任天堂・宮本茂が『ゼルダの伝説』を着想した秘密は「幼少期の洞窟探検」にあった? 発売後には「緊急SOSの手紙」も
任天堂で『ドンキーコング』、『マリオブラザーズ』、『ゼルダの伝説』といった、長い人気を誇るシリーズを生み出したゲームデザイナーの宮本茂。
“現代ビデオゲームの父”とも言われる宮本の経歴や実績をイリノイ工科大学教授のジェニファー・デウィンター氏が分析した『 ゲームクリエイター 宮本茂 』(DU BOOKS)より、一部抜粋して紹介する。(全3回の1回目/続きを読む)
マリオと同時期に開発が始まった『ゼルダの伝説』
マリオが公園のような構造のなかで遊ぶものであったのに対し、『ゼルダの伝説』は自由な探索というコンセプトのもとで開発され、「発見」が物語の核に据えられている。
この2作は同時期に開発が始まったものの(さらにある時点では『ゼルダ』のほうが開発が進んでいたものの)、『ゼルダ』が発売されたのは『スーパーマリオブラザーズ』の翌年だった。
『ゼルダ』の初期デザインでは、ディスクシステムに搭載されたデータ書き換え機能を活用することが想定されていた(Miyamoto 2011, 2)。
そして開発を続けるうちに、ストーリー主導のゲームにすることが決定された。
ディスクシステム用ソフトとして日本で発売されてから1年半ほどして、アメリカ市場ではバッテリーを内蔵したカートリッジ形式で発売され、NES(海外で発売されたファミコンの名称)においてカートリッジベースのゲームとして初めてセーブ機能がついたソフトとなった。
説明書には「ガノンを倒すためのヒントストーリー」
『ゼルダの伝説』は画期的なゲームだが、その理由の多くは「挑戦」にある。このゲームの説明書には、物語の背景が英雄譚的に記されている。
『スーパーマリオブラザーズ』と同じように、この王国も大魔王(ガノン)に侵略されており、『スーパーマリオブラザーズ』と同じように、プレイヤーはすべてを元の状態に戻せる姫を救わねばならない。
冒険を呼びかける文章は、次のように締めくくられる。
「果たしてリンクはガノンを倒し、姫を救うことができるだろうか。それは君の腕にかかっている」(『ゼルダの伝説』日本版説明書 7)。
説明書のなかには「ガノンを倒すためのヒントストーリー」なるものがあり、地下迷宮への入口がいろいろな場所に隠されていること、その入口の在り処を探る手がかりもどこかで得られることなどが記されているため、プレイヤーは探索へと駆り立てられるばかりか、「先を急ぎすぎるのは危険です」(47)とさえ指示される。
ゲームが始まると、プレイヤーは自分の名前を入力するよう促され、カートリッジに情報が保存される〔NES版のみ。日本でのカートリッジ版はNES版に遅れて発売〕。セーブ機能の使用はゲームにおける重要な進歩だった。プレイヤーは一旦ゲームを止めても、またその続きから始められるようになったのだ。
さらに重要なのは、ゲームの進捗が保存できるようになったことで、スキルがなく手間をかけるのが嫌いなプレイヤーではなく、時間と労力をかけながら進んでいくようなプレイヤーを想定した、複雑なゲームをデザインできるようになった点だ。
発売前には新しいコンセプトが「不安だった」
宮本も、当初はゲームの複雑さを懸念していたと認めている。プレイヤーを遠ざけてしまうのではないかと考えていたからだ。2003年のインタビューで、宮本は『ゼルダの伝説』発売時を振り返り、次のように語っている。
