「AI銘柄」大暴騰でも収益が付いてきていない… 事業者たちがとらえた「AIバブル」崩壊の“前触れ”とは

「AI銘柄」大暴騰でも収益が付いてきていない… 事業者たちがとらえた「AIバブル」崩壊の“前触れ”とは

「ビッグテック」と呼ばれる巨大IT企業たちが開発にしのぎを削る「生成AI」は、新時代のインフラになると言われている。米エヌビディアは「ChatGPT」の開発企業「オープンAI」に最大1000億ドル(約15兆円)もの巨額投資を決定し、世界的に激しい投資競争が繰り広げられている。一方であまりにも急速な成長スピードが、投資家に不安を与えてもいる。AI関連企業がブームで株価は膨れ上がっているが、実はまだそれを正当化するほどの収益が付いてきていないというのだ。過熱するAI市場が抱える「バブル」のリスクを徹底検証する。

※本稿は「週刊新潮」2025年12月11日号の特集記事【Googleは「過去最高収益」、株価を左右する巨大IT企業… 「AIバブル」が崩壊するこれだけの理由】の一部を再編集したものです。

〈経済学者・岩井克人氏インタビュー〉「今のAIバブルは必ず崩壊し、敗者は消える。だが生成AIは残る」

アメリカのトランプ大統領に振り回され続けた世界。片や、実力未知数の高市政権に運命を託す日本。2026年はより大きな混乱に見舞われるのか。本特集では国内外の政治・マクロ経済を大胆予測する。

2022年11月、米オープンAIが生成AI(人工知能)モデル「チャットGPT」を一般公開すると、人間相手のように対話できる性能に世界中が驚いた。資本主義の本質を追究してきた経済学者・岩井克人氏の衝撃はとびきり大きかった。自身の資本主義論が揺るがされる思いがしたからだ。

この3年間、AI関連の論文を読みあさり、自然科学の研究者たちと議論を重ねてきたという。資本主義はどこへ向かうのか。

──なぜチャットGPTの登場に大きなショックを受けたのですか。

興味本位でチャットGPTを使い始めたのだが、あらかじめ意味も文法も仕込まれていない単なるコンピュータープログラムが、意味を持ち文法に従う文章をすらすらと生成していくことに衝撃を受けた。古代ギリシャのアリストテレス以来、言語を持つことこそ人間の本質であると主張されてきた。その最後の砦が落とされたからだ。もうおしまいだと白旗を揚げる前に、人間には何が残るのかを考え続けているが、苦戦中だ。

もう1つ衝撃を受けたことは、私がこれまで、お金がいちばん力を持っていた時代から、ポスト産業資本主義になるといよいよ人間が力を取り戻すと論じていたことに対し、チャットGPTをはじめとする生成AIの発達が大きな反論になってきていることだ。

再び産業資本主義の悪夢

──なぜお金から人間に力が移ると考えていたのですか。

私の資本主義論とは、商人資本主義、産業資本主義、ポスト産業資本主義と移り変わる中で、差異が利潤を生む基本原理は変わらないというものだ。

商人資本主義の時代は、例えば遠隔地商人がコショウを産地のスマトラ島で買ってヨーロッパに運べば高く売れ、利潤が得られた。

産業資本主義では、農村から流入する人々を安い賃金で雇うことによって、都会の工場が利潤を生んでいた。

あたかも工場自身が利潤を生んだように見えるが、産業革命によって急上昇したその高い労働生産性と、農村の過剰人口が押し下げる賃金との差異が利潤を生んだのだ。技術をさらに革新しなくとも、工場さえ建てれば利潤が生まれ、利潤を再投資すればどんどん拡大できる。産業資本主義は必然的に成長する仕組みだった。

AIバブルはそれほど「深刻でない」理由、いやそもそも存在しない

マイケル・バリーがAI市場を売りに出している。サブプライム危機を予見した彼が、現在私たちは「AIバブル」のただ中にあり、それは暴走するバリュエーション、攻撃的な投機、安価な資本、そして果てしない成長への信仰によって特徴づけられている、と警告している。1999年や2008年との比較は魅力的だ。しかし彼は今回、間違った的を狙っているのかもしれない。

