「炎舞炊きが25台もフル回転」「安くはないけど本当においしい」 象印マホービンが運営する「米が美味すぎる食堂」が大反響のワケ
ライター・編集者の笹間聖子さんが、誰もが知る外食チェーンの動向や新メニューの裏側を探る連載。第13回は、家電メーカーの象印マホービンが手掛ける食堂に連日行列ができる謎に迫ります。
■お代わりが止まらない謎の食堂
「え? 4杯目?」
隣の50代、もしかしたら60代に達しているマダムがお代わりに立つ姿を見て、思わず声が出てしまった。彼女だけではない。向かいの40代くらいの女性も、奥の30代らしき男性も、何度もお代わりに立っている。
ここは大阪・なんばの和食店。「おいしいごはんを食べに連れてったる」と友人に誘われてきたが、まさか「白飯がおいしい」店のことだとは思わなかった。
と、言っている私もすでに3杯目だ。真っ白で粒が大きく、つやがある銀シャリ。もっちりと粘りがあり、噛むと甘みがぶわっと広がる味わいが最高で、すぐ茶碗が空になる。
このごはん、タダモノではない! そう感じて店の運営元を確認すると、なんと、象印マホービン(以下、象印)だった。
家電メーカーが、なぜ飲食店を手掛けるのか。飲食事業の責任者である、経営企画部 事業推進グループ長の北村充子さんに聞いた。
■家電メーカーが挑んだ「体験価値創造」マーケティング
「感動」を体験させるセールスプロモーション
象印が経営する「象印食堂 大阪本店」は、大阪メトロなんば駅から徒歩5分、複合商業ビル6階にある。通りすがりで目に入る路面店ではないが、2018年のオープン以来、コロナ禍をのぞいてずっと“行列の店”だ。
2023年、JR東京駅から徒歩1分の商業施設「KITTE丸の内」5階にオープンした2号店も同様で、連日1時間以上の待ち列ができている。
客の中心は、生活に余裕があって食への意識が高い40、50代の女性だ。休日はファミリー、夜は仕事帰りのビジネスマンが「きちんとしたごはんを食べたい」と訪れることも多い。
彼・彼女たちの目当ては、ごはん。それも、象印が手掛ける炊飯器の最上位モデル「炎舞炊き」で炊いたごはんである。3種類を常備しており、すべて食べ放題となっている。
「『炎舞炊きのごはんが食べたい』『象印の最高機種の炊飯器のごはんがいかほどのものか知りたい』『もしおいしかったら家でも炎舞炊きを買いたい』などの目的で訪れる人が多いですね」(北村さん、以下「」内はすべて)
つまり、この店は「炎舞炊き」の価値を体験で伝えるセールスプロモーションの場なのだ。家電量販店の店頭説明やカタログでは、「ごはんの味の違い」はなかなか伝わらない。だが食堂なら、実際に食べてもらえる。
そして、「おいしい」と感じたとき、客の意識は、はじめて製品の機能や価値に向く。機能を説明するのではなく、“感動を体験させる”こと。それが象印の狙いだった。
■25台の炊飯器が毎日フル回転!
