アメリカでは天才児が集まる「ギフテッドクラス」→日本に来たら偏差値29で中学受験に失敗…IQ128の帰国子女の葛藤

アメリカでは天才児が集まる「ギフテッドクラス」→日本に来たら偏差値29で中学受験に失敗…IQ128の帰国子女の葛藤

幼いころに「天才」「神童」と呼ばれた子どもたちは、その後どんな大人になっているのか。本連載では、早くから才能を見せたために、称賛と戸惑いを同時に抱えてきた人たちを訪ね、いまの彼らに見えている景色を聞いていく。

 今回登場するのは、富山県出身の相佐優斗さん(2000年生まれ)。早稲田大学社会科学部を卒業し、現在は小学生に特化した英語教育サービス「キンダーラボ」の代表取締役を務める。

 彼の神童エピソードは、アメリカのオハイオ州で始まった。日本では幼稚園に行きたくなくて、毎朝玄関で泣いていた。ところが、海を渡った先では、IQテストで選抜される「ギフテッドクラス」に入ることになる。

 そこで出会ったのは、ゲーム開発やロボット作りに没頭する子どもたちだった。彼らに囲まれながら、相佐さんは自分ならではの役割を見つけていく。

■アメリカの小学校で「ギフテッドクラス」に

 6歳で渡米したとき、相佐さんの英語はまだ拙かった。それでも、知っている言葉とジェスチャーを使いながら、新しい環境に飛び込んでいった。

 そんな彼が選ばれたのが、現地の公立校に設けられていた「ギフテッドクラス」だった。

 相佐さんの記憶では、入るための基準はIQテストで120以上を取ること。算数や科学の授業で、通常のクラスとは別に学ぶ仕組みだった。専任の先生がおり、学年の垣根を越えて、年齢の違う生徒と一緒に授業を受けることもあったという。

 一度入れば、そのまま在籍できるわけではない。毎年テストを受け、基準を下回ればクラスを離れる。相佐さんは、その選抜を通り続け、約2年間をここで過ごした。

 本人にとっては、日本の受験でイメージするような「勉強を頑張って入る選抜クラス」とは違っていた。

 「そこを目指して、みんなが努力するという感じではなかったです。何か特別な才能や、知能の特徴がある子が入る場所として、一目置かれていました」

 授業の進め方も、普通の教室とは大きく異なる。決められた内容を同じペースで学ぶというより、それぞれが好きな分野を探究し、その成果を見せる。大学のゼミを思わせるような時間だった。

相佐さんは、この場所を「第2のホームルーム」と表現する。

 そこに集まっていたのは、どの科目もまんべんなく得意な優等生ばかりではない。特定の分野に抜群の力を発揮する子もいれば、好きなことへのこだわりがとても強い子もいた。

 「自分が頭がよかったから入れた、という感覚はないんです」。相佐さんはそう振り返る。

■ギフテッドクラスにいた“クラスメイト”たち

 ギフテッドクラスには、驚くような子どもたちがいた。

 1日中、黙々とプログラミングをして、自分だけのゲームを開発する子。何十個ものルービックキューブの配色を組み合わせ、壁一面に巨大なモザイクアートを作る子。自分でパーツを集めて、ロボットを組み上げる子。それぞれが、自分の好きな世界に深く入り込んでいた。

 相佐さんには、彼らの作るものがとにかく面白く見えた。ところが、その面白さが周囲に十分伝わっているとは思えなかった。作ることには夢中でも、人前に立って説明するのは苦手。あるいは、そもそも誰かに見せようとしない。完成したものを、自分の手元で楽しんでいる子もいた。

 そこで相佐さんが見つけたのが、「代理プレゼンター」という役割だった。

 彼らの机に行き、何を作っているのかを聞く。どこが面白いのか、どんな工夫をしたのかを知る。そして今度は、それを自分がみんなの前で紹介する。

 英語が完璧でなくても、身振り手振りを交えれば伝えられる。成果物やプログラミングの画面を見せながら、クラスメイトや先生に説明した。発表の場は、学校全体のイベントにも広がっていった。

