なぜホンダ・日産は「電池工場計画」を見直したのか? 経産省が描く「5兆円市場」の次の一手
蓄電池産業、主戦場の移動
日本の自動車メーカーが進めていた電気自動車(EV)用電池工場の計画に見直しの動きが目立ち始めた。ホンダによるカナダでの計画が無期限で凍結されたほか、九州エリアにおける日産自動車やトヨタ自動車の計画も撤回や先送りとなっている。
世界的な需要の先行き不透明感や中国企業の大規模生産による価格競争の激化から、各社の投資姿勢は変わりつつある。しかし、これは後ろ向きな撤退ではなく、エネルギー環境の変化に合わせた戦略的な足場固めだ。事実、経済産業省はこれまでの「蓄電池産業戦略」を「蓄電池・電源産業戦略」へと改め、関連する日本企業の売上高を2035年までに3倍となる約5兆円へ広げる目標を新しく掲げた。
企業が投資の時期や規模を調整する一方で、政府が市場のさらなる拡大を見据える背景には何があるのか。自動車の枠を超えて始まった戦い方の変化について考えてみたい。
市場の減速と投資時期の調整
ホンダはカナダ・オンタリオ州でのEV・電池工場計画を無期限で凍結した。当初の2028年稼働予定を2年ほど後ろにずらして市場をうかがっていた。日産自動車も、福岡県や北九州市と約15万平方メートルの立地協定を交わしてからわずか3か月で方針を転換。約1533億円を投じてリン酸鉄リチウムイオン(LFP)電池を作り、2028年度中に軽EVなどへ積む計画だった。トヨタ自動車も福岡県苅田町での計画で時期を探る動きを見せる。
これらは個別企業のつまずきではなく、市場が普及の谷間にさしかかる中、巨額の建設を急がず需要を見極めようとする姿勢の表れだ。日本勢がこうした足踏みを選べる背景には、ハイブリッド車(HV)やプラグインハイブリッド車(PHV)の販売が世界的に好調で、体力を維持できている強みがある。この安定した稼ぎがあるからこそ、次世代の本命とされる全固体電池などへ投資を振り向ける時間的なゆとりが生まれている。
一方、大量生産で価格を抑える中国企業の影響で電池の値段は下がり続けており、供給過剰の現状では新工場の採算が合わないリスクがある。従来の前提に寄りかからず、世の中の実態に合わせて資金の使い道を変える方針は、事業を長く続けるための自然な選択として業界に広がっている。
新領域へ広がる電池の需要
2026年6月2日、前述のとおり、経済産業省は2022年8月につくった「蓄電池産業戦略」を「蓄電池・電源産業戦略」へと改める方針を出した。環境の変化を受け、成長戦略の枠組みをさらに広げる狙いがある。
国の見通しでは、世界のリチウムイオン電池市場は2035年以降に2倍以上に膨らむ。大部分を占める車載用や据え置き型への配慮は維持しつつ、今回はAI向けデータセンターやロボットなど新領域に焦点を当てる。生成AIの普及で電力需要が急増する中、一瞬の停電も許されないデータセンターでは大容量電池が不可欠だ。また、天候に左右される再生可能エネルギーの出力を安定化させる仕組みや、医療、防災、産業機械にいたるまで、電池を必要とする裾野は確実に広がっている。
ここで重要なのは、EV向けに磨かれた高密度や高安全性といった技術が他の領域へ染み出し、産業の垣根を越えてつながり始めている点だ。これにともない、自動車や電池のメーカーは従来の車づくりから、国のエネルギー網や通信インフラの土台を支える存在へと役割を広げつつある。
この方針転換により、以前に定めた三つの目指す姿も更新された。日本企業の関連売上高を2025年からにかけて伸ばして世界での立ち位置を守ること、国内の生産能力を2030年から2030年代半ばまでに年間150GWhまで引き上げること、そして2030年ごろに全固体電池を実用化し2030年代半ばに量産体制を整えることである。こうした融合による国内基盤や目標は、車の技術が社会インフラへと形を変えていくこれからの進路を物語っている。
