「喫煙」は「本人の選択」だけの問題か──タバコ会社が売ってきたものとは
タバコの健康被害について話すと、よく「害を承知で吸っているのだから本人の責任だ」という意見が出てくる。確かに、タバコを買い、火をつけ、煙を吸い込むのは喫煙者自身だ。だが、タバコ問題を考える際には、吸う人の行動とともに、吸い始めさせ、吸い続けさせてきた企業、つまりタバコ会社の行動に目を向ける必要がある。
知っていたことと、伝えていたこと
例えば、タバコを吸い始めるという選択は、どのような情報と環境のもとでなされてきたのだろうかという疑問だ。
もちろん、タバコを吸い始めるかどうかは本人の意思である。しかし、製品を売る側が有害性を知りながら否定し、依存性を小さく見せ、健康への不安を和らげる宣伝をしていたとすれば、自ずから話は変わってくる。
タバコ会社は嘘をついてきたのだろうか。その答えは明白だ。タバコ会社は、これまで多くの嘘をついてきた。
その欺瞞は、単に「タバコは健康に悪くない」と嘘をついたことだけではない。有害性を示す研究がいくら積み重なっていたとしても、その情報を社会が入手することを妨げてきたのである。
例えば、米国では訴訟などを通じ、公開された内部文書から企業内部での認識と消費者に向けた説明との食い違いが明らかになっている。
2006年の連邦地裁判決では、大手タバコ会社などが喫煙の健康被害やニコチンの依存性について知りつつ、消費者を欺いてきたことが認定された。その後、会社側は、喫煙の健康影響や依存性などについて訂正声明を公表するよう命じられた(実際の公表は2017年から)。
さらに悪辣なのは、これが単に科学の進歩で未知の害が徐々に判明したという話ではない点だ。タバコ会社が内部で把握していた事実を、外に向けては否定したり小さく見せたりしていたのである。
しかもタバコ会社は、タバコが無害であると証明することさえ必要なかった。無害か有害か、まだはっきりわかっていないと人々に思わせることができれば、はっきりするまでの間は販売を続けられる。タバコへの対策を遅らせれば、それだけ売り上げを得られる時間をかせぐことができるというわけだ。
すでに十分なエビデンスがある問題まで、未解明と言い張って議論を引き延ばす。タバコと健康の関係に疑問を投げかけ続けるという行為によって、健康を守る対策が先送りされてしまうのである。
依存を習慣へすり替える
タバコ会社が使い、広めてきた言葉の使い方も問題だ。例えば、喫煙を「習慣」、タバコを「嗜好品」と言い換え、タバコを吸う行為を「成人の自由な選択」と表現する。こうした言い換えや意味のすり替えにより、それぞれの行為や言葉は日常の中で本人の意思で好んで続けているものとなる。
しかし、ニコチンには強い依存性があり、吸い始めるとやめたいと思っても容易にはやめられなくなる。コーヒーが好きで毎朝飲むことと、ニコチンが切れると強い欲求や不快な症状が現れ、短い時間でタバコに手が伸びることを、同じ「習慣」という言葉で説明はできない。
このことは、喫煙者に意思がないという意味ではない。ただ、ニコチン依存によって選択の自由が制約されることを無視し、吸い続けている事実だけを根拠に「本人が自由に選んでいる」とするのには無理がある。
タバコ会社は喫煙者にタバコを長く常習的に購入させ続けるため、ニコチンを効率よく体内へ届ける製品開発にいそしんできた。前述した米国の訴訟で問題とされたのも、ニコチンの送達を最適化するための製品設計だった。
依存性は、消費者が被る不利益であると同時に、企業が継続的に収益を得る仕組みに組み込まれていた。こうした構造を抜きにして、やめられない人を「意志が弱い」と責めても、問題の説明にはならない。
「軽いタバコ」が生んだもの
だが、有害性を否定するだけでは、喫煙者の不安を抑えきれなくなった。1950年代から喫煙と肺がんの関係について有力な疫学研究が出始め、喫煙者もタバコの有害性に不安を抱くようになる。
タバコ会社は、ニコチンに依存する喫煙者を生み出し続け、タバコ購入を継続させるための努力を怠らなかった。喫煙者の高まる健康不安を解消することを目的にした製品を開発した。それが「ライト」「マイルド」「低タール」といったタバコである。
これらの言葉から当時、身体への影響も少なくなるのではと受け止めた喫煙者は少なくなかっただろう。しかし、機械で測定したタールやニコチンの量は、ヒトが実際に吸い込む量をそのまま表すものではない。
例えば、フィルターの通気孔から空気が入れば当然、機械で測る煙は薄まる。また、ヒトが吸うときには指や唇がフィルターの孔をふさぐこともあるし、よりニコチンを得ようとして深く吸ったり吸う回数を増やしたりすることもある。
こうした吸い方の変化を「代償喫煙(無意識の補償行動)」という。つまり、測定された数字がいくら小さくても、病気になる危険性が小さくなるわけではない。
実際、低タール化は、タバコ関連疾患の危険性を低下させる対策にはならなかった。心血管疾患やCOPD(慢性閉塞性肺疾患)などの危険性は低下せず、むしろ、タバコの設計や成分の変化によって肺腺がんになる危険性は高まったのである。
