耳垢でストレス度や難病発見の可能性も 人間に耳垢がある理由と意外なその機能
耳垢(医学用語では「じこう」)は、人の体が排出しようとする単なる老廃物ではない。耳垢は、れっきとした目的を持つ、人体の生成物だ。
耳の穴と鼓膜を結ぶ外耳道のうち、外に開いている側の3分の1の部分には、2種類の腺が存在する。一つは、皮脂と呼ばれる油性の物質を分泌する皮脂腺、もう一つは、耳垢腺(耳道腺)と呼ばれる特殊なタイプの汗腺だ。
これら2つの腺から出る分泌物が、剥がれ落ちた皮膚細胞や、抜けた毛を取り込んで、いわゆる耳垢が形成される。厄介者と思われがちだが、生物学者たちは一般的に耳垢を、外耳道の奥にある鼓膜を守るためのコーティングだと見ている。鼓膜は、人体のなかでも屈指のデリケートな構造なのだが、耳垢以外には、さしたる防御が備わっていない。
知っているようで知らない耳垢の役割
耳垢には、耳の保護に役立つ複数の機能がある。弱酸性であることに加えて、抗菌作用を持つ成分が含まれている。これにより、温かくて暗く、湿度が高いという、まさに微生物が好む条件が揃った外耳道を、細菌やカビ類の繁殖から守るのに一役買っている。
耳垢には粘着力があり、これにより、ほこりや花粉、小さなゴミが鼓膜に到達する前に封じ込める。また、多少なりとも水をはじく能力もあるので、シャワーや水泳の後に、外耳道がいつまでも濡れた状態でいるのを防ぐのにも役立っている。
また、ほとんど知られていないが、耳垢には自然に排出される自浄メカニズムも備わっている。ものを噛んだり話をしたりする時に生じる、毎日の顎(あご)の動きが、物理的に古くなった耳垢や、そこに含まれている皮膚細胞を、耳の外に近い部分へと押し出している。その場所で耳垢は乾き、薄片状になって、何もしなくても耳から排出されていく。
耳鼻咽喉科の専門医が、定期的な耳掃除を控えた方がいいと主張するのは、これが主な理由だ。耳には、自動的に掃除をする仕組みがあるからだ。
耳掃除に関しては、生物学の常識と、誰もが慣れ親しんでいる習慣が真っ向から対立している。綿棒を耳の穴に突っ込んでも、耳垢はほとんど除去できない。耳垢の位置が変わるだけで、むしろその一部をさらに外耳道の奥に押し込んでしまう。こうなると、前述の自浄メカニズムで再び排出することは不可能になる。
これが何カ月、あるいは何年も繰り返されると、鼓膜に耳垢がこびりついて耳をふさぐ、耳垢塞栓と呼ばれる状態になりかねない。こうなってしまうと、耳の聞こえが悪くなったり、不快感や耳鳴りといった症状が生じるおそれがある。
このように、耳を「きれい」に保ちたいという本能的な行動が、医師が目にしがちな耳垢にまつわる問題の大半を作り出しているというのは、生物学者もよく指摘する皮肉な話だ。
■人によって耳垢のタイプが異なる理由
人間の耳垢には、2つの明確に異なるタイプがある。
1. 粘り気があって茶色い「湿性」タイプ。ヨーロッパやアフリカで一般的にみられる。
2. 乾いていて薄片状の、色が薄いタイプ。東アジアや南北アメリカ大陸に住む先住民のあいだで多数を占めている。
このタイプの違いは、「ABCC11」という単一の遺伝子によってほぼ完全に決まっていることが、2006年に『Nature Genetics』に掲載された研究論文によって特定された。この遺伝子は、耳垢腺が、油性で脂質が多く含まれた物質を分泌する量を決めるものだ。
DNAが変化した、特定タイプのABCC11遺伝子を2個持つ人の場合は、この油性の物質の分泌量が非常に少なく、耳垢はまったくネバネバしない。そのため、外耳道の壁にへばりつくことなく、もろく崩れてしまうほど乾いている。これはつまり、欧米人の多くが「普通」と考えている湿性タイプの耳垢を「作ることができない」人がいるということだ。
