デジタル教科書の押しつけは「学力低下」を招く… 北欧の失敗から学ぶべき教訓
政府は4月7日、学校教育法などの関連法案を閣議決定したが、気になるのは、デジタル教科書を正式な教科書としてあつかう、としている点である。つまり、デジタル教科書を紙の教科書と同様に、検定や無償配布の対象とし、法案が成立すれば2030年度から順次導入するという。具体的には、「紙のみ」「紙とデジタルを組み合わせたハイブリッド」「完全デジタル」の3つの形態から、各地の教育委員会などが選べるようになる。
閣議後に記者会見した松本洋平文部科学大臣は、「紙の教科書を一律にデジタルに変える考えはない」といいつつ、「内容がよりわかりやすくなる」と胸を張った。しかし、どうして「よりわかりやすくなる」と言い切れるのか。また、子供の学習にとって、「わかりやすくなる」ことも大事だが、それ以上に大切にされるべきは、より深く考えることのはずである。
どんな物事にもメリットとデメリットがある。だから、検証もないまま「紙のままのほうがいい」と言い切ってしまうのは危険だが、デジタル化で「よりわかりやすくなる」と断じるのも、同じくらい危険なはずである。松本文科相のような発言を聞くにつけ、それぞれの長所と短所がしっかりと検討された跡がないように思えて、心配がふくらむ。
紙を選ぶかデジタルを選ぶか、教育委員会任せなのもどんなものか。ある地域は従来どおりで、ある地域はデジタル漬けで、その差が学力の格差になって表れることも懸念される。
結論を先にいえば、これからの時代、デジタルへの対応力を疎かにできないことはまちがいないが、それ一辺倒にならないように、紙の教科書を活用する力を培うことも必要なはずである。デジタルには長所もあるだろうが、短所もある。同様に、紙ならではの長所や利点もある。また、子供たちが紙の書物から切り離されると、過去の書物と一定程度切り離され、文化の継承という意味でも問題が生じる。
これからは紙とデジタルの双方を使いこなす能力が問われるはずなのに、前述のように教育委員会の判断ひとつで、「完全デジタル」を強要される子供が一定数出てくるのだとしたら、これは問題だろう。
スウェーデンの失敗
デジタル教科書の先進国といわれた北欧のスウェーデンやフィンランドでは、紙の教科書への回帰がはじまっているという話が、よく聞かれる。
IT先進国といわれるスウェーデンが、国を挙げて教育のデジタル化を進めはじめたのは2010年代のことだった。ところが、間もなく教育現場から「集中力が続かない」「思考が深まらない」「長文の読み書きが苦手な子が増えた」といった声が上がるようになったという。その証拠に、OECD(経済協力開発機構)が実施している「PISA(学習到達度調査)」の成績が、目に見えて下がった。2018年と2022年の結果をくらべると、スウェーデンの順位は読解力が11位から18位に、数学的リテラシーが17位から22位に、科学的リテラシーが19位から21位に低下した。
ただし、スウェーデンの事例は、慎重に解釈する必要がある。というのは、学習指導要領にもとづいた検定教科書が使用される日本と異なり、スウェーデンではもともと、教科書の定義が明確でなく、学校ごとに教科書の質が担保されていなかったという。広告だらけの教科書もあるような状況で、そんななかデジタル化が進められたが、質を担保するという課題は果たされないままだったのだ。
だから、いい加減な紙の教材が駆逐される代わりに、無料のアプリやYouTubeの動画などが教育現場に進入していった。したがって、スウェーデンの場合は紙からデジタルへの移行ではあっても、移行する前も後も教科書の質に問題があったという点で、紙であってもデジタルであっても同じ検定教科書が前提となる日本の状況とは異なる。
とはいっても、教室から紙の教科書が消えた結果、子供たちから「デジタルの画面だと家で復習しにくい」といった声、教師たちからは「長文を深く読む力が低下した」「書く力が衰えた」「子供たちの集中力が低下した」などの声が多く上がるようになったという話は、傾聴に値するだろう。その結果、スウェーデンでは政権交代もあって、2023年から「学習教材のうち印刷されたものが教科書」と、定義をし直すことになった。
「国論を二分する」くらいの議論を
おそらく、デジタル教科書は利用の仕方次第なのである。デジタル教材と学力との関係において、各方面から指摘されている点を、以下にいくつか書き出してみる。「注意力が散漫になる」「デジタル機器の利用時間が長いほど、学力テストの正答率が低くなる」「自分で考える力が低下する」「学校でコンピューターなどを使う時間が長くなるほど、読解力や数学の成績が下がる」「筆記能力が低下する」……。
こうした指摘は根拠がないことではない。例を挙げよう。かつては「ノートを手書きすることで内容が整理され、頭のなかに定着する」と繰り返しいわれたものだが、デジタルでタイピングしたりコピーしたりする学習では、このプロセスが失われてしまう。スクリーン上での読書ばかりになると、長文を深く読み込む能力は低下しかねない。即時フィードバックが当たり前のデジタル用教材では、試行錯誤する過程が省略されてしまうので、思考力を深められず、問題解決能力にも支障をきたす――。
しかし、だからデジタルを排除するのでは、全方位的にデジタル化が進むいまの時代に対応できないし、デジタルの長所も享受できなくなってしまう。
たとえば、教わったことを定着させるために、手書きのノートと併用するとか、ペンを利用した手書き入力を推奨するとか、デジタルとアナログを併用する方法はあるだろう。思考力を深めるために、ディスカッションの機会を深めるのもいい。要は、デジタル教科書を採用する場合は、その欠点が出やすい方向については、穴埋めの方法をしっかり担保し、デジタルとアナログをうまく使い分けることが必須だと思われる。
それができれば、デジタル教科書の導入は、むしろ学力の向上につなげることもできるかもしれない。
だが、いま述べたようなことが十分に検討されない段階で、デジタル教科書を正式な教科書にするのは時期尚早だろう。ましてや、紙とデジタルそれぞれの長所や短所があぶり出される前に、選択を各教委に丸投げするなど乱暴すぎる。
子供たちの将来、ひいては日本の国力にも直結する問題である。十分な学習効果を得るにはどうするのが最適なのか。それこそ「国論を二分する」くらいの議論が行われるべき問題のはずである。
