「親父、こんなに苦しかったのか」就職先の銀行で知った家業の低い評価 大人気の京都洋菓子ブランド「マールブランシュ」を継いだ3代目の決意
京都土産として絶大な人気を誇る「お濃茶ラングドシャ 茶の菓」は、株式会社ロマンライフの洋菓子ブランド「京都北山 マールブランシュ」の看板商品だ。1951年に祖父が開いた純喫茶「ロマン」は、2代目の父によって高級洋菓子店へと発展を遂げ、2023年、3代目・河内優太朗氏(40)に受け継がれた。「ケーキ屋の息子」がコンプレックスだった河内氏の意識を180度変えたのは、大学卒業後に入った銀行で知った衝撃の事実だった。河内氏に、会社を承継した思いを聞いた。
◆「自分はなんて親不孝者なんだ」
――幼い頃から「いずれは三代目」と意識されていたのでしょうか?
いえ、まったく。父からも「継いでくれ」とは人生で一度も言われたことはありません。
家業はコンプレックスだったんです。友人が自分で道を選んでいく中、私にだけ敷かれたレールがある。「楽でいいよな」と言われるのが嫌で、就活では家業と取引先のない会社ばかり受けました。
――なぜ、ロマンライフを継ぐことになったのでしょう。
2007年に同志社大を卒業し、銀行に就職して法人営業を担当しました。大企業から、家族経営のお菓子屋さんまで様々な経営者の方と話すと、皆さん大変な苦労をしているのが分かりました。
両親もそうだったのではとハッとしました。
就職先に家業を明かしていなかったこともあり、勤めていた支店に新規取引先候補としてうちの会社が上がって来たんです。でも、銀行からの評価が非常に低くて……。
きつい素振りを一切見せず、私も弟も小学校から大学まで私立に通わせて大切に育ててくれた両親を思うと、自分は何も返せていない、なんて親不孝者なんだと。そこで家業へ入ろうと決意しました。
◆お米も炊けないのに、製造部門へ配属
――入社すると決めた時、お父様の反応はどうでしたか?
2009年頃に打ち明けたのですが、「もう一社経験してほしい」とだけ言われました。それで1年間、上場会社の総務法務部でマネジメント管理等について学びました。ロマンライフに入社したのは2010年です。
――まず配属されたのは製造部だったそうですね。
それも父の意向です。銀行員時代はずっと営業畑でしたので「ロマンライフは食のメーカー。製造の現場には必ず入ってほしい」と言われました。実は私、お米も炊けなかったんです。“食を作る”というのは本当に未知の分野で、正直に言えば苦手意識もありました。
――製造の現場で見えてきたものはありましたか?
2年間で全ての現場を回りました。パティシエや「パートナー」さんというパート・アルバイトで働いてくださっている方々の愛社精神を肌で感じたのと、緻密なお菓子作り、研ぎ澄まされたクオリティを目の当たりにして「これは私には絶対できない」と圧倒されました。
◆「野菜農家じゃないんだから」それでも人を押し出す
――製造部門を経て、北山本店などの店長を務められたのち、2013年にマーケティング室に移られます。そこで感じたことはありましたか。
現場のスタッフは非常に丁寧なもの作りをしているし、フードロスに対しても厳しい目を持っている。でもメディアに取り上げられるのは「美しいデザイン」「京都らしい洋菓子は他にない」というブランディングばかりでした。
製造・販売スタッフ共に他社に負けないパワーがあるのに、現場の力をなかなか見てもらえない。「こんなに頑張ってくれているのに!」ともどかしさが募る中、クラフトマンシップが注目されていたこともあり、「人」を押し出したいと提案しました。
――どのような施策を展開されたのでしょう?
商品開発者の写真やケーキ職人の名前をプライスカードに入れました。提案時は部長から「野菜農家じゃないんだから」と言われましたが(笑)、その後「やってよかった」と評価してもらえました。
現在も「人」は経営理念の中心です。祖父も父も「大家族主義」を掲げ、従業員と温かく確かな関係を結びながら社を率いてきました。
手前味噌ではありますが、我が社の「人」は強い。2018年に常務取締役になってからの6年は、「現場力をいかに経営の競争力にできるか」を使命として職務に取り組んできました。
◆「10年後、社長になってもらう」
――2020年秋に京都市の本社敷地にオープンした、カフェや工房の複合施設「ロマンの森」のプロジェクトリーダーを担当されたそうですね。
発端は2013年、父から「10年後の2023年、社長になってもらう」と告げられたんです。そこに至るまでのプランを父が組んでくれ、そのひとつが「大きな投資を経験しておく」ことでした。2014年に本社建て替えの案件が浮上したので、私がリーダーを任されました。
――どういった点に尽力しましたか?
「誰のための店なのか」という軸を明確にするプロセスにはかなりの時間をかけました。はじめは「多数の集客を望める、テーマパークのような超広域店」という漠然としたイメージだったのですが、プロジェクト開始から1年半の討議を経て、「地域の方々に繰り返し来てもらえる、その土地に根差したお店にしよう」と決断しました。
◆「社長室は絶対に作りたくなかった」
――本社建て替えについては、どのような点を大事にしましたか?
私自身は相当のコストをかけたいと考えていましたが、社内からは「そこに力を入れても売上には繋がらない」という声もあがり、議論を重ねました。
様々な現場を渡り歩いてきた経験から、働く人のパフォーマンスを最大化することが、ひいては顧客満足度に繋がるという確信があったんです。
父も「アンリシャルパンティエさんのようなカッコいい会社を作りたい」が口癖でしたので、その思いが私にもインストールされていたのでしょうね。
――新オフィスのこだわりは何でしょう?
部署ごとに階や部屋が分かれていたのを、ワンフロアのフリーアドレスにして部署間の連携力を高め、タイムラグをなくしました。
それと、社長室は絶対に作らないと決めていました。我が社の強みである「社長と現場が近い」点をもっと加速させねばと。
事務所の制服もオフィスができる数年前に廃止しました。私達が提供しているのはワクワクや特別感。
店頭ではキラキラした洋菓子を売っているのに、事務所に入るとかっちりとした真面目な雰囲気であるよりは、自由かつ個性的なスタイルで、なおかつお客様やお菓子のことを一生懸命に考えている集団でありたいと願っています。
