30年前は居酒屋で「店舗数日本一」だったが…店舗9割減の「養老乃瀧」を復活させた居酒屋“じゃない”事業とは? 5年で30億円規模に成長の“虎の子”実店舗レポ

≪養老乃瀧≫30年前は居酒屋で「店舗数日本一」だったが… 副社長が激白する“首位陥落”を招いた意外な要因

2025年2月時点で、国内の居酒屋チェーンで最も店舗数が多いのは、「鳥貴族」で657店舗とされている(日本ソフト販売が発表)。

では、約30年前だったらどうだろうかーー。

答えは「養老乃瀧」で、最盛期は1800店舗近くを展開していたと言われる。1956年に1号店を開業後、高度経済成長期の追い風もあり、爆発的に店舗数を拡大する。居酒屋業態の単一ブランドとしては、最も規模が大きいチェーン店に成長した。

時代の寵児となった養老乃瀧だが、栄枯盛衰が飲食業界の常。2025年8月現在は、約180店舗、最盛期の1割近くまで縮小している。

最盛期の数もさることながら、浮き沈みの激しさも印象的だ。なぜ養老乃瀧は絶頂期から衰退の一途をたどったのか。そして現在の姿とはーー。副社長への取材と現地レポから迫った。

■国内の居酒屋業態で初めてFCを導入

 本部が経営ノウハウやブランドの屋号を提供し、加盟店は対価としてロイヤリティーを支払うーー。

 現在では、当然のように浸透しているフランチャイズ方式が、国内で初めて導入されたのは1963年、不二家とダスキンだったと言われている(日本フランチャイズ研究機構による調査)。

 それから3年後の1966年、居酒屋業態として最も早く、フランチャイズ方式を導入したのが養老乃瀧だ。

 当時、外食産業において、店舗展開の定石は「のれん分け」とされていた。いわゆる社員が一定期間、親店で経営のノウハウを積み、同じ屋号で独立を果たす、丁稚奉公に近い制度だ。

 フランチャイズ方式を導入する以前、養老乃瀧も直営だけで100以上に店舗数を伸ばしていた。高度経済成長期の最中で、競合も少なかった時代、リーズナブルに煮込みや焼鳥、刺身を満喫できる大衆酒場は、市井の人々に愛され日夜活況が続いた。

 一方、盛況が続くことで、現場スタッフの負担も大きく、新店開業のための人材育成に投資を回せない悲鳴も上がっていた。つまり、店舗展開は頭打ちの状況だった。100店舗の大台を達成したものの、社内からは「これ以上社員に負荷はかけられない」と風当たりも強くなった。

 そこで、創業者の木下藤吉郎は、かつてアメリカを視察した記憶を思い起こす。すでに現地では、数百店舗を展開するチェーン店が先行していた。現地の光景を目の当たりにした木下は、国内でも均一化されたオペレーションや研修制度を社外の人間にも提供すれば、「1000店舗まで拡大が可能だ」と風呂敷を広げる。

そして1966年、板橋にFCの第1号店が開業。「ファミリーチェーン」と称して、現在のフランチャイズ方式と同様のスキームで、一般応募で開業を募った。以降、多くて年間100店舗以上の驚異的なペースで出店を果たし、1970年代半ばには1000店舗を達成した。

■創業当時のロイヤリティーは月3000円

 ここまで規模が広がったのは、好景気で競合が少なかったことが大きい。

 ただ、養老乃瀧取締役副社長の谷酒匡俊氏の話を聞くと、時代的な背景とは異なる角度から、出店ラッシュの背景が浮かんできた。

 それが“ロイヤリティーの破格さ”だ。FCビジネスを始めた1966年当初、養老乃瀧が加盟店に課したロイヤリティーは月3000円だったという。現在の居酒屋チェーンのロイヤリティーの相場を見ると、売り上げ歩合型で約5%、固定型で月10万円程度に落ち着く。いかに当時の養老乃瀧が型破りだったかがうかがえる(ちなみに現在のロイヤリティーは上限月5万円)。

