実家の電話機の横から出てきた、白い箱。「ISDN」と書かれたその機械は、いったいいつ役目を終えたのでしょうか?
今回は、日本が世界に先駆けて実現した最先端のデジタル回線が、35年後に誰にも気づかれないまま静かに終わっていった理由を追いかけます。
1988年、東京・名古屋・大阪で始まった「INSネット64」は、世界初の商用ISDNとされるサービスでした。ところが英語圏では、頭文字をもじって「Innovations Subscribers Don't Need(加入者が求めていない革新)」と揶揄されるほど、使い道が追いつかなかった時代もあります。
そして皮肉なことに、そのISDNが選んだ「1本の線で交互にしゃべる」設計が、あとから来たADSLの足を引っ張ることになりました。世界共通のADSLの規格書に、日本のISDNと同じケーブルで動くための専用の章「Annex C」が名指しで書き込まれているのは、そのためです。
2024年1月、ISDNの一部が正式に終了したその月に、それを報じた記事は——いま確認できる範囲で、たった1件でした。
なぜ最先端だったISDNは、誰にも気づかれずに死んだのか。その35年をゆっくり解説します。
昔からデジタルに触れてきた方も、当時をリアルタイムで通ってきた方も、
「TA、まだ実家に転がってるかも」「テレホーダイの23時、待ってたわ」など、ぜひコメント欄で教えてください!
▼目次
00:00 オープニング
01:06 そもそもISDNの何が最先端だったのか
01:51 世界初の商用ISDN「INSネット64」と、揶揄された9年
02:57 テレホーダイと番号そのまま——ピーク1,033万契約へ
03:43 電話線の正体と、3.4kHzという約束
04:45 ISDNの正体は「64kの箱」2つとTA
05:31 1本の線で送受信する「ピンポン伝送」
06:28 束の中の敵「近端漏話」
07:14 1秒400回、同じ指揮者の合唱団
08:24 1999年、長野の農協から始まった日本のADSL
09:15 同じ銅線なのに、なぜADSLは62.5倍速いのか
10:29 三段はしごと、待たない設計
12:41 なぜISDNは「箱」を捨てられなかったのか
13:34 呪いの正体——ADSLの上りを飲み込む音域
15:35 欧米は逃げられた、日本は逃げられなかった
18:58 意地悪ではなく、1988年の最適解だった
19:40 2001年、Annex C陣営 vs Yahoo! BB
22:39 消えたのは、家庭からだけだった
23:36 1日5.4回——かけていたのは機械だった
24:58 2024年1月、5ビットの顔が閉じられる
26:14 「もう一つの2024年問題」と、阿蘇の風車
29:09 本当の命日は、まだ来ていない
30:52 まとめ
