脱・税理士 なぜ大戸屋が大赤字から業績回復できたのか?かつてFC顧問をしていたスガワラくんが財務状況を徹底解説します!

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大戸屋、創業家が明かす"乗っ取り"の全内幕

沈黙を破って「不信の起点」を語った

2016/08/05

7月27日、「大戸屋ごはん処」の創業家関係者が山梨市に集まった。この日は大戸屋ホールディングスの実質創業者で、1年前に57歳で亡くなった三森久実の命日だ。久実の生家近くに設けられた墓には、創業家や苦楽をともにしてきたフランチャイズ(FC)オーナーなど20人弱が訪れた。

墓前で、妻の三枝子は「病気になっても弱気な姿は見せず、次は仏パリ(に出店する)と言っていた。魂は今でも世界を駆け回っているのではないか」と、亡くなる直前まで海外出張をしていた亡夫をしのんだ。

息子である智仁も「父は、トヨタ自動車やソニーを引き合いに出し、日本の食文化を世界に発信したい、大戸屋はそれができるとよく言っていた」と語った。

だが、この日。現経営陣は最後まで墓参りには現れなかった。

「定食屋のモスバーガー」を目指した大戸屋

大戸屋の歴史はやや複雑だ。もともとは久実の叔父、三森栄一が1958年に「大戸屋食堂」として池袋に開業したことにさかのぼる。当時、全品50円という価格設定の大衆食堂で人気を集めた。

久実は1957年に、山梨県で観光ぶどう園を営んでいた三森家の三男として生まれた。池袋で食堂を営んでいた伯父に子どもがいなかったため、15歳で養子入りしている。1979年に養父が亡くなると、久実は事業を引継ぎ、1983年に株式会社「大戸屋」を設立、現在に至っている。

大衆食堂から、女性にも入りやすい定食チェーンへの転換にはきっかけがあった。実は久実は「モスバーガー」のFCを山梨県内で経営していた時期がある。

大戸屋が2001年に店頭市場(現ジャスダック)に上場するまで、社外取締役を数年間務めた、あるOBは「健康的で女性も入りやすい、モスバーガーの定食版をつくりたいというのが大戸屋の出発点。久実さんは松下幸之助を尊敬しており、世界に日本の食文化を伝えたいと繰り返し語っていた」と当時を振り返る。

その理念を具現化し、久実は1992年に現在展開する「大戸屋ごはん処」のモデルとなる店を開業。店内調理や健康志向を売りにしたメニューと、女性でも気軽に入れる雰囲気を持つことで人気を博し、国内342店、海外94店という規模まで拡大。モスフードと同じように、国内の6割近くはFCが運営している。

久実は2012年、従兄弟である窪田健一に社長の座を譲り、会長に専念した。国内事業を窪田に任せ、自らは大戸屋の味を世界に広めていくため、海外事業に心血を注いだ。

早すぎた久実の死

順調だった拡大路線の歯車が狂いだしたのは、今から2年ほど前、2014年7月にさかのぼる。久実は突然、末期の肺がんで余命1カ月と宣告されたのだ。

この時点で久実の持ち株比率は約18%、遺族が株を引き継いだ場合、多額の相続税が発生することが見込まれた。

久実は自らの保有する株を、創業家として三枝子と智仁に保有し続けて欲しいという意向を示していた。そこで、会社の内部では、密かに久実に対する功労金支給の検討を始めた。株の相続に伴い発生する、多額の相続税への対策だった。

久実は、次兄で東京慈恵会医科大学・消化器外科の医師である教雄を主治医とした。だが、抗がん剤の治療を受けながらも、息子の智仁を伴い、海外のFCオーナー訪問を続けていた。将来を継がせるため、顔見せ的な意味合いがあったとされる。

実際に久実は生前、「智仁を後継者に」という意向を周辺の親族だけでなく、窪田など主要な経営幹部にも伝えていた。

2015年6月25日の定時株主総会で智仁は常務取締役・海外事業本部長に選任された。その時点で、久実はもはや壇上にあがる体力もなく、別室のモニター越しに息子の”晴れ舞台”を眺めた。同年7月27日、久実は容態が急変し、帰らぬ人となる。

8月1日、生まれ故郷である山梨市で営まれた告別式では、元会長で相談役の河合直忠が弔辞を読んだ。三枝子と智仁の希望によるものだった。河合は、大戸屋のメインバンクである旧三菱信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)で常務取締役を務めた人物で、久実が2002年に会長として招き入れた。その後、2010年に取締役を退任し、この時点では相談役となっている。

智仁によれば、河合は「智仁を育て上げることこそが大戸屋の存続する道であり、創業者(久実)の願い。周りでサポートをするべきだ」という弔辞を読み、参列者の胸を打ったという。

その後、智仁を始めとする創業家は河合との対立を深めていく。智仁は一連の騒動について「これお家騒動ではない、会社の乗っ取りだ」として、その主犯として河合を名指しで批判する。「事実ではないことを理由に経営に介入した」(智仁)と見るからだ。

