マウスとアプリでPC操作…世界を変えた初代Mac 貫かれたジョブズの美学と革新性

マウスとアプリでPC操作…世界を変えた初代Mac 貫かれたジョブズの美学と革新性

今から40年前の1984年1月24日、米カリフォルニア州で初代Macintosh(Mac)はお披露目された。プレゼンしたのはアップル創業者、スティーブ・ジョブズ。壇上に置かれたMacの画面には、右から左へ流れるように“MACINTOSH”の文字が流れ、文書、お絵かき、表計算などのソフトウェアが次々に紹介された。定員2600人で満員の会場からは割れんばかりの拍手。テクノロジーの新しい時代の幕開けを告げる瞬間だった。Macは何を変え、その背景には何があったのか。当時を知る人たちに取材した。

“魔術”を開放したコンピューターの登場

画面が立ち上がると、マウスでポインターを操作する。フォルダを開けるとファイルが出てくる。アイコンをダブルクリックすると、アプリケーションが立ち上がる。

グラフィカルな表示で直感的に操作させる画面(GUI)。今でこそ当たり前だが、こうした操作画面は40年前のコンピューターでは決して一般的ではなかった。当時のコンピューター画面は「C: \>dir」「C:\>cd Temp」といった文字列が並んでいただけだったからだ。操作はすべてキーボードによるコマンド入力で行われた。

「Macは“魔術”を一般の人に開放したんです」。アップルの技術に詳しいライターの柴田文彦さんは初代Macをこう評する。

「キーボードで1文字ずつコマンドを打ち込んだり、さらに凝ったことをするためにはプログラミングが必要だったり、いわば“呪文”を唱えないと何も操作できなかったのがMac以前のパソコン。その常識をMacが打ち破ったんです」

専門的なプログラムを知らなくても、文章を書いたり、絵を描いたりできるようになったのだ。

「新しい時代の秘密がここに全部詰まっているんじゃないか。これこそ未来を築く道具なんじゃないか。Macはそんな妄想を抱かせるマシンでした」

販売価格は、当時のパソコンとしては低価格の約2500ドル(日本での販売価格は69万8000円)。売れ行きは好調で、1984年1月下旬の出荷開始から同年4月末までに7万台以上の販売を記録。当時のアップル製品はもちろん、他のパソコン製品と比べても最速ペースだった。

その後、売れ行きは急激に失速するが、スペックを向上させた後継機やMac向けソフトウェアも登場して持ち直す。特に1985年に発売されたデスクトップパブリッシング(DTP)ソフトやアップル社製プリンターの登場以降、Macは出版と印刷に欠かせない道具と認識されるようになった。また「個人」が使うコンピューターとしても人気を博していった。

柴田さんはそんなMacに人生を狂わされたと笑う。

「日本でGUIが一般に普及し始めたのはMac発売から2年くらい経ってから。その頃、Macに関する記事を書いてくれと出版社から声がかかった。当時私はメーカーで技術開発をしていたのですが、学生時代からの付き合いがあり、頼まれたら断れない性分。記事を書いているうちに退職してライターになりました。Macがなければ、もっと真面目な人生を送ったんじゃないかな」

今でこそMacの歴史的価値を評価する柴田さんだが、当初は魅惑的な期待とともに「嫌悪感も覚えた」と振り返る。

「僕はもともとプログラミングが好きでパソコンに興味を持ちました。パカッとケースを開けて回路基板を見たり、自分なりに改造したりすることも楽しんでいた。ところがMacはプログラミング不要で使えるし、ケースを簡単に開けることもできない。技術者としては、つまらなかったね」

一般ユーザーには使いやすさ、直感的な操作性が受け入れられたが、その半面、プログラミングや電子工作の愛好家には面白みの感じられないマシンでもあったのだ。

Windowsも「真似」ならMacも「真似」

米マイクロソフトの元副社長、西和彦さんも、Mac登場の熱狂を冷めた目で見ていた一人だ。1979年から1985年まで米国本社で副社長を務めていたが、1981年頃、アップルによるMac開発の噂を耳にした。

「現在のWordやExcelの前身にあたるソフトウェアをMac向けに準備しているチームがマイクロソフトにあったからです。アップルがGUIを備えたパソコンを開発中であることは知っていました」

いざ産声を上げたMacは期待外れのものだった。

「画面は9インチしかなくて、小さすぎる。CPU(中央演算処理装置)の選択も正しいとは思えませんでした」

Macが先鞭をつけたといわれるGUIについてはどうか。

「マイクロソフトもGUIを採用するOS(オペレーティングシステム)の準備をしていました。後にWindowsが出たとき、Macの真似だと言われましたが、そんなことはありません。Windowsが真似た対象はMacではなく、ゼロックスのStar(スター)です」

StarはMacに先立つこと3年、1981年4月に発売された。GUI、マウス、家庭や企業のネットワークで用いられる通信規格のイーサネット、電子メールなどを備えた世界初の商用コンピューターだ。これらの技術は複写機大手ゼロックスのパロアルト研究所で開発された。

