「45分差で助かった命」京都→ニューヨーク出張中にまさかの「9.11」米同時多発テロ遭遇
「45分差で助かった命―」。京都市左京区で呉服卸店を営む広瀬智也さん(56)は毎年9月11日、インスタグラムにこんな文章を投稿する。23年前、出張先の米ニューヨークで同時多発テロに遭遇した。生死を分けた、ほんのわずかな時間差。「あの日、あの場所にいたことが今も信じられない。生かされたことに感謝し、犠牲になった人たちに祈りをささげたい」と語る。
かつて輸入雑貨卸の仕事をしていた広瀬さんは、2001年9月7日に商品を仕入れる目的で渡米した。11日はニューヨーク・マンハッタン島中心部にあるホテルを午前8時過ぎに出発。地下鉄に乗って世界貿易センタービル近くの雑貨店に向かった。
目的地まで半分ぐらいの地点に差しかかった時、列車が激しい金属音を響かせて急停止した。広瀬さんは何が起きているのか分からないまま、次の停車駅で他の乗客とともに降車させられた。地上に出るとパトカーや消防車のサイレンがあちこちから聞こえ、尋常ではない街の雰囲気に体がこわばるのを感じた。
ただ、この当時は情報収集に便利なスマホもX(旧ツイッター)もない時代。広瀬さんは世界を揺るがす大事件が今まさに起きていることなどつゆ知らず、5キロ先にある世界貿易センタービルへと歩を進めた。ところがすぐに立ち入り禁止のテープに行く手を阻まれた。
やむなくタイムズスクエアまで引き返した所で、広瀬さんの目は屋外スクリーンに映し出された光景にくぎ付けになった。それはたった今、自分が向かおうとしていたビルに航空機が突っ込む瞬間の映像だった。
最初はそれが何を意味するのか理解できず、「映画か何かかな」と思った。まもなく人だかりの中から「テロだ、テロだ」という声が上がり始めた。広瀬さんは恐怖を感じ、滞在先のホテルに慌てて戻った。
外務省発行の「外交青書」(02年版)には、同時多発テロが発生した当日の動きが時系列で紹介されている。
それによると、一機目の航空機が百十階建ての世界貿易センタービル北棟に突っ込んだのが午前8時45分、二機目が南棟に衝突したのが9時3分。ツインタワーと呼ばれた2つの建物はそれから1時間半もたたないうちに崩壊した。
広瀬さんがタイムズスクエアでスクリーン映像を見たのは9時半頃。「もし、1本でも2本でも早い列車に乗り込んでいたら自分の命は…」。そう思うと、ホテルに着いた後も生きた心地がしなかった。
広瀬さんはもともと9月12日にニューヨークを離れる予定だったが、空港閉鎖などの影響で現地にとどまらざるを得なかった。無事に帰国できるか不安でならず、不眠や食欲不振に苦しんだ。
一方、街中の公園には犠牲者の家族や知人らが続々と集まり、一帯は追悼ムードに包まれた。「罪のない市民が命を奪われたことへの怒りや悲しみはあった。でも、当時の自分は自分の事で精いっぱいで、他人に寄り添える余裕なんてなかった」。今もはっきり覚えているのは、気晴らしに入った衣料品店で店員から掛けられたこんな言葉。「おまえには帰るところがあっていいな。俺たちにはどこにも行くところがないんだ」
ようやく帰国便のチケットを入手できたのは9月末のこと。長らく不在にした京都の自宅では妻がきれいに飾り付けをし「おめでとう」と笑顔で出迎えてくれた。涙が出るほどうれしかった。
■「9.11」はもはや歴史の一コマか
あれから23年の歳月が流れた。テロ翌年に生まれた息子や若い世代にとって「9・11」はもはやリアルな出来事ではなく、教科書に記された歴史の一コマに過ぎないのかもしれない。「それならば自分があの日、あの場所で見たこと、感じたことを確かなものとして残したい」。そう考えた広瀬さんは今から4年前、京都新聞の読者投稿欄「窓」にこんな文章を投稿した。
「9・11 45分差で助かった命」
僕は19年前のこの日、ニューヨークのマンハッタンにいた。
仕事を兼ねた滞在中での出来事。前日、ツインタワービルの真下でランチをし、当日も快晴で、地下鉄でツインタワーに向かっていた直後、突然途中でストップし、地上に上がらされた。何が何だか分からないドラマだと思った。45分ほどの差で運よく助かった。
タイムズスクエアは人混みで混乱。タワーには行けず、徒歩でアッパーイーストまで行く羽目になった。それからはマンハッタンから出ることが不可能になり、20日間ほど閉じ込められた。これは一生忘れられないだろうし、もう今後あってはならないことだと強く感じた。
今は生きて帰れたことを前向きに捉え、現状の大変な日本、いや世界の情勢を乗り越えていかなければならないと思う。(2020年9月11日付)
以後、広瀬さんは9月11日を迎えるたび、愛用するインスタグラムにこの文章と平和を願うメッセージを合わせて投稿するようになった。
「9・11は自分にとって特別な日。あの日から世界の出来事を自分事としてとらえるようになった。世界では今も戦火が絶えないが、一日も早く平和が実現されるよう祈りたい」