8月3日に智仁は、葬儀の礼を伝えようと社長の窪田のもとを訪れた。返ってきたのは、海外事業本部長の智仁に対して「10月1日から香港への赴任を命ず」という辞令だった。

智仁はその頃から「何かがおかしい」と感じるようになった。窪田と久実は、年齢が13歳離れてはいるが、母親が姉妹という、れっきとした従兄弟同士。「にもかかわらず、窪田は1度も線香をあげにきたことがない」(智仁)。

業務面でも引き継ぎがされていないことに業を煮やした智仁は、8月下旬、酒席の場で窪田に「なぜ引き継ぎをしてくれないのか」と迫った。智仁によると、窪田は「お前にできるわけがないだろう」と答えたという。

一方の窪田は、創業家との行き違いについて「何か具体的なものがあったかと言われると、はっきりしたものはない」と言う。

宙に浮いた、巨額の功労金

智仁と窪田の関係が緊張感を増す中、会社は粛々と、功労金の支払いの準備を進めていた。東洋経済が入手した文書によれば8.7億円の支払いが水面下で固められている。

会社側は9月14日に、臨時株主総会開催の基準日設定公告を発表し、年内の総会開催を決めている。功労金支給を決定するためには株主に諮る必要があるからだ。

ところが、この臨時株主総会は突如撤回される。それまで滅多に出社しない相談役の河合が、この頃から頻繁に会社へ出社するようになった。そして「さまざまな介入を始めた」(智仁)

智仁によれば、河合が「メインバンクの三菱UFJ信託銀行が功労金は出すべきではないと言っている」「海外の子会社や、国内の植物工場など、”久実会長の負の遺産”が多いため、銀行は資金の引き揚げを検討している」と発言したという。さらに河合は、智仁の今後10年にわたるキャリアプランと役職を示した文書を作成。署名を求めた。

智仁がメインバンクである三菱UFJ信託銀行に確認すると、河合が発言した内容は事実無根だったという。にもかかわらず、会社側は11月6日に臨時株主総会の開催を撤回。さらに「意思決定のスピードアップ、組織のフラット化を図るため」(窪田)という理由で、河合が提示した文書の通り、智仁は常務からただの取締役へと降格した。

こうした経緯について会社側は「功労金の金額も含めて検討していたのは事実。実際には、8億円も支給する余裕はないことを今年になって創業家に伝えた。河合は当初から、一貫して支給すべきと主張している。金融機関は功労金を出せとも出すなとも明確に表明していない」とする。

その後、創業家と会社は冷戦状態となる。智仁によれば、「窪田社長は、(降格を命じた)昨年11月6日以降、今年5月7日に面談するまで、目も合わせてもらえなくなった。河合さんからも連絡が途絶えた」という。

河合はその後、相談役から相談役兼最高顧問に就任、一方で智仁は2月24日に取締役を辞任し、会社を去った。3月に、三枝子と智仁はそれぞれ13.15%、5.64%の株式を相続。功労金が得られなかったことで、三枝子の株式を担保に資金を借り入れ、相続税を支払った。

撤回された合意文書

3月、河合は創業家に連絡をとった。智仁を始め、久実の長兄である智文、次兄の教雄へ「智仁が大戸屋と縁を切ってはいけない」という趣旨だ 。一部の親族には「会社側に(持ち株を)売却してはどうか」という打診もあったという。

4月に入り、この3人に三枝子を加えた創業家4人は河合と数回の面談を実施。最終的に、同月26日、両者で合意した条件を書面にした文書を交わした。

東洋経済が入手した文書には「智仁氏が2年後に取締役に復帰できるよう、今後、窪田、創業家、河合にて詰めていく」「1年後に功労金を支給できるよう努める」という創業家の意向が目につく。一方で「河合氏を取締役に推薦する」「創業家の議決権行使書を会社側に渡すこと」といった条件も並んでいた。

創業家の面々は「智仁の2年後の取締役復帰と1年後の功労金支給はなんとかするので、私を取締役に入れてほしい」と河合が発言したとする。が、当初8億円近くを見込んでいた功労金は3分の1に減った。

この文書には、最終的に関係者全員が文書に署名した。だが、改めて文書を確認してみると、智仁の取締役復帰、功労金の支給といった話は盛り込まれていても、確約されていない。創業家側は5月16日、合意の撤回を会社に伝えた。

にもかかわらず、会社は5月18日に、株主総会の議案として、河合が取締役に復帰するなど、大半を入れ替える人事案を公表。不信が頂点に達した創業家が反対を表明したことで、対立は世間が知るところとなった。

ただ、創業家側は反対を表明するのみで表立った動きはなかった。智仁は「3月に株を相続したばかりで、準備が整わなかった」と説明する。6月23日の株主総会後では、賛成多数で会社側の提示していた取締役の人事案は可決された。

