トヨタも恐れる「半導体ネクスペリア問題」…その裏で中国が着実に進めていた“国家戦略”とは?
トランプ関税に続いて「半導体ネクスペリア問題」が日本を直撃している。ホンダは米国とメキシコ、カナダで減産に追い込まれた。経営再建中の日産は、国内の追浜工場と九州工場で減産。26年3月期の売上高を下方修正した際、同問題の影響を織り込んだという。トヨタは決算会見で「リスクはある。代替品にどういうものが使えるのか、影響を注視している」とコメント。スズキは同問題を受けて通期の業績予想を据え置いた。ただし、悪影響は自動車業界にとどまらず私たちの生活にも直撃するリスクがある。(多摩大学特別招聘教授 真壁昭夫)
● 半導体ネクスペリア問題が 一般市民の「値上げ」にも通じるワケ
中国ウイングテック傘下のオランダ半導体企業、ネクスペリアのチップ供給停止が、世界の自動車業界を直撃している。欧州自動車工業会は、「ネクスペリアの半導体の出荷停止が続くと、数日以内に生産ラインが止まる恐れがある」と警告した。欧州だけにとどまらず、日本も含めて主要国の経済を支える自動車の生産が脅かされており、世界経済の足を引っ張る重大な問題だ。
今回の問題の大元は、米中対立にある。第1次トランプ政権以降、米国は同盟国などに対中輸出管理を厳格化し、半導体の製造技術や知的財産の禁輸を求めてきた。そうした動きの中で今年9月末、オランダ政府は経済安全保障の観点からネクスペリアを政府管理下に置き、中国本社への技術流出を食い止めようとした。これに対して中国政府が強く反発し、対抗措置としてネクスペリア中国工場からの出荷を止めたのだ。
ネクスペリア問題は、これまで好循環だった経済のグローバル化が、逆回転する象徴といえるだろう。米中対立が激化するまでは、中国は「世界の工場」として機能し、グローバル企業は水平分業を推進してきた。
ただしこの間、中国政府は虎視眈々(たんたん)と自国企業の世界シェア拡大に取り組んできた。政府は補助金を出し、製造技術の強制移転や、国有企業の統合などを推進してきた。
ネクスペリア問題が長期化するほど、企業はグローバル供給体制を見直さざるを得ない。この見直しにより、企業のコストは増加し、その分を吸収するため価格転嫁(値上げ)となり、世界的な物価押し上げ圧力が高まるだろう。ネクスペリア問題は、関連メーカーにとどまらず、最終的には私たち一般市民の生活にも負の影響を与えることになるはずだ。
● ネクスペリアはなぜ中国資本になった? 米中対立激化の的にされた顛末
ネクスペリアは元々、オランダの総合電機メーカー・フィリップスの半導体事業だった。フィリップスは2006年に半導体事業を分社化し、NXPセミコンダクターズとして再出発した。しかしその10年後、NXPは汎用型パワー半導体事業を、中国の政府系ファンドを含む投資家連合に売却した。
こうして17年、中国投資ファンド傘下でネクスペリアというブランドに変わり、18年には中国の聞泰科技(ウイングテック)が、252億元(当時の為替レートで約4100億円)でネクスペリアを買収した。
ウイングテックはスマホ受託製造の世界大手であり、同社には中国政府も出資している。そのため米国政府内では、軍事転用可能なチップメーカーの中国資本傘下入りを危険視する見方もあった。とはいえ18年時点では買収を阻止するまでには至らなかった。
ウイングテック傘下においてネクスペリアは、基板に回路を形成する前工程をドイツ工場で、基板からチップを切り出しケースに封入する後工程は中国工場で行うようになった。
翻って一連の買収後、米中対立は一気に激化した。オランダには世界で唯一、極端紫外線(EUV)を使った半導体露光装置メーカーのASMLがある。ASMLもフィリップスに源流を持つ。
第1次トランプ政権、その後のバイデン政権は、米国由来の半導体製造技術や知的財産が中国に流出するのを阻止しようとした。中国企業を対象に禁輸措置を拡大。24年末にはウイングテックを経済安全保障上、懸念の高い企業に指定した(エンティティ-・リストに追加)。事実上の禁輸措置だ。
オランダ政府としても、ネクスペリアの知的財産の対中流出を食い止める必要が高まった。今年9月オランダ政府は、物品供給法を根拠にネクスペリアを接収した。表向きの理由は、ウイングテック経営陣による事業運営の妨害だ。
報復措置として中国政府は、ネクスペリアのチップ輸出を事実上停止した。10月下旬、オランダは、中国広東省にある工場向けの半導体基板供給を止めた。それが今回、大手自動車メーカーの生産停止にまで発展したのだ。
ネクスペリアの車載用半導体の中には、世界シェアが最大で40%近いものがあるといわれている。中国工場からの輸出停止、欧州からの部材供給停止で、世界の自動車関連分野への打撃は拡大している。
