じつは、「麹菌」は日本にしかいなかった…欧米も認めたその安全性の真実とは

じつは、「麹菌」は日本にしかいなかった…欧米も認めたその安全性の真実とは

 基本調味料の「酢」「醤油」「味噌」はもちろん、「漬け物」「納豆」「鰹節」「清酒」さらには「旨味調味料」もーー。微生物を巧みに使いこなし、豊かな発酵文化を築いた日本。室町時代にはすでに麴(こうじ)を造る「種麴屋」が存在し、職人技として発酵の技術は受け継がれてきた。

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 実は科学の視点から現代の技術で解析を進めるにつれて、そのさまざまな製造工程がいかに理にかなったものであるか、次々に明らかになっている。発酵食品を生み出した人々の英知に改めて畏敬の念を覚えつつ、このような発酵食品について科学的な側面から可能な限り簡明に解説していく。今回は、日本の発酵技術を支えた「麹菌」について解説しよう。

麹菌はカビ

 和食は、新鮮な食材と一汁三菜を基本にしたバランスの良い組み合わせで自然と季節感を表現したものが基本である。濃厚なソースなどは使わず、食材そのものの良さを素直に引き出すための工夫が凝らされている。このような目的を達成するために、特有の調味料が使用されている点も見逃せない。

 鰹や昆布の出汁、塩、酢、醤油、味噌、日本酒、みりんなどが主な調味料であるが、ほとんどが日本独自の発酵食品である。さらに言えば、醤油、味噌、日本酒、みりんはすべて麹菌とよばれるカビを用いて製造されている。すなわち、麹菌こそが和食を和食らしくする根本なのである。

 では、麹菌とはどのようなカビであろうか。そもそも、発酵食品の製造にカビを用いるのは東洋の伝統であり、西洋では食品の加工にカビはほとんど使われない。白カビを用いたカマンベールチーズや青カビを用いるロックフォールチーズなどは数少ない例外である。

 夏場に乾燥しがちなヨーロッパや北米では、食品を放置してもほとんどカビが生えないため、カビになじみがない。ビールやウイスキーの醸造のために穀類のデンプンを分解するときも、麦の発芽時(麦芽)に生産される酵素アミラーゼが用いられる。

 一方、夏場に雨が降るモンスーン気候地帯であるアジアでは、高温多湿な環境を好むカビは、非常によく繁茂する。米、麦、大豆などの穀物にカビなどの微生物を生育させたものを「麹(こうじ)」といい、日本酒や中国の黄酒(ホアン・チュウ)などの穀物酒を醸造するときも、麹菌のアミラーゼにより穀類のデンプンを分解する。

 発酵食品の製造にコウジカビの一種である黄麹菌(アスペルギルス・オリゼーAspergillus oryzae)を用いるのは日本だけである。東アジアや東南アジアではコウジカビではなく、クモノスカビが発酵食品の製造に使われている。

 この違いはどうして生じたのだろうか。日本独自の麹菌について、紹介していこう。

「見えない細菌」と「見えるカビ」

 乳酸菌や納豆菌などの細菌の大きさは1~3ミクロン(1ミクロンは1000分の1ミリメートル)、パン酵母は5~10ミクロンである。肉眼の解像度は0.2ミリメートル(200ミクロン)程度であるから、どう頑張ってもこれらの微生物を肉眼で捉えることはできない。

 異臭を発して濁った汁や、ねばついた食材に膨大な微生物が存在しても、人間の眼に視覚的に認識されないため、微生物については自然発生説などの非科学的な迷信がなかなか払拭されなかった。一方、カビは数ミリの大きさがあるので、肉眼で確認できる。良いカビと悪いカビを識別し、良いカビを選抜して育種することが古くから可能であった。

単に麹菌といえば黄麹菌

 アオカビはペニシリウム属のカビである。1ミリメートル程度の短い菌糸が生え揃った様子が、なめらかなビロードの布のように見える。生育は比較的ゆっくりしていて、7日たってもコロニーの直径は2センチメートル程度である。放置したミカンやモチにいつのまにか生えている緑色のカビの多くがアオカビであり、抗生物質であるペニシリンの生産菌としても有名である。

 コウジカビはアスペルギルス属のカビであり、2~5ミリメートルの菌糸の先に緑色の胞子が着生する緑色のふわふわしたカビである。麹菌とよばれるアスペルギルス・オリゼー(以下、A・オリゼーと表記)もこの仲間である。

 ちなみに、漢字で「麹菌」とは、日本で発酵食品の醸造に用いられているカビのことであり、黄麹菌、黒麹菌、白麹菌、紅麹菌、醤油麹菌などがある。単に麹菌といえば黄麹菌(A・オリゼー)のことである。

 黒麹菌、白麹菌、醤油麹菌はいずれも日本で古くから使われているアスペルギルス属の近縁のカビであり、培養は2, 3日間で胞子を形成する前に塩水などに仕込む点も共通している。

 一方、紅麹菌は中国で使われてきたモナスカス属のカビであり、1週間以上培養して紅色の胞子を形成させる点など、日本の伝統的な麹菌とは全く異なるカビである。

 カタカナで「コウジカビ」とはアスペルギルス属のカビのことであり、菌糸の先端が膨らんで頂嚢(ちょうのう)を形成するのが特徴である。コウジカビには、病原性を有するA・フミガタスなども含まれる。

 クモノスカビはリゾプス属のカビであり、1センチメートルを超える長い菌糸の先端に黒い球形の胞子嚢を形成する。非常に生育が早く、わずか2日間で直径9センチメートルのシャーレ全体に拡がるほどの生命力を示す。

カビ毒とは?

