「夫婦のはじまり」は初期猿人…!メスに受け入れられるために、440万年前からオスは「特定の相手に頻繁にプレゼント」していた

「夫婦のはじまり」は初期猿人…!メスに受け入れられるために、440万年前からオスは「特定の相手に頻繁にプレゼント」していた

 1974年11月に発見されたアファール猿人「ルーシー」が発見により、人類学上は大きな進歩を遂げました。人類学者で、国立科学博物館主任研究官、人類研究部長だった馬場悠男さん(現在、国立科学博物館名誉研究員)は、このルーシーを復元し、同博物館の重要展示物となっています。

 今回は、このルーシーを含む猿人を中心に、人類の進化を見ていきたいと思います。私たちホモ・サピエンスの特徴の萌芽が見えてきます。

 *本記事は、『「顔」の進化 あなたの顔はどこからきたのか』の内容を、再編種・再構成してお届けします。

チンパンジーと分かれてからの5段階

 我々の祖先は、アフリカで誕生して以来、環境の変動に適応して、身体をさまざまに進化させてきた。その歴史ドラマのなかで、顔はつねに主役か、重要な脇役を演じてきた。それは顔が、ヒトに「人間らしさ」をもたらすさまざまな特徴の大部分に密接にかかわっているからである。最もヒトらしい特徴とされる直立二足歩行さえ、顔と無関係ではない。

 大型類人猿のうちで、ヒトに最も近縁なのはチンパンジーである。形態分析、血清タンパクの分析、あるいは最新のDNAの分析からもはっきりとしている(DNAのヒトとの違いは2%以下)。そして、チンパンジーとヒトの共通祖先から我々ヒトに進化した。この進化の道のりはかなり複雑だが、大筋では以下のような5段階の理解でよいだろう。

・■第1段階「初期猿人」

 700万~600万年前にアフリカで誕生。短距離なら地上を二足歩行できた。森や疎林で主に果物を食べ、把握性のある手と足で木登りをする

・■第2段階「猿人」

 400万年ほど前に出現。直立二足歩行が発達して草原にも進出。主に乾燥した硬い植物を食べるようになった。ただし疎林にも依存していた。

・■第3段階「原人」

 200万年ほど前のアフリカで誕生。脚も長くなり直立二足歩行が完成。疎林から離れ、草原に拡がった。道具を使い、一部は火も使い、肉を含む多様な食物を食べ、やがて180万年ほど前からユーラシアに拡散。

・■第4段階「旧人」

 やはりアフリカで70万年ほど前に出現し、判断力や生活技術を向上させ、再びユーラシアへ拡がった。

・■第5段階「新人」(ホモ・サピエンス)

 20万年ほど前にアフリカで誕生。創意工夫のある戦略的な頭脳を活用して、6万年ほど前から世界中に拡散。

段階を踏むごとに培われた「人間らしさ」

 ヒトがほかの哺乳類あるいは霊長類と違う点、つまり"人間らしさ"と呼ぶべき特徴は数多くあるが、その中で代表的なものは、直立二足歩行の発達、手の母指対向把握能力(親指をほかの指と向かい合わせて物を握ること)の発達、咀嚼器官の変化、大脳の拡大、そして寿命の延長とされている。

 人類進化の早い時期に獲得された直立二足歩行は、移動能力を向上させて新しい環境への進出を可能にしただけでなく、自由になった手は母指対向把握能力を発達させた。

 その結果、物を運び、道具を使うことで大脳の発達がもたらされた。二足歩行が顔の変化と無関係でないのは、行動範囲が広がって多様化した食物を咀嚼するために歯や顎が拡大(あるいは縮小)したこと、また、結果として大きくなった脳を収めるために、頭の大きさや形状が変化したためである。

 大脳の拡大は、道具の使用や言語の発達など"人間らしさ"のきわみとしての文化の発達につながった。そして、寿命の延長は、大脳の発達とほぼ比例する。

 咀嚼器官は、我々ではすでに退化しているが、猿人で小臼歯と大臼歯が大きくなるなど、部分的に拡大し、原人以降では歯全体が退縮した。これらの変化は、人類が異なる環境に暮らしの場を広げていった際に食物の質が変わり、それに歯と顎が適応したからだ。犬歯は、本来は咀嚼器官だが、霊長類では攻撃の道具となり、暴力性、すなわち社会の構築と関係する。