数の勝負から高付加価値の戦い
電池を取り巻くビジネスの舞台が広がる中、データセンターやロボット向けには一気に強い力を生み出せる性能が欠かせない。
世の中の動きにともない、競争の軸は中国企業が得意とする大量生産の「数の勝負」から、仕組み全体の総合力を競う高付加価値の戦いへと移りつつある。日本企業は、長寿命のタフさや電気の急激なアップダウンをいなす制御の細やかさなど、培ってきた品質の高さで勝負する方向へかじを切っている。
国もこうした先の動きを見越して、これまでのEV一辺倒だった方針に新しい成長の種を植え、いくつかの柱を育てていく構えだ。国内で作るための足場を固め、先の技術を生み出す手助けを強めながら、海外との連携も進めていく。現場の目線に立てば、いま起きているのは戦う土俵そのものが移り変わっていくプロセスといえる。
もっとも、これはどちらのやり方が優れているかという話ではない。中国の強みが均一なものを一度にたくさん作る点にあるのに対し、日本の強みは需要に合わせて上質なものを多品種少量でつくる点にある。それぞれの国が持つ工場の仕組みや背景の違いが商売の進め方の違いとして表れており、日本企業は自らの強みが最も生きる場所へ軸足を移し始めている。
身軽さで渡り合う新製造モデル
日本企業による戦い方の転換を象徴するのが、「スイフトファブ」と呼ばれる新しいものづくりの形だ。電池サプライチェーン協議会(BASC)の活動をきっかけに、日立製作所やリコーなど9社が手を結び、共同事業体「スイフトファブエナジーシステムズ」を2025年12月に設立。現場の仕組みを根底から変える役割を担っている。
提案されているのは、生産ラインをブロックのように細かくわけ、あらかじめ組み立ててから顧客の工場で手軽につなぎ合わせる仕組みだ。巨大工場への巨額投資に依存してきた従来のやり方に風穴を開け、設備費用を約7割削減、これまで2~3年はかかっていた工場立ち上げ期間を半分に縮める。
これにより、自動車部品サプライヤーが抱えがちだった固定費リスクを分散し、多品種少量生産や市場の急な変動に柔軟に対応できる機動的な製造環境が整う。数と安さで攻める中国企業に対し、身軽さで渡り合う狙いだ。
当面は国内の電池メーカーへ販売し、将来的には欧米やインドなど海外展開も視野に入るが、経済安全保障の観点から中国企業への販売は想定されていない。ただし、顧客から中国企業を除外する中での市場の広がりや、目標とする費用削減の実現性、現場への浸透度合いなど、今後の普及に向けては慎重に見極める必要がある。
社会インフラを支える新局面
新方針が目指すのは工場の大きさの競争ではなく、持続的な収益基盤の構築だ。EV向け市場を維持しつつ、データセンターやロボット、電力インフラなど新領域へ網を広げ、産業全体の土台を強化する。これは作って終わりの売り切り型から、車載用としての役目を終えた電池を据え置き型として再利用するなど、社会を長く支える循環型ビジネスへの広がりを意味している。
さらに、日本企業が先行する全固体電池への期待も大きい。2030年代半ばに向けて量産体制を整え、海外市場の獲得を狙う。自動車と電池のメーカーが深く連携し、材料から生産システムにいたる供給網全体を強化することで、次の時代の主動権を握るための布石が打たれている。
今後の電池産業は、大量生産と高付加価値というふたつの戦いがしばらく並行して進む。問われているのは、日本企業がどの市場に根を張り、どのような強みで勝負を挑むかだ。車という枠を飛び越え、社会インフラを足元から支える新局面へ、日本の蓄電池産業は歩みを進めている。
