チーターと同じ速さで1日中走れたかもしれない…「生物界最速のスプリンター」候補の最有力となる「白亜紀の生物」
鳥類の運動能力は、生物の中でも別次元だ。鳥は哺乳類などとは別次元の「スーパーミトコンドリア」を持っているからだ。この形質は、約2億5千万年前に起きた大絶滅後の低酸素という強力な選択圧のもとで、原始的な爬虫類(双弓類)から獣脚類(恐竜の一群)が進化する過程で生み出された。
中生代の覇者となった獣脚類と、その後継者である鳥が、なぜ驚異の能力を獲得できたのか――独自の説を交えてその謎に迫り、話題沸騰中の新刊『恐竜はすごい、鳥はもっとすごい!』から、一部を抜粋して加筆したオリジナル記事をお届けする。
前回記事『最大級の大きさを誇る「ティラノサウルス」と「マプサウルス」…「一騎打ち」したらどちらが強いのか、その「答え」』より続く
動物の走行速度の比較
小学生の時に熱心に見た動物図鑑に、よく動物の走行速度の比較が載っていた。記憶にある方も多いことだろう。しかし残念なことに、この比較の生理学的な根拠を見たことがない。
そこで、生理的な根拠に筆者の想像も混ぜて、スプリント能力を比較してみたい。骨格や筋肉だけでなく、ガス交換能力も加味して、現在の生物と獣脚類および獣弓類を比較してみることにする。
*注
(*1)プラケリアス:三畳紀後期に存在した獣弓類の代表的な草食動物。群れで生活していたと予想される。横隔膜はなく、低酸素には適応していなかった。
(*2)獣弓類:ペルム紀末期から三畳紀後期にかけて存在した、哺乳類の先祖。過去には哺乳類型爬虫類ともいわれた。
(*3)ヘレラサウルス:三畳紀後期(2億3千万年前)の最古の獣脚類とされる。
(*4)獣脚類:直立二足歩行を行う、多くは肉食恐竜(一部は草食)である。骨盤の恥骨が前方を向いている。鳥類の先祖といわれる。酸素濃度の低かった三畳紀からジュラ紀前期までの獣脚類を初期獣脚類、酸素濃度が現在と同じレベルに上昇したジュラ紀後期から白亜紀の獣脚類を後期獣脚類と呼ぶ。
(*5)コエロフィシス:三畳紀後期からジュラ紀初期に世界中に存在した初期獣脚類の代表的な動物。北米では一度に数百頭の化石がまとまって見つかることがある。
(*6)ベロキラプトル:白亜紀後期の東アジアにいたドロマエオサウルス科の獣脚類。肢に大きなかぎ爪をそなえる羽毛恐竜。体長2m、体高50cm程度である。
(*7)ユタラプトル:白亜紀前期に北米にいた、ドロマエオサウルス科の獣脚類では最大の恐竜である。体長は約6m、体高は約1.5mである。
(1)プラケリアスの走行速度
まず、三畳紀末まで生存していた獣弓類は、どの程度のスプリント能力を有していただろうか?
例えばプロケリアスである。獣弓類は生物史上初めて背骨を地面から持ち上げ、ある程度の速度で持続的に移動することを可能にした。しかし前肢と後肢が、ともに背骨の斜め下に出ているため、歩くたびに背骨をくねらせる必要があり、スピードという点ではかなり鈍かった。
また前肢の部分で背骨がくねるために、肺が常に圧迫され、持続的に走行することはできない。瞬発能力はあるが、持続的な移動速度は、ヒトが歩行する程度(時速4km程度)と同じ、あるいはそれ以下だった。
(2)ヘレラサウルスの走行速度
最古の獣脚類の一つとされるヘレラサウルスはどうだろうか?
