小6女児を上裸にして男性医師が検診…小学校の健康診断が物議、横浜市教育委員会が回答
会社や学校で健康診断が行われる時期になった。そんな中、神奈川県横浜市のある小学校でトラブルが起こったとするXへの投稿が拡散されている。
《子ども(小6)が学校から帰ってきて、今日はクラスの女子が憤っていた、と報告。内科検診で聴診器を当てるのに、全員、上半身を脱がせたから。泣いた子もいるらしい。》
ほかの投稿によれば、なんと検診を行ったのは男性の医師だという。仕切りがあったものの、上半身裸で医師と対面させられ、泣いたり、抗議した児童もいたが、学校の教員からは“決まりだから”と言われたという。
この一連の投稿に対して、さまざまな意見が寄せられ、
《うちも娘がいますが、6年生にその対応は許せないです》
《裸にしなくたってやりかたはいくらでもあるのにそんなに必死で子ども裸にしてどうするの?》
《まだこんなことやる校医がいるんだ。しかも横浜で?あり得ない》
など、投稿者に同調する声がある一方で
《わたしは配慮より病気を見つけてもらえるほうがありがたい。ママ友の子は側弯症みつけてもらってたよ》
《誤診されたり疾患見逃される方が問題では?》
と正しい診断のためには必要と医師を擁護する意見も多く見られた。
「健康診断で子どもが上半身裸で検診を受けることに対して懸念の声が保護者から上がっていました。それを受けて、文科省は1月に子どもたちのプライバシーや心情に配慮するため、診断時の服装などについての考えを各教育委員会に通知しています。
そこでは、原則、体操服やタオルなどで体を覆うなど、児童の心情に配慮する必要があるとしています。ただ、心臓の異常の有無や背骨の病気の診断のために、体操服や下着をめくったり、直接聴診器を当てる場合があり、それを事前に保護者や児童に説明するように求めています」(全国紙記者)
教育委員会は“上裸検診”を認めるも…
横浜市教育委員会に対し、実際にこの投稿のような事実があったのかどうかを確認したところ、
「上半身裸で検診を行ったという話は聞いております。一方、それで泣き出す児童がいた、抗議があったという話は現状、聞いておりません」
上半身裸で検診を行うことについて質問すると、
「正確な検査、検診をするために必要なことであれば、上半身裸で行うこともありうると考えております。一方で、プライバシーや心情への配慮の面もございますので、着替えの場所には衝立を用意し、検診を行う場所には1人しか入れないようにしたり、女性の看護師さんもついていただいたりといったことも行っております。
また、健康診断で上半身の衣類を脱ぐということを、事前に子どもたちや保護者にお知らせをしております。
正確な検査、検診をするということの大切さと心情とプライバシーへの配慮するようにということは各学校に依頼し、そのうえで学校医さんときちんと打合せをし、実施方法に共通認識を持っていただき、子どもたちや保護者に理解を得てもらうようにと、各学校には通知しております」(横浜市教育委員会)
子どもたちの気持ちに配慮することも、成長期の病気や異常を見抜くことも大切。みなが納得できるような方法で子どもの健康を守ってほしい。
「X」で話題の「学校健診」 医師が児童生徒に脱衣を求める根拠はどこにある?…胸の音を聴くことは必要か
Dr.イワケンの「感染症のリアル」
身近なインフルエンザや帯状疱疹などから、海外で深刻なエボラ、マラリアなどまで、感染症の予防と治療について、神戸大学教授のイワケンこと岩田健太郎さんが解説します。
SNSの「X」(旧ツイッター)で、最近話題になっているのが「学校健診」です。学校での健康診断は、学校保健安全法が根拠になっています。1958年(昭和33年)に施行されたこの法律では、学校における児童生徒など及び職員の健康の保持増進を目的とし、健康相談や健康診断などが行われる旨を説明していて、児童生徒の健康診断を行う主体は学校とされています。
上半身裸で胸部を聴診
Xでは、小学生女子が上半身裸で胸部の聴診を受けなければならないことが問題になっています。娘を持つ親御さんの一部が「上半身裸で診察させるなんてありえない」と否定的な意見を述べたのに対し、医師の方も「重大な病気を見逃したらどうするんだ。誰が責任取るんだ」と反論します。