巻き返しを狙う創業家

創業家側によれば、「準備が整い次第、独自の人事案を会社側に提案する」(智仁)意向だ。

9月以降に大株主として、臨時株主総会の招集請求を行うか、2017年6月に開かれる定時株主総会に向けて、対抗策を進めるという。

ただ、久実の実子で後継者候補と目されているとはいえ、智仁には目立った実績がないのも事実。窪田については2012年の社長就任以降、売上高は増えているが、営業利益は横ばいにとどまっている。

ある社員は「窪田社長は仕込みや調理の手数を減らすなど、合理化を進めてきた。メニューを変えても、客数は減り続けている。なぜ取締役を大幅に入れ替えなければならなかったのか、新体制で何を生み出していくのか見えてこない」と嘆く。FCオーナーも「食材費や人件費が高騰し、経営は苦しい。まずは今の事業をどうするかが最優先。内輪揉めはその次だろう」と手厳しい。

大戸屋を巡る対立は混迷の度合いを深めている。

大戸屋、深刻化する「お家騒動」の向かう先

実質創業者の亡き後、何が起きているのか

定食チェーンを展開する大戸屋ホールディングスから、複数の役員が次々と去っている──。2015年7月に実質的な創業者だった三森久実氏が57歳で急逝。その後、今年2月には、息子の智仁氏(27)が一身上の都合で辞任した。6月23日の株主総会では、生え抜きで海外事業担当と経営管理部門担当が長い役員2人、社外取締役3人の、合計5人が退任する見通しだ。

亡くなった久実氏を含め、この1年で実に、10人中7人の役員が辞める計算になる。

新たな人事案に創業家が反発

久実氏が亡くなってから、役員の刷新を推し進めているのが、2012年から社長を務める窪田健一氏(45)だ。

今回の総会で会社側は、窪田氏など3人の取締役の残留と、8人を新たな取締役に選任する計画を立てている。かつて会長や副社長を務めた人物が再登板する内容も含まれる。

こうした人事案に創業家側は反発を強めている。元取締役の智仁氏は「能力がある海外事業担当役員の退任や、元役員の再登板に疑問がある。社外取締役全員の退任にも十分な説明がない」と、会社側の人事に反対を表明した。

対立の原因は、窪田社長がこれまでの路線を否定するような、人事や経営判断を下してきたことにあるようだ。

大戸屋は1983年に養父から大衆食堂を継いだ久実氏が設立した会社だ。1992年に現在展開する店舗のモデルとなる「大戸屋ごはん処」を開業。店内調理や健康志向を売りにしたメニューと、女性でも気軽に入れる雰囲気を持つことで人気を博し、規模を拡大した。2001年に現ジャスダックへ上場し、国内342店、海外94店を展開している。

久実氏は2012年、社長職を窪田氏に譲り、自らは会長に専念していた。その後、肺がんを患って、2015年7月に急逝した。久実氏は18.79%の株式を保有したまま亡くなったが、その株式は妻である三枝子氏が13.15%を、息子の智仁氏が5.64%を、今年3月にそれぞれ相続している。

久実氏は亡くなる直前の2015年6月に、智仁氏を常務取締役に任命している。ただ、智仁氏は2013年に大戸屋へ入社したばかりで、目立った実績があるわけではない。

ある関係者は「久実氏は智仁氏をいつか自分の後継者にという思いがあったようだ。ただ、窪田社長は智仁氏が26歳(当時)で、常務になるのはまだ早いと思ったのでは」と語る。

久実氏の死後に何が?

その言葉を裏付けるように2015年11月、会社側は常務の智仁氏と、生え抜きの役員で海外事業担当の専務を、突如、ヒラの取締役に降格させる人事を発表。智仁氏は今年2月に取締役も辞任している。

同月には中国で直営店事業を展開する上海の子会社を清算。野菜の内製化を狙った、山梨県の植物工場の撤退も決めた。いずれも、久実氏が心血を注ぎ、新規事業の種としてまいてきたものだ。

創業家側は「(久実氏が亡くなって以降)窪田社長とコミュニケーションが取れていない。現在は弁護士を通し、アプローチしているが、面会は実現していない」(智仁氏)とするが、会社側は「創業家からのコンタクトはなく、困惑している」とする。

窪田氏が「前向きな体質にしたい」と狙う役員人事からは、元取締役と外部出身の管理系役員を軸に、再出発を図りたい意図が透ける。執行役員から3人を取締役に昇格させるが、証券や信託などの金融関係出身で、社歴も浅い。さらに、元会長と元副社長の2人も、取締役として再登板する。

さまざまな改革を推し進める窪田氏だが、社長としての手腕はこれまでのところぱっとしない。売上高は拡大しているものの、業績は低水準のまま推移している。

6月23日、株主総会で何が起きるのか?

