習近平氏が“弱さ”を隠しきれず?中国「抗日戦勝80周年パレード」が大失敗だったワケ

習近平氏が“弱さ”を隠しきれず?中国「抗日戦勝80周年パレード」が大失敗だったワケ

● 26カ国が出席した 大規模な軍事パレード

 2025年9月3日、中国・北京の天安門広場で「抗日戦争勝利80周年」を記念する大規模な軍事パレードが開催された。軍事パレードには1万2000人以上の人民解放軍兵士が動員され、習近平国家主席が閲兵した。

 「抗日戦争」とは日本が1937年から1945年にかけて行った日中戦争の中国側での呼び方で、今年はそれから80年の節目だった。

 軍事パレードには26カ国の国家元首や政府首脳が出席した。

 26カ国と聞くと多いように感じるかもしれないが、その顔ぶれはロシアや北朝鮮、イラン、ベラルーシ、キューバといった反米色の濃い国々がほとんどであり、西側諸国は軒並み参加を見送っている。

 この軍事パレードは習主席にとって、アメリカとの対立において自らの存在感を示すために重要な場だった。特に習主席が国際社会における中国の影響力を誇示することが目的であったのだが、その結果は、むしろ中国の外交的孤立の深まりを印象づけるものとなった。

 軍事パレードの成功は国内向けプロパガンダにとどまり、国際政治的には「大失敗」であったと総括せざるをえないものとなってしまったのである。

● 「抗日」に見せかけた 「反米イベント」

 今回の軍事パレードは名目上は「抗日戦勝記念」であったが、実質的にはアメリカをけん制する意図が明白だった。極超音速ミサイル、長距離弾道ミサイル、無人システムなど、米軍や台湾海域への脅威を強調する最新軍備の展示が目立った。

 習指導部は、日本を「アメリカの同盟国」と位置づけ、抗日という歴史の正統性を利用している。だが、実質的にはアメリカに比較して引けを取らないことを誇示するものとなった。

 国内的には「抗日」を掲げると、その行動の正当性が強調でき、批判を封じ込めやすくなる。その一方で、国内には「中国はアメリカと対峙する能力を持つ」というメッセージを発信しようとした。

 だが、この試みはうまくいったとは言えないだろう。肝心のアメリカを批判せずして「反日に見せかけた反米イベント」という二重構造を持っていることが、中国の弱さをあぶり出している。

● 台湾併合に向けて アピールしたものの…

 北京における軍事パレードでは、中国が台湾併合をにらんで開発を進める新型兵器が前面に押し出された。

 特に注目されたのが、極超音速ミサイル「東風-17(DF-17)」、射程延伸型の弾道ミサイル「東風-26」、さらに最新鋭の無人攻撃機や水陸両用強襲車両であった。

 これらはいずれも、台湾防衛線を一気に突破し、米軍の介入を抑止することを狙った「対台湾作戦専用兵器」と言える。さらに極超音速兵器は、台湾周辺に展開する米空母打撃群や基地に対し迅速に打撃を与えられると宣伝されており、中国側の「台湾有事の勝算」を誇示する象徴となっている。

 とはいっても、これらの兵器群が台湾侵攻の成否を決めるわけではない。

 たしかに中国は、ミサイルと空海戦力を駆使して台湾に圧倒的な火力攻撃を浴びせ、短期間で制空・制海権を奪取する能力を示している。だが、台湾を「攻め落とす」ことと「統治する」ことは難易度の次元が違っている。

 台湾には2300万人の人口と高度に発達した社会基盤があり、たとえ攻め落とせたとしても、統治に必要な陸軍を運ぶ能力に欠ける。また、仮に上陸作戦に成功したとしても、その後の占領統治には膨大な兵力と長期的な治安維持が不可欠になる。

 実際、パレードに並んだ兵器は「攻撃」と「威嚇」には有効でも、「住民統治」や「政治的安定化」を保証するものではない。逆に、武力行使によって台湾社会の反中感情は決定的に高まり、アメリカや日本などの支援を呼び込む可能性が高い。