AIの台頭は、不良住宅ローンや水増しされた広告指標の上に築かれているわけではない。それよりはるかに根本的なもの、すなわちエネルギーの上に築かれている。エネルギーシステムの第一人者であり、ビル・ゲイツもしばしば引用する思想家のヴァーツラフ・スミルは、エネルギーは文明の普遍的通貨だと書いている。私たちが知能と呼ぶあらゆるモデル、推論、アウトプットは、究極的には電気を構造化された確率へと変換するプロセスだ。バリーが住宅市場を空売りしていたとき、彼は人間が生み出した借金を相手に賭けていた。一方、AIを空売りする彼の相手は、熱力学だ。そして熱力学はたいてい勝つ。

問題は、バリーが無知であることではない。彼がAIを評価する際に使っているメンタル・モデルが時代遅れだということだ。これは通常の意味でのバブルではない。AIを従来のソフトウェアの論理に押し込んだときにだけ、バブルのように見えるのだ。

しかし、AIはソフトウェアのようには振る舞わない。その経済構造はインフラのそれに似ている。バリュエーションは生産性と乖離しているように見えるかもしれない。資本は自己強化的なパターンで循環しているように見えるかもしれない。支出は過剰に見えるかもしれない。だが、これらのダイナミクスが非合理に見えるのは、消費者向けテクノロジーのレンズを通した場合に限られる。

知能に対する主要なインプットがエネルギーとなった瞬間、論理は変わる。知能の真のコストは、電力、そしてエネルギーを計算へと変換するための物理的な能力で測られるのだ。

誤解されたAIバブルの物語

皮肉なことに、「AIバブル」という物語そのものがバブルだ。古いアナロジーを、適合しない現象に適用して膨らませているにすぎない。批評家たちは、OpenAIの営業損失、膨大な計算需要、そして収益をはるかに上回る支出額を指摘する。

ソフトウェアを念頭に置いた従来型の経済論理に当てはめれば、これらは確かに警告サインだ。しかしAIは、アプリやソーシャルプラットフォームのようなコスト構造を持つのではなく、インフラのそれに似たものを持つ。

初期の電力網は非合理に見えた。最初の電話ネットワークも非合理に見えた。鉄道も非合理に見えた。あらゆる主要インフラの転換期で、社会は長期間にわたり巨額支出、不均衡、そして見かけ上の過剰を経験した。しかしそれらはバブルの兆候ではない。日常生活の基盤が再構築されている兆候だった。

OpenAIの支出は、エジソンの発電所やベルが開発した初期の電話交換機以上にバブルを示すものではない。こうした経済がひずんでいるように見えるのは、彼らが構築しているシステムがすでに既存のものであると仮定した場合に限られる。

私たちが目撃しているのは、投機的熱狂ではなく、熱力学、パワー密度、そしてエネルギーベースの知能への世界的移行によって駆動される構造的変革だ。

バブル物語が生き残っているのは、多くの観察者が現在の状況を誤った概念を通して観ているからだ。彼らはエネルギーによって突き動かされた変化を、あたかもソフトウェアのアップグレードとして扱っている。

技術革命の歴史は、有名な誤解の数々で満ち溢れている。1998年、ポール・クルーグマンはインターネットの成長は劇的に鈍化し、2005年までにはファックス機と同程度の経済的重要性しか持たなくなると予言した。その予測が外れたのは、基となるフレームワークが間違っていたからだ。インターネットが期待を下回ったのではなく、期待が誤ったメンタル・モデルの上に築かれていたのである。

今日のAIバブル議論の多くも、それと同じ問題に苦しんでいる。

それが誤解であることは、表面下の数字を見ればさらに明らかになる。世界はAI需要を推測しているのではない。契約しているのだ。

企業と政府は複数年のAI契約を結び、次の10年にわたって業務を支えるインフラに数十億ドルをコミットしている。

マグニフィセント6(マイクロソフト、アップル、グーグル、アマゾン、メタ、エヌビディア)について、ボヤ・インベストメント・マネジメントの投資リスク責任者であるマイケル・ペコラロは私にこう語った。「マグニフィセント6は複数年にわたる契約に裏打ちされた、実際の収益成長を生み出している。これは投機的な需要ではなく、現実的な需要だ」

彼の指摘は単純だ。1990年代後半、投資家は需要を予測していた。AIブームでは、需要は契約で保証されている。この違いだけでも、歴史的なアナロジーが示唆するほど、問題は単純ではないことが分かるだろう。