店の中を紹介していこう。
店内には、入り口のレジコーナー奥、「店のどこからでも見える場所」に、「炎舞炊き」が25台も並んでいる。
一見展示場のようでもあるが、それがこの店の意気込みを表している。感動を伝えるために最も重要なのは、「炎舞炊きで炊いた、本当においしいごはんを提供すること」だからだ。
象印食堂が、ごはんにかける手間は半端ない。
「炊飯器1台1台、米と水の量を、グラム単位で正確に測って炊いています。空になったら、釜も蓋も全部洗って手入れし、初期状態に戻してまた炊きます。毎日25台がフル回転していて、米の量で言えば、約40キロを消費しています」
炊飯器は一升炊きのサイズだが、一度にあえて5、6合しか炊かない。常に炊きたてのごはんを提供するため、わざと減らしているのだ。一升の釜は大きく、相当な手間であろうことは想像に難くない。実際、筋肉痛になるスタッフも多いのだとか。
ではなぜ、「炎舞炊き」で炊くごはんはそこまでおいしいのだろう。
ポイントは、「IHヒーター」で局所的に加熱し、温度差を生み出すことで、米と水に複雑な対流が生まれることにある。対流に乗って米が「舞う」ことで、表面のでんぷんの糖化が進み、甘みの強いごはんが炊き上がる。
象印では、この「甘みがどれだけ強いか」を「おいしさの指標」の1つとしている。現在の「IHヒーター」の仕組みが生まれるまで、開発陣は途方もない努力を重ねたそうだ。
「私も元々は開発畑で、炎舞炊きチームの血の滲むような試行錯誤をずっと見てきました。だからこそ、人件費も手間もかかりますが、妥協できません。味がぶれてはいけないんです」
そのごはんを、象印食堂では常時3種類、食べ放題で味わうことができる。目的は「食べ比べをしてもらうこと」だ。
食べ比べをすると人は、「こっちよりもあっちがおいしい」と、自分好みの味を発見しやすくなる。もしも用意された3種類のごはんがドンピシャの好みでなくても、「もっと硬めが好き」など、ごはんへの趣向が見えてくるのだ。そこから、好みに合わせて121通りもの炊き方ができる「炎舞炊き」の購入につなげることが狙いである。
ごはん3種類の内訳は、まず、象印が一番おいしいと考える、「粘り」と「かたさ」のバランスを実現した「ふつう」。月替りで炊き上がりの食感を変える、「しゃっきり/もちもち」、そして、同じく月替りで玄米や雑穀米を混ぜた「健康応援米」だ。
■「取扱説明書通り」に炊くことの重要性
使う米にも並々ならぬこだわりがある。品種は、お米に対する専門知識がある人にのみに与えられる最上位資格「五ツ星お米マイスター」を持つ金子真人さんが選定した「さがびより」と「つや姫」のブレンド米だ。
甘みや旨みはもちろん、炎舞炊きで米が舞っても崩れにくいことも条件だった。
決して安い米ではない。昨今、米の価格は高騰しているが、「品質は下げない」と北村さんは断言する。仕入れも、品質を担保するために、金子さんから直接購入している。
この厳選された米を、どのように炊くのか。「なるべく炊きたてで提供するため、一升の炊飯器だが5、6合炊く」「釜と蓋を洗って初期状態にする」などは聞いたが、ほかにも特別なコツがあるのでは? そう思って尋ねると、「水と米の量をきちんと測って入れて、あとは取り扱い説明書どおりにボタンを押すだけ」と、ちょっと拍子抜けする答えが返ってきた。
しかし、それこそが重要なのだ。
「勝手に違う炊き方をされて、あのおいしいごはんが違う味になってしまうことだけは嫌なんです。説明書にある使い方は、開発者が何度も試行錯誤した結果。だからこそ、それを守り通し、自信を持ってお届けできています」
説明書通りの炊き方を守るため、北村さんは頻繁に抜き打ちチェックもしている。仕事に慣れたスタッフが手を抜いたり、自分たちの感性で細かい変更をしていないかを確認しているのだ。
■ごはんが引き立つおかず選びも
メニューづくりも、ごはんを主役に設計されている。提供するのは、昼は「象印御膳」と名付けられた定食3種類と、事前予約が必要な「御膳」が2種類。夜は「御膳」が6種類と「会席」が2種類だ。
内容は、基本は味噌汁と、主菜、小鉢におかずが3〜7品、漬物や明太子など「ごはんのお供」が3品。味付けの基準はすべて、「ごはんが引き立つかどうか」だ。旬の野菜たっぷりで、見た目も彩り鮮やかな構成である。
<象印御膳(鯛茶漬け付) 2100円の一例>