実は、スティーブ・ジョブズは1979年12月にこの研究所を訪れ、GUIやマウスなどを見学している。ゼロックスのベンチャーキャピタルからアップルに出資の申し込みがあったとき、ジョブズはパロアルト研究所で開発中の技術を見学させてもらう見返りとして出資を受け入れる条件を出し、合意していたからだ。

「WindowsがMacを真似したというなら、Macだってお互いさまなのです。Starは値段が高すぎて普及せず(サーバーとワークステーションからなる基本システムで約7万5000ドル)、ゼロックスはまもなくパソコン市場から撤退します。その後、Macはクリエイター向けとして、Windowsはビジネス向けとして棲み分けが進みましたが、パソコン市場でのシェアはあっという間にマイクロソフトが上回り、今も圧倒している状況です」

Macは、そのシステムやコンセプトこそ革新的と高評価を得たものの、動作の遅さ、ハードディスク未搭載の欠点などから、売れ行きは悪化。ジョブズはすべての役職を解かれ、1985年9月、アップルを去った。

Macお披露目時に紹介された新版画「髪梳ける女」

ジョブズ退職には、彼自身が部下や同僚に対して怒りっぽく、冷酷な態度で接していたことも背景にあった。2011年の死後、間もなく世界同時発売された評伝『スティーブ・ジョブズ』(ウォルター・アイザックソン)によれば、「そんなのは時間の無駄だ」「くだらない」「大ばか野郎」などの罵声を浴びせることは日常茶飯事だったという。

一方、周囲をいらつかせるジョブズなど想像できないと語る人もいる。銀座の老舗画廊「兜屋画廊」などで画商をしていた松岡春夫さんだ。

「評伝を読んで驚きました。私の知るジョブズはいつもフレンドリーで、いばる様子なんかまったく見せませんでしたから」

ジョブズが初めて兜屋画廊を訪ねたのは1983年3月11日。「新版画をこれから集めたい。いろいろ教えてください」と挨拶してきたという。

「名刺をもらいましたが、アップルがどんな会社かもわかりません。同月28日の朝日新聞夕刊でジョブズの紹介記事を目にするまで、アメリカ人の背の高い若者としか思っていませんでした」

新版画とは、明治後半から昭和時代に制作された木版画のこと。江戸時代に流行した浮世絵の流れを汲み、洋画の要素も加味して、実験的な作品が次々と生み出された。

ジョブズが1983年6月に同店で購入した橋口五葉「髪梳ける女」は、翌1984年1月のMac初披露時のデモンストレーションでお絵かきソフト「MacPaint」の紹介スクリーンショットに使われた。松岡さんによると、ジョブズは1984年2月にも同じ作品を再度購入しているという。

「なぜ2点買ったのかわかりません。1枚目は会社に寄贈して、2枚目は自分用に買い直したのかもしれません」

初来店のときに新版画について松岡さんに教えを請うたが、その後、ジョブズがアドバイスを求めることはなかった。年に2回ほど訪れ、自分で数点ずつ“掘り出し物”を購入していったという。

「富士山、桜、鳥居などが描かれた、海外旅行者がよく選ぶような作品をジョブズはめったに選ばなかった。川瀬巴水(はすい)の初期の作品を多く手に入れているのですが、たまたま在庫していた稀少性の高い作品をよく見つけていた。巴水をしっかり勉強していると感じました」

新版画がiPhoneデザインに影響与えた?

なぜジョブズは新版画を集めたのか。20年間に及ぶ付き合いの中、ジョブズとは何度も対面や電話で話したが、いつも日常会話に終始し、松岡さんが本人に直接理由を聞く機会はなかった。しかし、2023年6月17日にNHKで放送された「日本に憧れ 日本に学ぶ~スティーブ・ジョブズ ものづくりの原点~」の取材を受け、その一端が見えた。

番組にジョブズの10代の頃からの友人が登場し、自身の母親がジョブズに巴水の作品を教えたに違いないと証言。母親はスタンフォード大学で日本美術を学び、自宅には巴水の作品を飾っていた。そこにジョブズがしばしば遊びに来ていたという。

松岡さんはNHKの記者から、その友人の母親バンビさんが兜屋画廊に行ったことがあると話していたと聞かされた。といっても銀座の兜屋画廊ではなく、サンフランシスコにある支店だ。

実は、松岡さんは1969年から75年まで、サンフランシスコ支店に勤めていた。

「もしかしたらサンフランシスコでバンビさんに新版画を売ったのは私かもしれません。ジョブズはバンビさんから『東京に兜屋画廊っていうのがあるよ』と聞いたんじゃないでしょうか」

松岡さんが最初にサンフランシスコで扱っていたのは新版画ではなかったが、アメリカ人から浮世絵や新版画を教えられ、多く仕入れるようになったという。

「江戸時代の変体仮名を私が読めないで困っていると、葛飾北斎研究の大家ロジャー・キースに『読んであげましょう』と言われたこともあります。恥をかきましたよ。でも、彼らのおかげで日本の木版画の面白さに気づけたんです」