AIバブル議論を明確にするドットコムとの類似

AIバブルが比較されるのは鉄道や電話ではない。ドットコムブームだ。

あの時代は何千もの企業が失敗したため、バブルとして記憶されている。しかし、その解釈はより大きな真実を見落としている。あの狂乱期に構築されたインフラにより、現代のインターネットは形作られたことを。今日の経済的なアウトプットの大半は、ごく少数の勝者、すなわちアマゾン、グーグル、メタなどによって生まれている。彼らはバブルの残骸から生まれ、今やS&P500を形づくる存在となったのだ。

ほとんどの企業が消え失せたという事実は、インターネットがバブルだったことを意味しない。勝者が誰かをまだ見抜けていなかったというだけだ。同じ原理がAIにも当てはまる。基盤となる変革が現実的なものであるという証明のために、すべての企業が生き残る必要はない。

ドットコムはダークファイバーを生み出したが、当時それをどう使うか分かっていなかった。AIはその逆だ。インフラは建設前からすでに飽和している。そして今日のS&P500が少数の勝者に支配されているように、AIでも同じことが起きる可能性が高い。

アップルがもつ支配力は、インターネット時代のインフラによって可能となったエコシステムの上に成り立っている。ドットコム狂乱期には誰もそれを予見しなかった。当時、多くの人は最も安全な賭けはシスコだと考えていた。ネットワーク世界全体の配管を供給していたからだ。しかし振り返ると、その確信は誤っていた。

エヌビディアは今日、同じような位置にある。明らかに「つるはしとシャベル」的な選択に見えるのだ。直感が正しいかもしれないし、正しくないかもしれない。要は、技術革命の最終的な勝者はほとんど常に後からしか見えないということだ。AIはこれから、独自の巨人、S&Pを再形成するような企業を生み出すだろう。しかし、舞い上がったほこりが落ち着くまで、それが誰であるかを私たちが知ることはない。

違いは、インターネットのボトルネックが需要だったのに対し、AIのボトルネックはエネルギーであることだ。つまりこの移行は、前回よりも大きくて速いものであり、物理法則によって制約されるのである。

なぜAIはソフトウェアではないのか、なぜそれがAIバブル議論に重要なのか

AIについて最も根強い誤解は、それが過去半世紀のソフトウェアのように動作するという信念だ。従来のソフトウェアは静的な成果物だった。エンジニアが書き、コンパイルし、機械は事前に決められた指示を無限に実行した。機械が持つ知性はすべて事前に形作られたものであり、機械はただ指示通りに動くだけだった。

AIはこの論理を完全に逆転させる。モデルはあらゆるリクエストを解釈しなければならない。文脈を評価し、意味を生成し、直前まで存在しなかった答えを構築する。知性は保存されるのではなく、生産される。事前に書かれた台本は存在しない。あるのはポテンシャルだけで、それが計算によって活性化される。

各応答には物理的なコストが伴う。あらゆる分析、予測、文章の生成にはGPUが継続的に稼働する必要があり、休むことはできない。AIはソフトウェアというより、生きた認知産業に近い。電気を原料に、リアルタイムで知性を製造する工場なのだ。

これこそが、そのインフラ整備が巨大になる理由である。それは誰かが見せびらかすために建てられたわけでも、過剰でもない。世界的な認知産業の足場が作られているだけにすぎないのだ。

需要は仮説ではない。2025年10月29日、マイクロソフトはMicrosoft AzureのAI関連サービスが再び供給を上回ったと報告した。同社は約4000億ドル(約63兆円)の契約済み将来収益も開示し、その平均コミットメントは2年だった。

これらは試験運用ではなく、AI計算を日常業務の必須要素とみなす企業による、拘束力のある契約だ。もしこれがバブルなら、使われないハードウェアが倉庫に積み上がっているはずだ。しかし現実に存在するのは、慢性的な供給不足である。

AIがまもなくコモディティ化するという予測は産業の現実を見落としている。各国はエヌビディアやASMLの能力を模倣するために数十億ドルを投じている。

しかし技術的なギャップは縮まっていない。逆に広がっている。これらはコモディティ的な部品ではなく、人類が設計した中でも最も高度で複雑なシステムのひとつなのだ。

そして私たちはまだその初期段階にいる。AIが人間の労働力のような規模で展開されるのを、私たちはまだ目撃していない。ハイブリッド量子コンピューティングの時代にも入っていない。リアルタイムの知性が、企業の標準的な期待となった世界も経験していない。

AIが長期戦であるなら、私たちはまだその序盤にいる。

AIはソフトウェアとして理解されるべきではない。継続的でエネルギー集約的な認知の上に築かれた、新たな産業セクターなのだ。それぞれ計算がそのシステムを強化し、それぞれの導入がその能力を拡張する。知能曲線は上昇し、コスト曲線は下降する。