 友達が作り、自分が伝える。その役割分担が、相佐さんにはしっくりきた。自分の発表を通じて、友達の作品に拍手が起こる。面白さが伝わり、作った本人まで褒められる。その瞬間が、たまらなくうれしかった。

 人前に立ち、誰かの才能を紹介し、周囲の反応を引き出している。この経験から、相佐さんの中に一つの実感が育っていった。

 素晴らしいものを持っていても、その魅力が伝わらなければ、周囲には気づいてもらえない。だからこそ、伝える人にも役割がある。

 現在、相佐さんは英語教育の仕事に携わり、教育と発信、プレゼンテーションを仕事にしている。その原点をたどると、ギフテッドクラスで過ごした時間に行き着くという。

 あの教室には、ゲームを作る才能も、ロボットを作る才能もあった。そして相佐さんには、その面白さを見つけ、人に届ける才能があった。天才たちの隣で「代理プレゼンター」を引き受けた少年は、彼らの才能を紹介しながら、自分自身の才能にも出会っていたのである。

■日本とアメリカの教室の違い

 小学5年生の終わりに帰国すると、相佐さんは日本とアメリカの教室の違いに戸惑った。

 全員が同じ方向を向き、黒板の文字を静かにノートへ写していく。それぞれが好きなことに没頭していたギフテッドクラスとは、まるで違う。自分で面白いものを見つけて動くことに慣れていた彼には、その時間が窮屈に感じられた。

 そんな小6の春、地元の進学塾の無料体験で出会ったのが、算数の「つるかめ算」だった。鶴と亀の足の数を手がかりに、それぞれの数を求める。答えにたどり着くために、どう考えればいいのか。単なる計算練習とは違う、パズルのような面白さがあった。

 「中学受験というゲームに挑戦してみたい」

 相佐さんは、親にそう頼んだ。

 ただ、面白いと思うことと、点数が取れることは別だった。日本の小学校で学ぶ内容には、十分に身についていない部分があった。初めて受けた大手進学塾の模試は、一番低い科目で偏差値29。全6クラスのうち、一番下のクラスからのスタートだった。

 それでも、相佐さんはあまり落ち込まなかった。

 アメリカでの生活を通じて、「失敗したって失うものはない」という感覚が育っていた。できないことがあれば、そこからできるようになればいい。偏差値29という数字も、挑戦を諦める理由にはならなかった。

 そこから、夢中で勉強した。模試を受けるたびに、偏差値は10刻みで上がっていった。夏を越えるころには最上位クラスへ。冬の模試では偏差値60を超え、第1志望の判定も「B」まで届いた。

 そして迎えた2月。合格発表の掲示板に、自分の受験番号はなかった。

 目の前が真っ白になった。あれだけ勉強して、成績も上がった。それでも届かなかった。相佐さんにとって、初めて味わう大きな挫折だった。ただ、泣いていたのは、その日だけだったという。翌朝には、悔しさが次の目標に変わっていた。

 「地元の公立中学校で、誰も追いつけないくらいのトップを取り続けてやる」

 中学校では、その決意を実行に移した。

 定期テストでは、3年間を通じて学年3位以内を維持。通知表は全教科5の「45点満点」。高校受験では、県内有数の進学校である富山中部高校に合格した。

■中学受験に失敗→高校受験では志望校に合格するも…

 忘れられないのは、入学式の日のことだ。教室を見渡すと、見覚えのある顔がいた。小6の冬、塾の最上位クラスで一緒に勉強していた生徒たちだった。中学受験に合格し、別の学校へ進んだ彼らが、高校受験を経て、同じ場所に集まっていた。

「お前もここに来たのか!」

 そう声をかけ合い、握手を交わした。

 あのときは、自分だけが取り残されたように感じた。それでも、進んだ先で勉強を続けていたら、もう一度同じ教室にたどり着いた。相佐さんにとって、その握手は今も忘れられない記憶になっている。