ぼくはこの議論を見ていて、いくつかの複数の論点が混在していると感じました。論点を明確に整理しないと、この問題はうまく議論できないと思います。
性的な目的で診察するのではない
最初に読者の皆さんに誤解がないように申し上げますと、大多数の医療者は、性的好奇心をもって患者さんを診察しているのではありません。
医師、看護師、放射線技師、理学療法士など、たくさんの医療従事者が患者さんの身体に関与します。患者さんの体に触ったり、観察したり、場合によっては針を刺したり、メスを入れたりします。医学において患者さんの「身体」を避けて通ることは不可能で、患者さんの身体に一切関わることなく医療行為を行うことは(まあ、ときにはそういうことが可能なケースもあるのですが)、かなり難しいと言えましょう。
ぼくが米ニューヨークで修業していたとき、ある女性の患者さんの身体に触れることなく診療することを、本人とその夫から要求されました。特定の宗教に属しており、患者さんは頭からすっぽりと衣服をまとっていて、その目しか見ることができません。ゆったりした衣服のせいで体形すら判然としません。
「これはまた、恐ろしく難しいことを要求してくるなあ」と困ってしまいましたが、そこは世界一多様で、かつ世界一あれやこれやの要求が多いと言われるニューヨーク市の患者さんです。「分かりました。なんとかしましょう」と、ぼくは知識や技術を駆使して、なんとかその患者さんのケアを完遂しました。
これは極めて例外的な話で、通常、ぼくは患者さんの身体を観察して診察し、検査や治療方針を決めていきます。それは極めてプロフェッショナルな営為であり、プロの営為のさなかに愚かしい劣情など入り込む余地はありません。
もちろん、医療者の中にはそのような性的関心を持ちながら患者さんと接する人もいるのかもしれません。だから、「100%例外なく」と主張する気は毛頭ないのですが、少なくとも、ぼくのこれまでの数十年の診療経験を振り返る限り、そういう劣悪な医療従事者は稀有(けう)な存在だと断言してもよいと思っています。
裸にならなくても、心音聴診はできる
胸部の聴診では、そもそも上半身裸にならないといけないのでしょうか。
服の上から聴診したのでは、心臓の異常所見を検出できないという意見が出されています。これについてぼくが調べた限り、着衣と脱衣における心音聴診の検出力の違いを明確に示した研究は見つけることができませんでした。ですから、この問題は「決着がついていない」と考えられます。
で、ぼくが普段どのように女性患者さんの心音を聴取しているかというと、服の下から聴診器を入れて、直接肌につける方法を取っています。着衣の上から聴く心音の是非は上述のように決着がついていませんが、それはまあ、どうでもいい。ちゃんと着衣のままでも肌からの心音聴取は可能なのです。上半身裸になる必要は、ないんじゃないでしょうか。
ただし、これはあくまでも心音の話。側彎(そくわん)症の診断においては脱衣の上で診察したほうが妥当性は高いかもしれません。しかし、側彎症の診断は背中を見るものですから、少なくとも乳房を直接医者にさらすことはありません。羞恥(しゅうち)心という点では、精神的な負担は軽減されるのではないでしょうか。
ちなみに、ぼくは通常、心音を聴取する際に、女性の患者さんにブラジャーを取るようには要請しません。特にブラジャーを外さなくても、必要な場所での心音は聴取可能です。ブラの形状とかにもより、場合によっては少しずらしたりもしますが、少なくとも外す必要はない。もちろん、上半身裸になる必要はありません。
医者の中には「ブラジャーもちゃんと脱がなくては心音はきちんと聴取できない」と主張する人もいます。しかし、ぼくはその主張には賛成しません。大事な異常所見はブラを着けたままでも聴くことができます。
心臓の感染症も多いので、心音の聴取にはかなり気を遣います。研修医たちが「異常ありません」と言っていても、実は心雑音を聞き取ることが多々あります。だから、ぼくは決して心音の聴取をないがしろにしているわけではないのですが、だからといってブラジャーがあるとまともに聴診できない、という意見には与(くみ)しません。むしろ、「そういう主張をする医者の技量がもうひとつなのではないか?」と若干、厳しい意見を持ったりしています。