主菜:薬味づくしの冷しゃぶサラダ特製豆乳ごまだれで or 鶏肉の塩麹唐揚げしそジェノベーゼソースで
真鯛の薄造り、鯛出汁
おかず豆皿3種:紫キャベツとコーンのマリネ、マンゴーと枝豆の豆乳寒天、鶏そぼろと春雨のカレー風味
ごはんのお供:炙り明太子、海苔の佃煮わさび風味ときゅうりのお漬物、梅干しのオリーブオイル漬け
炎舞炊きごはん(3種、お代わりし放題)
オクラとわかめのお味噌汁
価格は、大阪本店で昼2100〜4200円、夜2800〜6000円程度(税込、以下すべて)。客からは、「安くはないけど本当においしい」と喜ばれている。
■セールスプロモーションから始まった食堂
そもそも、象印が飲食店をオープンするきっかけとなったのは、炊飯器のセールスプロモーションだった。2016年に東京・表参道で、炊飯器のPR活動として簡易食堂をオープンしたのだ。
10日間、ごはんに合う和風おかずとけんちん汁、当時の最上位機種『極め羽釜』で炊いたごはんを提供したという。すると、価格が1000円と手頃なこともあって、用意していた100食が毎日完売した。
好評を受けて、2017年にも同じ表参道と、今度は大阪・梅田でも簡易食堂を10日間オープン。その際は、ごはんを「ふつう」「しゃっきり」「玄米」の3種類から選べる形にした。このときも、東京は1日150食、大阪は1日100食が完売。さらに、客から「こんなにおいしいんだから、常設店をつくってほしい」というラブコールをたくさん受けたそうだ。
他方、偶然の出会いもあった。現在の大阪店が入る「なんばスカイオ」のオーナーである南海電鉄の社員が食べにきて、「健康に寄与する和食テナント」として誘いを受けたのだ。
客からの要望と、南海電鉄からの誘い。その両方が追い風となって、象印は食堂づくりへのチャレンジを決めた。
最初の試みから10年近く経った2025年、象印食堂の月商は、大阪本店61席で約1500万円、東京店50席で約1900万円。11:00〜15:00、17:00〜21:00の8時間営業で回転数はそれぞれ4前後、平均客単価は2600円。飲食事業の売上高は、象印全体のわずか0.7%だ。
しかし、この「小さな投資」が生み出すマーケティング効果は計り知れない。
象印食堂では現在、使用している「炎舞炊き」のNW-FA型から、最新機種NX-AA型への変更を準備中だ。食堂用に特別改良し、25台の炊飯器の状態をタブレットで一元管理できるようプログラミングしている。
実現すれば、遠方からでも炊飯器の状態が分かり、ごはんにかける手間暇が少しは軽減される。そう期待して、改良を終えた最新機種の到来を待ちわびている。
■「家電メーカーの食堂」だから成功できたワケ
それにしても、店内に炊飯器を25台並べたり、「説明書通りに炊く」など、象印食堂の姿勢は、従来の飲食店とは大きく異なっている。正直に北村さんに伝えたところ、「象印食堂の成功は、ごはんのおいしさだけでなく、その『家電メーカーならではの姿勢』にあるかもしれません」と気になる返答が戻ってきた。
一体どういうことなのか。後編ー「ランチ1人2100円〜」でも大盛況! 象印マホービンが運営する「米が美味すぎる食堂」。連日満席を実現した4つの仕組み化―では、家電メーカー象印が挑戦した、飲食業の改革を紹介する。
「ランチ1人2100円~」でも大盛況!象印マホービンが運営する「米が美味すぎる食堂」。連日満席を実現した4つの仕組み化
前編で紹介したように、象印マホービン(以下、象印)は“感動を体験させる”食堂をつくることで、SNSでの話題化や検索導線を自然発生させてきた。「炎舞炊き」を知らずに来店した人が、帰宅後に製品を検索し、購入に至ったという声も聞かれる。
象印食堂は、単に「食事を売る場」ではなく、「ブランドと出会う場」と定義してもいいだろう。
この“体験型マーケティング”のモデルは、いかにして成功へと結びついたのか。鍵を握るのは、象印が貫いてきた「開発者視点」だった。
コロナ禍という危機が改革のチャンスに
家電メーカーの象印が、自社開発の炊飯器「炎舞炊き」の魅力を伝える食堂を2018年にオープンしてから7年。象印食堂は、大阪本店で約1500万円、東京で約1900万円の月商を上げるまでに成長した。
しかしもちろん、最初から順調だったわけではない。
