なんと「サメ」が泳げる理由は「わからない」という「衝撃の事実」!「ハーバード大学」がサメが泳ぐメカニズムの解明に挑んだ「結果」!
映画『ジョーズ』に登場した、巨大で恐ろしい人食いザメに代表されるサメのイメージ。流線型の体と長い背びれをもった、美しいシルエット。
どちらもサメの典型的なイメージだ。しかしそれだけではない。食卓に上るサケやサンマ、アジなどの硬骨魚類とはことなった軟骨魚類であり、もっとも長寿の脊椎動物であり、もっとも速く泳ぐ魚類の一つでもあるサメ。
その特異な生態をサメ研究の第一人者である著者らが詳細に解説する。また、硬骨魚類から分かれ、エイと分岐し、どのように現在の多様性をもつにいたったのか? さまざまな古代ザメを紹介しながら、その進化の道筋をたどる。
さらには世界初の人工子宮によるサメの繁殖を試みている美ら海水族館の研究者ならではの内容として、サメの繁殖にも1章をもうけている。
機能形態・生態・分類・繁殖と、専門的にかつ網羅的に解説した、類を見ない一冊。水族館でも最も人気のある魚種であるサメの総合解説書として刊行いたします。
*本記事は、『知られざるサメの世界 海の覇者、その生態と進化』(ブルーバックス)を再構成・再編集してお送りします。
水より重いサメはどうやって泳いでいるのか?
サメは水より比重が大きい。つまり、サメは水に沈むのだ。サメの比重は「アルキメデスの原理」を使えば比較的簡単に知ることができる。1960年代後半、米国のモート海洋研究所のデビッド・バルドリッジ博士は、さまざまな種類のサメを港の岸壁からロープでつり下げ、サメの水中での重さを測定した。
この値は水中重量と呼ばれ、水中でサメの体が受ける浮力の分だけ空気中での重量より軽くなる。浮力は体積によって決まるから、空気中での重量と水中重量の差から求めた浮力からサメの体積を知ることができる。最後に空気中での重量を体積で割ればサメの比重が計算できる。彼らの結果によると、サメの比重は海水の1・05倍程度であり、海水よりわずかに重いことが分かる。
一般に動物の体を構成している筋肉や骨格は水より重く、水中生物はそれ以外の場所で体を軽くする工夫をしている。たとえば、多くの硬骨魚類は気体の入った袋(浮き袋)を体内に持つことで、浮きも沈みもしない中性浮力に近づけている。一方、サメは油を巨大な肝臓に溜め込むことによって、比重を小さくする努力をしている。
実際、サメの肝臓だけを切り取って水に投げ入れると、浮かぶことが分かるはずだ。中でも深海のサメたちは大きい肝臓を持っており、その大きさは体重の4分の1に達する。それでも、中性浮力には至らないようで、彼らの比重は水よりわずかに大きい。
サメは水に沈む――この事実は、近年まで研究者の頭を悩ませてきた。サメが水より重いのなら彼らは海底に沈んでしまうはずだが、サメは沈むことなく水中を自由に泳ぎ回っている。ここには何らかのしくみが必要だが、その正体が明かされたのは比較的最近のことだ。
「胸ビレ=翼」仮説
サメの体を浮かせておくしくみはなんだろう? この疑問に対する答えの最有力候補とされてきたのが、「胸ビレ=翼」仮説である。
これは、飛行機が飛ぶ原理を理解するとわかりやすい。飛行機はおもに鉄の塊であり、それでも墜落することなく空中にとどまることができるのは、翼で発生する揚力によって機体が下から支えられているからである。翼は空気を切るとき、翼の上面と下面で圧力差が生まれ、翼を上向きに押す力、すなわち揚力が発生する。この揚力が重力と釣り合っているかぎり、飛行機は空中にとどまることができる。
1970年代の研究者たちは、サメが沈まない理由も同様だと考えた。サメには、体の横に張り出した大きな胸ビレがある。つまり、サメはこの胸ビレを飛行機の翼のように使い、胸ビレで発生する揚力によって体を支えているのではないかと考えたのだ。この「胸ビレ=翼」仮説は、多くの一般書に掲載され、さも常識であるかの如くあつかわれてきた。しかし、意外にも、この仮説の根拠は流体力学にもとづく理論計算であって、生きているサメで確かめられたものではない。
「胸ビレ=翼」仮説は本当か?
2000年代に入って、ついにこの「胸ビレ=翼」仮説を検証しようとする研究者が現れた。舞台は米国ハーバード大学である。
歴史ある比較動物学博物館の横にある建物に研究室を構えるジョージ・ラウダー博士は、魚の遊泳に関する世界で最先端の研究を行っていた。当時、彼の研究室の博士研究員であったシェリル・ウィルガ博士は、カリフォルニアドチザメという全長50センチメートルほどの小型のサメを使って、胸ビレで揚力が本当に発生しているか確かめる実験に取り組んでいた。
彼女が用いていたのは「粒子画像流速測定法」と呼ばれるものだ。水に細かい粒子を漂わせて、そこにシート状のレーザーを当てることで、その平面での水の流れを可視化する技術である。彼女は、微粒子の漂う水槽の中でサメを泳がせ、体の周りで発生する水の流れを観察した。
特に彼女が注目していたのは、胸ビレ周りの水の流れだ。彼女の予想はこうだ。もし、胸ビレに揚力が発生しているのであれば、胸ビレによって押しのけられた下向きの水の流れが起きているはずだ。もし、このような流れが観察できれば、それはサメの胸ビレが翼として使われていることの世界初の証拠となるはずだ。
ところが、実験結果は彼女の予想を完全に裏切るものだった。彼女が期待した下向きの水の流れは観察されなかったのである。
これは、胸ビレは翼として機能していないことを示している。代わりに、彼女は胸ビレとは別の場所で下向きの水の流れが発生しているのではと予想した。その場所とは胴体の腹面である。サメの腹側は比較的平らで、ここに水が当たることで体を下から支える揚力が発生しているのではないかというのが、彼女の仮説である。
翼としての役割がないのであれば、胸ビレは何をしているのか?
先の実験で、胸ビレを積極的に動かしている瞬間があった。それは、サメが体の角度を変え、上昇や下降するときである。サメが上昇する時には胸ビレを下向きにねじり、また下降する時は上向きにねじっていた。つまり、サメの胸ビレは泳ぎの進行方向を変えるときの、舵の役割を果たしていると彼女は主張した。
ウィルガ博士の研究の落とし穴
ウィルガ博士らの研究は、「胸ビレ=翼」仮説への強力な反証である。ただ、この結果をもって伝統的な「胸ビレ=翼」仮説が完全に葬り去られたかといえば、そんなことはないというのが私の意見である。
実際、私が観察した多くのサメの胸ビレの断面形状は飛行機の翼にそっくりで、この胸ビレが翼として機能していないというのは、私には到底信じられない。
留意すべきは、彼女がカリフォルニアドチザメという小型で半底生性の種類を実験に用いたことである。このような小型種の胸ビレは光が透けるほど薄く、柔軟性が高い。このような柔軟な胸ビレが、舵として使われるというのはあり得る話だ。
ところが、多くの中型から大型の遊泳性のサメの胸ビレはようすがかなり異なる。とても分厚く、あまり自由には動かない。結局のところ、胸ビレの役割は種によってさまざまであり、翼か舵どちらか一方のみが正解というものではないのだろう。「胸ビレ=翼」仮説の復権を、私はひそかに期待している。