていないが、タイムトラベラーのとる行動でその未来が変わる。

カイル・リースとサラ・コナーは、立ち上がる機械たちと戦うことになる少年を殺す(あるいは生まれるのを阻止する)ために未来から送り込まれたターミネーターと戦って、審判の日を回避したり遅らせたりすることができる。

マーティ・マクフライは、友人の命を救うために時間を移動するが、その過程で自分の存在をないものにしないよう注意しなければならない。この二作は、未来を変えられるタイムトラベル映画の好例だ。

『スター・トレック』、『スタートレック ファーストコンタクト』『スタートレックIV 故郷への長い道』も同様で、実に効果的にこのタイプのタイムトラベルを扱っている。

◾️科学者が推す正しいタイムトラベル映画

タイムトラベルを詳細に描きつつ、科学的にも正確なことで際立っているのが、『インターステラー』と『コンタクト』の2作だ。皮肉なことに、どちらも科学者のキップ・ソーンがコンサルタントを務めており、どちらもブラックホールやワームホールの概念を取り入れている。

『インターステラー』では、ブラックホールの重力場の奥深くで時間が異なる速さで進み、それが映画の後半での相対論的ゆがみにつながる。『コンタクト』では、地球上での一瞬が、銀河系、ひいては宇宙全体でのほぼ一日の旅に相当する。これらの映画では、ワームホール、ブラックホール、一般相対性理論の物理学がふんだんに、そして見事に描かれている。

最後に、“タイムループ”によってタイムトラベルを描いているもっともリアルで興味深い映画を挙げよう。『恋はデジャ・ブ』だ。

一般相対性理論の解として、時間的閉曲線を認めるものはふつうは受け入れられない。祖父殺しのパラドックスといった哲学的懸念が生じるからだ。だが、数学的解は内的に自己矛盾がなく、特に、ループの始まりが毎回リセットされた状態になるということにすれば、現実を表すことができる。『恋はデジャ・ブ』はこれを実にうまく利用しており、やさしさと自己発見を描いたこのユーモラスで道徳的な物語では、充分な変化を起こしてはじめてタイムループが切れる。この作品も科学の描き方は十分とは言えないものの、タイムループの描き方としてはこれ以上のものはない(『オール・ユー・ニード・イズ・キル』はまだ見ていないのでなんとも言えないが)。

以上が、私がこれまで見た中で、タイムトラベルを科学的に正しく扱った映画だ。

🍎たったひとつの真実見抜く、見た目は大人、頭脳は子供、その名は名馬鹿ヒカル!🍏