世界最大の老人国家・中国の「厳しすぎる現実」…21世紀になって明らかになった中国の「ひずみ」

世界最大の老人国家・中国の「厳しすぎる現実」…21世紀になって明らかになった中国の「ひずみ」

 中国は、「ふしぎな国」である。

 いまほど、中国が読みにくい時代はなく、かつ、今後ますます「ふしぎな国」になっていくであろう中国。

 そんな中、『ふしぎな中国』の中の新語・流行語・隠語は、中国社会の本質を掴む貴重な「生情報」であり、中国を知る必読書だ。

 ※本記事は2022年10月に刊行された近藤大介『ふしぎな中国』から抜粋・編集したものです。

三孩政策(サンハイジェンツー)

 「建国の父」毛沢東主席が1976年に死去した後、最高権力者となった鄧小平氏は、不屈の精神で「改革開放政策」を推し進めた。文化大革命によって「アジア最貧国」と化した中国は、鄧小平氏の指導力により、アジア最強の経済大国への道を邁進していった。

 鄧小平氏が英明なリーダーであったことは、前項で述べた通りだが、実は二つばかり「失策」を犯している。

 一つは、1989年6月4日の天安門事件だ。前述のように鄧小平氏の命令一下、人民解放軍の戦車部隊を北京に突入させた。

 鄧小平氏が犯したもう一つの「失策」が、長年にわたる「一人っ子政策」だ。中国語では「計画生育(ジーホアシェンユイ)」と呼ぶ。

 鄧小平氏自身には、5人も子供がいた。それにもかかわらず、1949年の新中国建国後に、毛沢東主席が「産めよ、増やせよ」のスローガンを掲げると、一人だけ強硬に反対した。副首相兼財政相だった1953年には、「避妊及び人工流産弁法」を発令し、必死に人口増加を食い止めようとした。

 「わが国は毎年1500万人も人口が増加しており、このままでは健全な経済発展ができなくなる」

 鄧小平副首相の主張は明快だった。100個のイモを100人で分ければ一人1個だが、500人で分ければ5分の1個になるというのだ。

 中国では春秋戦国の古代から、「人口はまさに財富である」(人口就是財富)とされ、「人口が増加する国は必ず強くなり、戸籍が減る時に国は即ち衰退する」(人口増者国必強、戸籍減時国則衰)と言われた。人口が増えれば、租税と兵役を増やせるからだ。そのため戸籍制度を定め、国民に名前を付けた。そこから漢字が全国に普及していった。

 古代からこうした常識が続いてきたため、鄧氏の持論に耳を貸す幹部はおらず、人口は建国時の約5億4000万人から、着実に増えていった。出生数がピーク時の1960年代には、年間2500万人を超える赤ん坊が産声を上げた。

 ところが毛沢東主席が死去し、その2年後に中国共産党を完全掌握すると、鄧氏はかねてからの持論を実行に移していく。

 1981年3月、国家計画生育委員会という中央官庁を新設。全国で10万人を超える公務員が、「一人っ子政策」の推進に従事するようになった。

 翌1982年9月に開いた第12回中国共産党大会で、「一人っ子政策」を党の指針に定めた。その3ヵ月後に施行した新憲法では、第25条でこう定めてしまった。

 〈国家は一人っ子政策を推進実行し、人口の増加を、経済及び社会の発展計画に適応したものにする〉

 夫婦が産む子供の数を憲法で定めてしまった国など、世界広しといえども中国だけだろう。まさに鄧小平氏の執念と言えた。

 このため、1980年代以降に生まれた中国人は、ほとんどすべて一人っ子となった。私の友人知人の中に、ごくたまに二人きょうだいという人がいるが、それは少数民族だったり、多額の罰金を払って産んだケースだ。

 「一人っ子政策」は当初、改革開放政策とあいまって、プラス面ばかりが強調された。だが1997年に鄧小平氏が死去し、21世紀に入ると、そのひずみが指摘されるようになった。

 例えば、「四二一家庭(スーアルイージアティン)」という言葉が流行語になった。両親とその両親(4人の祖父母)が、一人の子供を育てる家庭という意味だ。そうして育ったのが、「小皇帝(シアオホアンディ)」や「小公主(シアオゴンジュ)」(公主は皇帝の娘)と呼ばれるワガママし放題の子供たちで、社会問題化していった。