 谷酒氏は「当時は業績も絶好調で、本部の経営資金も潤沢だったうえ、まだロイヤリティーをいくら徴収すべきかの基準も定まっていなかった。加盟店の負担をかけて本部が潤うよりも、ロイヤリティーを廉価にして出店網を広げ、収益を上げていきたいと考えていたのでしょう」と振り返る。

 加えて、出店エリアを駅前だけでなく、郊外や地方に拡大したことが大きかった。車社会が根付く郊外では、「20台前後を収容できる駐車場付」という出店の方程式もあった。

 2002年の道路交通法改正以前は、飲酒運転の基準値や罰則も緩く、呼気中のアルコール濃度が0.25mg/L(成人男性が缶ビール350mlを飲んだ直後とされる)以下であれば処分が軽度だった。特に、車文化が根付く田舎では、手頃に飲食を満喫できる居酒屋は、ファミリーレストランの代わりとしても重宝された。運転代行やハンドルキーパーの取組を推し進めながら、全国各地で出店ペースが加速した。

フランチャイジーからしても、初期投資と立地条件さ押さえれば、維持費を圧縮できるビジネスモデルは魅力的だった。とりわけ賃料の低い郊外では、30〜40坪の中型店でも、月商250万円程度で、利益を生み出せる店舗も珍しくなかった。

■応募が殺到して店舗数が急増

 こうした参入障壁の低さゆえ、飲食未経験者からの応募が殺到したことも、爆発的な店舗増につながった。

 谷酒氏によれば、当時は異業種からの“脱サラ”組が、一念発起を夢見て参入したという。たちまち経営に成功すれば、身内や知人に紹介し、加盟させるパターンが顕著だった。なかには自身で多店舗を経営しつつ、かつ紹介した親類もまた同程度展開しているケースも見られたそうだ。

 「個人オーナーの前職は、銀行員から保険のセールス、タクシー運転まで多岐にわたりました。また会社の経営層が、副業の先駆けのようなサイドビジネスとして参入するパターンも。職種にかかわらず、当時珍しかったフランチャイズビジネスを学んで成功したい方が多かったのでしょう。

 またバブル崩壊後は、本業に行き詰まった人の受け皿として機能したことで、不景気でも店舗拡大が続きました。その頃は、転職や副業を特集する雑誌も目立ち、世間的に副業への関心も高かったのでしょう」(谷酒氏)

 うまみのある話に、人は本能的に惹きつけられるものだ。いわば先行して儲けた個人オーナーが火種となり、出店の輪がネットワーク状に一気に広がっていく。養老乃瀧は1970年代に1000店を超え、1990年代半ばの最盛期には1800店にまで拡大した。

■飲酒運転の厳罰化で逆回転

 時代の寵児となった養老乃瀧だが、綻びを見せた一因が、2002年の道路交通法改正だった。前述した通り、「20台前後の駐車場」を出店の勝ちパターンとして掲げていたことで、出店エリアは地方や郊外の比率が圧倒的に多かった。運転代行やハンドルキーパーの取組を強化してはいたが、法改正での締め付けが厳しくなれば、客足離れは避けられなかった。

また、1990年代になると、白木屋や笑笑、甘太郎、和民をはじめとした居酒屋チェーンが権勢を振るい始める。いわゆる“総合型居酒屋”の競争が熾烈になる時代に突入した。

 競争が激しくなれば、当然各ブランド手を替え品を替えた展開を行い、業界のトレンドや移り変わりも加速する。

 2000年代に入ると、海鮮をはじめとした専門業態の台頭、コスパ重視の価格均一、女性層を狙うカジュアルダイニング、接待に重宝される個室完備型、監獄レストラン「ザ・ロックアップ」などエンタメ性の高い業態など、コンセプトを持たせたブランドが乱立する。結果、相対的に見て、無難な業態は存在感が薄くなっていった。

