PayPay誕生前夜「なんだ、このしょぼい技術は!?」LINEヤフー会長、川邊健太郎が中国で見た衝撃の光景

PayPay誕生前夜「なんだ、このしょぼい技術は!?」LINEヤフー会長、川邊健太郎が中国で見た衝撃の光景

LINEヤフーの会長職を退任した川邊健太郎氏が、自身初の著書『7つの激変——いかがわしい者たちが主役の「インターネット産業」30年史』を上梓した。

学生起業した1995年から今日までの30年間、自身がインターネット産業の「ど真ん中」で目撃してきた興奮と狂気の歴史を、「検索・SNS・動画・通販・広告・文化・起業」の7つのテーマから語り尽くした1冊だ。

その30年史に、最後まで迷った末に収録を見送られた原稿がある。ここでは、その中から日本のキャッシュレス市場の覇権争い、そしてPayPay誕生のドラマを再編集し、前後編に分けてお届けする。

■2つの潮流——「超ハイエンド」と「超ローエンド」

 インターネットという茫漠たる宇宙のような空間で、いかにして安全にお金を支払い、売り買いを成立させるのか——この「決済」は、インターネット史上最大級ともいえる難題中の難題でした。そこにNetscape、Microsoft、PayPalといった幾多のプレーヤーが挑み、興亡が交錯する「大河ドラマ」とも呼ぶべき歴史が繰り広げられます。その結果、今日の私たちがネットで安心して物を買ったり売ったりできる基盤が確立されました。

 そこから2010年代に入ると、本格的なスマホ時代が到来します。それとともに、スマホ決済のニーズが高まり、さまざまなキャッシュレス決済サービスが登場。市場は群雄割拠の様相を呈していきます。「キャッシュレス戦国時代」の幕開けです。

 グローバルの視点で概観すると、この2010年代のキャッシュレス決済の市場では「超ハイエンド」と「超ローエンド」という、対照的な2つの潮流が生まれました。

 前者の「超ハイエンド」な決済技術の代表は、ソニーが開発した非接触ICカード技術の「FeliCa」です。スマホ端末の中に非接触の決済手段を埋め込む技術で、皆さんには「おサイフケータイ」という名称のほうでおなじみですね。

この技術は別名「クライアントサイド」と呼ばれるもので、お金をチャージすると、その金額分のデータがスマホに内蔵されたICチップに直接書き込まれます。そして支払い時に改札やレジの読み取り機にタッチすると、端末内のICチップから直接お金のデータが移動します。

 つまり、スマホそのものが「電子的な財布」としてお金の価値を保持しています。この技術が「Suica」「Edy」などに採用され、日本独自の極めて高度で複雑な技術をベースにした電子マネーとして普及していきます。

 一方、後者の「超ローエンド」な技術は「サーバーサイド」方式と呼ばれるもの。つまり、ユーザーのお金の残高や決済の処理を、決済事業者が持つ巨大なサーバーで一括管理する方式です。

 QRコードやバーコードをスマホで読み取ると、スマホが「私の口座から、このお店の口座へ〇〇円移動してください」という指示を、インターネット経由で決済事業者のサーバーに送ります。実際のお金の移動は、サーバー上で行われます。したがって、スマホそのものにはお金の価値は反映されていません。

 ヨーロッパや北米では、古くからクレジットカードやデビットカードの文化が社会に深く根づいていました。そのため、キャッシュレス決済の進化は、この既存のカードインフラをいかにデジタル化し、利便性を高めるか、という方向で進んでいきました。

 一方、日本においては交通系ICカードの「Suica」がすでに普及していたこともあって、クライアントサイドの「超ハイエンド」なサービスが一歩リードしていました。Suicaに代表される交通系ICカード、「楽天Edy」「WAON」「nanaco」など商業系電子マネー、「iD」「QUICPay」などの後払い式電子マネー……こう列挙してもいろんなサービスが出てきたものですね。

 その間に、欧米とも日本ともまったく異なる決済システムの進化を遂げていた国がありました。それが、中国です。

■近隣の大国で生まれた「しょぼい技術」の衝撃

 2016年頃のことです。ヤフーの幹部とともに中国を視察に訪れた私は、衝撃的な光景を目の当たりにします。

 高級デパートから、おばあちゃんが野菜を売っている屋台まで、あらゆる場所で人々がスマートフォンを使って支払いを済ませているのです。その、スマートフォンをかざす先にあったのは「QRコード」の印字された紙でした。

 「なんだ?  このしょぼい技術は!」

 正直に言うと、はじめて見たときはそんな感想を抱きました。日本にはFeliCaという、スマホをかざすだけで決済ができるハイテクな非接触技術がある。それに比べて、わざわざアプリを立ち上げてQRコードを読み取るなんて……。

 でも、じつはその「しょぼさ」にこそ、彼らのイノベーションの本質がありました。

 FeliCaのような技術を導入するには、専用の読み取り機やICチップが埋め込まれたカード、携帯電話が必要で、導入コストが非常に高い。90年代から存在するデメリットを解消できていなかったのです。ゆえに、日本国内でも一部の大手チェーン店でしか普及していませんでした。

 一方で、QRコード決済はどうか。お店側は、QRコードを印字した紙をレジ横にペタッと貼っておくだけ。ユーザーは、カメラ付きのスマホさえ持っていればいい。導入コストはほぼゼロです。