AIバブルの軌跡

これはバブルの軌跡ではない。新しい産業時代の初期アーキテクチャだ。

これこそが、従来のバブルと比較した予測が外れる理由である。過去のインフラブームは、誰も使わないほど多くの容量を構築したことで悪名高い。貨物が存在する前に鉄道が敷かれ、開発された住宅は空き家となり、通信企業は使われないダークファイバーを大量に敷設した。AIはその逆である。計算能力も、電力も足りていないのだ。

A100Xの創業者でマネージングパートナーのニサ・アモイルズは私にこう語った。「データセンター、電力、トークンの需要は飽和することなく増えている。鉄道、住宅、ファイバーといった従来のインフラブームが、空の貨車、空き家、使われることのない長い光ファイバーによって特徴づけられていたのとは異なり、AIのために構築されている容量とフレームワークは、実際に使われている。企業や消費者が安全に利用できるAI関連スタートアップに戦略的に投資することは、賢明な判断だ」

彼女の指摘は、この容量が需要待ちの投機ではなく、需要がすでに存在し、インフラがそれに追いつけていないことを強調している。

「AIバブル」という主張の背後にある心理

政治、金融、技術にかかわらず、すべての表面的なバブルは同じパターンをたどる。システムは極端へと漂うのではない。反応して極端へ向かう。構造が弱まり、動揺すると、人々や制度は安定を求めて誇張された反応を示す。

政治理論家たちは長い間、極端な運動は独立して現れることがないことを観察してきた。それらは以前の混乱に反応して出現する。人々は、不安定さを感じるほど確実性を求める。システムが機能しなくなると、最も強く見える安定の形に引き寄せられる。

技術も同じように進化する。ドットコムブームは新しいデジタルフロンティアへの反応だった。暗号資産の急騰は2008年の金融危機後の反応だった。今日のAIへの熱狂はより広いものへの反応だ。つまり、情報システムと経済システムが現実に追いつけていないという認識である。

AIは無秩序への反応として上昇している。世界が混沌としているように感じられるなか、計算による確実性は魅力的になる。市場は将来の収益だけを織り込んでいるのではない。拡張された知性が均衡を回復してくれるという希望を織り込んでいる。

現在の状況が必然的なものに感じられるのは、それが純粋な投機ではなく、より深い心理的、構造的緊張を反映したものであるからだ。安定への欲求が、資本、計算、エネルギーを通じて表現されているのである。

AIバブルの投機ループ

資本はAIエコシステムの中を自己強化的なループで循環する。OpenAIはモデルを訓練するためにエヌビディアからチップを購入する。これらの購入はエヌビディアの収益とバリュエーションを押し上げる。エヌビディアは自社チップを必要とするスタートアップに投資する。マイクロソフトはOpenAIに資金を提供し、そのワークロードをホストする。お金は循環し、指数関数的な成長への期待を膨らませる。

ドットコム時代には、企業は広告在庫を取引した。今日、企業は計算能力を取引する。しかし、計算能力は象徴ではない。グローバル規模で消費されるエネルギーだ。訓練にはメガワット単位の電力が必要であり、すべてのモデルは社会を支える同じ電力網から電気を引き出す。

アウトプットは伝統的な製品ではない。それはエネルギーによって形づくられた確率分布だ。私たちは電気を知性に変換しているのである。

反射性、エネルギーそしてAIバブルの幻影

伝統的資本主義では、資本は労働になり、労働は製品になり、製品は価値になり、価値は再投資になる。AIはこのサイクルを反転させる。資本は物語となり、物語はバリュエーションになり、バリュエーションはさらなる資本を引き寄せる。

市場は知性が何をするかを価格に織り込んでいるのではない。知性が何になり得るかを織り込んでいるのだ。

ジョージ・ソロスはこれを反射性と呼んだ。AIは反射性を物理学に変える。投機の単位はもはや注意や不動産ではなく、計算能力だ。より正確には、それを駆動する電子だ。

この変革はすべて、電子に関するものであるとサム・アルトマンは明確に述べている。モデルは構造化された電気であり、知性は熱力学的プロセスになりつつある。

AIバブル議論で欠けている視点:エネルギー

何十年もの間、テクノロジーに関する議論はユーザーインターフェース、すなわち人間と機械との接点を中心に行われてきた。ピーター・ディアマンディスのような思想家たちは、インターフェースが直感的になるほど進歩は加速すると強調してきた。タッチスクリーン、音声アシスタント、空間インターフェース、ニューラルリンクは技術採用の玄関口として語られた。