対する創業家側も、人事案に反対を表明しているが、「株主総会での説明を求める」「今後については弁護士と協議して決めていきたい」(智仁氏)とするばかり。

焦点となるのは6月23日に開催される株主総会だが、現時点では、「(独自の)人事案を示したり、訴訟などを行う考えはない」(同)という。

セブン&アイ・ホールディングスの内紛では、創業家の意向が大きな影響を与えた。創業家が保有する株式数は2割に満たないとはいえ、大戸屋の対立はどうなるのか。両者はまもなく、総会で真正面からぶつかり合う。

大戸屋、渦中の社長が「お家騒動」を独占激白

創業の精神「母の心」はどこに消えたのか

から2カ月ほど前の5月中旬、「大戸屋ごはん処」を運営する大戸屋ホールディングスで、役員人事を巡る対立が表面化した。会社側が発表した人事案について、株式の2割弱を握る創業家側が反対の意向を示したのだ。

経緯は少々複雑だ。大戸屋の実質的な創業者だった三森久実前会長が2015年7月に急逝。久実氏の持ち株は、夫人の三枝子氏と、息子で2015年6月に常務に昇進したばかりの三森智仁氏にそれぞれ相続された。だが、智仁氏は2016年2月に一身上の都合で役員を辞任している。

その後、会社側は役員の大半を交代させる人事案を株主総会に提示。役員を退任したばかりの智仁氏と、三枝子氏という創業家の2人は、この人事案に対して「能力がある海外事業担当役員の退任や、元役員の再登板に疑問がある」と反対したことで、にわかに注目が集まった。(関連記事:大戸屋、深刻化する「お家騒動」の向かう先)

ところが2人は6月23日に開催された株主総会に出席したものの、動議はおろか、一切発言することはなかった。結局、会社側が提案していた人事案は約63%の賛成多数で可決されている。

窪田健一社長は総会の冒頭で、時には涙で声を詰まらせながら今回の経緯を語る場面もあった。総会を終えた今、何を思うのか。一連の騒動後、初めてメディアの取材に応じた。

「穏やかに総会が終わって良かった」

――株主総会を終えて、率直な気持ちは?

大戸屋の理念の根幹は「お客様に美味しいものを出したい」「お母さんの手作り料理を出したい」といった、手間暇かけた美味しい定食を食べてもらうということ。株主が承認した経営陣が、こうしたことをしっかりやっていくに尽きる。

――創業家側は反対の意向を示していたが、株主総会の当日には表立って発言することはなかった。

メディアを通じて、色んな情報は伝えられてはいたが、創業家から直接的に(重要提案を行うなどの)連絡は一度もなかった。ただ、最終的に株主総会で創業家が質問するかどうかは、わからなかった。穏やかに終わったことは良かったと思っている。

――役員人事への賛成は約63%、この水準をどう受け止めているか。

想定通りだ。例年の議決権行使率は約6割程度。当社の発行済み株式数719万株に行使率を掛けると、430万株が母数になる。このうちの創業家が持っているのが135万株なので、その時点で反対票が33%くらいになっている。

賛成・反対のどちらにも入っていないものは反対票に入れている。これが例年8%くらいある。創業家の(実質的な議決権)33%に、白票の8%を加えた40%が反対票となる。そういった意味で、事前の想定通りの数字だった。

――株主総会の冒頭のあいさつでは、「久実前会長が亡くなってから数カ月にわたって話し合いを重ね、5月上旬に今後の方向性で合意した」としている。どんな内容で合意したのか。

ひとつは創業家と経営陣が一緒になって、大戸屋を発展させていこうという話だ。前会長の理念を継ぎ、手作りや出来たてにこだわった、大戸屋にしかできない料理をしっかりと出していくこと。もうひとつは、(前会長の息子である)智仁氏のキャリアだ。智仁氏が実力をつけて、周囲の信任も得て、後継者になって欲しいという思いは、私だけでなく皆も持っていた。

――智仁氏は昨年6月の株主総会で常務兼海外事業本部長として選任された。が、父でもある三森久実・前会長が7月に亡くなって、11月に智仁氏の配置換えというのは、路線を変えたと思われても仕方がない。

前会長が存命であれば、(智仁氏が)一緒に海外事業をやりながら、という選択肢もあったかもしれない。ただ、私としては1つ1つしっかりとステップを踏んでいって欲しいという思いがあった。智仁氏が担当することになった香港は、直営で経営も安定している。そこで社長業をやりながら、現場経験や語学の習得をしてほしいと思い辞令を出した。

すれ違いの理由は「わからない」

――だが、智仁氏は今年2月に取締役を辞任した。

行き違いはあったが、話し合いを重ねて最終的には“皆で大戸屋をよくしていこう”と合意をした。

話し合いの中で創業家の方から、元会長で相談役最高顧問の河合直忠氏と、医師でもある三森教雄氏(久実氏の次兄)を役員の候補に推挙したいという申し出があった。

――5月18日に人事案を発表してから、今まで智仁氏、三枝子氏からは一切アプローチがないという認識でいいのか。

そうだ。5月18日に取締役会で人事案の承認を得て、発表した。翌日には創業家から反対の意向が示されたと報道で知って、驚いた。説明に行く暇もなかった。

――なぜ、こうした”すれ違い”が生じてしまったのか。

結論から言うとわからない。何か具体的なものがあったかと言われると、はっきりしたものは思いつかない。創業家と経営陣にとって、大戸屋の理念や路線は一緒だ。ここは変わっていない。ただ、事実として久実前会長が亡くなったことによる不安感、心配感、多少の混乱はあった。