「『ゼルダの伝説』は、次に何をすべきかをプレイヤー自身に考えさせる初めてのゲームでしたので、この新しいコンセプトにゲーマーたちが退屈したりストレスを感じたりしないかと不安だったんです。
ありがたいことに、彼らの反応は真逆のものでした。こうした要素があったからこそ、ここまで人気になりましたし、今ではゲーマーたちが『ゼルダ』の謎解きがどれほど楽しいか、謎を解いて冒険が進むといかにうれしいかを語ってくれます」(“Super Play Magazine Interviews” 2003)。
『ゼルダ』の謎解きを生み出した宮本の洞窟探検
こうした謎解きのほとんどは空間探索に関係するものであり、その参考になっているのが宮本の幼少期の洞窟探検だ。
宮本は自然のなかを冒険し、生い茂る森のなかで遊んだ。そして洞窟を見つけると、長い時間をかけて隅々まで探索した。
『ゼルダ』の開発が始まった当初の資料からは、ダンジョン探索のゲームが想定されていたことがわかる。
しかしチームは最終的に、複数レベルのダンジョンと、(マリオのような)地上と地下の要素を含んだゲームに変更した。さらに、剣を投げたり武器を集めたりするアドベンチャーゲームではあるが、核にあるのは探索と謎解きのゲームとなった。
『ゼルダの伝説』における謎解きの実に多くが、プレイヤーに対する空間的なチャレンジだ──ある空間で見つけた(たいていは隠されている)アイテムを、別の空間で応用する。また、いったん地下の迷宮に入ると、マップがゲーム体験の一要素となり、画面の左上に常に表示される(図1)。
このゲームは難解であったため、発売されてすぐに『Tips and Tactics』という攻略本も登場し、より包括的なマップや謎解きの詳細な説明が掲載された(ただしエンディングは明かされない)。
「Nintendo Fun Club News」(ニンテンドー・ファンクラブの会報誌)や任天堂アメリカによる公式月刊誌「Nintendo Power」のバックナンバーを読んでみて面白いのは、空間的な謎解きに困っているプレイヤーを助けたり、他のプレイヤーが知らないかもしれない手がかりを提供したりするための手紙やコラムが非常に多いことだ。
とりわけ面白いのが、1988年に「Nintendo Fun Club News」のMail Bagコーナーに掲載された手紙だ。そのなかでマリリン・リー・リードは次のように記している。
ジェフを救いに来なければなりません!
親愛なる任天堂さま。
今年、私たちはニンテンドー・エンターテインメント・システム〔海外におけるファミコンの呼び名〕と『スーパーマリオブラザーズ』のソフトを手に入れました。このマシンでジェフ(30歳)がとても楽しんでいる様子を見て、私は急いで『ゼルダの伝説』を買いに行きました。
それ以来、ジェフは多くても6言くらいしか話さなくなり、睡眠時間も昔は8時間ほどでしたが今はちょっと仮眠をとるくらいになりました(中略)
夫であるジェフには、第5の(もしくは第6の?)城を脱出する方法や、第8の(もしくは第9の?)城に入る方法や、ゼルダと呼ばれる女性を救うためにデスマウンテンへと向かう方法を教えてくれるアドバイス(もしくはマップ)が必要です──それも早急に!
世界はゼルダを救いに行きますが、御社の素晴らしい方々はジェフを救いに来なければなりません!
