漫画家・鳥山明さん(68)急逝 3月1日に急性硬膜下血腫のため『ドラゴンボール』『Dr.スランプ』名作うみだす【コメント全文】

漫画家・鳥山明さん(68)急逝 3月1日に急性硬膜下血腫のため『ドラゴンボール』『Dr.スランプ』名作うみだす【コメント全文】

『ドラゴンボール』『Dr.スランプ』などの名作を生み出してきた漫画家の鳥山明さんが2024年3月1日に急性硬膜下血腫のため亡くなっていたことが分かりました。68歳でした。

葬儀は近親者のみで執り行われたということです。

プロダクションからの発表

ファン、関係者の皆さまへ

突然のご報告になりますが、

漫画家・鳥山明は2024年3月1日、急性硬膜下血腫により永眠しました。68歳でした。

熱心に取り掛かっていた仕事もたくさんあり、

まだまだ成し遂げたいこともあったはずで、残念でなりません。

ただ、故人は漫画家としていくつもの作品を世に残して参りました。

多くの世界中の方々に支持していただき、45年以上にわたる創作活動を続けることができました。

これからも鳥山明唯一の作品世界が、末永く皆さまに愛され続けることを切に願います。

生前のご厚誼に深く感謝し、ここに謹んでお知らせいたします。

なお、葬儀は近親者のみにて執り行いました。

静謐を望む本人の意向により、ご弔問・ご香典・ご供物・ご献花その他はご辞退申し上げます。

家族への取材等につきましてもお控えいただきますよう、ここにお願い申し上げます。

今後のお別れの会等については未定ですので、決まり次第お知らせいたします。

何卒ご理解を賜りますようよろしくお願いいたします。

2024年3月8日

株式会社バード・スタジオ

株式会社カプセルコーポレーション・トーキョー

鳥山明さんの歩み

鳥山さんは1978年『週刊少年ジャンプ』にて読み切り作品『ワンダーアイランド』でデビュー。

『Dr.スランプ』の連載を開始すると、1981年にはアニメ化もされ、大人気に。

その後、1984年からは『DRAGON BALL』を連載。アニメ化され、世界的に愛される作品となっています。

漫画家としての活動とともに、デザイナーとしても活躍し、大人気ゲーム「ドラゴンクエストシリーズ」ではキャラクターデザインを担当しました。

2023年8月には自身の作品「SAND LAND」がアニメ映画化され話題を呼びました。

また、2024年の秋には完全新作となるアニメシリーズ『ドラゴンボールDAIMA(ダイマ)』がスタート予定。

鳥山明さん 命を奪った急性硬膜下血腫とは ほとんどが頭部外傷によるもので死亡率は60%

「ドラゴンボール」などで知られる漫画家の鳥山明さんが1日、急性硬膜下血腫で死去した。68歳。愛知県出身。週刊少年ジャンプの公式サイト及び「ドラゴンボール」公式サイトで8日、発表された。

 週刊少年ジャンプ、Vジャンプ、ジャンプSQ.、最強ジャンプ、少年ジャンプ+の5誌の編集部連名で「ジャンプ誌上でたくさんの作品を発表された鳥山明先生が逝去されました。突然の訃報に、集英社・編集部一同大きな悲しみに包まれております」と報告した。

 鳥山さんの命を奪った「急性硬膜下血腫」とは、ほとんどが頭部外傷によるもので、交通事故や高所からの転落、スポーツによる受傷など頭部に外から強い力がかかることが原因で発症する。けがなどによって生じる脳を覆っている硬膜と脳表との間の急性出血。脳の表面の血管の損傷が原因となることが多く、脳そのものの損傷(脳挫傷)を伴うことがある。高齢者に多く、死亡率は60%と高い。予後不良率も高く、後遺症がある場合も多い。

 関係者によると、鳥山さんは「2月に脳腫瘍の手術をする」と話していたという。期待作の公開を控えた決断だったが、帰らぬ人となった。

 鳥山さんは1978年に集英社「週刊少年ジャンプ」52号で読み切り作品「ワンダーアイランド」でデビュー。その後「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」と大ヒット作を生み出し、いずれもテレビアニメ化、映画化され、国内のみならず世界的に愛された。漫画のみならず、「ドラゴンクエストシリーズ」などのゲームのキャラクターデザインなど幅広く活躍。今年3月4日、読切作品「SAND LAND」プロジェクト発表会が開かれたばかりで、新作アニメ「ドラゴンボールDAIMA」の公開も控えていた。

鳥山明さん、68歳という若さでの急逝に国内外に衝撃「日本の宝が…」「信じられない」

日本のみならず世界で衝撃

 漫画『ドラゴンボール』などで知られる漫画家の鳥山明さんが3月1日に急性硬膜下血腫により死去したことが分かった。8日にドラゴンボール公式サイトなどで伝えられた。68歳だった。あまりにも突然の訃報に日本のみならず世界で衝撃が広がっている。

 鳥山さんは3月1日、急性硬膜下血腫により永眠したことが発表された。「熱心に取り掛かっていた仕事もたくさんあり、まだまだ成し遂げたいこともあったはずで、残念でなりません」とつづられた。

