「お前の代わりはいくらでもいる」の終焉――バス運転手を年収450万円で担い続けるのか? パイロット級の重責に見合わない対価という現実
労働と運行維持の限界
先日、筆者(業平橋渉、フリーライター)は日本の路線バスが制度、市場、労働の三つの面から同時に強い負担を受けている実態を記事「「お前の代わりはいくらでもいる」――年収450万円でバスドライバーを担う限界! 関東バス“スト回避”が映す専門職軽視の社会構造」(2026年3月27日付け)で指摘した。
全事業者の99.6%が赤字という事実は、これまでの運行のやり方がすでに通用しなくなっていることを示している。ドライバーの平均年齢は53歳から55歳に達し、年収450万円から470万円という水準は、次の世代の働き手を確保する条件としては不十分である。
これは、これまで積み上げてきた人材に過度に依存し、その負担の上に運行を維持してきた組織の限界を表している。読者からは、身内の葬儀のために休みを求めた際に
「代わりはいくらでもいる」
として拒まれたという怒りの声も寄せられた。こうした人の働きを消耗品のように扱う姿勢が、日本バス協会が見込む2030年の3万6000人という深刻な人手不足につながっている。
また、1985(昭和60)年以降、利用者数は全国で減少を続けている。福島県では1996(平成8)年の4614万人から2020年には1343万人まで落ち込み、収入の土台そのものが弱くなっている。新型コロナの影響で定期券収入が減り、前払いで確保していた資金が失われたことも重なり、経営環境はさらに厳しさを増した。
今回の状況は、働く側の負担に頼って維持してきた仕組みが限界を迎えていることを示しており、どの負担を誰が引き受けるのかという課題を社会に突きつけている。
賃金と労働実態のずれ
前稿に寄せられた声は、この問題の本質をよりはっきりと示している。最も強く語られているのは、
「賃金と働き方の釣り合いの崩れ」
である。前稿で示した水準についても、高い方と受け止められており、地方では300万円台にとどまる例もある。
一方で、コンビニ向けの配送を担うトラックドライバーからは「年収470万円ならまだよい」という声があるのに対し、バスドライバーからは
「この収入では子育ては難しい」
という声が上がった。この受け止めの差は、働きの値付けが大きくずれていることを示している。
読者のなかには、公営バスの給与はかつて年収700万円を超えていたが、
「公務員への批判」
を背景に450万円前後まで下がり、その結果として担い手不足が進んだと見る意見もある。さらに深刻なのは、ドライバーの働きに対する見方が軽いまま放置されてきた点である。「代わりはいくらでもいる」という言葉に象徴されるように、安全運行を支える技術が正しく評価されてこなかった。
かつては、家族の葬儀を理由に休みを求めた社員に対しても同じような姿勢が取られていたが、今では状況が変わり、経営側が「出てほしい」と頭を下げる場面も増えているという。利用者が安い運賃を当然とし、事業者も値上げを避けてきたことで、必要な費用と収入が合わない状態が固定化した。
前述のとおり、福島県では利用者が四半世紀で大きく減り、約3割の水準に落ち込んでいるが、その間も安全運行に必要な費用を十分に確保できず、やりくりで対応してきた。こうした状況は、専門的な働きへの評価が低いまま続いてきた実態を示している。
負担配分をめぐる対立
この問題は、不採算路線の運賃を上げれば解決するという話ではない。読者の声が指摘する対立の構図は、社会の仕組みに横たわる矛盾をはっきりと示している。
まず、利用者負担と公的な支えの
「どちらを重く見るか」
という対立がある。日本の縦割り行政の問題を指摘する意見では、海外では公共交通が赤字であることを前提に行政が複数の形で支えているのに対し、日本では運賃で運営費をまかなうことが前提とされ、行政の関与が弱いまま置かれているという指摘がある。交通を維持する責任を誰が持つのかという議論は続いているが、明確な結論には至っていない。
次に、人手不足をめぐる見方のずれがある。深刻な人手不足が見込まれる一方で、「応募はあるが年齢で落とされる」という中高年の声もある。ただ実際には、採用後に離職する人が多い。元ドライバーという人は
「月に13連勤が2回あり、休みは月3日だけだった」
「夜21時まで働き、翌朝6時に出勤した」
と書き込んでいる。こうした働き方では心身を保つことが難しく、現在の賃金水準では生活の負担も大きい。年収330万円程度であれば別の仕事の方が収入が高い場合もあり、働き続ける前提が成り立ちにくい。そのため、一時的に人を集めても定着しにくい状況が続いている。
さらに、技術による効率化への期待も、路線バス特有の条件に阻まれている。距離に応じた運賃制度やキャッシュレス決済の導入で収支を改善すべきだという意見はあるが、
「決められた時刻で運行する」
