フェアレディZにGT-Rに……日産には技術が高すぎるクルマが多い件
ホンダとの経営統合が破談となり、経営の見通しが明るくない日産自動車。しかしクルマ好きとしては、こんな時だからこそ日産車を応援したい。今、改めて日産車をさまざまな角度から見て、その強みと魅力を解き明かしていこう!!
【画像ギャラリー】技術の日産は伊達じゃない!!日産が鍛え上げた技術から生み出された「日産の顔」たる名車たち(20枚)
※本稿は2025年3月のものです
文:片岡英明/写真:日産、ベストカー編集部 ほか
初出:『ベストカー』2025年4月10日号
イギリス車を手本に「技術の日産」を構築
日本は欧米より遅れてクルマづくりに目覚めた。日産自動車は、戦後間もなくイギリス車をお手本に技術を磨き、経済の発展と歩調を合わせて急成長を遂げている。
掲げたキャッチフレーズは「技術の日産」だ。経営陣とエンジニアの情熱と努力、そして創意工夫が日産を躍進に導いた。
日産は、早い時期からモータースポーツの世界に身を投じ、高度な技術力を磨いている。1957年、ダットサン1000富士号と桜号は初挑戦のオーストラリア1周ラリーで初出場ながらクラス優勝を飾った。初陣での活躍が、日産のサファリラリーや世界ラリー選手権への参戦につながっていくのである。
ラリーの日産の評判が高まるとともに技術レベルも大きな伸びを見せた。もうひとつ、技術力の高さを知らしめたのがレースだ。第1回日本グランプリからフェアレディやスカイライン(当時はプリンス自動車)が参戦し、技術を磨いた。
後に日産に吸収合併されたプリンス自動車は、わずか数年で日本初のプロトタイプカー、R380も生み出し、新技術も積極的に導入している。
プリンス吸収合併後の日産はモータースポーツを通して精緻なDOHC4バルブエンジンや独立懸架のサスペンション、ディスクブレーキなどの技術を習得し、これを量産車にフィードバックしている。
また、1970年代には2度のオイルショックと排ガス規制に見舞われたが、これを電子制御技術で上手に乗り切り、ハイテクジャパンのリーダーになった。
技術の日産から「先進技術の日産」へ
さらに日産は時代に先駆けてFF車を送り出し、ターボも投入する。
1980年代になると減衰力を可変させ、ハンドリング特性を変えるアジャスタブルショックアブソーバーを世界で初めて実用化し、R30型スカイラインに搭載した。これは現在、エンジンからステアリング、レーンコントロールまでを統合制御するドライブモードセレクターへと発展している。
HICASと名付けた4輪操舵システムを実用化し、ライバルをアッと言わせたのも日産だ。世界で初めてアクティブに後輪を操舵できるようにしている。
HICASは後輪に位相制御を加えたスーパーHICASに発展。次の世代では油圧式から電動式に進化した。
日産は4WDにも早い時期から着目し、3代目パルサーではフルタイム4WDに日本初のビスカスカップリングを採用。R32型スカイラインではマルチリンクサスペンションにHICAS、そして電子制御トルクスプリット4WDを組み合わせ、意のままの気持ちいい走りを実現する。
電動格納ドアミラーや世界初のトロイダル無段変速機、エクストロイドCVTを実用化したのも日産だ。
技術の日産から「先進技術の日産」に変貌を遂げた日産は今、苦境に立たされている。だが、これまで日産は何度も難局を乗り切り復活してきた。失速したと言われるが、今でも日産だからこその作品は多い。
その筆頭がGT-Rだ。日産の技術の象徴として18年間もリーダーとして活躍。パフォーマンスでもレースの世界でも王者に君臨し続けている。2025年夏で生産を終えるが、GT-Rの有形無形の財産は今後の日産車に大いに活かされるはずだ。
スカイラインの強み
現行型V37型スカイラインは2013年11月発表とやや古いが、2019年8月には3L、V6ツインターボエンジン搭載モデルを追加。400Rは405ps/48.4kgm、NISMOは420ps/56.1kgmを発揮。
フェアレディZの強み
1969年に初代フェアレディZが登場して以来、日産のイメージリーダーカーとしての存在感を放ち続けている。現行型は7代目で2022年に登場。3L、V6ツインターボは強烈な動力性能だ。
GT-Rは2025年夏で生産終了となる
現在のR35型日産GT-Rが登場したのは18年前の2007年。以来、毎年のように改良を重ね、たゆまぬ進化を続けてきたが、ついに2025年8月をもって生産を終了することとなった。すでに生産可能台数分の受注が入っており、今から新車を買うことはできない。日産はGT-Rを超えるクルマを送り出せるか!?