 では、そうした脳の容積や口部といった顔の変化と進化の関係が、5段階のなかでどう現れているのかをみてみよう。

「夫婦関係」は初期猿人からはじまった

 440万年前のアルディピテクス・ラミダス(ラミダス猿人)では、手足は類人猿のように把握する機能を持ち、骨盤は腰を伸ばせるようになったため、頻繁に直立二本歩行をしていた。身長120cm、体重40kgほどの身体のわりには、顎も歯も小さかったので、森の中で比較的軟らかい果物を主食としていたことがわかる。

 だが、注目すべきは、より古い時代の初期猿人ではチンパンジーのように大きかった犬歯が小さくなっている。また、オスとメスの身体はほぼ同じ大きさだった。雌雄で身体の大きさが変わらないこと、犬歯が小さいことは、なにを意味するのだろうか。

 この問題は、現生の霊長類の暮らしがヒントになる。チンパンジーでは、オスはメスより身体が大きく、力も非常に強い。争いで勝ったオスがメスを独占する傾向がある。メスにはオスを選択する自由がほとんどない。しかし、同じチンパンジー属のボノボは、チンパンジーに比べるとオスとメスの体の違いが少なく、オスどうしの争いも少ない。さらには、もめごとやストレスを接触で癒したりする。

 つまり、争いによるエネルギーの消費を避けているといえるが、おそらくはラミダスの祖先も、暴力性を減少させるという賢明な社会組織を選択したのだろう。

 では、ラミダスのオスは、どのようにメスにアピールし、受け入れてもらっていたのだろうか。ラミダスの化石を研究したケント大学のオーエン・ラヴジョイ教授によると、ラミダスのオスは直立二足歩行によって自由になった手で大きな食物を運んできて、特定のメスに頻繁にプレゼントしたのであろうという。正式には「食物供給仮説」という。

 メスは食物をくれるオスを頻繁に性的に受け入れ、オスはメスが育てる子どもを自分の子どもだと信じることになる。つまり、優しくて稼ぎのよいオスがメスに選ばれるという古今東西を問わないシステムが始動したらしい。まさに「夫婦のはじまり」ともいえよう。

草原への進出に対する2つの対処法

 直立二足歩行を発達させて草原に進出すると、硬く乾燥した食物を食べざるを得ないようになった。約250万年前になると、アフリカ全体が徐々に乾燥して、草原での暮らしはさらに厳しさを増していく。

 そうした環境に適応するために、猿人たちは彼らの伝統的方法である咀嚼器官の発達で適応しようとした。

 約400万年前にラミダス猿人から進化したアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)は、犬歯が初期猿人のラミダス猿人よりさらに小さくなり、もはや攻撃どころか脅しの道具としても役に立たなくなったが、草原の硬い乾燥した食物を噛み砕くために、小臼歯と大臼歯は大きくなり、磨耗を減らすためにエナメル質が厚くなった。その結果、歯列全体が前後に長くなり、口が前方に大きく突出するようになった。

 175万年前ころに生息していたパラントロプス・ボイセイにいたっては、頑丈型猿人とよばれ、顔の大きさと頑丈さはゴリラ並みだった。

 噛む力を増すため、小臼歯と大臼歯がさらに巨大になった。頭全体を覆うまでに拡大した側頭筋は、一方が頭頂骨の正中にまで達し、その付着部には矢状隆起と呼ばれるツイタテができた。もう一方の付着部である頬骨と頬骨弓は横に広がり前方にも出っ張ったため、顔の上半部は皿のように窪んだ形となった。

軟らかい食べ物を「うまいこと」手に入れた一群

 そうした環境に変化に対し、石器や木の棒などを使って、多様な軟らかい食物をうまく手に入れようとした一団がいた。原人となるグループである。180万年前の原人、ホモ・エレクトス(アフリカではホモ・エルガスターとも)は、本格的に石器を使い、積極的に狩りもしていたと考えられる。歯と顎の大きさも小さくなった。