 ただ、念願の高校に入っても、すべてがうまくいったわけではない。

 相佐さんが肌で感じたのは、一般入試で国公立大学を目指すことが強く期待される空気だった。模試の志望校欄には、東京大学と書くよう促された。勉強時間の目安は「平日4時間、土曜6時間、日曜・祝日8時間」。日々の学習にも、厳しさがあったという。数学と理科では赤点を取ることもあり、高1の秋には、勉強への気持ちが一度折れてしまった。

■英語のスピーチコンテストに夢中になる

 それでも、夢中になれるものがあった。英語のスピーチコンテストだ。

 学校では、受験に直接関係のないコンテストへの参加を「お遊び」と言われたこともあった。それでも相佐さんは、挑戦を続けた。

 大会には、帰国子女やインターナショナルスクール出身の生徒も集まる。英語を流暢に話せるだけでは、抜きん出られない。そこで彼が考えたのは、自分にしか語れないことは何か、という問いだった。

 日本では登園を嫌がっていたこと。アメリカで、言葉も文化も違う環境に飛び込んだこと。ギフテッドクラスで友達の作品を紹介したこと。帰国後、日本の教室に戸惑い、中学受験では不合格になったこと。

 自分が経験し、考えてきたことなら、自分の言葉で話せる。

 環境問題や世界平和といった大きなテーマを語る生徒もいる中で、相佐さんは、自分の体験から生まれた問題意識を伝えようとした。

 数百人の観客がいる大きなホールで、審査員の目を見ながら話す。どうすれば届くのか。どの言葉を選び、どこで間を置くのか。かつて友達の作品を紹介していた少年は、今度は自分の経験を伝えるために、舞台に立っていた。

高校2年のKIU杯高校生英語スピーチコンテスト全国大会では、審査員全員の支持を得て優勝した。

 その高校2年の夏、早稲田大学のオープンキャンパスで知ったのが、全国自己推薦入試だった。自分の経験や活動、これから学びたいことを伝えて、大学を目指せる道がある。相佐さんはパンフレットを100回以上読み返し、大学がどんな学生を求めているのかを考えた。

 アメリカで経験した葛藤。日本に帰って感じた教育への疑問。人前で話し、誰かに伝えることを通じて学んできたこと。それらを整理し、志望理由書と面接で、自分が大学で学びたいことにつなげていった。そして、早稲田大学社会科学部に合格した。

大学2年の2021年、相佐さんはオンライン英検指導塾「クラウドEnglish」を創設。2023年の卒業後も指導を続け、これまでに教えた生徒は1500名を超え、著書『3か月で英検準1級をとる!』も上梓した。そして2026年、小学生に特化した英語資格・社会力養成サービス「キンダーラボ」を設立した。

 「私は、日本という国を強くするために、物差しの数を増やしたいんです」

 その言葉には、自分自身が、場所によって違う評価を受けてきた経験が重なる。

 日本では、幼稚園に行きたくなくて泣いていた。アメリカでは、ギフテッドクラスに居場所ができた。帰国後の模試では偏差値29だったが、勉強を続ければ成績は上がった。高校では苦手科目につまずく一方、英語のスピーチでは全国優勝を果たした。

 一つの成績、一度の試験だけでは、見えてこない力がある。力を発揮できる場所に出会って、初めて自分の得意なことに気づく子もいる。

 相佐さんが今、用意しようとしているのは、そうした出会いの場だ。子どもたちが挑戦できる環境をつくり、学ぶための手段を届ける。かつて自分が見つけたように、それぞれが自分の役割や得意なことを見つけられるように。

■自分の力を発揮できる場所

 オハイオの教室にいたころから、伝える相手も、活動の規模も変わった。それでも、誰かの中にある力を見つけ、周囲に届けようとする姿勢は、今の仕事にもつながっている。玄関で泣いていた少年は、自分の力を発揮できる場所に出会った。今度は、その場所を子どもたちに届けようとしている。

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