 同時に、個人オーナーの高齢化や、店舗の老朽化が進んだことも、店舗縮小に拍車をかけた。とりわけ1970年代に出店攻勢を強めた背景を考えれば、個人オーナーのボリューム層は団塊の世代周辺だったはずだ。2000年代になれば、還暦を迎えて体力が落ち、そのうえ改装の必要を迫られることで、リタイアがちらつく。「儲けさせてくれてありがとう」と惜別の言葉を残し、幕引きする事業者も増えていった。

 それ以降は、リーマンショックによる不景気、働き方改革による宴会需要の減少、コロナの流行など逆風が重なり、看板の灯は消えていく。現在は、全盛期の約10分の1にあたる、180店舗近くにまでスケールを落とした。

 第1号店の開業から約70年。かつて居酒屋チェーンとして、店舗数1位にまで繁栄し、そして大量閉店のあおりを受けた変遷は、時流を反映した興亡譚とも言える。

■“新旧”養老乃瀧の驚くべき違い

 ただ、気になるのは、浮き沈みを経験した現在の姿だ。そこで2025年7月末に「西荻窪店」と「新宿西口店」を訪れると、“新旧”養老乃瀧の違いが浮き彫りとなった。

 まずは旧型、思い出横丁の一角に構える「新宿西口店」をのぞいた。戦後直後の焼け野原に露天商として発展してきた思い出横丁は、いまなおノスタルジックな面影を残す。そうした風情ある路地裏の街並みに溶け込むように、赤地に「養老乃瀧」と書かれた看板が目をひく。

2フロア53席の木造店内は、テーブルの塗装が剥がれ、有線からは歌謡曲が流れるなど、いかにも年季を感じさせるたたずまいだ。メニューも串や刺身など定番どころが並び、場所柄も後押しして昭和のレガシーが色濃く残る。

 雰囲気に合わせ、「麦の水割り(税込490円)」に、「山芋の短冊揚げ(税込460円)」「子持ちししゃも(410円)」「エイヒレ(430円)」を頼む。味はどれも価格相当といった所感だ。

 来店客を見回すと、客層も幅広い。カウンターには50〜70代の単独男性が、テーブル席はインバウンドや仕事帰りのリーマン層が席を埋める。様子を伺うと、おおむねどの卓も、矢継ぎ早にメニューを頼むというより、数品の肴で杯を重ねる光景が目立つ。飲食のクオリティうんぬんより、仲間内でコスパ良く盛り上がる、あるいは憩いの場として来店が習慣化している層が多い印象だ。

 その一方で、リブランディングを経た「西荻窪店」は、従来の店舗と何もかもが異なる。外観は赤地の看板が撤廃されており、建物もシックな雰囲気にまとめられている。休日の18時ごろに訪れた際は、単独の中年男性は見当たらず、30〜40代と思しき3〜4人組が数卓確認できた。

 メニューをめくると、前段のページに創作料理が押し出され、定番どころより一手間加えたメニューをプッシュしたい意図がうかがえる。「自家製チヂミ(税込594円)」「山芋のお好み焼(税込506円)」「灼熱四川風麻婆(税込638円)」といった料理が、大きなビジュアルとともにアピールしている。

 折角なので、定番どころを避けて注文すると、どの料理も盛り付けがきれいで味も美味しい。「自家製チヂミ」はサクサクの生地にニラやキノコの食感がマッチして、「〆さば利久掛け(税込530円)」はごまとシソのさっぱり感が絶妙だ。「イカ串(税込462円)」はイカの肝を和えたタレにお酒が進み、各料理ともこだわりが感じられる。

 結局、2人で料理6品とお通し、アルコール3杯を頼み、会計は4939円。現在の客単価は約3000円と、ここにお酒を1杯ほど追加注文すれば相場に落ち着く。総括すれば、レガシーを残す旧業態では雰囲気を堪能でき、リブランディング後の店舗では飲食を満喫できた。

