「俺の金を失ったら、お前を殺す」NVIDIAに出資した大物が放った一言

「俺の金を失ったら、お前を殺す」NVIDIAに出資した大物が放った一言

時価総額世界一を2024年6月に達成した米エヌビディア。AI(人工知能)最強企業として市場全体を左右する影響力を持つ同社は、どのようにして誕生したのだろうか。起業のアイデアが生まれたのは、創業メンバーが慣れ親しんだファミリーレストランだった。『NVIDIA(エヌビディア)大解剖』(島津翔著、日経BP)から一部を抜粋してお届けする。

 エヌビディア最高経営責任者(CEO)のジェンスン・ファン氏は、1963年2月、台湾で生まれた。1973年、両親は親類を頼ってファン氏と兄の2人を米国に送り出した。「私は9歳で、兄は11歳近くだった。そこは外国だったし、楽なことなど何もなかった。素晴らしい両親の下に生まれたが、裕福ではなかった」。ファン氏はこう振り返る。

 数年後、両親が渡米し、ファン氏は家族と共にオレゴン州に引っ越した。オレゴン州の公立高校では成績優秀で2年飛び級、16歳で卒業するとオレゴン州立大学に入学した。この頃から、コンピューターサイエンスとコンピューターゲームに関心があったという。

 高校時代に経験した最初の仕事はファミリーレストラン「デニーズ」でのアルバイトだった。初めは皿洗い、次にウエイターの補助役であるバスボーイ、最後にウエイターになった。ファン氏はいまだに、デニーズを「私のキャリアで最初の会社」と語っている。

●デニーズで議論した起業のアイデア

 1984年にオレゴン州立大学を卒業後、ファン氏はシリコンバレーに移り住み、米半導体メーカーのアドバンスト・マイクロ・デバイセズ(AMD)に入社する。AMDでマイクロプロセッサー(コンピューターの演算装置などを1枚の半導体チップに集積したもの。現在のCPU=中央演算処理装置とほぼ同義)の設計者として働きながら、夜は米スタンフォード大学の博士課程に通った。

 ファン氏は、1985年に米LSIロジック(2014年に現在の米ブロードコムが買収)に転職。同社は急激に成長し、ファン氏が入社する2年前に新規株式公開した気鋭の半導体メーカーだった。特に特定の用途に合わせて設計・製造する半導体集積回路であるASICのパイオニアであり、その特定用途のカスタムチップを他社に供給していた。

 LSIロジックの最大の顧客は、米サン・マイクロシステムズ(米オラクルが2010年に買収)だった。ファン氏はLSIロジックの担当者としてサンのカスタムチップ開発に従事した。ほぼサンに常駐する形だったようだ。一方、サン側の当時の担当者が、後にエヌビディアを共同で創業するクリス・マラコウスキー氏とカーティス・プリーム氏だった。ビジネスで知り合った彼ら3人は意気投合し、仕事仲間を通り越して友人になっていく。

 間もなくして2人はファン氏に「LSIロジックを辞めて3人で会社を作らないか」と声をかける。ファン氏は後にこう振り返っている。「仕事には満足していたし、幸せだった。だから言ったんだ。『デニーズで会おう』って」。慣れ親しんだレストランは、まとまった時間議論するのに打って付けだった

シリコンバレーの中心であるサンノゼ市の北西部、幹線道路が交わるジャンクションのすぐ脇に、エヌビディア「創業の地」であるファミリーレストラン「デニーズ」がある。3人は「おかわり自由」のホットコーヒーを頼んで、時には数時間、事業内容について議論した。PC革命によって個人が利用できるコンピューター市場が急速に伸びることは目に見えていた。では家庭にコンピューターが普及した時、必要なアプリケーションは何だろうか。

 議論をし尽くして出した結論が「3次元グラフィックス」だった。当時のPCはキーボードによるテキストが入力の中心であり、スピーカーもマイクも映像再生機能もない。一方で、2次元グラフィックスの萌芽はあり、米アルテラ(2015年にインテルが買収)を筆頭にその市場を狙う半導体メーカーが現れ始めていた。彼らは、まだ競合がいない3次元を主戦場にしようと考えたわけだ。

●「俺の金を失ったら、お前を殺す」

 起業を決めたファン氏はその後、LSIロジックに辞意を伝える。当時のCEOはウィルフ・コリガン氏。米半導体メーカー、フェアチャイルド・セミコンダクター出身で、1990年代後半には日米半導体交渉の米国側担当者を務めた米国半導体業界の超大物である。3次元グラフィックス・チップのスタートアップを立ち上げることや、現時点のビジネスプランを伝えると、コリガン氏はこう切り返した。「今まで聞いた中で最悪のピッチだ。会社を始めるつもりなら、ドン・バレンタインに会いに行け」

 故ドン・バレンタインは米国の大手ベンチャーキャピタル(VC)、セコイア・キャピタルの創業者。コリガン氏とはフェアチャイルドの同僚だった。その場でコリガン氏はバレンタイン氏に電話をかけた。「彼はLSIの最高の従業員だ。何を始めるかよく分からないが、スタンバイしておいてくれ」。自社を辞める若手に対し、出資元となるVCを紹介したのだった。

 セコイアで椅子に鎮座していたバレンタイン氏をファン氏は「とにかく怖かった」と振り返る。「ピッチはその時も最悪だった。でもウィルフは既に、出資するように指示してくれていたんだ」。バレンタイン氏は出資を約束し、「俺の金を失ったら、お前を殺す」とだけ言い放った。セコイアはエヌビディアの最初の投資家となり、当時の評価額は600万ドル。米フォーブスによれば、セコイアの出資額は100万ドルだった。

 100万ドルを投資したもう1社の初期投資家は米サッター・ヒル・ベンチャーズ。LSIロジックの初期投資家だ。つまりエヌビディアの最初の資金調達は、LSIロジックのコリガン氏がお膳立てしたと言えるだろう。

🍎たったひとつの真実見抜く、見た目は大人、頭脳は子供、その名は名馬鹿ヒカル!🍏