 さらにすごかったのは、その仕組みです。クレジットカードが個人の与信をベースにしているのに対して、彼らのQRコード決済は、銀行口座と直接つながっていました。つまり、クレジットカードが発行できないような人でも、銀行口座さえ持っていれば、誰もがキャッシュレス決済の恩恵を受けられる、というわけです。

 言ってみれば「しょぼい技術」と「しょぼい技術」の組み合わせ。でも、それが導入のハードルを大きく下げ、爆発的に普及したのです。

 はたして、中国の滞在中、私が財布から現金を取り出すことは一度もありませんでした。

 欧米や日本ほどクレジットカード決済が普及していなかったがゆえに、「しょぼい技術」と「しょぼい技術」の掛け算が、一足飛びの進化を遂げていたのです。その光景に、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けました。

■日本が陥っていた「高機能・高コスト」の罠

 「むちゃくちゃすごかったな。おばあちゃんの屋台までQRコード決済とは……」

 中国で目の当たりにした「しょぼい技術」と、滞在中に財布を一度も取り出さなかったユーザー体験。その衝撃は、日本に戻ってきてからも脳裏にこびりついていました。

 高度な技術にこだわり、いつの間にか「高機能・高コスト」という、日本のお家芸ともいえるイノベーションのジレンマに陥っていた日本のキャッシュレス決済市場。2017年当時の日本のキャッシュレス決済比率は21.3%(経済産業省調べ)と、国際的に見ても低調な水準でした。

 すでに市場にはLINEが展開する「LINE Pay」や、EC大手の楽天グループの「楽天ペイ」といった、QRコードまたはバーコード決済のプレーヤーたちが一定のポジションを築いていました。でも、当時のヤフーでは「本命のいない、まったく勝負がついていない市場」と見ていました。

 その停滞するキャッシュレス決済市場に、低機能・低コストの「超ローエンド」のQRコード決済で風穴を開けたい——そんな思いから2018年、新たなQRコード決済サービスが産声を上げました。ヤフーとソフトバンクのジョイントベンチャー(JV)によって誕生した「PayPay」です。

 広大なフロンティアが広がる、未開拓のキャッシュレス市場。とはいえ、かなり遅れて殴り込みをかけるのですから、生半可な戦い方では勝ち目はありません。

 「圧倒的ナンバーワンでなければ意味がない」——ソフトバンクグループを率いる孫正義さんは常々そう語っています。まさにその孫さんの言葉を体現するかのような、壮大な「天下獲り」がここから始まったのです。

■「辺境の小国」PayPayの誕生

 では、どうやって既存プレーヤーの牙城を崩していくか。「インターネット産業の30年」史観でこの当時を振り返ると、いくつかの大きなターニングポイントがありました。

 1つ目が、まったく新しい別会社を立ち上げたことです。

 ヤフーは上場企業だけに、四半期ごとの業績や株主への説明責任がどうしても伴います。しかも、1つの意思決定に多くの部署や人が関与する。思いきった意思決定がしにくくなる側面は否めません。それに、ヤフーという大きな会社の一部門となると、立ち上げ当初は売上も利益もないサービスですから、予算や人員などのリソースを優先的に配分してもらいにくい。

 そこで、ヤフーという巨大な「本丸」から遠く離れた場所に「離れ小島」のJVを置いた。だからこそ、ヤフーの論理や勝ちパターンに縛られない、大胆でスピーディーな意思決定が可能になりました。さらに、予算や人員も独立して確保できる体制を整えることができました。

離れ小島ならではの「ヤフーの論理や勝ちパターンに縛られない意思決定」の1つに、「単体のアプリにした」ことが挙げられます。これが、2つ目のターニングポイントです。

 当時のヤフーには、すでに何千万ものユーザーが日常的に使う“国民的アプリ”と化した「Yahoo!  JAPAN」がありました。そのアプリの中に決済機能を追加すれば、膨大なユーザー基盤を活かして、もっと有利かつスムーズにサービスを広げられたはずです。ヤフー社内でも、当然その方向性を推す声が多数を占めていましたし、私としてもそれ以外の選択肢は頭にありませんでした。

 ところが、ソフトバンク側はこう主張するのです。

 「いや、単体のアプリとしても出すべきじゃないですか?  最終的にどっちか伸びたほうをメインにすればいいんだから」

 最初にそれを聞いたときは「え?」と耳を疑いました。ヤフーとしては、「Yahoo!  JAPAN」のユーザー数を伸ばしたいがために、どうしてもPayPayをくっつけたくなる。でも、ソフトバンク側からすると、「いや、ヤフーのアプリもユーザーからするとワンオブゼムですよ」「Googleだって使ってますから」という感覚なのです。いの一番にスマホシフトした彼らからすると、1つのアプリにあらゆるサービスを集約するよりは、「1個1個のアプリがそれぞれのサービスを提供すればいいんじゃない?」というドライな感覚を持っていました。

 令和を生きる皆さんからしたら、しごく当たり前に聞こえますよね(笑)。ところが、ヤフーの中にいるとその「当たり前」が見えにくくなってしまうものなのです。このあたりの「イノベーションのジレンマ」は、書籍『7つの激変』に通底するキーワードの1つです。

 かくして、LINE Payや楽天ペイといった巨大な大国の片隅に、辺境の小国・PayPayが誕生しました。キャッシュレス決済市場という広大な大陸の覇権をめぐり、大国に戦いを挑んでいく。インターネット産業史に残る壮大な「大河ドラマ」の幕が、静かに上がりました。

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