米連邦地裁の命令でタバコ会社が公表した訂正声明の内容にも「ライト」「低タール」などのタバコに健康上の利点がないことが含まれている。また、日本の財務省によるタバコ製品の注意文言表示規制でも「mild」などの表現は、悪影響が小さいという誤解を生じさせるおそれがあるとしている(※1)。
もちろん、数字が測定結果として正しいかどうかだけが問題ではない。その数字によって、消費者が何を信じるようになったのか、どんな誤解を生じさせたのかだ。もし健康を心配する喫煙者が禁煙の代わりに「ライト」で「マイルド」な製品に替えればよいと思い、実際にはその製品に健康上の利点などなかったならば、製造者としての責任はどうなるのだろうか。
タバコ会社の姿を見えにくくする
さらに、企業の主張を広める方法にも仕組みがあった。
例えば、タバコ会社自身が「受動喫煙の害は明らかではない」と主張すれば、自らのビジネスを守るための言説と受け取られやすい。だが、同じ内容を科学者や一見独立した団体が述べれば、第三者による客観的な見解のように見える。
タバコ会社は、研究者や団体への資金提供を介し、自らに都合のいい論文を多く出版させてきた。もちろん、研究資金を受け取っただけで、全ての研究結果が間違っているというわけではない。
だが、受動喫煙を含め、タバコによる健康への有害性が明らかになってくると、タバコ会社はその豊富な資金力により、多方面のアカデミアへ影響力を行使してエビデンスを打ち消そうとしたり、議論を混乱させようとしてきた。例えば、1953年にタールによる発がん性が広く知られるようになると、大手タバコ会社は業界団体の研究委員会に米国の著名な遺伝学者を迎え、タールと発がん性について因果関係がまだ証明されていないと発言させるなどした。
こうしたタバコ会社の活動は、今の日本でも行われている。例えば、JT(日本たばこ産業)が設立資金の大半を拠出し、JTから寄付金を受けている喫煙科学研究財団という公益財団法人がある。
タバコ産業の内部文書などを調査した研究によれば、この団体はけっして中立な学術団体ではない。タバコ産業を利するために設立されたことがわかっており、業界から独立した組織に見せることで研究結果を市民や行政に受け入れられやすくすることも目的としていることが明らかにされている(※2)。
同じ間違いを繰り返さないために
このようにタバコ産業とタバコ会社は、基本的には今でも同じ戦略・戦術でビジネスを展開している。
例えば、加熱式タバコでは、特定の有害物質が紙巻きタバコより少ないことが強調される。しかし、有害物質の排出量が減ること、体内に取り込む量が減ること、将来の病気や死亡が減ることはそれぞれ別々に確かめるべきだ。
実際、米食品医薬品局(FDA)が一部のIQOS製品について認めているのは、紙巻きタバコから完全に切り替えた場合の有害物質への曝露低減だけであり、健康への悪影響が低減されているとしてはいない。2026年の更新でも、その対象と条件は限定されており、製品が安全と認められたわけではないのである。
紙巻きタバコと比べれば、確かに加熱式タバコから出る一部の有害物質は少なくなっている。ただし、比較対象である紙巻きタバコの有害性が、極めて大きいことを忘れてはならない。
もし仮に、加熱式タバコの有害物質が紙巻きタバコの十分の一で、肺がんになる危険性も同じ割合で下がるとしよう。同じ人数を同じ期間追跡し、非喫煙者で1人、紙巻きタバコの喫煙者で100人が発症するなら、加熱式タバコでも10人が発症する計算になる。
つまり、有害物質だけでなく発症の危険性まで十分の一になったとしても、なお大きな危険性が残るということだ。もちろん、これは説明のための仮定であり、実際の発症人数を示すものではない。
しかも、低タール製品の歴史では、測定値の低下は期待された健康被害の低減にはつながらず、肺腺がんの危険性はむしろ高まった。加熱式タバコでも、一部の有害物質の減少だけで安心することはできず、製品特有の成分や使用方法による新たな健康被害にも目を向ける必要がある。
消費者(喫煙者)が知りたいのは、製品から出る成分の数字だけではない。使い続けていくと健康を損なう危険性がどれくらいあるのか、ということだ。
過去に「低タール」という数字が、いったい何をもたらしたのか。その経験は、加熱式タバコなどの新しい製品の宣伝を読み解く際にも役立つはずだ。
責任を問うべき相手は誰か
喫煙による被害を減らすには、喫煙者への禁煙支援も周囲の人を受動喫煙から守る対策も必要だ。その際、喫煙者と非喫煙者の対立だけに目を奪われると、製品を設計し、販売し、利益を得てきた企業の責任が見えにくくなる。
これまでの歴史がその答えとなる。タバコ会社は何を知り、何を伝えてこなかったのか。どのような言葉で大衆に安心感を与え、どのような製品で依存を維持してきたのか。企業の説明と消費者が受け取る意味との間には、どのような隔たりがあるのか。
喫煙は「本人が選んだ」という一言では、この問題は解決できない。喫煙者もまた健康を損ない、やめたくてもやめられず、タバコ代を払い続ける側にいる。
大事なのは、タバコ問題を個人の責任だけにとどめず、その選択を形づくってきたタバコ産業とタバコ会社の行為を知ることだ。それが被害を減らすための出発点である。