というわけで、「心音を聴取するときには患者は上半身裸にならねばならない」というのは間違いだとぼくは主張したいのです。
脱衣が必要なことも
側彎症の診断以外にも、脱衣が必須となるケースはあります。今でも痛恨の誤診なので忘れられませんが、研修医1年目のとき、「発熱」の患者さんの診察をしくじったことがあります。若い女性の患者さんで、乳腺炎を発症していました。患者さんも恥ずかしがって胸が痛いことを言わなかった。ぼくも「ブラまでとって診察するのはちょっと……」とためらってしまい、乳房の診察はしなかった。そのために診断が遅れてしまったのです。
これは女性に限った話ではありません。ぼくのかつての同僚は、「腹痛」を訴える男の子の診察をしくじり、「精巣捻転」を見逃してしまいました。場合によっては緊急手術が必要になる大きな病気です。「おなかが痛い」と言っていても、本当は「キンタマ」が痛かったのです。思春期の男の子だと、恥ずかしがってそうは言わないかもしれない。そういう想像力が医師には必要です。ちゃんとパンツを脱がせて精巣を診察していれば、診断を誤ることはなかったのです。
我々は必要とあらば、患者さんの身体のありとあらゆるところを診察します。乳房や精巣を診察し、肛門に指を入れて直腸や前立腺の状態を調べることもあります。しかし、こういう診察を全ての患者さんにするわけではありません。その必要性が認められる場合にのみ、診察は要請されるのです。
同意は必要
ぼくはどんな診察であっても、必ず患者さんの許可をいただいてから行います。患者さんが嫌がっているのに、無理やり服を脱がせて診察なんてしません。患者さんの希望と、臨床上の緊急度がバッティングすることもあります。だれだって、肛門に他人の指なんて入れられたくはないでしょう。その場合は「なぜ、この診察が必要なのか」を患者さんに説明して理解していただき、同意をいただいたうえで診察します。なぜそのような診察(直腸診といいます)が必要なのか、これを理解していただくことも、医師の大事な仕事です。
患者さんが女性の場合は、ときには男性の場合であっても、ぼくは診察時には女性の職員を診察室に入れて、診察に付き添ってもらいます。これをシャペロンといいます。患者さんの善意を疑うわけでは必ずしもありませんが、それでも思い違いや誤解は生じるものですし、後で記憶が混乱することも珍しくはありません。第三者がいなければ「言った、言わない」「やった、やってない」の水掛け論になりがちです。無用な医療訴訟で双方、消耗しないためにも、診察時のシャペロンは必須だとぼくは思っています。
さて、ここで考えてみたいのです。学校健診で児童生徒に上半身裸になるよう、医師が要請できる根拠はどこにあるのか。特に、児童本人や家族が嫌がっているときにそれを行うことができる権利は、医師にあるのか?
学校保健安全法には「学校は児童生徒などの健康診断を行わねばならない」と書いてあるだけで、その児童生徒が嫌がっている場合などは想定していません。そうそう、かつては予防接種法も、個々人の予防接種は「義務」であり、非接種者に拒否権はありませんでした。現在ではそんなことはなく、たとえ定期接種であってもワクチン接種を拒否する権利は万人にあります。
「だって、健康診断をやらなければ、児童生徒の健康はどうやって担保するのか。健康診断をやるのが正しい行為だ」。そう主張する医師もいます。しかし、その医者目線の「正しさ」は児童生徒の希望や意思をないがしろにしてまで、強要すべき「正しさ」なのでしょうか。ぼくはそうは思いません。
なぜ、健康診断が必要なのか。その根拠について、我々は十分な説明を、児童生徒、親御さんにしてきたでしょうか。たぶん、不十分だったと思います。「そういうことになっているから」というやや上から目線で、そのような「決まり」を押し付けてこなかったでしょうか。「正しい」という根拠を錦の御旗にして。
たとえ医学的に「正しく」ても、医療者は住民に、医療行為を強要してはいけないのです。それが診察であれ、治療であれ……。学校健診がその例外になってよい根拠は乏しいです。
心音聴取は医学的に必要なのか