会社にいるわれわれは遺志を継いで、大戸屋を成長させていこうと思っていた。創業家と経営陣が一緒に手を握っていくことが、経営の安定につながる。株主やお客様、従業員も含めて皆が安心することになる。

一方で、家族を亡くした創業家からすれば、また別の不安があったのかもしれない。だから、2015年9月から8~9カ月に渡って話し合いはしてきた。何度も話し合いをして、「将来の大戸屋を良くするために、創業家と経営がしっかり手を握っていこう」と、お互いが納得した合意が出来たはずだった。

――智仁氏は、久実前会長が亡くなってから窪田社長とコミュニケーションがとれなくなったと主張している。

いや、事実として話し合いをして、一緒になって大戸屋を支えていこうという合意はなされている。根本原因はわからないが、前会長が亡くなり、われわれも含めて皆が不安に感じていた部分はあった。そういった意味ではコミュニケーションが足りなかったと、反省する部分はあるかもしれない。

――話し合いをした創業家のメンバーは誰か?

智仁氏と、夫人の三枝子さん。そして久実氏の長兄の三森智文氏、今回社外役員になった三森教雄氏(久実氏の次兄)の創業家4人が、これから一緒に大戸屋を支えて発展させていこうということで合意をした。2人は(智文氏と教雄氏)はそういう気持ちでいることは間違いない。反対の表明については非常に驚いていた。

創業家にくすぶる不満の行方

――そうすると、残る智仁氏と三枝子氏は何に反発していると考えるのか。

それは、われわれにもわからない。

――智仁氏は他社の取材で、今回復帰した元役員を名指しで「一連の騒動の糸を引いている」と発言したと伝えられる。

それは個人の感情なのでわからない。智仁氏を排除しようというのは私もほかの幹部にも、まったくない。そもそも排除する理由がない。智仁氏は(当時)26歳だった。経験をしっかり積み、将来のリーダーに育っていて欲しいというのが私の思いだ。

――創業家が臨時株主総会を要求するという話もある。

実際に話が来ていないのでコメントのしようがない。株主からは今回の総会で、取締役として11名が信任されている。われわれとしては、もっと美味しいものを出して、大戸屋ファンをもっと作っていくことに注力をしていく。

――この1年で、役員10人中7人が辞めた計算になる。株主からも不安の声があがった。

私は前会長のような、カリスマ経営者ではない。営業の核となる人材は再任しているし、外食以外の分野からの専門性もこれからは必要になってくる。大戸屋を成長させていける新しいメンバーを選び、株主総会に掛けた。

――亡くなった久実前会長は、窪田社長に何を残したのか。

大戸屋には「かあさん額」という額縁があり、「『かあさん、おなかすいたよう』こんな言葉に こんな心にこたえたい」と書かれている。根底にあるのは「人が人を想って、食事を作っていくことが大事」「手間暇かかるものを出すこと、それが食べ物屋としての使命」だという考え方だ。

(食材の仕込みを集中的に行う)セントラルキッチンを使えば、食の工業化になってしまう。ましてやコンビニやスーパーもレベルが上がっている。大戸屋にとっては店内調理が最大の差別化になってきている。

われわれは、本当に手間暇かかることを愚直にやってきた。前会長は「美味しいものを、しっかり出すことが一番の広告宣伝だ」と言ってきた。私は愚直にやっていくことは変えないが、お客様に対する「大戸屋はこんな良いことやっているんだ」という伝え方を変えたい。

亡くなった久実氏は窪田社長の従兄弟に当たる

――久実前会長とは親戚関係だとか。

前会長は養子に出ている。前会長の実母は、私の母親の姉にあたる。だから私と前会長は13歳違うが、従兄弟の関係に当たる。

――入社のきっかけもそこにあるのか?

前の同僚と一緒に会社を辞めて、半年ぐらい八百屋をやったが、なかなかうまくいかなかった。創業者である三森栄一が、1958年に池袋に作った「大戸屋食堂」は小さい頃から知っていたし、養子だった久実前会長自身が蝶ネクタイ姿で、キッチンやホールで働いているのも知っていた。

人生の岐路でどうしていいかわからない時に従兄弟の前会長に相談したら、「大学まで出ているのに何やってるんだ」と怒られた。「ふらふらしているなら働け」と言われたのが、そもそものきっかけ。27歳で大戸屋に入社し、それから20年近く前会長と一緒にやってきた。