どうか急いでください。(“Mail Bag” 1988, 26)
手紙に表れる「宮本作品のカギ」
この手紙(およびその他多くの手紙)に、宮本作品のカギが見てとれる。本書でも後に詳しく語るが、そのカギとは協力(コラボレーション)だ。
『マリオ』では、アーケードゲームのようなマルチプレイヤーモードを通じて協力プレイができた。
しかし、『ゼルダ』はシングルプレイヤーゲームであり、プレイヤーは孤独にならざるをえない。
だが宮本は、人々が職場に行き、ゲームについて話し、ヒントを伝え合い、ゲーム体験をめぐるコミュニケーションを介してコミュニティが生まれていってほしいと語っている。
この手紙は、配偶者がゲームについて語っている証であるだけでなく、人々がより広いコミュニティに助けを求めていることの表われでもある。
このゲームは、人の助けなしにはクリアが難しいゲームなのだ。
“最初期のオープンワールド”『スーパーマリオ64』で任天堂・宮本茂が仕組んだ「カメラマン・ジュゲム」の秘密 へ続く
“最初期のオープンワールド”『スーパーマリオ64』で任天堂・宮本茂が仕組んだ「カメラマン・ジュゲム」の秘密
〈任天堂・宮本茂が『ゼルダの伝説』を着想した秘密は「幼少期の洞窟探検」にあった? 発売後には「緊急SOSの手紙」も〉 から続く
任天堂で『ドンキーコング』、『マリオブラザーズ』、『ゼルダの伝説』など、数々の人気シリーズを生み出したゲームデザイナーの宮本茂。
“現代ビデオゲームの父”とも言われる宮本の経歴や実績をイリノイ工科大学教授のジェニファー・デウィンター氏が分析した『 ゲームクリエイター 宮本茂 』(DU BOOKS)より、一部抜粋して紹介する。(全3回の2回目/続きを読む)
64で最も売れた『スーパーマリオ64』は累計1191万本
NINTENDO 64により、任天堂は2D中心のゲーム開発から本格的に3Dゲームの開発へと移行した。
このハードの発売に合わせ、宮本は『スーパーマリオ64』を生み出した。このゲームは現在でもNINTENDO 64で最も売れたソフトとなっている(累計1191万本[VG Chartz, “Super Mario 64” 2014])。
さらにその2年後には、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』もリリースした。
この3Dゼルダは今でも優れたゲームのリストに名を連ねるような作品で、ゲーム雑誌「Edge」は、「『オカリナ』は今では最も美しいわけでも、最も規模が大きいわけでもないかもしれないが、それでも史上最高の傑作である」と振り返っている(2014)。
どちらのゲームも空間のなかでさまざまな物語が生まれていくものだが、これまでと違うのは空間の使われ方で、3Dの奥行きある空間となったことで異なるタイプのインタラクションが実現されている。
また、そうしたインタラクションは、新しく設計されたコントローラーを使うことで可能になる。
「『オカリナ』は、ただマシンで動くだけでなく、そのマシンに特化したデザインをする模範のような作品だ」(「Edge」)。
このように、これらのゲームは30年近く前にデザインされたにもかかわらず、3D環境におけるゲームづくりの模範を示した作品と言える。
コントローラーデザインは『マリオ64』のため?
よく、宮本がNINTENDO 64のコントローラーをデザインしたのは『スーパーマリオ64』に活かすためだと言われるが、『スーパーマリオ64』をプレイしたことのある人は、確かにそうかもしれないと感じることだろう。
図1にある右の黄色い4つのボタンでは、カメラアングルを切り換えることができる。
アナログスティック(3Dスティック)は倒す量によってマリオのスピードが変わり、倒し方によってそろりそろりと歩いたり、普通に歩いたり、走ったりする。
さらに、ユーザーはコントローラーの設定を自分なりに変更できた。ボタン割り当てを替えることもできるし(ハードウェアのカスタマイズ)、それまでのようにコントローラーを横向きに持ったり、逆さまに持ったりすることもできる(使い方のカスタマイズ)。
しかし、当時ニンテンドー・オブ・アメリカに在籍していたジム・メリックが語るように、宮本はひとつのゲームのためだけにコントローラーをデザインしたわけではない。
アナログスティックと3Dでの操作が新しい可能性を