● フォルクスワーゲン、ホンダ、GMも減産! EVつまずきもあって“泣きっ面に蜂”
現時点では、特に欧州の自動車業界への重大なインパクトが確認できる。関連企業は代替品の確保を急いでいるが、一朝一夕に必要な部品を確保することは容易ではない。中でもドイツメーカーの影響はかなり深刻とみられる。
ドイツの大手部品メーカー・ZFフリードリヒスハーフェンは、電動駆動装置などの生産削減に追い込まれた。主力工場では従業員の勤務シフトも減らしたようだ。主要部品の調達減で、フォルクスワーゲンは主要モデル「ゴルフ」の生産を停止すると報道されている。BMWも、サプライチェーンに影響が出ているとコメントしている。
ステランティス(ジープ、プジョー、シトロエン、フィアット、マセラティなど14ブランド、本社オランダ)は、パワー半導体の供給状況を日夜モニターせざるを得ない状況に追い込まれているという。メルセデス・ベンツは、各半導体メーカーに代替品の在庫の有無を確認し、車載用チップやユニットの新しい調達体制の構築を急いでいる。
近年、フォルクスワーゲンをはじめとする欧州メーカーは、急速なEV(電気自動車)シフトにつまずき、目下エンジン車やハイブリッド車の生産体制を再構築していた。これと並行して、ソフトウエア・デファインド・ビークル(SDV、従来のハードウエアからソフトウエアで機能や性能が定義・制御される車両)への対応も急いでいる。自動車業界が100年に1度の変革期にある中、ネクスペリア問題は泣きっ面に蜂のような状況だ。
日本メーカーにも影響の波が押し寄せている。ホンダは米国とメキシコ、カナダで減産に追い込まれた。経営再建中の日産自動車は、26年3月期の売上高を下方修正した際、ネクスペリア問題の影響を織り込んだ。
さらに米ゼネラルモーターズや、韓国の現代自動車などにも影響が出ているようだ。こうした事態に欧米の自動車メーカートップは、米中政府に問題の早期解決を求めているという。自動車生産の減少は、主要先進国の雇用・所得環境の悪化にもつながる。中間選挙を控えるトランプ大統領にとって、労働市場のさらなる悪化は避けたいところだ。
たとえ今般のネクスペリア問題が収束しても、自動車業界は今後も多くの車載用チップを必要とする。米中対立をはじめ中国経済の減速や、欧州経済の成長率低下などは、自動車業界に向かい風が吹く中で、車載用チップ不足が再発したことは大きな痛手だ。
10月30日の米中首脳会談で両国首脳は、貿易面での妥結内容に中国工場からのチップ輸出再開を盛り込んだようだ。レアアース輸出、米国産農産物輸入に加えて、汎用型の半導体分野でも、中国が米国より有利なことがうかがわれる。
● 鉄鋼、造船、AI、バッテリー、医薬品でも 中国に依存する日米欧の企業
冷戦終結後、中国は経済特区を設けて海外からの直接投資を誘致した。農村部から労働力を供給することで工業化が加速し、世界の工場としての地位を確立してきた。
主要先進国の企業は、中国で低コストの生産を行い、需要が旺盛な市場に高価格で供給する体制を確立した。特に、米国の企業は、高付加価値型のソフトウエア開発に集中的に取り組み、製品の製造は中国や韓国、台湾企業に外注した。こうしてグローバル化が加速し国境のハードルは低下した。
その状況下、中国政府は覇権強化のため、虎視眈々と自国企業の世界シェア拡大に取り組んできた。主に海外企業から製造技術などを強制移転し、産業補助金や工場用地などを安価に供与し、政府主導で国有企業の経営統合などに努めた。
ウイングテックも半導体の生産体制を拡大し、主要な自動車メーカーから需要を取り込んだ。その他にもあらゆる分野――鉄鋼、造船、電動車、AI(人工知能)、半導体、バッテリー、太陽光パネル、液晶ディスプレー、医薬品原材料などで中国に依存する日米欧の企業は増えた。
第2次トランプ政権下で、中国は米国の圧力に対抗してレアアースなどの供給を絞った。シェアの高さを武器に相手国を揺さぶり、譲歩を引き出すことで、今のところ中国政府は対米交渉を優勢に進めている。
トランプ政権は多国間連携を基礎に、対中包囲網を形成することが必要になるだろう。しかし、これまでのトランプ氏の数々の言動から、相手国がすぐに米国になびくとも思えない。
日米欧では当面、サプライチェーンを見直し、友好国や自国内での調達体制の再整備を急ぐ企業が増えるだろう。在庫を積み増す企業も増え、世界的に価格転嫁が進む可能性は高い。ネクスペリア問題は、そうした変化を加速させるきっかけと考えるべきだ。
首脳会談で米国は、中国の補助金や国有企業の経営統合などの問題には踏み込めなかったようだ。米中の対立次第でネクスペリア問題のようなショックが再び発生するリスクは高い。そして、それは大企業の経営のみならず、回り回って物価、雇用、所得環境の悪化など、一般市民の生活にも重大な影響を与えることに注意したい。