■店舗数は最盛期から10分の1に

 聞けば、養老乃瀧では、2010年頃に改装を進め、2010年代半ばからメニューの刷新に注力しているそうだ。加盟店によっては、経営体力の兼ね合いから旧態依然のまま営業を続ける店舗もあるが、現在は西荻窪店のようなパッケージが主流だ。老舗なだけに各店舗の老朽化を改善し、客層の若返りを狙う意図がある。

 一方で、改装やメニュー改定を行っても、歴史が長いだけにかつてのイメージが残る側面も大きい。新メニューを投入しても、顧客の一定数は週3〜5回ほど通うリピーターともあり、それだけ定番メニューの人気が根強い。新商品の注文が見込めないジレンマもあるなか、それでも刷新を続けるのは「総合型居酒屋としての矜持」と谷酒氏は口にする。

 「養老乃瀧の常連さんは週3〜5回通う人も多い。長年足を運んでいただいている方はもはやメニューを見ないで注文するので、どうしても新メニューはなかなか上位に食い込めないんです。

 だからといって、人気で定番どころのメニューだけ置けばいいというわけではない。居酒屋では塩味が効いたつまみが人気なのは重々承知ですが、30人に1人は甘めに味付けした料理で酒を飲みたい人もいる。そうした好みを満遍なくカバーして、注文数の少ないメニューでも疎かにしないのが、総合居酒屋たるゆえんなんです。

 世間的に見れば、15年ぐらい前から専門性を打ち出した業態が主流になりつつある。ただ一方で、友人や同僚と居酒屋に行き、おのおのが好きなメニューを注文したいという需要は底堅く、我々もそうした期待に応えるため刷新を続けている。

 かつて養老乃瀧では、セントラルキッチンで加工した料理をそのまま提供していたが、コロナ禍を機に店舗で仕込みや調理するオペレーションを徹底して、味のクオリティを磨いています。むしろそうしなければ、今は総合型居酒屋として生き残りをかけていくのは難しいと感じています」(谷酒氏)

居酒屋業態として、国内初のフランチャイズ方式を導入し、一世を風靡した養老乃瀧。それから時代が何周もして、市場での存在感は薄れたものの、根幹にある総合型居酒屋としての軸は揺らいでいない。

■業績はV字回復。その理由は…

 とはいえ、最盛期から、店舗数が10分の1になった状況を鑑みると、業績減は避けられない。さかのぼれる範囲でのデータにはなるが、2003年度のグループ全体の売上高は約625億円、2010年3月期は約326億円、2019年度は約192億円、2021年度は約52億円にまで落ち込んだ。

 それから一転、2023年度は約130億円にまでV字回復している。コロナ禍の収束は大きかったが、再起を後押しした背景には、「非・居酒屋業態」の成長があった。後編では、新事業にフォーカスを当てつつ、養老乃瀧グループの現状に迫る。

店舗9割減の「養老乃瀧」を復活させた居酒屋“じゃない”事業とは? 5年で30億円規模に成長の“虎の子”実店舗レポ

かつて1990年代後半に、1800店舗まで規模を拡大し、一世を風靡した養老乃瀧。

一方で、現在は約180店舗と、最盛期の10分の1にまで縮小したものの、ここ2〜3年で業績はV字回復を見せる。

2021年度は社全体の業績が約52億円と底冷えしたが、2023年度には約130億円にまで回復。その背景には、コロナ禍で本腰を入れ始めた“非・居酒屋事業”の成長があった。

この記事は後編です。⇒前編:≪養老乃瀧≫30年前は居酒屋で「店舗数日本一」だったが… 副社長が激白する“首位陥落”を招いた意外な要因

■業績の25%近くが“非・居酒屋事業”

 養老乃瀧、一軒め酒場、だんまや水産など、居酒屋事業を展開する養老乃瀧グループ。1956年に居酒屋事業に参入してから、最盛期で1800近くまで店舗数を広げ、現在も息長く親しまれている。