「全くの専門外ですし、私自身、飲食業のアルバイトすらしたことがなかったんです。正直最初は、なぜ私が? と。基本が全く分からず、SNSに厳しいコメントを書き込まれることがよくありました」
そう語るのは、飲食事業の責任者に抜擢された、経営企画部 事業推進グループ長の北村充子さんだ。
マイナスのコメントを目にするたびに、「全部改善したい」と思っていたという。なぜか。食堂の担当になる前の北村さんは、機種を追うごとに機能を更新する開発畑にいたからだ。
「お客様からの不満の声は日常的にあるもの。それに応えて改善することは当たり前」という環境だった。だがオープン当初は連日行列で、立ち止まる余裕はなかった。
ごはんにもこだわり続けた
ごはんの提供方法にも課題感があった。店舗運営は、サントリー系列のダイナックという企業に委託している。しかし、ダイナックが経営する業態は接待需要の店が中心で、「ごはんに特化した業態」は手掛けた経験がなかった。そのため、「ごはんの魅力を伝える」という観点では、象印目線では必ずしも十分ではなかったのだ。
こだわり抜いて、毎日3種類炊き上げるごはんの盛り付けも、「食べ放題なのだし、大盛りならば、お客様もうれしいはずだ」といった形だったそうだ。
現状のオペレーションでは、本当にごはんのおいしさを伝えているとは言えないのでは――。
疑問を抱えながらも眼の前の仕事に追われていた2020年、新型コロナウイルスの影響で客足が途絶える。緊急事態宣言の発令で臨時休業も余儀なくされ、一気に赤字経営に転落したが、時間ができた。
北村さんがそのときからスタートした、課題解決のための「仕組み化」による改革が、後に食堂を成功に導くことになる。
詳細は後ほど解説するが、その前に1つ、筆者は気になることがあった。なぜ象印はコロナ禍、赤字になった飲食業を畳もうとしなかったのだろうか。
1つは、これまでも説明してきた通り、「飲食事業単体で黒字を出すというより、炊飯器の体験をしてもらうセールスプロモーションの場だった」からだ。また、経営企画部の役員が、経営会議のたびに矢面に立ち、飲食事業でのPRの価値を伝えてくれていたのも大きかったという。
さらには、本業の家電事業がコロナ禍、「巣ごもり需要」の影響で、壊滅的な打撃を受けなかったことも大きい。家時間を充実させるホットプレートや加湿器などの売り上げが伸びたのだ。
2018年からの業績推移を見ると、売上高は2018年から2020年まで減収が続いているが、2021年から回復。2024年には872億円となり、2025年は900億円を予想している。一方、営業利益は売上高に比べて変動が大きく、2022年に46.6億円まで落ち込んだものの、2023年から明確な回復基調に転じている。
ごはんの魅力を伝えるための「4つの仕組み化」改革
コロナ禍から北村さんがはじめた「仕組み化」による改革は、大きく4つある。順番に見ていこう。
【仕組み①】“食べ比べ”を推進する盛り方の設計
まずは、ごはんの盛り方だ。象印食堂は、「ごはん食べ放題」の店のため、スタッフはごはんを大盛りにする傾向があった。しかし、最初からお茶碗いっぱいにごはんをよそってしまうと、お腹がいっぱいになり、せっかく用意している3種類ごはんの「食べ比べ」がしづらくなる。前編でも紹介した通り、食べ比べることで客は「自分好みのごはん」を発見しやすくなる。合計121通りもの炊き方ができる「炎舞炊き」の購入につなげる導線の1つとなっているのだ。
客側からも、「いろんな種類を試したいのに、お腹いっぱいになってしまって試せない」「もっと少なくしてほしい」という意見が聞こえていた。そこで、ごはんは普通のお茶碗の半分の量を盛るスタイルをデフォルトに決めた。一方で、「ただよそうだけ」ではなく、「おいしそうに盛る」ことにもこだわり、従業員みんなで「80グラムをふんわりおいしそうに盛り付ける」研修も行った。
【仕組み②】接客と厨房をつなぐ“司令塔”の動線改革
スタッフが無駄なくスムーズに動けるよう、動線も改善。それに伴い「司令塔」ポジションも誕生した。
象印食堂はオープン当初から、「店に入らなくても、通路から炊飯器が並んでいるのが見える」のが家具配置の鉄則となっている。ただ、キッチンは店の奥にあり、この炊飯器の場所とは離れている。そこで、炊飯器をできるだけキッチンと近づけつつ、店内、客席全体が見える位置に配置した。
