白米のほうが玄米よりも健康的だった...「毒素」と「腸の不調」の原因とは?

白米のほうが玄米よりも健康的だった...「毒素」と「腸の不調」の原因とは?

みなさんも知ってのとおり、エネルギーと栄養だけでなく、食べ物は毒素も体に送り込んでいる。

人間は何よりもまず必要なエネルギーの確保を優先することを学んだ。それが生命を維持するための方法だった(いまもそうだ)からだ。

次に学んだのが、味に注目することだ。味のよさは栄養豊富で質の高い食べ物の証だった(場合によってはいまもそうだ)からだ。

だが、口に入れたらたちまち死ぬとか、具合が悪くなるといったものでない限り、人間は毒素を避けるにはどうすればいいかを学んでこなかった。食品に含まれる微量でゆっくり作用する有毒物質に気づくのは難しい。

それにはっきり言って、これまでの歴史の中で、少しの毒素を含んだカロリーのある食べ物を食べるか、それとも飢え死にするかの選択を迫られたとき、あたりまえだが人間は毒素にやられるほうを選んできた。なかにはおいしいものだってあるんだし!

意外な例が米である。玄米は白米よりカロリーが高く食物繊維も豊富だが、米を主食にしてきた国では、生活に余裕があれば人々は必ず白米を食べていた。

玄米は長らく貧しい農民の食べ物とみなされていたのだ。なぜか? 

玄米は硬くて腸に負担がかかるため、食べると調子が悪くなることがよく知られていたからだ。

現在、玄米にはレクチンのほか、動物に食べられないよう身を守る役割をもつたちの悪い植物毒、ヒ素が白米のおよそ80倍も含まれていることがわかっている。

だから、白米、すなわち籾殻の有毒物質を取り除いた精白米が存在するわけだ。そこに現代の科学が口を挟み、毒素を無視して籾殻の食物繊維やわずかばかりのビタミンを称賛しはじめた。

ヘルシー食品のエキスパートは、体にいいから玄米を食べろと言う。レクチン、ヒ素中毒、渇望が招く腸の不調という目に見えないコストは、計算に入っていない。

玄米を食べたあと、妊婦みたいにお腹が膨らんでいることにお気づきだろうか?

炎症が起きているときは、本来体を動かすのに使われるはずの電子の一部が炎症に加担している。体は失われた電子を補おうとしてもっと食べろと命令を出すだろう。自分の体で実験してみるといい。

玄米は消化しにくい分少し腹もちがいいが、あとから大きな渇望が襲ってくる。白米はすぐに消化されるものの、渇望は起こらない。

玄米に含まれる栄養に、毒素が生じさせるトラブルを我慢してまで体に入れる価値がないことを、僕らの祖先は知っていた。

よくわからなければ、スーパーマーケットの通路を歩いていると目や耳からあふれんばかりに入ってくる、矛盾した情報のあれこれを考えてみよう。残念だが、脳はそれを処理できるようには進化してこなかった。

あなたの脳はこんなふうに言う。次いつ食べられるかわからないのだから、エネルギーをたっぷり摂っておくことが何より重要だ、と。

ファスティングによって正常な状態に戻さない限り、考える間もなく脳はそんなおかしな直感に従って動きはじめるのだ。

確かに栄養を与えるというのは、人の内面にかかわる行為だ。同じように、自分に栄養を与えることで、あなたは自分の心の奥底に影響を与えている。

あなたはまさに環境から得たものを自分の中に摂り込み、消化管からエネルギーや栄養や毒素を吸収し、食べ物を体の一部にする。

僕たち人間は、食べるという行為にからんださまざまな感情という重荷を背負っている。そのほとんどは前意識[訳注/意識されてはいないが、思い出す努力をすれば意識化できる精神の領域]である。

なぜなら、体の細胞のひとつひとつが、あなたが実際に食べたいかどうかに関係なく、あなたに食べてほしいと思っているからだ。

現代の世の中は食べ物が豊富にありすぎるので、食べたいという欲求のスイッチが年がら年中オンになりかねない──安心と愛情を感じつつ、意志の力で食べないでいられるように自分を鍛えない限りは。

あなたには、食べないと死んでしまうぞと言う生態系と、安心を感じるために食べ物が必要だと言う成熟した、自覚のある、進化した人間の脳の会話が絶えず聞こえている。

だが、それに耳を傾ける必要はない。自分にこう言い続けよう──どっちの話も真実じゃない。

🍎たったひとつの真実見抜く、見た目は大人、頭脳は子供、その名は名馬鹿ヒカル!🍏