――2012年に社長に就任してから、売上高は伸びているものの、利益はほぼ横ばいだ。

経営指標から見て、利益率はもう少し伸ばしたい。ただ、お客様が喜んでくれるのであれば、薄利でも良いものを出していくことが、私としては大事なことだと思っている。

大戸屋「お家騒動」、社長が涙声で訴えたこと

注目の株主総会で創業家側は沈黙

総会の冒頭、大戸屋ホールディングスの窪田健一社長は、1500人近い株主の前で、涙で声をうわずらせながら、こう訴えた。

「私は尊敬する三森久実前会長のようなカリスマ性のある経営者ではありません。だからこそ、風通しのよい企業風土を作り、新たな経営体制で、大戸屋の経営理念の実現に向け邁進していきたいと思います。(略)それこそが、志半ばにして亡くなった、前会長への最大の恩返しであると考えております」

役員人事をめぐる両者の溝

6月23日、大戸屋は東京都内のホテルで定時株主総会を開催した。会社側からは第1号議案として、取締役11名選任の件、第2号議案として監査役2名選任の件が議案として提示されている。

定食屋「大戸屋ごはん処」を国内に340店ほどを展開する大戸屋がにわかに話題を集めたのは、5月中旬のこと。会社側が発表した役員人事案に、創業家が反対の意向を示したことにさかのぼる。

事態の経緯はこうだ。2015年7月、実質的な創業者だった会長の三森久実氏が57歳で急逝した。久実氏は18.79%の株式を保有したまま亡くなったが、妻が13.15%を、息子の智仁氏が5.64%を、今年3月にそれぞれ相続している。

久実氏は亡くなる直前の2015年6月に、智仁氏(当時26歳)を常務取締役に任命している。ただ、智仁氏は2013年に大戸屋へ入社したばかりで、目立った実績があるわけではない。ある関係者は「久実氏は智仁氏をいつか自分の後継者にという思いがあったようだ」と語る。

久実氏亡き後の経営は社長だった窪田氏に委ねられた。だが、窪田氏はまるで久実氏の路線を否定するかのように、中国で直営店事業を展開する上海の子会社を清算。野菜の内製化を狙った、山梨県の植物工場の撤退も進めた。今年2月には智仁氏が一身上の都合で取締役を辞任している。

会社側は5月に2016年3月期の本決算を発表した後、同18日に株主総会の役員人事案を公表。窪田氏など3人の取締役の残留と、8人を新たな取締役に選任する案を提示した。亡くなった久実氏を含め、この1年で実に、10人中7人の役員が交代する計算になる。

こうした人事案に創業家の智仁氏が「何故、この人事にするのか納得のいく説明がない。社外取締役で医者の三森教雄氏は、久実氏の兄で経営に携わった経験がなく心配だ。(河合直忠氏など)元取締役2人が再登板することについても疑問がある」と反対を表明したことで、対立が表面化した。

食い違う双方の説明内容

6月23日の株主総会では窪田氏から10分ほど経緯の説明があった。昨年の11月に智仁氏が常務からヒラの取締役に降格となったという報道について「三森前会長が逝去した後、意思決定のスピードアップ、組織のフラット化を図るために、専務・常務などの肩書きを廃止したものだ」と述べた。

同時に智仁氏は海外事業本部長の任も解かれたが、「将来、当社のリーダーに育ってもらうため、まずは経営が安定している香港子会社の社長として経験を積んでもらいたいというのが私の思い」と説明し、「本人もいったんはこれを受け入れた」(同)。

その後の退任の経緯については、2月の早朝に智仁氏から「一身上の都合で、取締役を辞任したい」と申し出があった。慰留したが、本人の意思が堅かったので辞任届を受理したと説明した。

人事案については、智仁氏をはじめとする創業家側とは、何度も話し合いを重ねた上で、5月初旬に「今後は三森家と会社が、大戸屋の発展のために一致団結していく」旨の合意に至ったという。さらに、取締役候補に河合直忠氏を、社外取締役候補に三森教雄氏を推薦したのは智仁氏らだと発言する。

ところが数日後に、「智仁氏から『先の合意を破棄する』とメッセージがあった。今日まで、三森家から当社に対して『株主提案権の行使』はもちろんのこと、役員人事に対する申し出は一切ない」(窪田氏)。

しかし、今回の窪田氏の説明は、創業家側の説明とは食い違っている。かつて智仁氏は東洋経済の取材に対して、「(久実氏が亡くなって以降)窪田社長とコミュニケーションが取れなくなった。現在は弁護士を通し、アプローチしているが、面会は実現していない」としている。

さらに、常務取締役兼海外事業本部長から、ただの取締役となった件は「久実氏の海外出張に同行し、引き継ぎを受けていた。久実氏が急逝しバタバタしているうちに任を解かれてしまった。窪田社長からは理由について一切説明がなかった」(智仁氏)と述べていた。

株主からも厳しい声が飛ぶ

窪田氏の説明の後、出席した株主との質疑応答に移った。株主からもこうした状況について、厳しい質問が相次いだ。

ある株主は「野菜工場事業や、セントラルキッチンを使わないことなど、前会長が味を追求するために行なっていたものを、収益に今つながらないからやめて、オペレーション(業務の見直し)で利益を出していこうとしか見えない。これからどういう方向に会社を持っていこうとしているのか」と聞けば、「味、おいしい料理を出すことが中心だ」(窪田氏)と回答した。