「宮本さんがアナログ操作を望んだのは、『スーパーマリオ64』をどのようなものにすべきかビジョンがあったからですが、コントローラー自体は特定のひとつのゲームのためにデザインされたものではありません」(2000)。
むしろ宮本がコントローラーを設計したのは、アナログスティックと3Dでの操作が、ゲーム体験にさまざまな新しい可能性をもたらせるというビジョンを持っていたからだ。
『スーパーマリオRPG』で3Dを実験していた
『スーパーマリオ64』について特筆すべきは、その面白さだ。
過去の『マリオ』作品から多くの要素を引き継ぎつつ、そこに『スーパーマリオブラザーズ3』や『星のカービィ 夢の泉の物語』のような空中移動のチャレンジも加えられている。
しかし、このゲームの面白さの大部分は、視点の切り替えが可能になったことに起因する。これにより、新しい世界の見方が提供されているのだ。
ジェフ・ライアンは『ニンテンドー・イン・アメリカ 世界を制した驚異の創造力』(2011)のなかで、宮本は『スーパーマリオRPG』(任天堂 1996)で3Dを実験したと指摘している。
しかし『スーパーマリオRPG』ではクォータービュー〔3Dのオブジェクトを2D平面の斜め上から見下ろす視点〕方式が採用されていた一方で、N64では、カメラアングルが自由に切り換えられる想定となっていた(その想定は、コントローラーを新しくデザインすることによって実現された)。
宮本は、新しいハードウェアによって新たなゲーム体験を生み出す可能性が広がったときに、ふたたびゲーム開発に戻るとも語っている(“Nintendo Power Source”2000)。
その発言に沿うように、宮本は新しい技術によって新しいゲームづくりの選択肢が生まれてくるまで、『スターフォックス』(任天堂 1993)の新作に取り組もうとしなかった。
「ゲームというより、ハイラルという箱庭をつくっている」
ちなみに、宮本が新しいゲームづくりを完全なものにするために3D空間を求めるようになったのは、『スターフォックス』がきっかけだった。
そして『スターフォックス』に取り組んでいたときに、宮本はマリオの3Dゲームという着想を得たのだった。
「僕はずっと、ミニチュア鉄道がやっているように、世界全体をミニチュアで再現するゲームをつくりたいと思っていたんです」(“The Game Guys” 1996, 24)。
興味深いことに、この「ミニチュア」というアイデアは、この時期の宮本のデザインに対する考え方に浸透している。
3年後、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』について触れながら、宮本は「ゲームをつくるというよりは、ハイラルという箱庭をつくっている感じです」と語っている。(“Interview: Nintendo Online Magazine” vol.3 1998年11月号)。
マリオの話に戻ると、宮本は『スーパーマリオ64』を完成させろと非常に大きなプレッシャーを受けていた。しかし、まだ何かが足りないと感じ続けていた宮本は、発売を1995年から1996年に延期した。
『スターフォックス64』を映画のように考えた
宮本とチームが直面していた難題は、2Dの横スクロールゲームを3D環境に変換することだった。
敵がうろつき、マリオが走り、ジャンプし、物を集めたりすることに変わりはないが、それをZ軸(奥行き)を用いた3Dにしなければならない。
「いちばん難しかったのは、バーチャルな3Dの世界をつくることでした」と宮本は言う。
「プレイヤーがフラストレーションを感じないベストな3Dアングルにするのが難しいんです。ゲームはプレイしていて楽しいものじゃなくちゃいけません」(Mielke 1998)。
この問題に対処するべく、宮本は映画に目を向けた。それまで宮本は、自分はゲーム機で映画をつくっているのではない、と力を込めて主張してきた。映画は受動的で、ゲームは能動的だと考えていたからだ。
しかし彼は、カメラアングルや進行に合わせたリアルタイムの会話など、ゲームデザイナーも映画の優れたアイデアを活用できるとも語っており(“Mr. Miyamoto on Star Fox”1997, 118)、『スターフォックス64』(任天堂1997)をインタラクティブな映画のように考えていたという。
「3Dゲームに取り組むようになってからは、カメラアングルや位置や動きを具体的に指定するようになりました」(Nintendo Power 1997)と宮本は語る。