 パレードで示された兵器は、中国が台湾に軍事的圧力を加えうる力を誇示する一方で、台湾統合の現実的手段にはなり得ない。攻めることはできても、支配はできないのである。

 このギャップは習指導部が台湾への武力行使について抱える最大の戦略的ジレンマである。

 なお、パレードで特に注目された兵器は下記のとおり。

・極超音速ミサイル「DF-17」「DF-26」

・空中・海上・陸上の核三位一体兵器(JL-1, JL-3, DF-31BJなど)

・無人攻撃機・無人ヘリ・海上ドローン

・対UAVレーザー・マイクロ波兵器

● 人民の不満を吸収するために ナショナリズム動員に依存

 習主席が軍事パレードに力を入れた背景には、国内統治上の危機感がある。中国経済は長期的な減速局面に入り、不動産バブル崩壊、若年層の高失業率、地方政府の債務危機などが社会不安を増幅させている。

 また、中国からは人材や資本の海外流出が続き、習指導部はそれを食い止めようと躍起になっているものの、功を奏していない。

 2025年夏には重慶の高層ビルで習指導部を批判するスローガンがライトアップされたと『ニューヨーク・タイムズ』紙が報じた。習指導部の求心力低下が可視化されたとも言われる。

 こうした人民の不満を吸収するために、習主席は「対外的脅威」と「愛国心の高揚」を利用するナショナリズム動員に依存せざるをえなくなっている。

 抗日戦争の記憶は、中国共産党にとって政権正当性の中核である。毛沢東以来、「日本に勝利したのは国民党ではなく共産党」という歴史観が徹底されてきた。反対にいえば、中国にはまだ反米を表看板にできるほどの実力が備わっていないのである。

 習指導部が「抗日」を利用するのは、この歴史観を踏まえたプロパガンダの一環に過ぎない。

● 2015年の成功から一変 浮き彫りになった国際的孤立

 10年前の2015年の抗日戦勝70周年パレードは成功だったと見ていいだろう。

 当時は49カ国の代表団が参加し、そのうち30カ国以上が首脳級であった。韓国の朴槿恵大統領が出席し、欧州からもチェコ大統領などが参加した。中国が「国際社会の戦勝国」としての地位を誇示し、中国の政治力と経済力の拡大を示すには十分なものだった。

 ところが、2025年は状況が一変してしまった。

 上述したように参加国は26カ国にとどまり、顔ぶれは反米色の濃い「いつものメンバー」である。2015年に朴槿恵大統領が習主席の隣に陣取った韓国は、今回は参加を見送った。インドやインドネシアといったグローバル・サウスの大国も不参加である。

 2015年には中国に配慮する国もあった欧州だが、中国の人権問題の高まりによって欧州の首脳級は参加しにくい状況にある。そのため、中国の外交的多様性は失われ、「仲間内のイベント」にとどまったと言っていいだろう。

 2025年のパレードは、2015年の「国際的成功」と対比して、中国の国際的孤立を浮き彫りにする「縮小再生産」にすぎない。

● 西側メディアの 冷ややかな反応

 西側メディアの評価も厳しいものであった。英『フィナンシャル・タイムズ』紙は「中国はポスト・アメリカ(=ポスト戦後世界)の世界を構想している」としつつも、その試みは限られた仲間内にとどまると指摘した。

 また、英『ガーディアン』紙は「反欧米の象徴的演出だが、包囲網は限定的」と論じ、米『ワシントン・ポスト』紙は「新世代兵器の誇示はアメリカへの挑発である」と分析した。

 一方、香港メディア『サウス・チャイナ・モーニング・ポスト』紙は「同盟国からは称賛されたが、西側は冷淡であった」と報じており、軍事パレードの外交的訴求力の乏しさを表に出している。