 咀嚼器官の発達で困難を打開しようとした猿人は、脳の容積はわずかしか増加しなかった(アファール猿人で300~400mlほど、パラントロプス・ボイセイでは他の猿人より大きくなったが、それでも500mlほど)。しかし、様々な工夫を試みた原人では、上記のホモ・エレクトスでいえば、750~900mlにも増大した。

 また、原人になると、鼻骨がやや隆起していることから、鼻尖や鼻翼を形成する鼻軟骨はかなり盛り上がって鼻の孔もほぼ下を向いた、人間らしい鼻が成長しはじめたことがわかる。眼瞼裂は大きくなり、虹彩周囲の白眼の着色が薄れて白眼が見え、人間らしさが感じられるようになったことだろう。唇(赤唇縁)もかなり発達していたはずだ。

 おそらく、汗をかくために体毛は疎らになったが、頭髪だけは密に残っていたはずだ。汗をかくことで体温を下げ、昼間の暑い草原でも長距離の歩行が可能になっただろう。

 ただし、まだチンパンジーなどにみられる眼窩上隆起が発達し、額は傾いてわずかしか隆起していないことから、額から落ちてくる汗を防ぐための眉毛は、まだまばらだっただろう(チンパンジーの眼窩上隆起と眉毛の関係は以前の記事「イヌに聞いた「ここがヘンだよ、ヒトの顔」…顔で恋するなんて、はしたない!?」を参照)。また、口の機能や役割といった面では、"ヒトらしい"行い、つまり言語発声は不可能だった。

じつは、咀嚼器官の退縮が言語発声をもたらした!?

 サル的なイメージの弱まった原人ホモ・エレクトスの顔だが、それでも、我々に比べれば大きく突出していた歯列は、頸椎との間が広く、口腔は奥に広い。このことから、喉頭は口腔のすぐ後ろ(背側)に続く咽頭上部に収まっていたため、喉頭の位置が低い我々のように、言葉を喋ることはまだできなかったと思われる。

 しかし、約70万年前に原人から進化した旧人に属するホモ・ハイデルベルゲンシスでは、歯列と頸椎の間のスペースが狭くなり、喉頭が収まりきれなくなって、頸(くび)の中程に下がっていたと推測される。 つまり、我々のように言葉をしゃべることができただろう。

 ホモ・ハイデルベルゲンシスは、外見上の特徴も、原人と共通する部分がまだわずかに残存するものの、脳の容積は1300ml程度と、現代人よりやや少ない程度にまでになった。彼らは、ユーラシアへ進出し、中国のダーリー人やマバ人、ヨーロッパのネアンデルタール人へと進化していった。

世界進出を果たしたホモ・サピエンス

 そして、20万年前のアフリカで、新人ホモ・サピエンスが誕生した。用途によって違った石器を作り、火を活用するような文化的な発達によって暮らしを維持することができた彼らは、身体や咀嚼器官がいっそう華奢になった。

 たとえば、16万年前のホモ・サピエンス・イダルツの顔は、旧人と比べると歯と顎が縮小し、口が引っ込んでいた。また、イスラエルで発見された10万年前のカフゼー人の骨を見ると、下顎底部が拡大し、オトガイが突出しているのがわかる。オトガイは、サピエンスのみに見られる特徴で、うつむいたときに頸の中ほどに下がった喉頭を圧迫しないための構造と解釈できる。

 顔全体が退縮したので、鼻腔が顔の中に収まりきれなくなって、鼻がやや隆起するようになった。眼窩上隆起は目立たなくなり、唇もできて、顔の各パーツは我々と事実上変わりなくなった。脳の容積も、現代人とほぼ同じ、1400mlに拡大している。チンパンジーと同じくらい(300~500ml)だった初期猿人・猿人の大脳は、原人から旧人をへて新人になるまでのわずか200万年間で3倍ほどになったのだ。

 そして、彼らは、アフリカ大陸を出てユラーラシア大陸に渡り、やがてその優れた創造的かつ戦略的な論理能力を駆使し、海洋さえも開拓し、全世界へ進出していったのである。そして、この日本列島にもやってきたのは、3万8000年ほど前のことである。この日本列島で、ヒトの顔がどのように変化していったか、私たち日本人の顔にも興味深い歴史が刻まれている。

🍎たったひとつの真実見抜く、見た目は大人、頭脳は子供、その名は名馬鹿ヒカル!🍏