 酒造りの最初の工程は、穀物のデンプンを分解して糖分にする「糖化」である。日本では麦や米などの穀物を蒸し、穀粒がバラバラの状態で麹菌を繁殖させる「バラ麹」が用いられる。

 麹菌には多量の酸素が必要なので、バラ麹にして通気性を確保することが重要である。さらに麹菌は生育が早いカビではないため、雑菌の混入を防ぐ工夫が必要である。そのため室の中で自然発生にまかせるわけにはいかず、穀物を蒸して殺菌したうえに純粋培養した麹菌を接種しなければならない。

 麹菌はアミラーゼなどの酵素の生産性が非常に高く効率よく穀物のデンプンを分解することができるため、麹の生産に必要な期間が圧倒的に短く、2~3日で完了する。さらに、純粋培養のため非常に澄んだ味の清酒を造ることが可能であり、原料に対するアルコールの生産性も格段に高い。つまり、飼いならすことができれば麹菌の生産性を大いに活用し、他国に類を見ない発酵食品を作ることが可能である。

 では、なぜ日本以外の国では醸造の工程で麹菌が用いられてこなかったのだろうか。それはおそらくカビ毒のためだろう。

 1960年の春から夏にかけて、イングランドで10万羽以上の七面鳥の雛(ひな)が死ぬ「七面鳥X病」が発生した。飼料として与えられたブラジル産のピーナツに生えていたA・フラバスというカビが産生する毒素が原因であることが判明し、この毒素はアフラトキシンと命名された。

 アフラトキシンは熱に強く、蒸しても毒は消えない。多量に摂取すると、ヒトや動物に急性の肝障害を起こし、黄疸、腹水、高血圧、昏睡などの症状を引き起こす。2004年にも、ケニアでアフラトキシン中毒により317人の黄疸患者が発生し、125人が死亡している。また、少量のアフラトキシンを長期間摂取すると、原発性の肝臓がんを発症する確率が高くなることが知られている。

 じつは、アフラトキシンを生産するA・フラバスが形成するコロニーは、麹菌A・オリゼーのコロニーと非常によく似ていて、肉眼では区別がつかない。

 東南アジアの豊かでなかった人々は、カビが生えた穀物をやむなく食し、不運にもカビ毒に当たった人も多かったことだろう。こうして東アジアや東南アジア諸国では、緑色のコウジカビは病気を引き起こす危険なカビであると認識され、発酵食品の醸造には忌避されていたと考えられる。

毒を作らないカビ

 アフラトキシンを作るA・フラバスと麹菌A・オリゼーがよく似ているため、1960年代に欧米の分類学者が両者を同一種とすべきであると提案して大問題に発展したことがある。

 たしかに形態的にも遺伝学的にも非常によく似ているため、生物学的には同一種とするのが妥当であるが、伝統的に安全な微生物とされてきた麹菌がカビ毒の生産菌と同一となると大変である。麹菌の安全神話が崩壊し、醤油や味噌を安心して使えなくなるうえに、麹菌を用いた発酵食品の輸出にも支障を来すことになる。

 そこで、日本中の醸造に用いられている麹菌が集められ、関連の研究者が総力を結集して麹菌の遺伝子を解析し、安全性について徹底的な検証が行われた。アフラトキシンの合成は多数の遺伝子が関与する長い生合成経路を経るため、関連するすべての遺伝子の活性が保持されているときだけ、アフラトキシンが生産される。

 日本の麹菌にはアフラトキシン生合成遺伝子は一通り揃っているが、いずれも重要な遺伝子の欠失や複数の突然変異のため、アフラトキシン合成能を完全に失っていることが確認され、安全宣言が出された。

 この安全宣言は産業的には重要である。たとえば、1986年に公表されたOECDの報告書に基づいて産業製品に用いられる「優良工業製造規範(GILSP)」により、最小限の手続きで大規模に取り扱うことができる安全な微生物が規定されていて、日本では経済産業省がその微生物のリストを公表している。

 GILSPに掲載される微生物の多くは、特定の菌株に限定されている。たとえば大腸菌(エシェリキア・コリ)にはO-157株のような病原菌が含まれるため、BL21株やK12などの特定の菌株だけが指定株である。

 菌株によらず認定されているのは、麹菌(A・オリゼー)、グルタミン酸生産菌(コリネバクテリウム・グルタミカム)、耐熱性アミラーゼ生産菌(ゲオバチルス・ステアロサーモフィルス)、パン酵母(サッカロミセス・セレビシエ)の4種だけであり、これらの微生物は無条件に安全性が保証される超優良株である。

 麹菌の安全性は米国食品医薬品局(FDA)にも認められ、食品添加物の安全基準合格証であるGRAS(Generally Recognized As Safe)が与えられている。

麹菌はどこから来た?