この論文では、前述のDNAの変化は、東アジアに住む人々のあいだではかなりの多数派であるのに対し、アフリカではごくまれにしか発現していないことも明らかにしている。これは、太古の人類がアフリカを起点に、アジア東北部へと移り住んでいった道をおおむねなぞる結果だ。
さらに、2011年に『Molecular Biology and Evolution』に掲載された研究では、このパターンが維持されている理由をさらに追求し、東アジアに住む人々のあいだでは、このDNAの変化に自然選択が影響を及ぼしたことを示すエビデンスを発見した。ただし、この変化が、真の意味で生き残りに優位な形質をもたらしたかどうかについては、いまだに議論されている状況だ。
■耳垢からわかる病気も
耳垢は、分泌物と、そこに取り込まれた物質によって、ゆっくりと形成される。そのため、大半の人が持つイメージとは違うと思われるが、実は多くの医学的情報を備えている。その最も明確な例が、「メープルシロップ尿症」と呼ばれる極めてまれな遺伝性疾患だ。これは体が、特定のアミノ酸を分解できなくなることから生じる難病だ。
この疾患を抱える新生児では、尿や汗に加えて、耳垢に、特徴的な甘いにおいが認められる。これは、1999年に『Journal of Inherited Metabolic Disease』に掲載された論文で特定された、ある化学物質に由来するにおいで、臨床医はかねてからこのにおいを、この疾患を特定する初期の兆候として使用してきた。それは、検査結果で確定するはるか前、早い時には出生から1~2日で、このにおいが明確に認識されるからだ。これは、においによって疾患の存在がわかる珍しいケースと言えるだろう。
耳垢が、ストレスの度合いを示す指標になる可能性も
また、蓄積した耳垢そのものも、想像されるより大きな臨床上の問題の原因となる。2017年に『Otolaryngology - Head and Neck Surgery』に掲載された臨床ガイドラインによると、耳垢の過剰な堆積や耳垢栓塞は、回復可能な難聴の最も一般的かつ見過ごされがちな原因の一つだという。これは特に、高齢者や、補聴器をつけている人のあいだで顕著だ。耳垢が通常の自浄作用で排出されず、補聴器の周りにたまってしまうからだ。耳垢を除去するだけで、完全な聴力を取り戻すことができるにもかかわらず、誤って年齢による聴力減退と診断されてしまうケースが頻繁に見られる。
最近になって、耳垢が、ストレスの度合いを示すバイオマーカー(生体指標)になる可能性についても研究が始まっている。「ストレスホルモン」と呼ばれるコルチゾールの濃度は、1日のなかで上下動が激しいため、血液や唾液から経時的変化を信頼度の高い形で測定することは、非常に難しいことが知られてきた。毛髪をサンプルに使う方法は有効だが、かなりの量を必要とする上、活用可能なシグナルとなるほどの量が蓄積するには数週間を要する。
そんななか、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)とキングス・カレッジ・ロンドン(KCL)の合同チームが、毛髪の代わりに耳垢から直接コルチゾールを抽出する方法を試験的に開始した。2020年に『Heliyon』に掲載された論文によると、この方法であれば、より少量、かつ時間をかけずに集められるサンプルによって、より安定した長期的な分析が可能になったという。
これはまだ初期段階の研究だが、将来的には、慢性的なストレスや、コルチゾールが過剰に分泌されるクッシング症候群などの病状を追跡する上で、有力なツールとなる可能性がある。
これまで書いてきたように、耳垢には意外な機能があり、役にたつ情報も備えている。だからといって、耳垢が愉快な存在になるわけではないが、それでも耳垢は、些細で見過ごされがちな人体の副産物が、実は一般的なイメージ以上の機能を果たしており、多くの情報を提供していることがわかる好例と言えるだろう。