ヘレラサウルスは初めて背骨を大腿骨の真上に持ち上げているので、走行するときに背骨を真っすぐに伸ばしたままでいることができる。すなわち運動するときに背骨をくねらせる必要がなくなった。
また前肢を持ち上げたために、運動するために肺の呼吸運動を圧迫することがなくなった。気嚢(*8)も装着していたと考えられ、1日中持続して運動できた。
問題はその走行速度である。ヘレラサウルスの骨盤の腸骨は、背骨の仙骨2~3個を挟んでいるにすぎない。また背骨どうしが強い腱で結ばれているわけではないので、走行速度を上げると、どうしても背骨が左右に振動するため、高速走行は無理だった。
これらはジュラ紀前期までの初期獣脚類に共通した特徴である。高速走行をするためには、頭を背骨の線まで下げて尾を後ろにピンと伸ばし、背骨を頭から尾まで一直線にして、走行するときに左右にも前後にも振動させない構造が必要である。
骨盤の腸骨が5個程度の背骨を挟んでいて、背骨が相互に強い腱で結合することにより、背骨が完全に水平に固定される。このような堅固な構造ができるのは、ジュラ紀後期のアロサウルスのあたりからである。
ヘレラサウルスはヒトと同じように、大腿骨と脛骨の長さの比が1:1程度で、足の甲の部分では5本の指の骨が並列に並んでいる。ヒトは、同じ程度の大きさの動物で比較すると、スピードはかなり劣る動物であるから、ヘレラサウルスの走行速度は、ヒトの早足と同じ程度(時速10km程度)だっただろう。
*注
(*8)気嚢:後気嚢と前気嚢があり、最初に後気嚢に空気が入り、肺、そして前気嚢を経て排気される。このため鳥は、哺乳類よりもはるかに高いガス交換能力を有する。
(3)コエロフィシスの走行速度
さらに進化したコエロフィシスはどうだろう?
コエロフィシスは大腿骨よりも脛骨のほうがはるかに長く、後肢は3本の指の骨であるから、走行速度はヒトよりもはるかに速く、ヒトの全力走行速度と同じ程度(時速30km程度)だった。
コエロフィシスの素晴らしい点は、この走行速度を酸素濃度10%の条件で達成しているという点である。三畳紀においては、コエロフィシスのスプリント能力に並ぶものなどいなかったはずだ。だから彼らは保護色なんか必要がないのだ。身体は派手な彩色だったろう。
彼らはほとんど完成した気嚢を持っていることから、1日中この速度で走行できたはずである。気嚢は、ガス交換能力を飛躍的に高めると同時に、全身を巡る空冷システムでもあったからだ。
現在の鳥とほぼ変わらないほどの運動能力を持っていたコエロフィシスは、三畳紀の生態系を制覇した。この卓越した運動能力を可能にした要因は、一つは現在の鳥と同じスーパーミトコンドリア(*9)を持っていたことで、もう一つは背骨を水平にして骨盤の上に持ち上げたことである。
また、コエロフィシスはインスリンに対して感受性を失っていたために、皮下脂肪はほとんどなかったから、筋肉の筋が1つ1つ明瞭に見えたと思う。首、腹、前肢、後肢、および尾は、これまで考えられていたよりもはるかにスリムだった。
コエロフィシスなどの初期獣脚類は、1億5千万年後に出現した後期獣脚類と比較して、「(1)骨盤の腸骨が腰椎・仙椎の2つか3つしか噛んでいない、(2)背骨どうしが強力な腱で結ばれていない」ために、高速走行すると背骨が左右に振動する可能性があった。
持続的な高速走行を可能にするために、コエロフィシスは重心を下げて、背骨を水平に安定させる仕掛けを持っていただろう。たとえば、前肢の後ろ側に大きな羽根がついていて、揚力と反対向きの力が働くようにして、体全体の重心を下に移動させていたのではないか。
この風切り羽根は、背骨を水平化するためのスポイラーとして働いていた可能性がある。飛行機がスポイラーを主翼の上に立てることで、失速せずに高度を下げるのと同じメカニズムだ。
また頭の上にはトサカのような羽毛があり、飛行機の垂直尾翼と同じような役割を持ち、高速走行する時に左右に振動しないための機構として働いていたかもしれない。
気嚢は、高速走行をすればするほど、全身を循環する空気の速度も増加し、空冷効率が高まる。従ってコエロフィシスは、ほぼ1日中高速走行するほうが体を空冷することができる。だから彼らは、酷暑で低酸素の三畳紀の環境中で、1日中、高速走行しても息を切らさないし、熱中症になることもなかったに違いない。
*注