 麹菌A・オリゼーの和名は「ニホンコウジカビ」であり、事実上日本にしかいない。では、麹菌はどこから来たのであろうか。2005年に麹菌のゲノム解析が完了して遺伝子が解読されると、A・フラバスと比較してA・オリゼーは、

 カビ毒を生産する遺伝子群が機能を失っていること

 1個の胞子に複数の核(一般的なカビでは1個)が含まれるため、形質が安定で発芽が早くなること

 アミラーゼの遺伝子が重複して酵素の生産量が増大していること

 など、ことごとく発酵生産に好都合な変化が起こっていることが明らかとなった。このことから、元来A・オリゼーは自然界には存在せず、祖先のA・フラバスから日本人が発酵食品に都合の良い株を選抜・育種してきたものとする学説が有力である。なるほど、麹菌が日本にしかいないわけである。

 ではいったい、日本人はいつごろから麹菌を飼いならしていたのだろうか。

 日本で水田耕作が始まった弥生時代には、蒸した米を口に入れて噛み砕き唾液を含ませてから壺に吐き入れて保存した。唾液のアミラーゼによりデンプンが糖分に分解し、天然の酵母がアルコール発酵を行って酒ができた。これが口噛み酒である。口噛み酒は大変な手間がかかるので大量生産には向かず、主として神事などの儀式に用いられていた。

 やがて、蒸米にカビが生えると、口で噛まなくても同じような酒ができることに気がついた。麹菌の学名A・オリゼー(A. oryzae)は「米に生えるカビ」という意味である(イネの学名はオリザ・サティバ〈Oryza sativa〉)。

 初期の頃は、蒸した米に自然に生えたカビをそのまま酒造りに用いていたのだろう。やがて、カビの生えた米を種として、蒸米に植えることによりどんどん増やし、そこから性質の良いカビを選んで次の酒造りに使うようになったと考えられる。米麹(こめこうじ)の始まりである。しかし、この方法は不安定で、他のカビや乳酸菌が混入して酒造りに失敗することも多かったと考えられる。

 そして、酒造りのためのカビを専門に造る技能集団が現れ、酒造家に優良なカビ(麹)を供給するようになる。種麹(たねこうじ)屋の出現である。室町時代には、種麹屋の組合である麹座が酒屋に麹を供給していたこと、税を確保するために幕府の役人が麹の密造を取り締まったことなどの記録が残っている。

 やがて種麹屋は、味噌や醤油の製造業者にも専用の麹を供給するようになり、和食の根幹を支える清酒・醤油・味噌製造の元締めとなって発展していく。現代でも秘伝の技により製造され、桐の箱に収められた種麹が全国の酒造家に出荷され、吟醸酒などの醸造に用いられている。

温度管理が命の「黄麹菌」と清酒

 黄麹菌A・オリゼーは清酒の醸造にも用いられるが、焼酎の醸造には黒麹菌A・リュウキュウエンシス(近年A・アワモリより改名)や、黒麹菌から派生した白麹菌A・カワチなどが用いられる。なぜこのような麹菌の使い分けがされているのだろうか。

 清酒は古くから寒造りといって厳冬期に醸造されてきた。清酒の製造職人である蔵人たちは、夏場は農家として米作りに従事し、農作業ができない冬場に酒造りに精を出したという労働事情もあるが、もっと重要な要因は温度管理である。

 冷凍機のなかった時代は、人為的に温度を下げることができなかった。そのため、発酵槽である樽のもろみの温度が必要以上に上がらないようにするために、雪の積もる厳寒の気温が必要だったのである。

 温度が上がりすぎると、清酒酵母よりも先に乳酸菌が繁殖してもろみが台無しになる「腐造」が発生しやすくなる。ひとたび腐造が発生すると、蔵元に大損害を与えるため、酒造りの責任者である杜氏(とうじ)が首を吊ってお詫びするような悲劇も起こった。

雪の降らない温暖地での醸造を支える「黒麹菌」

 では、冬場に雪の降らない温暖地ではどうやって酒を造ったのだろうか。九州南部や沖縄などの温暖地では、黄麹菌の代わりに黒麹菌を用いて酒造りを行った。黒麹菌は鉄分が不足すると、鉄を引きつける性質をもつクエン酸を大量に生産する。クエン酸は乳酸よりも強い酸であり、pHが急激に下がって乳酸菌すら生育することができなくなる。そこで、酸に強い酒造酵母がじっくりとアルコール発酵を行うことが可能になる。

 しかし、クエン酸は非常に酸っぱいので、できた酒をそのまま飲むことはできない。そこで、蒸留して焼酎にする。クエン酸は揮発しないので、アルコールと香気成分だけが揮発して濃縮される。じつに合理的な発想である。このような使い分けを経験と勘により生み出した日本の酒造技術には改めて驚かされる。

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