その近くに「ごはん担当者」が立ち、客にごはんをよそい、手渡す。なおかつ、ごはんの量や炊き上がり、「釜が空になった」などの状況をホールメンバーやキッチンスタッフに素早く連携できる形にしたのだ。ごはん担当者は、野球で言えばキャッチャーのような、司令塔の役割を果たしている。
事故の再発を防ぐ、環境からの改善
家具も変更した。あるとき、スタッフが客に味噌汁をかけてしまうという事件が起きたことがきっかけだ。
そのスタッフは、「次から気をつけます。すみません」と謝罪したが、北村さんはそこでおしまいにしなかった。質問を重ねて、「何がどうなってかけてしまったのか」を詳しく聞いた。すると、「制服が七分袖で、その袖口に椅子の背もたれの角が入って引っかかってしまった」と言ったという。
聞いてすぐは、「そんなことってあるもの?」と訝しく思い、他のスタッフにも尋ねたそうだ。すると、他のスタッフも袖に入った経験があることが分かった。ただ、それを「危険」とは認識せず、自分が悪いと思い込んでいたのだ。
「一度起こってしまったトラブルは、もう一回起こる可能性があります。再発防止には、個人の『注意します』『がんばります』に委ねるのではなく、環境の変更やシステム化で取り除かなければいけないと思っています」
【仕組み③】ロスを防ぎ、原価と人件費を最適化する仕掛け
米の価格変動に伴って、品種や品質を落とさないでもいいよう、原価率の改善にも着手した。象印食堂の原価率は28~29%。そう定めたうえで、「季節ごとに象印が決めるコンセプト」に基づくメニューをコンペ形式で提案してもらうことで、原価率を一定でコントロールできる体制を構築したのだ。
メニュー提案をするのは各店の料理長だ。最初は慣れなかったが、今は自分のメニューが採用される喜びが、モチベーションにつながっている。
「完成度の高いメニューが提案されたときは、食いしん坊揃いの象印チームがかなりのリアクションで喜びます。それもモチベーションになっているかもしれません」
同じ方式で、どうしても余ってしまうごはんのアップサイクルの取り組みも行っている。「おこげにして、翌日の料理の一品にする」「麹をつけて、甘酒を作る」などのアイデアが採用され、フードロス削減に役立っている。
ちなみに、家電製品をつくるうえでは、ロスが発生することは滅多にないそうだ。そのため、「日々余った米を無駄にせず、利用してなにかできないか」と頭をひねった結果だった。
家電メーカーの知見が生きたところは他にも…
また、人件費率も目標を決めて、なるべく上回らない仕組みも作った。毎週店長が人件費のデータを提出。目標を上回ったり、下回ったときは原因も添えてもらい、改善のためのディスカッションをしているという。
ただし、闇雲に「原価率や人件費率を下げる」ことを良しとはしていない。それは象印食堂の「FLコスト」(売り上げに対して、食材原価と人件費がどれだけかかっているかを示す数値)にも表れている。55~60%が平均と言われる中、60%とごくごく平均的な水準なのだ。米の品質と米を炊く手間を考えると、そこが限界だという。
「仕組み化の工夫で乗り切れないときは、品質の高い食事やサービスに対しての対価として、料金をありがたくいただく精神で経営しています。原料の値上げがあれば、世間の値上げに合わせて、適切な値上げを行っています」
あくまでも一番の目的は儲けることではなく、「炎舞炊き」のごはんのおいしさに感動してもらい、購入動機をつくることだからだ。
【仕組み④】スタッフが自らを育てる「象印食堂ごはんマイスター制度」
2024年からは、サービスレベルが自然に向上する仕組みも構築した。取り入れたのは、「象印食堂ごはんマイスター制度」という階級システムだ。象印食堂では、ごはんや炊飯器について客から質問されることがよくある。しかし、委託先のダイナックのスタッフやアルバイトは答えられないこともあった。
「お客様には、象印の人かそうでないかは分かりません。『なぜ象印の人なのにごはんのことが分からないのか』と感じられてしまうのを避けたい。ごはんについての知識と、普通の飲食店とは違うという意識を持ってもらいたいという思いがありました」
そこで、「自ら学びたいと思えるやり方がないか」と考えたのが「象印食堂ごはんマイスター制度」である。3段階の階級があり、テストに合格すれば胸に「象さんバッジ」を付けることができる。