 ところが現在、これら居酒屋事業の売り上げは、社全体の業績の75〜80%ほどに着地するという。では、残るおよそ20〜25%は何で稼ぎ出しているのか――。

 真相を確かめるため、足を運んだのは川崎競馬場だ。日本有数の歓楽街や飲み屋街が隣接するエリアで、ナイターが開催される最中、場内では生ビールやケータリング片手に、グルメコート周辺でレースを観戦する中年男性も目立つ。

 この一角に位置するのが、唐揚げやポテトをウリにした「からきち屋・GRAZYPOTATO(グレイジーポテト)」だ。

 実は養老乃瀧グループ、約5年前から、コントラクト事業(委託先の施設内で展開する売店)に本腰を入れている。コロナ禍で居酒屋業態が壊滅的なダメージを受け、同社の業績は2019年度の約192億円から、2021年度の約52億円にまで落ち込んだ。そこで社の存続をかけて新事業に肩入れを始めたわけだ。

 実際に、店員におすすめされた、唐揚げの「極旨タレもも(税込700円)」、ポテトフライの「アンチョビマヨ(税込700円)」を頼んでみた。大きめな唐揚げを齧ると、肉感のあるもも肉に、味噌とガーリックが効いたタレがよく合う。アンチョビマヨはソースがこってりとしているが、ポテトの表面に刻んだ大葉がまぶされており、くどさが抑えられている。どちらもクオリティが高く、味付けに工夫が施されているのがわかる。

 そしてなにより、“ザ・居酒屋メシ”といった感じで味が濃く、アルコールが欲しくなる。思わず追加注文したビールで、揚げ物を流し込む瞬間がたまらない。まさに居酒屋事業で培ってきた知見が凝縮されている。

現在コントラクト事業は、川崎を含む5つの競馬場に、セ・パ12球団のうちの8球場、苗場やニセコなど観光エリアのレストラン、ショッピングモール内、大学や企業の食堂などに、計120近くの事務所を展開しているという。

 業績も好調で、2025年度の売り上げは30億円を超える見込みだ。2023年度の養老乃瀧グループ全体の業績が約130億円であることを鑑みれば、直近5年で社の売上構成比の約25%を占める概算となる。2024年には、飲食店運営や施設の受託事業を行う企業を完全子会社化し、コントラクト事業の大半を集約して腰を据える構えだ。

■5年で120近いブランドを展開

 “非・居酒屋事業”が、成長ドライバーとなっている養老乃瀧グループだが、なぜここまで短期間で事業を拡大できたのか。

 いち消費者からすれば、坪数も商材もある程度限られているため、オペレーションが回しやすい印象を受ける。それゆえに参入障壁が低く、短期間で全国各所に展開できたのではないか――。

 そうした先入観をぶつけると、養老乃瀧取締役副社長の谷酒匡俊氏は、「実情はまったく異なる」と説明する。

 「コントラクト事業は、居酒屋のチェーン展開のように、オペレーションを均一化できない。正直なところ、効率が良いか悪いかで言えばあまり良くないんです。

 一例を挙げると、ある野球選手が、引退を発表しておらず、明日の試合で引退すると急に告げられるケースがあります。そうした場合、我々は球場側から、引退選手にちなんだお弁当を用意するよう求められことがあります。すると社内で、どのようなメニュー構成にするか、食材は何百人分調達すればいいのか、前日から急ピッチで企画から仕込みまで進めないといけないわけですね。

 それから当社は、とある球場で15ほど売店を構えているのですが、それぞれコンセプトや商材を微妙に変えて運営するよう求められます。コントラクト事業は、スポーツ観戦やフェスなど、ハレの日を飾る出店のようなものです。ファンビジネスとしての側面もあるなか、そこでチェーン店のような均一感が透けてしまうと、日常感が出て来場者の気分が盛り下がってしまう。