しかし、より深い真実は、計算能力そのものがエネルギーのユーザーインターフェースだということだ。

歴史上の偉大な技術的ブレークスルーは、人類がエネルギーと接続する方法に関するブレークスルーだった。火は最初のインターフェースであり、制御された燃焼だった。機械工具は力を形づくった。電気は人間の知覚とコミュニケーションを大陸規模に拡張した。マイクロチップはエネルギーを論理へと圧縮した。インターネットはその論理を世界に分散した。

ディアマンディスは目に見えるレイヤーについて記述した。より深いインターフェースは基盤そのもの、すなわちエネルギーが知性へと配置される方法なのである。

エネルギーの利用方法が変わるたびに、人類は能力の新しいレイヤーを獲得した。電化はラジオを可能にし、人類の認識を拡張した。半導体は計算を可能にし、社会を再組織した。現在、大規模な計算能力が予測的な知性を可能にしている。

これらの変化は、表面的なインターフェースで起こったものでは決してない。基盤となるエネルギーについてのものだったのだ。そのために、「AIバブル」というフレームは崩壊する。AIは火から始まった系譜の次のインターフェースだ。知性がエネルギーの表現なのであれば、その経済は短期の投機的スパイクではなく、長期的な熱力学的上昇に近くなる。

私たちが目撃しているのはAIの台頭ではない。新たなエネルギー形をまとった知性の台頭だ。そこにはバブルの面影はない。むしろ、過去に起きた文明構造の変化に似ているのだ。

これはAIバブルではない、エネルギー革命だ

エネルギーと知性は常に結びついてきた。火は最初のアルゴリズムであり、蓄えられたエネルギーを制御しながら解放することは、人類の可能性を変えた。電気は人間の能力を大陸規模に拡張した。文明とは、エネルギーに意味を持たせてきた物語なのだ。

これは個人的な話でもある。数年前、私はソーラーランタンのLuciを発明し、信頼できる電力を持たないコミュニティに光を届けようとした。それは光子を民主化し、太陽光を機会へと変換する試みだった。アフリカで子どもたちがLuciを手に取り、光を見つめて驚いた。光が認知となり、エネルギーが希望となった。

今日のAIは可能性を照らすのではない。認知を産業規模でシミュレートするものだ。私たちは「考えることについて考える」機械を作り、その労力に課金している。結果として生じているのは、金融的なインフレだけでなく、熱力学的なインフレだ。

エネルギーが比例した価値を生み出さなくなると、バブルが形成される。そのバブルが崩壊すると、電力網、サプライチェーン、環境、公共の信頼など、エネルギー供給システム全体に負荷を与える。

AIバブル神話の地政学

AIに関する議論は必ずエネルギーに関する議論になる。そしてエネルギーの議論は必ず地政学になる。新しい軍拡競争は、電力に関するものなのだ。

中国はGPUやバッテリー向けのレアアースを確保している。米国は半導体製造を拡大し、電力網を強化しようとしている。欧州はエネルギー制約に苦しんでいる。中東は世界的なデータセンターハブになりつつある。

知性が電気に依存するなら、主権は電力網に依存する。次の世界的競争はイデオロギーではなくエネルギーだ。電子を支配すれば知性を支配できる。そして、知性を支配すれば未来に影響を与えることができる。

知性のスケールがバブルに見えない理由

多くの人は、モデルが巨大化するにつれ知性が滑らかに成長すると考えている。しかし知性には物理的限界がある。それはエネルギーに制約されるからだ。

モデルが拡大すると限界効用は逓減する。性能の伸びは電力曲線より先に鈍化する。知性がソフトウェアのようにスケールするという幻想があるが、実際にはそれは生物のようにスケールするものだ。人間の知性は代謝的に高コストなものであり、機械の知性は電気的に高コストなのである。コスト曲線は消滅していない。ただ隠れているだけだ。

AIバブルの「崩壊」ではない、違うかたちの修正

すべての大きな技術的変化は「抗えない真実」から始まる。インターネットは不可避だった。電化は不可避だった。それと同じく、知性の拡張も不可避である。しかし不可避だからといって、それが合理的であるとは限らない。