(*9)スーパーミトコンドリア:鳥類のミトコンドリアが哺乳類のミトコンドリアよりもはるかに活性が高いことについては、数多くの報告がある。この要因の一つは鳥がインスリン感受性を失っていることにある(Satoh T. Bird evolution by insulin resistance. Trends Endocrinol Metab. 2021 Oct;32(10):803-813)。
(4)ダチョウの走行速度
現在のダチョウはどうだろう?ダチョウの骨格を見ると、背骨が水平化され、大腿骨よりも脛骨の方がはるかに長く、典型的なスプリンターの構造をしている。
実際に、陸上の鳥類の中で、ダチョウは最高のスプリンターである。ケニアの自然動物公園などを訪れた旅行客が驚くことは、ダチョウが時速60km程度のスピードで、少なくとも1時間程度は持続して走行できる点である。
これは気嚢が卓越したガス交換能力を持っているからに違いないが、気嚢は高速移動であればあるほど、空気の交換速度が高まり効率が高くなる放熱システムであるために、灼熱のアフリカでも熱中症にならずに高速走行を持続できる。
さらに一つ、気嚢の特長として、身体が大きければ大きいほど放熱効率が高くなるという点がある。小鳥なども気嚢を持っているが、彼らの骨は小さく、放熱の能力はそれほど高いわけではない。しかしダチョウくらい大きくなると、骨が大きくなって、そのほとんどが中空化していて気嚢が入り込んでいるとすると、その放熱の効率は大変に高い。アフリカの灼熱の大地では、気嚢の果たす役割が大きいことはもちろんである。
現在のダチョウの走行速度は時速60km程度で、この速度で少なくとも数十分は持続して走行が可能である。これは、鳥と獣脚類だけが持つ、スーパーミトコンドリアのなせる業であることはいうまでもない。
ただダチョウは、高速で走行するという意味では、獣脚類よりもはるかに不利な体型をしている。高速で走行するためには、頭骨から背骨、そして尾骨まで一直線にする必要がある。ダチョウは首を大きく上に反っていて、頭を真上に持ち上げている。これでは高速で走行するとき、頭が前後に動くため、速度を上げることを妨げる。
もっとも、これは見晴らしがきくアフリカの大地において、いち早くライオンなどの天敵を見つけるための適応に違いない。彼らの走行速度である時速60kmを上回る肉食動物はチーターくらいしかいないから、この速度で十分だ。
骨格が華奢にできているチーター相手なら、白兵戦になっても十分な勝算がある。なにせダチョウの戦闘力は、アフリカの大地の中でも卓越している。強力な足で一発蹴りを入れれば、大型のネコ族でもただではすまない。成鳥になれば、ライオンでもほとんどダチョウを襲うことがないのはこのためだ。
(5)ベロキラプトルの走行速度
ダチョウと比較した場合には特に、ドロマエオサウルス科(*10)のベロキラプトルは、理想的な体型だ。ベロキラプトルの素晴らしい点は、背骨が強固な腱で相互に結ばれているため、可動性は低いものの、高速走行するときの安定性は抜群なことである。
高速走行するときは頭骨から背骨にかけて一直線にすることができ、前肢を体幹に密着させれば、さらに速度を上げることが可能だろう。また高速になればなるほど、頭骨を下げることによって重心を下に移動させ、体全体を安定させることができる。
さらにベロキラプトルは、走行速度を上げれば上げるほど、そしてストライドが大きくなればなるほど、背骨を一直線にしたまま、重心を下げることが可能である。これによりさらに安定した高速走行が可能になる。
ベンツやBMWなどのドイツの自動車は、高速走行において高い安定性を有している。ベンツやBMWはアウトバーン(ドイツ・オーストリア・スイスの自動車高速道路)で、時速200km以上で走行することを想定しているため、高速では重心を下げて安定した走りを実現させているのである。
同じような機能をもっているベロキラプトルは、遅く見積もっても時速60kmで、普通に見積もれば時速80km程度の速度で、数時間以上は持続的に走行できた。
ベロキラプトルは明らかに内温性で羽毛があって、後肢の構造もほとんどダチョウと同じであり、コエロフィシスよりもはるかに進化した身体構造であることはすでに述べた。特に、大腿骨よりも脛骨の長さの方が長く、典型的な高速スプリンターである。
*注
(*10)ドロマエオサウルス科:白亜紀後期に存在した小型獣脚類のグループ。後肢の第2指のかぎ爪が特徴である。最も鳥に近い獣脚類のグループで、多くが羽毛を持っていて、内温性であったとされる。
(6)チーターの走行速度
現在のチーターはどうだろう?