 私も中国で友人宅にお邪魔すると、「凶暴な一人っ子」に当惑することがしばしばあった。少しでも意に沿わないことがあると、「ウギャーッ!」と騒ぎ出し、両親を屈服させる。まるでミニゴジラだ。

 北京の幼稚園を見学した時、園長先生は「いま一番の問題は『児童肥胖(アルトンフェイパン)』です」と言った。ピッタリくる訳語は「幼年太り」。確かに少なからぬ幼稚園児たちが、ミニ力士のようで、教室はさながら子供相撲部屋のようだった。

 また農村部では、女の子が生まれると、戸籍に入れなかったり、間引いてしまったりしたため、男児ばかりが増えていった。2010年の新生児の男女比は、118.64対100! 何と男児が女児より2割近くも多いのだ。

 そのため現在では、3000万人もの中国人青年が「剰男(シェンナン)」(余り男)と言われる。東南アジアや、果てはアフリカにまで、嫁探しに行く中国人男性もいるほどだ。

 ちなみに「剰男」という言葉は、日本と若干の関わりがある。酒井順子のベストセラー『負け犬の遠吠え』(講談社、2003年)の「負け犬」(高齢未婚女性)という言葉を、台湾版では「敗犬(バイチュエン)」と訳し、中国大陸版では「喪家犬」(サンジアチュエン)と訳した。だがどちらの語もしっくりいかず、2007年に「剰女(シェンニュイ)」(余り女)という新語が生まれた。その男性版が「剰男」だ。

 中国では、「倒三角(ダオサンジアオ)」(逆三角形)という少子高齢化のいびつな人口ピラミッド社会が、近未来にやって来る。2049年に新中国建国100周年を祝うのは、5億人もの高齢者たちなのだ。中国は、まさに世界最大の老人国家である。

 こうしたことに蒼ざめた習近平政権は、いくつかの試行を経て、2016年の正月から、「人口及び計画出産法」を改正施行。全面的な「二人っ子政策」に転換したのだった。一家庭あたり二人の子供を認めるということだ。

 だが、2022年時点で40歳以下の中国人は、ほとんどが一人っ子で育っているので、いきなり「二人っ子政策」と言われても、戸惑っている若者も多い。晩婚化も進んでおり、2020年の第一子出産時の平均年齢は、29.13歳まで上昇した。

 そもそもコロナ禍の影響などで、景気は最悪。その上、物価高で生活費は高騰しており、二人の子供を育てる余裕がある家庭は多くないのだ。

 2022年1月17日、年に一度の会見に臨んだ寧吉喆国家統計局長は、「昨年の出生数は1062万人で、うち約43%が二人目の子供だった」と述べ、政府の「二人っ子政策」が浸透していることを強調した。だが、2020年の出生数は1254万人だったので、一年で192万人も減少したことになる。これは日本の2021年の出生数81.2万人の約2.4倍にあたる数だ。そのことについては、もぞもぞと弁明した。

 「出産年齢の女性の数が減少し、出産の観念も変わってきて晩婚化が進み、それにコロナ禍ということもあり……」

 それでも、いついかなる時でも強気、強気なのが習近平政権の特徴だ。2021年8月20日、「人口及び計画出産法」を再度改正し、三人目の子供の出産を奨励するようになったのだ。「三人っ子政策」時代の始まりである。中国語で子供は「孩子(ハイズ)」なので、これを「三孩政策(サンハイジェンツー)」と呼ぶ。

 同年12月9日、中国共産党傘下の「中国報道ネット」は「三人っ子政策を実行する党員幹部の適切な行動」を発表した。

 〈一人ひとりの党員幹部は、あれこれの主観的原因によって、結婚や出産を拒むことはできない。またあれこれの原因で、一人もしくは二人だけの子育てをしてもならない。三人っ子政策を実行することは、一人ひとりの党員幹部が、国家の人口発展の責任を受け持つことであり、国家の人口発展の義務を履行することでもあるのだ。

自分の家族や周囲の人が、あれこれと口実を設けて一人っ子や二人っ子に済ませることを黙認したり、放任したりすることは、絶対に許されないのだ〉

 まさに180度の方針転換だ。ただ、「強制的に行う」という共産党の態度だけは、いつの時代も変わっていない。

🍎たったひとつの真実見抜く、見た目は大人、頭脳は子供、その名は名馬鹿ヒカル!🍏