浮世絵は、ゴッホ、マネ、ルノワールなど西洋の芸術家に大きな影響を与えたことが知られている。同様に、新版画がMac、iPhone、iPadなどのアップル製品のデザインに影響を与えた可能性があるのではないか。

「iPhoneの形を見たとき、巴水の『塩原おかね路』のような縦長の作品をきれいに表示させたかったのかなと思いました」

松岡さんによれば、巴水の作品は余計な要素が削ぎ落とされ、独特の効果をかもし出しているという。アップルが作った最初のパンフレットの表紙に記されたレオナルド・ダ・ヴィンチの格言「洗練を突き詰めるとシンプルになる」に通じるものが新版画にあったのだ。

デザイン以外も「シンプルさ」貫くジョブズの美学

アップル製品のデザインはどれもシンプルで、すっきりしている。だが、シンプルだったのはデザインだけではない。

「アップルは製品ラインアップも参入事業も極端に少なく、組織の階層も少ない。だから社員の力が分散しにくく、大企業の割に小回りがききます。在庫管理が徹底されているから利益率も非常に高い経営体質です。1997年にアップルに呼び戻されたスティーブが、前任CEOの始めた改革を推進し、不採算部門や膨らんだ開発プロジェクトを整理して、シンプルにした結果です」

そう語るのは、1992年にアップルジャパンに入社、2002年から米国本社に移籍し、品質保証部のシニアマネージャーなどを務めた(2009年退職)、松井博さんだ。

「テスラの経営者イーロン・マスクはスティーブのスタイルを参考にしているんじゃないかと思いますね。自動車メーカーのカタログには何十車種も載っているのが一般的ですが、テスラにはモデル3やモデルYなど片手で余るほどの車種しかありません」

シンプルなデザインを追求するジョブズの製品にも失敗作はあるという。

「2000年に発売されたPower Mac G4 Cubeは世界一クールであることを売りにしていました。しかし高額な上、拡張性に乏しく、さっぱり売れなかった。静電気だけでオンオフできる先進的なスイッチが付いていたのですが、猫が前を歩くだけでシャットダウンすることもあった。実用性より美意識が先行したプロダクトでした」

振り返れば、初代Macの販売も最終的には振るわなかった。松井さんは「時代を先取りしすぎたから」と分析する。

「当時はスティーブのデザインのセンスについてこられる人が少なかった。しかし1995年にWindows95が登場してGUIに親しんだ層が増え、インターネットも普及したから、パソコンの利用価値が一挙に上がった。だからスティーブ復帰後の最初のMacであるiMacが商業的に大成功したんでしょう」

iPadこそジョブズの考えるPCの理想形?

アップルを離れたジョブズが古巣に戻るのが1997年。当時はいつ倒産してもおかしくない状況に追い込まれていた。それをひっくり返したのが、1998年発売のiMacだ。

iMacは初代Macに近い美学に貫かれていた。パソコンの基本的な部品とディスプレイが一体化し、天井部分には持ち運び用のハンドルもある。拡張機能の接続には当時出始めたばかりのUSBに整理、統一され、デザインはすっきりしていた。iMacの「i」にはinternet、individualなどのさまざまな意味が込められた。

「i」はiPod(2001年)、iPhone(2007年)、iPad(2010年)など後のアップル製品にも踏襲された。いずれもジョブズのデザインセンスが光る、シンプルで、使いやすいヒット商品だ。iPhoneの世界での販売台数は2010年代後半から毎年2億台を超えている。

前出の柴田さんは、最初のMac完成以前からジョブズが思い描いていた「パソコン」は、iPadのようなものだったのかもしれないと語る。

「もともとコンパクトでシンプルなものを求めていた。約8キログラムの初代Macですら持ち運べるように取っ手を付けていた。その意味でiPadは理想形だったのでは」

柴田さんの見立て通りの挿話が前出の評伝にある。初代Mac発売前、ベトナム戦争戦没者慰霊碑の設計で有名になったマヤ・リンという中国系の若手デザイナーとジョブズが意気投合し、アップルに招いた。その際、リンは「(コンピューターを)もっと薄くしたらいいんじゃないの? 真っ平らなノートみたいにしたら?」と話した。そのときジョブズは「最終的にはそうしたい、技術的に可能となったらなるべく早く実現したい」と答えたという。

初代Macに人生を狂わされたと語る柴田さんはライター転身後、アップル製品に関する記事や著作を書き、スティーブ・ウォズニアックや、アンディー・ハーツフェルドなど、アップル初期の著名エンジニアへのインタビューも重ねた。そうした経験から「ジョブズは大嫌い」だが、生み出した製品、特に初代Macは技術と美学の結晶だと脱帽する。

「周りの人間に対する態度は本当にひどいことがある。最悪ですよ。でも、ジョブズが人をやる気にさせる力を持っていたことは認めざるを得ません。特殊な工具で初代Macを開いて内部をのぞくと、天才的なエンジニアたちが命を削って作ったことがよくわかる。今見ても面白くて仕方がありません。iPod、iPhone、iPadでさえも初代Macのインパクトには遠く及びません」

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