AIバブルは(それがあると仮定するとすれば)、やがて冷え込むことだろう。重要なのは、その後に何が残るかだ。見捨てられたデータセンターや使われなくなったGPUが残るのだろうか。それとも永続的価値を生み出す地球規模のインフラが残るのだろうか。

AIバブルの背後にある真の資産:エネルギー・スチュワードシップ

知性の基盤がエネルギーであるなら、来たるべき時代における最も重要な能力は、そのスチュワードシップ(責任ある管理)だ。規模を追及するための規模は、それ自身を維持することはできない。生き残るシステムは、みずからのエネルギーコストを理解する人々によって構築される。

知性の物語は常に光の物語だった。火から光ファイバーへ、そしてLuciランタンの光へ。次のデジタル格差は情報ではなく、電力についてのものになる。エネルギーの格差は、知性の格差と同義になる。

AIバブルが存在しないなら、いま経営者は何をすべきか?

今の状況が誤って認識されているのであれば、機会もリスクも誤読されている。AIは既存システムに後付けする機能ではない。それは新しいインフラレイヤーであり、その環境で運営するには組織の思考と行動の転換が必要だ。

1. 自社のエネルギーフットプリントを理解せよ

知性には測定可能な物理的コストがある。モデルやデータワークフローの電力需要を定量化できない会社は、自社がもつ知性のレイヤーを理解していない。

2. モデルの大きさより、データの品質を重視せよ

生き残るのは巨大なGPUクラスタを持つ組織ではなく、構造化され、検証され、現実に根ざしたデータを持つ組織だ。

3. エネルギーコストを考慮するアーキテクチャを構築せよ

計算はもはや実質無料ではない。計算資源を慎重に割り当て、不必要な推論を避けるシステムが、安定性と回復力を備える。

4. 実質的な内部リテラシーに投資せよ

プロンプトの小手先ではなく、知性のシステムがどのように機能し、どこで壊れ、エネルギーやデータ、そしてリスクが企業内のどこに流れているのかを理解することが重要だ。

5. ソフトウェアではなくインフラの時間軸を採用せよ

次の10年に成功する企業は、持続性、整合性、スチュワードシップを視野に設計された企業だ。四半期のサイクルでは、基礎的な技術の波を乗り切るための判断を導けない。

AIバブルの先へ:ジェボンズとペレスが示すもの

技術革命と金融サイクルの研究で知られる経済学者のカルロタ・ペレスは、すべての主要な技術は、投資バブルから始まると示した。バブルがインフラに資金を供給し、崩壊が論理をリセットし、そのインフラが次の時代の基盤となる。

また、英国の経済学者であるウィリアム・スタンレー・ジェボンズは、エネルギー効率の改善が総資源消費を増加させ得ることを初めて指摘した。より効率的な蒸気機関は石炭の使用を減らすのではなく、逆に増加させた。効率は、需要を拡大するのだ。

このダイナミクスは知性にも適用される。AIが思考を効率化するほど、世界は思考を減らさない。逆に増やすのだ。

歴史はこのパターンを反映している。ドットコムバブルの崩壊は投機的な資本を消し去ったが、そのインフラにより現代のインターネットが形成された。AIも同じ軌道を辿る。投機が冷えた後には、計算基盤、エネルギーシステム、そして社会的リテラシーが後に残る。知性はもはや珍しいものではなく、私たちの環境に根ざしたものになる。

「AIバブル」という物語の先に

知性の基盤がエネルギーであるなら、来たるべき時代で重要なのは、単に計算を加速することではなく、結果を理解することだ。意味のある知性とは、みずからのコスト、影響、世界における役割を理解する知性である。

バブルは足場を築く。調整は目的を築く。突破口はAIではなく、責任ある知性だ。物理学に根ざし、真実に整合し、人間がエネルギーを形にした結果として存在することを自覚する知性だ。

私たちは文明史上初めて、思考にはエネルギーが必要であり、エネルギーは結果を生み、その結果には注意を必要とするということをリアルタイムで理解しつつある。進歩は決して直線ではない。フィードバックとループの繰り返しによって進化する。エネルギーがそうであるように、市場もそうであり、心もそうだ。

この時代における真の試練は、機械が加速するかどうかではない。私たちがその背後にある力を導けるかどうかだ。うまく導ければ、AIバブルというアイデアは消え、知性そのものが進化しつつあるという深い理解へと置き換わるだろう。未来は狭義の意味で人工的ではないかもしれない。むしろ生命に近い何かに感じられるかもしれない。

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