『マリオ64』で「カメラマン・ジュゲム」を配置
そして彼は『スーパーマリオ64』において、視点の問題を見事にクリアした。
2種類のカメラを用いることにしたのだ。
ひとつは自動制御で「おすすめの視点」を提供するもの(敵やチャレンジが近づくと、ゲームが自動でこの視点に切り替える場合もある)。そしてもうひとつはプレイヤーがコントロールできる視点で、誰もが「映画監督」になれるもの。
加えて、宮本はジュゲムというキャラクターの形でゲーム内にカメラマンを配置した。
雲に乗ったジュゲムは、これまでの作品ではマリオやルイージにトゲのついたカメを投げつけてきたが、本作ではマリオについてまわり、進行を記録する(図2)。
ジュゲムが『マリオ』シリーズでカメラマンを務める期間は長くなく(本作以外では、『マリオ&ルイージRPG2』と『ペーパーマリオRPG』の2作のみ)、この配置がゲーム史に大きな影響を与えたというわけではない(たとえば『グランド・セフト・オート・サンアンドレアス』[ロックスター・ゲームス2004]では、主人公カール・ジョンソンを追いかける撮影隊は存在しない)。
ジュゲムがカメラマンを務めた2つの理由
しかし、こうしてキャラクターがカメラマンを務めることは、プレイヤーがゲーム内でのカメラの視点について簡単に理解することに役立っている。
NINTENDO 64(以降N64)の発売と、複雑さを増したコントローラーの導入に際し、宮本と任天堂のチームはふたつのことを達成する必要があった。
(1)楽しく没入感のあるプレイ体験にするために、この空間をどのように動き回ればいいかをプレイヤーに教えること、(2)N64というプラットフォームで何ができるのかを他のゲーム開発会社に教えることだ。
『スーパーマリオ64』ほどN64のコントローラーをうまく活用できたゲームは他になく、N64と同時に発売された『スーパーマリオ64』は、3Dビデオゲームという新しい市場が発展していく道筋をつくった。
この作品のゲーム体験という点に関しては、『マリオ』シリーズの成功を土台としながら、『ゼルダの伝説』におけるデザイン戦略が引き継がれている。
最初期のオープンワールドゲームのひとつに
ジェフ・ライアンによると、「『スーパーマリオ64』は、最初期のオープンワールドゲームのひとつになった。
時間制限もなく、手ごわい敵もいないが、オプションのサイドクエストがたくさんあって、最短ルートでエンディングを目指すか、あるいはひたすら仮想世界で遊び回るか、プレイヤーは選べる」(『ニンテンドー・イン・アメリカ』220)。
とはいえ、物語も存在しており、ゲームに目標を与えてくれる。
クッパがキノコ城を乗っ取り、ピーチ姫を絵のなかに閉じ込める。ケーキをつくって待っていると招待されていたマリオは、城に着いて初めて事態を知る。マリオはさまざまな絵画の世界に入り、城を守っていたパワースターを奪還していく。
そして最終的に、ステンドグラスのなかに閉じ込められていたピーチ姫を解放する。それからピーチ姫は、マリオのためにケーキを焼いてくれる。
『時のオカリナ』に続く「体験型ゲーム」へのシフト
直線的にゴールを目指すのではなく探検的な要素が入っているところに、『ゼルダ』シリーズの影響がうかがえる。
マリオはゲーム空間内を動き回り、あちこち探検して回る必要がある。コースごとに7つのスターを集めていかねばならないが、そのためには所定のタスクを所定の順序でこなさねばならない。
しかし、それまでの『ゼルダ』とは異なり、このマリオではさまざまな場所に戻ってただ遊ぶことができる。
「遊び場」という宮本のゲームデザイン上の目標を、より完全に実現したのが『スーパーマリオ64』であり、プレイヤーにはジャンプしたり、二段ジャンプをしたり、走ったり、忍び寄ったり、飛んだりできる場所が提供されている。
物語は緩やかに存在する程度であり、ここに宮本の体験型ゲームへのシフトの始まりを見ることができる。
物語性を捨て、現実の模倣や、ゲーム体験、そして人と楽しみを共有することを追求するゲームだ。しかし、このシフトが明確になったのは、のちに発売して大きな賞賛を受ける『ゼルダの伝説 時のオカリナ』でのことだった。
「憎しみも、ひどい苛めもない」スマブラを“相撲の押し合い”と表現した任天堂・宮本茂が重視する「ゲームデザインの哲学」 へ続く