 今回の軍事パレードは、国際的には中国が孤立している現実が浮かび上がるものになってしまったのである。

● プーチン大統領に 憧れる習主席

 習主席の演出は、しばしばロシアのプーチン大統領と比較される。

 プーチンは憲法改正を通じて事実上の終身大統領体制を固め、治安機構と軍を掌握しており、文字どおり押しも押されもせぬ国家トップである。ウクライナ戦争により物不足が起きても、大規模な軍事パレードを利用して「祖国防衛」「歴史の勝利」を強調し、支持基盤を固めて自らの支配を正当化できる影響力を有している。

 習主席も党規約改正によって国家主席の任期制限を撤廃し、同じ道を歩もうとしているが、プーチン大統領と比べると、その足場はもろい。

 習主席はプーチン大統領と世間話の際に「不死」について語り合ったと報じられたことは、彼らの価値観の近さを象徴している。

 だが、両者には決定的な違いがある。

 最も大きいのは、プーチン大統領が治安機構と軍を盤石に掌握しているのに対し、習主席は人民解放軍の掌握に成功しているとは必ずしも言えない点だ。

 経済の失速や不動産危機、若者の失業問題など社会基盤の揺らぎも深刻である。プーチン大統領が「完成形」に近い権威主義体制を築いたのに比べ、習主席は「あやかりたい」という願望を抱きつつも、その地位は不安定なのである。

● ロシアとは異なる 長老政治の伝統

 パレードの主力を担ったのは、中部戦区、すなわち首都防衛部隊である。他の戦区や海軍・空軍・ロケット軍などは代表部隊を派遣したにすぎず、全軍が忠誠を示したわけではない。

 兵士たちの「主席に忠誠!」という掛け声は、実際には演出された儀式であり、全軍の自発的結束を意味しない。

 習主席は就任以来、軍の粛清を繰り返し軍の掌握を試みてきたが、ロケット軍や装備部門の幹部の不祥事が続発している。派閥構造が根強く残るため、軍全体を掌握できているとは言いがたい。

 パレードは軍に対する「統制確認」の意味合いが強かった。

 さらに、中国共産党には「長老派」が存在する。鄧小平以来、引退した指導者や元幹部が人事や政策に影響を及ぼす長老政治の伝統が残っている。

 習主席は江沢民派や胡錦濤派を排除して権力を強めてきたが、長老派を消し去れたわけではない。経済失敗や外交孤立が深まれば、「習一人に責任を集中させる」動きが党内で起こらないとも限らないのである。

 プーチン大統領が盤石でいられるのは、ロシアには中国のような「長老派」が存在しないことも大きい。習主席が終身トップを目指しても、長老派という構造的制約がある限り、その基盤は常に不安定さを抱えつづける。

● 習主席の弱さが 際立った軍事パレード

 以上を踏まえると、2025年の抗日戦勝80周年パレードは、外交的には失敗、国内的には「習近平の焦り」の投影であったと結論づけられる。

 国際社会では孤立が際立ち、国内では経済と社会基盤が揺らいでいる。

 習主席はプーチン大統領のような「盤石な終身支配の権利」を持つことを夢見ている。両者が不死について語り合ったのは、その発露だったのだろう。だが、中国の政治構造、すなわち人民解放軍の掌握不安と長老派の存在が、それを阻んでいる。

 今回の軍事パレードは、国際社会への力の誇示ではなく、習主席の立場の弱さを覆い隠すための政治儀式であったと言える。強さの象徴として行われたイベントが、実は弱さの証明だったと見ることも可能だ。

 表向きは「抗日」でありながら実質は「反米」である軍事パレードは、外交的には失敗に終わった。西側主要国は不参加、参加国の多様性も失われた。国内的にはナショナリズムを動員する演出として一定の効果を持ったが、それは習主席の弱さの裏返しであった。

 結局、ここまで微妙な関係だった北朝鮮の金正恩総書記を厚遇し、今後の支援を約束することでお茶を濁すくらいしかなかったのである。

 プーチン大統領が盤石な支配を築いたのとは対照的に、習主席は人民解放軍と長老派という二重の制約に縛られている。今回の軍事パレードは、習主席が「強さ」を国内と世界に見せつける場であったが、かえって「弱さ」が際立つものになってしまったのである。

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