 そのため各店舗で、オリジナリティーを醸し出す必要がある。現在120近いブランドを抱えていますが、各ブランド原則2〜3店舗の展開にとどめています。夏期にシャーベットを提供する際は、店舗ごとで具材の配合を0.1g単位で調整したり、地産の食材を優先的に使用したりしています」(谷酒氏)

いわばコントラクト事業とは、来店客に満足してもらいつつ、球場など委託先の要望もくみ取ることが求められる。

 「大手チェーン店の規模で展開をしながら、各店舗が個人店に近い対応を求められる業態は、他社がなかなかやりたがらない」と谷酒氏。あえて効率が悪い領域に参入したポジショニングが奏功し、一気にコントラクト事業が拡大したと言えそうだ。

■ゴミ処理を請け負うことも

 一見、120近いブランドを展開するのは骨が折れるよう思えるが、オペレーションを確立してうまく効率化させている。

 「一例を挙げると、ホテル内のレストランを複数運用する際、料理のだしは共有しつつ、味付けや盛り付けを微調整することで、うまくオリジナリティーを感じられるよう、別メニューとして提供しています。

 あるいは委託先から『地産の食材を使ってほしい』という要望も多いため、物流を他社に委託するとコスパが悪い。一見、効率が悪いように映るが、あえて自社トラックを走らせているのもポイントです。そうすればある店舗で出た余剰の食材を、周辺の売店に回してさばくこともできる。うまくノウハウとリソースを共有して出店網を広げています」(谷酒氏)

 また、地道な要望に応え続けることで、生産者をはじめ土着のネットワークも強固になった。

 直近で取り沙汰されたコメ高騰時は、コメ農家と取引する機会が増えた。JAしか出荷先がなかった生産者と、養老乃瀧グループが直接仕入れ交渉を行うことで、生産者はJAに出荷するよりコメを高値で出荷でき、養老乃瀧は流通価格より安価に調達できる、双方でウィンウィンの関係が生まれた。

 また、何店舗も売店を運営する球場では、一帯から出るゴミ処理を一括して請け負うようになった。その事例が耳に留まり、地元企業から「社食を展開してほしい」と依頼が来たこともあった。薄利ながら手間がかかる要望に応えることで、委託先や生産者との連携も強くなり、出店の機会に恵まれるようになった。

■原価率を30%近くに圧縮

 コントラクト事業で得られた知見は、水面下で居酒屋業態にも生きている。

 その顕著な好例が「原価率の削減」だ。前述した通り、コントラクト事業では、金太郎飴のような均一化した展開が敬遠される。そのためブランド毎に、味付けや盛り付けを工夫するよう求められる。こうした調理技術の手数が増えたことが、居酒屋事業での原価率の圧縮に貢献している。

 「実はいま、当社が展開する『一軒め酒場』で、仕入れた加工品をそのまま提供しているのは、きゅうり一本漬(税込319円)など数品目しかありません。なぜかというと、加工品をそのまま仕入れると原価率が上がってしまうので、店舗で仕込みや味付けを行って利益率を上げているのです。

 唐揚げを引き合いに出すと、粉や味付けの配合を徹底的に研究しています。例えば醤油でも、1本1000円と1200円のものでは味わいが異なります。鶏肉そのものの価格を上げるよりも、調味料の質や調理技術を高めるほうが、味が良くなるうえに原価の上昇を抑えられる。もちろん食材の選定は慎重に行いますが、それ以上に最適な仕込み方法を追求して、全体の原価率を抑える工夫を凝らしています。

 一軒め酒場はリーズナブルなぶん、薄利多売と勘違いされがちですが、ふたを開ければすべての料理で粗利を取れている。かつてはウニやイクラなどを使うメニューもありましたが、高価な素材でなくても美味しくなるよう日々刷新を続けることで原価率を抑えているのです」(谷酒氏)