別の株主が「お家騒動で大戸屋のブランドイメージが低下するという懸念がある」と質問すると、窪田氏は「株主様にご心配をお掛けしないよう、ブランドが毀損しないよう一同必死になってやっていきたい。申し訳ございませんでした」と謝罪した。

ただ、創業家については「今後とも、創業家と株主には理解をしてもらえるように対応していきたい。(創業家との関係については)まだ正式な申し出がない状況なのでこれ以上のコメントは控えたい」と曖昧な回答に終始した。

今年の株主総会は注目度が高かったこともあり、出席した株主数は1494人(昨年は1280人)と前年を上回った。時間は1時間20分(昨年は1時間10分)。会社側が提案していた、取締役11人選任、監査役2人選任の2つの議案は賛成多数で可決した。人事案に反対を表明していた創業家側は、一度も発言に立たず、最後まで沈黙を貫いた。

会社側の人事案が通ったことで、一連の騒動はひとまず会社側が勝利を収めた形となる。ただ、総会に出席した株主からは「窪田社長が言っていたようにオペレーションを優先にしたら大戸屋本来の家庭の味が失われる」、「会社側の説明は十分に納得できるものではなかった」という不満の声もあがった。

何より、依然として創業家側は2割近い議決権を握る筆頭株主である状況に変化はない。はたして、ここで幕引きとなるのか。それとも対立は継続するのか。

大戸屋創業者の息子が宅配事業を始めるワケ

きっかけは「店舗経験」と「祖母の存在」だった

1月25日、スリーフォレストという新興企業が宅配サービス事業への参入を表明した。同社が手掛けるのは、介護を必要とする高齢者が簡単に外食チェーンのメニューを注文し受け取ることができる「ハッピーテーブル」というサービスだ。

この事業の先頭に立つのが、スリーフォレスト社長の三森智仁氏(28)。定食チェーン「大戸屋」の実質創業者、故・三森久実氏の息子である。智仁氏は25日の記者発表会で「2020年に全国で100万人に利用されるネットワークを構築していく」と意気込んだ。

智仁氏は大戸屋ホールディングス(HD)で役員を務めていたが、2016年2月に辞任。その後、同年5月に智仁氏ら創業家と大戸屋HD側との対立が明らかになった。両者は久実氏が2015年7月に病気で急逝した後、創業者功労金の支出や経営方針、人事などを巡って争ってきた。

その後、2017年6月開催の定時株主総会で創業者功労金の支給が決まり、事態は一応の決着をみせた。現在も大戸屋HD株の2割弱を、故・三森久実氏の妻、三枝子氏と智仁氏が保有している。

なぜ今回、新規事業の立ち上げを決断したのか。そして、古巣の大戸屋HDとは今後どのようにかかわっていくのか。智仁氏を直撃した。

ニューヨークでの父との思い出

――大学卒業後、銀行を経て大戸屋に入社されたのはなぜですか。

大学生のときに父(三森久実氏)に「起業してみろよ」と言われた。父も21歳のときに祖父が亡くなって、会社(現在の大戸屋)を継いで、株式会社をつくったという経験をしている。やはり父の中でも経営者、起業家としての経験を私にさせたかったのだろう。けれども、私としては、そのとき、「自分で何をやりたいのか」ということが見つからなかった。

就職活動をして、父と間接的に一緒に仕事ができるような業界、銀行や、食品・飲料メーカーなどを受けた。銀行(三菱UFJ信託銀行)に就職することが決まった後の大学4年の秋、米ニューヨークに父と2人で行ったときに日本食のレストランに入った。そこではごく普通の生姜焼き目当てにニューヨーカーたちが押し寄せていた。店を出て一緒にたばこを吸っているときに「勝てるな」と父はつぶやいた。その姿を見て、本当に格好いいなと思ってしまった。だからそこで、大戸屋に入り、会社を継ぎたいと思い、父にも伝えた。

私にはロサンゼルスで育った異母兄がいるのですが、父は「兄には海外のほうを任せたい。お前は大戸屋ホールディングスのトップを目指してほしい」と言われた。銀行を2年で辞めて大戸屋に就職することにした。

――2016年2月に大戸屋HDの役員を辞任しました。

やっぱり父が目指していた会社とは違う方向性に向かっていたということが大きかった。「負の遺産」という表現で、父が「大戸屋を世界ブランドにする」ために将来に向けて種をまいていた事業などを全否定された。

たとえば、父の死後に山梨の野菜工場が清算された。中国で無農薬野菜が手に入らないという状況を鑑みて実験していた施設だった。こういう方向に向かっていくのであれば、私がいる必要はないと思った。大戸屋を辞めざるを得なかったというか、自分に嘘をついてまでこの会社に居続けることを捨てた。それぐらい、疑問を感じた。

「食べること」を選択肢として提供

――今回、新たに事業を立ち上げた経緯を教えてください。

まず、これをやるために大戸屋を辞めたわけではない。その後にすぐやりたいことが見つかったのかというわけでもない。事業を思いついたきっかけは、2つの経験が関係している。