チーターは背骨が水平化され、また大腿骨よりも脛骨の方が長く、スプリント能力を生み出す後肢の構造は美しくもある。読者の皆さんが高速スプリンターと聞いて、まずイメージするのは、チーターであると思う。時速100kmで走行して、素晴らしい加速能力を発揮して、ガゼルを一瞬にして捕獲する能力には、美しささえ感じる。
ただ、彼らが高速走行できる距離は、数百メートルが限界で、狩りをした後は、肩で息をしてゼェゼェしているのがわかる。これはチーターというより、哺乳類の肺の能力の限界といってもいい。すなわち哺乳類は、高速走行を持続するほどのガス交換能力を持ち合わせていないからだ。
これは哺乳類の肺の構造の宿命的な限界といえる欠点であり、哺乳類は基本的に酸素濃度が低いところでは生存する能力がないということだ。哺乳類の肺が肺胞という袋状の構造を持っているからで、出ていく空気と入ってくる空気が混ざるという宿命的な欠点があるのだ。
一方、ダチョウや獣脚類の肺は、出ていく空気と入ってくる空気が混ざることがない。これは専門家でもよく間違えることだが、気嚢があるために混じり合わないのではない。肺の構造が基本的に異なるのだ。
チーターは、ダチョウの気嚢のような優れた放熱システムを持っていないから、限界を超えて走行すれば、熱中症の危険が常につきまとうことになる。だから短い時間(数秒間)しか全力疾走することができない。
(7)ユタラプトルの走行速度
白亜紀前期に北米にいたユタラプトルは、ドロマエオサウルス科の獣脚類で最大の動物で、体長が6m程度もあり、体高はヒトと同じくらいである。
スピルバーグ監督の映画『ジュラシック・パーク』に登場した「ベロキラプトル」は、実際には体高が50cm程度しかなく、映画の「ベロキラプトル」はユタラプトルのことであるようだ。映画の中でのラプトルは、ヒトと同じ程度の体高があり、「ベロキラプトル」では体格が大きすぎるのである。
ヒトよりも体高が高いドロマエオサウルス科の獣脚類はユタラプトルしかいない。ちなみに『ジュラシック・パーク』でも「ベロキラプトル」の走行速度は時速80kmという設定になっていた。ユタラプトルなら時速80km以上で走行できた。
ユタラプトルは、ベロキラプトルよりもはるかに速く走行できた。動物の走行速度は、体が大きいほど、一歩のストライドが大きくなるため、より速くなるので、ユタラプトルはもしかしたらチーターと同じ程度の速度、すなわち時速100km程度で1日中持続走行ができた可能性がある。ユタラプトルは、持続的な高速走行が可能だと考えると、1日のうちに、東京から大阪くらいまでは楽々と移動していた可能性はある。
先ほども述べたように、体型が同じだと仮定すると、体が大きくなればなるほど、走行速度は増加する。しかしある程度大きくなると、体重が重くなるため、かえって走行速度が遅くなる。ユタラプトルが恐竜の中で最高のスプリンターと見なされないのは、このような背景があるからだ。
ユタラプトルは体重300kg程度と推察されているが、私はこの推察に賛成しない。おそらく、体重はその半分程度だっただろう。なぜなら獣脚類は、インスリンに対する感受性を失っているため、内臓脂肪や皮下脂肪を蓄積させることがほとんどないからだ。
獣脚類の体重を推定する際に、現在の哺乳類や爬虫類との比較が行われているが、このような「インスリン感受性を保持する動物」と比較することはできない。
インスリン感受性のない鳥(例:ダチョウ)と比較するべきである。ちなみに雄のダチョウの体重は約120kgといわれているから、ダチョウよりもすこし体が大きいユタラプトルは、150kg~200kg程度と推定しても、不合理ではない。
ユタラプトルの体重が予想の半分程度しかなかったとすると、時速100kmで走行することは十分にあり得る。哺乳類のチーターは同じ速度で走ることができるが、数秒程度しかこの速度を維持できないのに対して、ユタラプトルはこの速度で何時間でも持続して走行できるから、生物界の最高のスプリンターはユタラプトルである。