地上波とNetflixの“決定的な違い”は「予算」ではない―― 「地獄に堕ちるわよ」が突きつける日本の映像産業の根本問題
Netflixドラマ『地獄に堕ちるわよ』が話題を呼んでいる。占術家でタレントだった故・細木数子氏の半生を描く全9話。俳優の戸田恵梨香が主演を務め、配信直後からSNSで「一気見した!」「最高のエンタメだ」など激賞で盛り上がった。ただ、細木氏の真相を暴いたかどうかに軸を置く評価も目につく。
作り手はどんな意図でこの題材に臨んだのか。Netflixの岡野真紀子プロデューサーと、監督した瀧本智行氏にインタビューした。2人の言葉から浮かび上がったのは、1人の女の人生を通じて「戦後日本」そのものを描こうとした、壮大な意図だった。本記事では、前後編に分けて岡野プロデューサーと瀧本監督が『地獄に堕ちるわよ』に込めた意図を解き明かしていく。
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■メロドラマを描く覚悟
戦後史を堂々と描くとは、具体的にどういうことか。映像表現として最も象徴的だったのが、第5話の堀田雅也とのラブシーンだ。
フランク・シナトラが歌う『Only the Lonely』が流れ、細木が堀田への思いを募らせ、事務所に駆け込んでキスするまでのエピソード5の一連のシーン。瀧本監督はこの楽曲に合わせてカット割りを逆算し、途中から音楽を担当した稲本響氏のアレンジによるインストゥルメンタルに切り替え、キスの瞬間にもう一度メロディーのピークが来るよう設計した。
「むちゃくちゃなオーダーですよ」と監督自身も笑う。
あの場面のセットについて、岡野プロデューサーが明かした。「このシーンのために、全部セットを組んでいるんです。美術監督のこだわりで」。
「現代劇であんな大げさなメロドラマをやったら、ほんとに笑われちゃう」と瀧本監督は言う。「でも、この部分は細木のホラ話だっていうエクスキューズも含めてのことなんで。映像のクオリティーでそれを成立させなあかん」。
「細木数子自身の記憶」というフレームがあるからこそ、恥ずかしいほどのロマンティシズムが成立する。そして、そのロマンティシズムこそが「エネルギーがあった時代」を映像として体現しているのだ。
キャスティングの話を聞くと、この作品がいかに「戦後の空気」を再現しようとしたかがさらに見えてくる。島倉千代子役の三浦透子について、岡野プロデューサーはこう語った。
「実際に歌えることが大前提でした。加えて監督からは、昭和のスターの現代的ではない表情が欲しいと。歌えて、あの時代の表情ができて、島倉さんの可憐さと弱々しさの中にある強さを持っている人を考えたとき、三浦透子さんしかいなかった」(岡野プロデューサー)
瀧本監督の評価はさらに踏み込んでいた。
「昭和の暗さというのかな。彼女自身が持っているものと、この作品の時代性がすごくマッチしている。出番としてはそんなに多くないんだけど、戸田恵梨香と拮抗する存在感がある」(瀧本監督)
この作品では登場人物の年齢が大きく変化する。特殊メイクを担当したAmazing JIRO氏は日本の第一人者だが、それでも戸田恵梨香のメイクテストだけで合計3回、1回当たり3時間以上を費やした。CGも併用し、違和感をひたすら潰していったという。
「違和感を潰す作業をひたすら繰り返すしかない。結局やっぱり時間なんですよね」(瀧本監督)
■地上波とのたった1つの根本的な違い
「時間」はこのドラマのクオリティーを支える重要な要素だ。Netflixでの制作は日本の地上波と何が違うのか。瀧本監督の答えは、予算でもスケジュールでもなく、やはり「時間」に関係していた。
「実はいちばん大きいのは、尺が決まってないことです。地上波は46分何コマに合わせなあかん。そうすると、編集でどうにでもなる撮り方をせざるをえない」(瀧本監督)
尺の自由は、ドラマのクオリティーを左右する根本的な要素だと監督は続ける。
「地上波のドラマから監督の個性が生まれづらいのは、すべてそこが起点やと思いますね。金がなきゃないなりに、制約が新しいものを生み出すいうことは多々ある。でも、いちばんの違いを問われたら、尺です」(瀧本監督)
岡野プロデューサーは別の角度から語った。
「もともと7話構成でスタートして、演出していく中で『ここを大事にしよう』と言って全9話になりました。そういう柔軟性が作品のよさにつながった部分はあったと思います」(岡野プロデューサー)
さらにチーム編成について、岡野プロデューサーはこう振り返った。
「美術監督も撮影監督も瀧本さんも、それぞれこだわりが強い。プロデューサーからすると、そのようなクリエイターたちで新しくチームを組成するなんて、普通はなかなかできない。Netflixだからできたチャレンジだったと思います」(岡野プロデューサー)
一方で瀧本監督は、日本の地上波ドラマの粗製濫造気味の現状に厳しい目を向ける。
「日本のドラマが海外といちばん差があるのは、映像やと思うんです。多すぎる本数を腹くくって減らして、集中的に資源と時間を投下していかんと」(瀧本監督)
『地獄に堕ちるわよ』は現在、日本だけでなくアジア圏を中心に海外でもNetflixの週間トップ10に入っている。それでも「まだまだ、積み重ねが必要なんやと思います」と瀧本監督は言う。
日本のドラマが質を高めて1作ずつの評価が重なっていくことで、世界市場への道も開けるかもしれない。
■ドラマが映した戦後の肖像
『地獄に堕ちるわよ』で瀧本監督が描こうとしたのは、一人の女の人生を通じた日本の戦後そのものの肖像だった。岡野プロデューサーが企画に込めたのは、今の時代に失われたエネルギーへの問いかけだった。その2つの意志が「礼賛も断罪もしない」スタンスの中で結実し、1本のドラマになった。
ここまでのクオリティーを日本の作り手が実現できたという事実は、1本の作品の成功譚にとどまらない。環境さえあればここまでできる。逆に言えば、今の地上波の消耗戦の先に、この水準は生まれない。
日本の映像産業が何を変えなければならないのか。その問いへの1つの回答が、この作品の中に確かに映っている。