 一軒め酒場はかつて2008年のリーマンショック前後、不景気でも気軽に入れる激安の業態を作ろうと開業した。税抜190円の酎ハイやサワーを筆頭に、大半のメニューを350円以内に設定することで、当初は客単価1500円と幅広い酔い客に喜ばれた。

 一方で、原価率が40%近くまで膨らむ店舗もあった。当時はまだ宴会需要も盛んだったが、その後コロナによる打撃で経営も苦しくなり原価率を見直した。結果、コントラクト事業の知見もあり、当時店舗によっては40%弱にまでかさんだ原価率が、現在30〜33%にまで減少したという。

一見、価格を抑えて料理を提供するには、加工品に頼ってオペレーションを簡潔にするやり方が浮かぶ。一方で、養老乃瀧グループでは、あえて手間暇をかけることで原価率を圧縮しているわけだ。

 もちろん創業当時から、養老乃瀧グループでは原価率削減に注力してきた。ただ、コントラクト事業により素材を生かす引き出しが増えたことで、コスト削減に大きく寄与した。

 一例を挙げると、コントラクト事業で人気ブランドのグレイジーポテトは、ポテトフライ専門店として、「明太子マヨネーズ」「アンチョビマヨ」「コンソメ」「はちみつ」など多彩なフレーバーを揃える。こうしたバリエーションの展開が、居酒屋業態の調理技術にも生かされている。

■“安かろう悪かろう”からの脱却

 一軒め酒場では、メニューを改良する一方、顧客には企業努力が伝わりづらいジレンマを抱えていた。特に、一軒め酒場は、創業当初に激安を打ち出していたことで、消費者から“安かろう悪かろう”の先入観を持たれていた。

 そこで2022年に行ったのが、外観とメニューの刷新だ。一軒め酒場といえば、赤字で190円と大々的に描かれた看板が印象的だが、リニューアル後は価格表示を撤廃し、のれんに「おやじが喜ぶこだわりの酒と肴だけの店」とうたい文句を掲げる仕様に変更した。

 また、メニュー表も冊子状に改良して、掲載する飲食物の表示を全体的に大きくした。ドリンクメニューをめくると、見開き1ページかけて、ビールの提供方法や日本酒の生産地の歴史がつづられている。フードメニューも同様、1ページにわたり焼売や煮込みの写真がシズル感満載に掲載され、味付けや調理工程のこだわりが記載されている。

 看板ではあえて破格であることを隠し、メニューでは誌面を割いてこだわりを伝える――。刷新の背景には、“安かろう悪かろう”という先入観からの脱却と、表からは見えづらい企業努力が伝わってほしいという意図が隠れている。

以前、さくら水産を取材した際も、過去に提供していた500円ランチの格安さが強烈ゆえ、高価格帯路線に踏み切ると客離れが発生したという逸話があった。

 一軒め酒場も同様に、一度リーズナブルな業態として認知されてしまえば、ブランドイメージの上書きは難しい。企業としては日々、調理技術を凝らしているにもかかわらず、旧態依然のまま映ってしまうのはもったいない。

 「外観やメニューからわかりやすく発信して、日々ブランドが生きていると伝える必要があった」と谷酒氏。結果的に、リブランディングを行った翌2023年には、売り上げが前年比140%近くまで上がった店舗も見られた。

■コロナ禍を経て構造改革を進める老舗企業

 総括すれば、コロナ禍以降、養老乃瀧グループは大きく体制を変えている。

 元々は総合居酒屋を主軸に発展してきた同社は、近5年でコントラクト事業に肩入れを続ける。そして新事業で得た知見が、居酒屋業態の料理のクオリティを底上げし、一軒め酒場のリブランディングにも貢献した。

 消費者からすれば、「養老乃瀧グループ=風化した老舗企業」と捉えがちだが、企業内部の努力は見えづらいものだ。居酒屋業態の草分け的な存在として知られる養老乃瀧グループだが、裏側では構造改革と成長の芽が着々と育っているのだ。

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