という前提が、稼働の効率を高めることを難しくしている。労働時間の制限が強まるなかで、どれだけ新しい仕組みを導入しても、運転を担う人が必要であるという条件は変わらない。10分の遅れでも利用者から強い不満が出ることや、事故が起きればドライバーが責任を負うという重さもあり、効率化でコスト増を吸収できる余地はすでに限られているのだ。
運賃水準をめぐる課題
こうして浮かび上がる核心の問いはひとつにまとまる。今の費用構造を前提にしたとき、
「路線バスを維持できる運賃」
はいくらなのか、そしてその水準を利用者や社会が受け入れられるのか――という点である。これまでの議論は、この問いを正面から扱わずにきた。そのため運賃は、運行を続けるために逆算して決められるものではなく、流れのなかで決まる数字にとどまってきた。
さらに踏み込めば、この問題は乗車の対価だけでは説明できない。大型二種免許を持ち、多くの人の命と高価な車両を同時に扱う仕事に対して、現在の水準は明らかに見合っていないという指摘がある。読者からは
「人の命を預かってこの収入は低すぎる」
「航空機の操縦士と比べても責任の重さは変わらない」
という意見が寄せられていた。かつて大阪や京都では、「ドライバーの賃金が高すぎる」という世論の流れを受けて賃金が下げられたが、その結果として今の人手不足やサービスの弱体化につながったという見方もある。過去の批判が、結果的に利用者自身の移動手段を狭めているという実態がある。客のなかにはドライバーより高い収入を得る人もいる一方で、その命を預かる責任だけが集中しているというねじれも生じているのだ。
安全を支える働きの価値を低く見積もってきた社会の考え方そのものを見直す必要がある。地域の移動手段が保たれていることをどの程度の価値として受け止めるのか。表に見えない維持の費用を誰がどう負担するのか――先送りしてきた問題が、いま課題として突きつけられているのである。
運賃と費用構造の見直し
構造的な赤字を解消するには、まず逆算を欠いた運賃の決め方を改める必要がある。ほぼ全事業者が赤字という実態は、今の運賃が運行に必要な実際の費用を大きく下回っていることを示している。読者が示した
「ドライバーに年収600万円を払い、車両の更新も続けるには運賃はいくらになるのか」
という考え方は、実態に即した発想である。必要な人件費や車両費を積み上げ、そのうえで成り立つ価格を社会に示す必要がある。現在の水準では人が集まらないのであれば、人が集まる水準を前提にした価格を基準に置くべきである。これは一方的な値上げではなく、運行を続けられる状態に戻すための見直しである。
そのうえで、社会が選ぶ道は大きく三つに整理できる。ひとつめは、初乗り運賃が5割程度上がることを受け入れたうえで、今の運行を維持する道である。ふたつめは、運賃を据え置く代わりに、減便や路線の廃止を受け入れる道である。三つめは、
「税金による支えを増やし、不足分を公的に補う」
道である。岐阜県北部に位置する高山市が年間1300万円の予算を削り、住民が運行の一部を担う形に移行した事例は、専門の担い手だけで維持することが難しくなっている実態の一例である。実務的な改善も必要だ。
「クレジットカード決済の手数料負担を抑えるべきだ」
という声や、大型バスから小型車への切り替えで費用を抑える提案も出ている。こうした改善を積み重ねても、全体の流れを変える必要があることに変わりはない。
これまでは決まった運賃のなかで人件費を削ってきたが、これからは必要な働き方を先に決め、それを支える費用を運賃や公的な支援で確保する順序に改める必要がある。民間事業者に赤字を負わせながら公共の役割だけを求める形は見直すべき段階に来ている。採算が合わない路線については、事務所などの資産も含めて公的な側へ移すことも選択肢に入る。
人を削りながら安さを保つやり方を続けるのではなく、維持に必要な費用を正面から見ていくことが求められているのだ。
維持不能構造の顕在化
路線バスが直面しているのは、
「持続できる仕組みを作らないまま運営を続けてきた」
ことによる行き詰まりである。ほぼ全事業者が赤字という数字は、これまでの運営方法が市場の実態に合わなくなっていることを示している。
長時間労働や低い賃金水準を前提にし、働く側の負担に依存して路線を維持してきたこと自体に無理があった。深刻な人手不足の見通しは、そのような環境が働き手から選ばれなくなっている実態を表している。読者からは、
「10年後には地方の路線バスが現在の2割程度まで減るのではないか」
という厳しい見方も出ている。これまで働きを軽く見て、「嫌なら辞めればいい」といった姿勢で向き合ってきたことは、結果としてサービスの弱体化という形で社会に返ってきている。いま起きているのは、これまで表に出してこなかった本当の費用が表面化した状態であるのだ。
「この運賃で維持できる水準はいくらか」という考え方を直視し、誰が、どれだけの負担を、どの形で引き受けるのかをはっきり決めなければ、減便や路線の廃止は止まらない。最後に問われているのは、移動の手段をどの程度の水準で残すのかという社会全体の判断ではないだろうか。
