温暖化が地球を冗談じゃなく痛めつける根拠 化石燃料消費の半分以上は1989年以降のことだ
一般的に考えられているよりも、気候変動の実態ははるかに深刻だ。進行がゆっくりだとか、実際のところ、気候変動は起きていないと言われることもあるが、それらは思いこみにすぎない。
地球温暖化は、18世紀のイギリスが石炭を燃やしまくったせいで、孫や子の代に累(るい)が及んだ話だと思われるかもしれない。だが、化石燃料の燃焼の半分以上は、1989年以降に起きている。1945年以降なら、その割合は約85パーセントになる。
拙著『地球に住めなくなる日: 「気候崩壊」の避けられない真実』でも詳しく書いているが、私たちはいま、大量絶滅のときの少なくとも10倍の勢いで二酸化炭素を出している。産業革命以前に比べると100倍だ。すでに大気中の二酸化炭素は、過去80万年、いや1500万年で最も高いレベルになっている。
地球の運命を揺るがし、人間の生命と文明の維持を危うくさせているのは過去のどの時代でもなく、いま生きている私たちの仕業ということだ。
気候の変化は、私たちが認識、理解するよりずっと速く進み、私たちが想像するより、ずっと長く続くのである。
隠されてきた最悪の予測
2011年に始まったシリア内戦では、約100万人の難民がヨーロッパに流入したが、それも遠因は気候変動と旱魃(かんばつ)である。大量の難民はパニックを引き起こし、「ポピュリズム旋風」が欧米に吹き荒れるきっかけをつくった。サハラ以南のアフリカ、ラテンアメリカ、南アジアからも難民が発生し、2050年には1億4000万人を超えると世界銀行は予測する。「シリア危機」でヨーロッパにもたらされた人数のざっと100倍以上だ。
国連の予測はさらに厳しく、気候変動に起因する難民は2050年までに2億人になるという。ローマ帝国最盛期の世界の総人口に相当する数が住む家を失い、新天地を求めてさまよう。「貧困にあえぐ10億人以上が、戦うか逃げるかの選択を迫られる」と国連は最悪のシナリオを描く。
京都議定書が採択された1997年のころには、地球の気温上昇が2℃を超えると、深刻な事態になると考えられていた。大都市が洪水に見舞われ、旱魃と熱波、それにハリケーンやモンスーンなど、以前は「自然災害」だったものが、日常的な「悪天候」になるということだ。
もはや、この状況を避けることはできないだろう。京都議定書から20年以上たっているにもかかわらず、目標は実質的に何ひとつ達成できていない。法整備やグリーンエネルギーの導入が進み、各種活動もさかんになっているが、二酸化炭素の排出量はむしろ増えている。
2016年、パリ協定は平均気温の上昇幅を2℃までと定めた。しかし、それから数年たち、目標に着々と近づいている先進国は皆無である。いつの間にか2℃目標は望ましいシナリオにすりかわり、それ以上に気温が上昇する忌まわしい可能性は巧みに世間から隠されている。
最悪の予測を見過ごすと、起こりうる事態まで軽く考えてしまい、備えがおろそかになる。最大予測は可能性の上限であり、それより下の予測はいつ起きてもおかしくない。気候変動の懸念は半世紀前から指摘されていて、楽観的な意見がことごとくはずれたことを考えると、むしろ最悪の予測こそ指針とすべきではないだろうか。
気温上昇2℃で何が起きるか
国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、地球の現状と、気候変動の今後を評価するための基準を定めている。議論の余地がない確かな研究結果だけを採用しているため、おとなしめではあるが。
次の報告は2022年の予定だが、現時点で最新の報告は、パリ協定で決定しておきながらいまだ実現していない対応を直ちに実行しないと、今世紀末までに平均気温は約3.2℃上昇すると警告している。
3.2℃の上昇で氷床の融解が現実になり、それも目前に迫った問題となる。マイアミやダッカ、上海や香港など世界の100都市が水に浸かるだろう。
いくつかの研究によると、その分かれ目は上昇幅2℃だと指摘されている。ただし二酸化炭素の増加を直ちに止めることができたとしても、今世紀末には平均気温が2℃は高くなる見込みだ。
地球の平均気温が2℃上昇すると、いったいどういうことになるのか。