テストは、ごはん、お米、炎舞炊きについての問題を北村さんが、接客についての問題を東京店の店長が作成した。受験資格は、短期間でなく長く勤務していることだ。各店の店長が「この子は試験を受けさせても大丈夫」という時期を見計らって声をかけている。合格すれば、給料もあがる。
まだ仕組み化して1年だが、バッジを付けている人に憧れ、「自分も取りたい」と感じることで、自発的な学習意欲が育まれている。
3段階目のテストには、「バッジを取れていない人を育てているか」も問題に入っているため、後進の育成にも真剣に取り組んでいるそうだ。テスト自体はまだ2段階目までしか行われておらず、3段階目は2025年の秋から実施予定だ。
これら4つの「仕組み化」による改革の根底にはすべて、「お客様の声」がある。
「本当に1つひとつ、SNSの口コミもしらみつぶしに全部見て、細かな不満の声も良い声に変えることにこだわってきました。そのためには、従業員ががんばらなくても自然に解決できる仕組みをつくろうというスタンスでした」
些細なミスも許されない「家電製品の開発者」ならではのロジカルな発想と、細部まで物事を追求する姿勢が、さまざまな課題を解決に導いたのだ。
「冷めてもおいしい」を実現した弁当とおにぎり戦略
コロナ禍をきっかけにさまざまな改革を進めた象印食堂。巣ごもり需要を受けて、2021年には「冷めてもおいしい弁当」をテーマに、『象印銀白弁当』を新大阪駅にオープン。2022年には、大阪・梅田におにぎりに特化した『象印銀白おにぎり』を開店した。
おにぎりに使うごはんにはやはりこだわっており、炊飯器の「炊き方」メニューを開発していた男性が担当。「炎舞炊き」に内蔵された121通りの炊き方から、「炎舞炊きの特徴である粘りがありつつも、ふんわりほぐれる」炊き具合を試行錯誤してみつけた。普通の炊飯器では実現が難しい、「炎舞炊き」ならではの炊き上がりだそうだ。
おにぎりを握るための専用の型も用意され、そこに何グラムのごはんを入れて、「米と米の隙間がどれくらい空くか」までが緻密に設計されている。
象印銀白弁当、象印銀白おにぎり共に好調で、象印銀白弁当は月1万2000~1万3000個が売れている。月商は約1000万円だ。 象印銀白おにぎりでは月500~700個のおにぎりが売れており、月商は約600万~700万円を上げている。
さらに、2025年3月からは大阪・関西万博にも、おにぎり専門店出店。おにぎり製造ロボットを導入した「未来仕様」で、日本と世界、さまざまな地域の食材や料理を使ったおにぎりを提案している。
セールスプロモーションから「全国ブランド」へ
象印の飲食事業全体の売上高は2024年、年間約6億円まで成長した。グループ全体の売上高は872億円。飲食事業が占める割合はその約0.7%だ。そう聞くと小さく見えるが、「セールスプロモーションとしては、想定以上の成果をあげている実感がある」と北村さん。
今後については、「お店をじゃんじゃん増やすと質が保たれない」と慎重だ。「誰もが知っている象印食堂」を目指して、質を担保する環境を整えつつ、ゆっくりと拡大へ向けて動き出している。
先陣を切るのは「象印銀白おにぎり 京橋店」で、2025年9月、大阪・京橋にある複合商業施設「コムズガーデン」にイートインもできるスタイルでオープン予定。「炎舞炊き」ごはんのおにぎりと、そこにだし巻き、豚汁を合わせるシンプルな定食をメインメニューとする計画だ。
その次の店ははっきりとは決まっていないが、西日本で食堂出店を考えているそうだ。
理念がすべての出発点。象印の「暮らしをつくる力」
1918年から100年以上の歴史を紡いで来た象印。企業理念は、「暮らしをつくる」だ。社名の通り、マホービンの製造にはじまったメーカーだが、先進的な技術を搭載することよりも、「お客様の不満を解決したい」「こうしたらもっと使いやすいのではないか」と顧客目線にフォーカスして、今日まで商品開発を続けてきた。
象印食堂の成功の背景には、この姿勢があるのではないだろうか。客の意見や要望に「必ず対応したい」と、1つひとつ丁寧に応えた結果、ネガティブな口コミはほとんどなくなり、「楽しかった」「おいしかった」など、ポジティブな意見が多く寄せられるようになっている。
成功は偶然ではなく、長年受け継がれた企業DNAがもたらした、必然だったのだ。