1つは、私自身が大戸屋の店舗で働いていたときのこと。毎日決まった時間に来てくれる年配の女性とお嬢様がいた。ある日、お見送りをすると「明日から施設に入ることになった。ここの食事が非常に好きだったから、最後に食べ納めと思って娘と来たんだ」と言われ、これがずっとひっかかっていた。

もう1つは、私の祖母にまつわる経験。晩年は施設に入ったのだが、母は専業主婦だったのでほぼ毎日通い、「あれが食べたい、これが食べたい」という要望に応えていた。祖母はマクドナルドのポテトが大好きだったので揚げたてのものを母が買って施設に届けていた。亡くなった後に施設の人から「ご家族が近くにいらっしゃって、あんなに、マメにケアができる方はなかなかいらっしゃらない。珍しいケースですよ」と言われたそうだ。

この2つが私の中で結びついて、生きているうちは「食べること」を選択肢として提供したいという思いの中でビジネスをやりたいと思った。大戸屋を辞めてから少し時間はかかったが、いろんな事業会社の方の話、利用者の話を聞くと、ニーズがあるということに確信が持てた。

――具体的にはどのような事業モデルなのですか。

 介護が必要といった理由で自分で買い物に行けない高齢者が、外食店のメニューを注文し、受け取ることができるサービスだ。まずはデイサービスを対象に開始する。われわれが構築したシステムでは、デイサービス施設の近くにある外食の店舗と注文できるメニューが表示される仕組みになっている。

メニューは施設の職員と高齢者が一緒に発注する。その発注情報が外食店舗に届き、できあがった商品を介護事業会社の職員がそのお店まで取りに行く。そして、施設で待つ高齢者に届けるという仕組みだ。

Uber EATSより低い料率

――スリーフォレストの収益源は何でしょうか。

サービスを利用した高齢者の方は口座振り替えで料金を支払う。売り上げの100%が我々のところに入ってくる。売り上げから販売手数料を引いた金額を外食企業に渡す。具体的な数字は申し上げられないが、宅配代行をしてらっしゃるUber EATS(ウーバーイーツ)や、fineDine(ファインダイン)といった会社より低い料率を設定している。残りはわれわれと、介護事業会社に渡す宅配代行料(商品を受け取りにいった代行料)でおおむね折半する形だ。

――外食宅配サービスは先行している企業がありますが、どのように差別化しますか。

私たちは運び手を抱えていないので、料率を他の追随を許さないところまで落とすことができる。さらに、利用者である高齢者から宅配料をいただいていない。UberEATSや出前館など既存のサービスでは、宅配料がかかったり、商品代が実店舗より上乗せされているケースもある。介護施設の高齢者が職員に外食店の商品を買ってきてほしいと頼んだ際に、別途介護保険外サービス料をとられる場合があるのが実情だった。

私たちのサービスでは外食企業には通常より上乗せした値段で商品を提供するのはやめてほしいというお願いをしている。利用するのは外出したくてもできない高齢者なので、外出をされたときとほぼ同じ値段で商品が買えるようにする。

介護事業会社としては新たな副収入がダイレクトに入ってくる。施設では運転手を専属で雇っているケースも少なくないと聞く。朝夕の送迎時間の合間に商品を取りに行ってもらうことができる。外食企業にとっても宅配用の人手をかけずに、これから伸びていく高齢者のマーケットを開拓することが可能だ。

各カテゴリーの最大手と組む

――事業をどのように拡大していきますか。

4月1日から本格的にサービスを開始する。3月ごろまでに東京都内の20拠点ほどで実験をしたい。4月から7月初めまでの3カ月間で1都3県、130拠点をいったん目標とする。

今年の10月までには北海道や宮城、静岡、愛知、大阪、兵庫、福岡などにも広げたい。最初は介護保険でいうところの要支援1・2、要介護1・2といった比較的軽度な介護認定の方をターゲットにしたいと考えており、その方たちは挙げたような都道府県に居住が集中している。

――どのような相手と組むのでしょうか。

外食企業は誰もが知っているブランドと組む予定だ。すし、天ぷらなど28カテゴリーに分類し、1カテゴリーにつき原則1社と組む形にしたい。店舗数が多いほうがいいので、各カテゴリーの最大手と組めればいい。たとえばマクドナルドは店舗数が多いし、高齢者からのニーズも多い。

外食の商品以外にもスイーツや日用品をフォローするためにコンビニエンスストアやドラッグストアとのアライアンスも検討していきたい。基本的には当社はプラットフォームビジネスなので、今後もいろいろなことを考えている。日本だけで終わろうと思っていない。

――三森社長のビジネスに大戸屋が関わることは今後ありえるのでしょうか。

大戸屋の商品は父もこだわっていたし、美味しい。当社の外食宅配サービスでもいずれは扱えたらいいと思っている。大戸屋の株主という立場でいえば、正直今の業績は厳しい。頑張ってほしいということしか言えない。

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