そもそも児童生徒の定期的な心音聴取は、医学的に「正しい」のでしょうか。この「そもそも論」を考えてみたいです。
もともと児童生徒の心音聴診は、昔多かった溶連菌感染の合併症、「リウマチ熱」を早期診断するためでした。リウマチ熱は、溶連菌感染の診断と治療の進歩のために先進国では激減、現在の日本ではまれな病気になっています。
では、現在の日本において、無症状の児童生徒の心音を聴取するメリットとはなにか。2016年版、学校心臓健診のガイドライン(日本循環器学会/日本小児循環器学会)では、心臓健診の手順について詳説しています。しかし、心音を聴取することでどのような結果が得られるかについては記載がありませんでした。
Xでは「心音聴取しないで小児が突然死したらどうするんだ」という意見を目にしました。しかし、このガイドラインによると「突然死を起こしうる疾患」はチアノーゼ性先天性心疾患、心筋症、急性心筋炎、Marfan症候群、先天性冠動脈起始異常・走行異常、川崎病冠動脈後遺症、肺高血圧症、そして諸々の不整脈とありました。医学的な議論はここでは省きますが、ルーチンの心音聴取で診断できる可能性は極めて低いと思います。まあ、心音聴取で不整脈は分かるかもしれませんが、「致死的な」不整脈である可能性は低いですし、心音聴取で見つけられる不整脈は、普通に手首の脈をとっても分かるでしょう。
米国の小児心臓疾患予防のガイドラインでは、心音のルーチンでの聴診について記載がありません。むしろ、家族歴や肥満の有無、喫煙の有無、運動をちゃんとしているか、などの情報収集に重きが置かれています。日本の児童生徒には、このような配慮がなされているでしょうか。
健診で大事なのは「見つけること」ではない
もちろん、心音を聞けば、異常心音を一定頻度見つけることは可能です。実に、20~80%の小児で心雑音が聴取されます。しかし、成人になるにつれてこの雑音は消失し、深刻な心臓の病気になるのはその1%だけです。
それでも、たとえ1%であっても、リスクのある小児を見つけることには意味がある。そういう主張もあるようです。
しかし、大事なのは「見つけること」ではありません。健診で見つけることにより、見つけられなかった場合と比べて、その小児の予後が改善することが大事なのです。
難しい言い方をしました。本職の日本の医者でもこのコンセプトが理解できない人は結構います。病気を早期に見つけても、長寿を約束しなければ、早期に見つける意味は乏しいのです。あとで症状が出てから治療しても、長生きの度合いが同じだったりすることはあるのです。
典型的なのはがん検診です。がん検診は、単に「がんを見つけるため」にやっているわけではありません。大事なのは「見つけたことによって長生きできる」ことです。見つけたけれども、結局、長生きの度合いは変わらない、あるいは余計な検査でかえって患者さんはしんどくなる、ことも多いのです。好例としては、福島第一原発事故後の、小児の甲状腺がんスクリーニングがあります。本稿でこの問題を詳しく論ずることはできませんが、室月淳先生の記事が参考になります。
無駄が多い日本の健診
小児、成人問わず、日本の「健診」には無駄が多いと昔から思っています。結果に寄与しない、やってもやらなくても対象者の健康に寄与しない項目がとても多いです。ぼく自身、職場の健診で毎年胸部の診察をやってもらっていますが、「これって毎年する意味あるの? 去年正常だった人が、どんだけ今年異常になるの?」「そもそも、流れ作業で、ちゃんと聴いていなさそうだし。呼吸音2か所だけで聴いて、病気分かるの?」とムムム感がいっぱいです。「あれこそちょっとしたセクハラなんじゃないか」と思われても、仕方がないような気がします。健診事業の利権じゃないの? とか邪推したくもなってきます。今後は、そういう懸念が生じないよう、科学的根拠を吟味して、対象者の健康に寄与することに注力してほしいものです。
というわけで、まとめです。
1.(多くの)医療従事者は性的満足のために患者の身体を診察しているわけではない
2.着衣のままでも心音診察は可能
3.脱衣を求めるなら、当該児童生徒の同意を得る
4.学校での心音診察に医学的メリット(アウトカムといいます)をもたらすという根拠は乏しい