「SAND LAND Project」が動き始め、2024年秋には世界に向けて『ドラゴンボールDAIMA』が配信が決まっている中での突然の訃報となった。

 68歳という若さでの死去にネット上では「はやすぎるよ…」「また日本の宝が旅立たれてしまった」「突然過ぎますよ…」などの声がズラリと並んだ。

 また海外ファンからも「信じられない」「あなたの作品は私の子供時代の大部分を占めていて、私の世界を変えました」など悲しみの声があがっている。

親交の深かった尾田栄一郎など漫画家からお悔やみコメント 漫画家・鳥山明さん68歳で死去

突然の訃報に、集英社・編集部一同大きな悲しみに包まれております。

『Dr.スランプ』『DRAGON BALL』『SAND LAND』...先生が描かれた漫画は、国境を越え世界中で読まれ、愛されてきました。

また、先生が生み出された魅力あふれるキャラクターたちと、その圧倒的なデザインセンスは、数多くの漫画家・クリエイターに大きな影響を与えてきました。

先生の偉大なご功績を讃え、感謝の意を表するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

バード・スタジオ

カプセルコーポレーション・トーキョー

ファン、関係者の皆さまへ

突然のご報告になりますが、漫画家・鳥山明は2024年3月1日、急性硬膜下血腫により永眠しました。68歳でした。

熱心に取り掛かっていた仕事もたくさんあり、まだまだ成し遂げたいこともあったはずで、残念でなりません。

ただ、故人は漫画家としていくつもの作品を世に残して参りました。

多くの世界中の方々に支持していただき、45年以上にわたる創作活動を続けることができました。

これからも鳥山明唯一無二の作品世界が、末長く皆様に愛され続けることを切に願います。

生前のご厚誼に深く感謝し、ここに謹んでお知らせいたします。

なお、葬儀は近親者のみにて執り行いました。

静謐を望む本人の意向により、ご弔問・ご香典・ご供物・ご献花その他はご辞退申し上げます。

家族への取材等につきましてもお控えいただけますよう、ここにお願い申し上げます。

今後のお別れの会等については未定ですので、決まり次第お知らせいたします。

何卒ご理解を賜りますようよろしくお願いいたします。

ドラゴンクエストゲームデザイナー 堀井雄二さん

本当に、あまりに突然な鳥山さんの訃報で、まだ信じられない気持ちでいっぱいです。

鳥山さんとは、ボクが少年ジャンプのライターをやっていた頃からの知り合いで、担当編集者の鳥嶋さんの勧めもあり、ドラゴンクエストを立ち上げる時に、彼にゲームの絵を頼むことにしました。

あれから37年余り、登場人物のキャラクターデザイン、モンスターデザイン、とても数えきれないほどの魅力的なキャラを描いていただきました。

ドラゴンクエストの歴史は、鳥山さんのキャラデザインとともにありました。

鳥山さん、故すぎやま先生は、ドラゴンクエストを長きに渡って作ってきた仲間でした。

亡くなってしまうなんて‥‥。

これ以上、なんて言えばいいのか言葉になりません。本当に、本当に、残念です。

桂正和先生

力がぬけて気力が出ません。

こんな事のコメントはしたくないですね。

けど、何か書きます。書き出したら、言いたい事だらけなんで、めちゃくちゃ長文になりそうだけど、できるだけ、コンパクトにまとめます。

ただ、気持ちがまとまらないので、乱文お許しを。

思い返しても。大袈裟でなく、お宅に遊びに行った時、うちに泊まりに来てもらった時、遊びに出掛けた時、全部が楽しい思い出しかなくて、電話をする度に、疲れるほど笑ってました。

面白い人だった。

すけべで、可愛くて、毒舌で、謙虚で。

本職の漫画では、合作とかもしたけど、あれも楽しかった。

でも、99%漫画の話をした事はない付き合いでしたね。

漫画家として、見てる風景、作家のレベルも違いすぎて、偉大さを意識した事が無かったです。わかってはいます。

けど、本人と接する時は微塵もそれは感じなかった。人柄ですね。だから偉大な漫画家というより、今も友人としてとしか考えられない。

去年の夏、私が手術をする前に、どこかで聞いたらしく、メールくれました。

本当ーーに、メールなんて珍しく、心配そうに私の体を気遣う内容。

40年来の付き合いだけど、鳥山さんから、あんなに優しくされたのは初めてだったかも。雪が降るかと思いましたよ。いつもは冗談か、くだらない話しかしないっすからね。

なんすか、人の心配してる場合じゃないじゃん、全く。

そのちょっと前だったか電話した時、その頃、色々具合が悪かった私は「多分先に逝くんで、お別れ会とかやってくださいね、鳥山さん仕切りで!あと、箔がつくからスピーチして下さいね!」と約束したのに、守ってもらえなかった。

メールをくれた後、なんで電話しなかったのか、それが、すごく後悔です。

もうくだらない話で長電話ができない事が、残念でしかたないです。

話したい事が沢山溜まってます。いろんな話があるんです。興味のない話は、いつものように、うわの空に聞いてもらってもいいんで、もう一度話したいです。

私の、また連絡くださいとのメールの返事に、軽くOKって書いてあったのが最後なんて、ダメです。心底辛いです。

尾田栄一郎先生

あまりに早すぎます。

空いた穴があまりに大きすぎます。

もう二度と会えないと思うと、悲しみが押し寄せてきます。

子供の頃から憧れすぎていて

初めて名前呼んで貰えた日の事も覚えています。

我々に「友達」という言葉を使ってくれた日の帰り道

岸本さんと盛大にはしゃいだ日も懐かしいです。

最後に交わした会話も覚えています。

漫画なんて読むとバカになるという時代からバトンを受け取り

大人も子供も漫画を読んで楽しむという時代を作った一人でもあり

漫画ってこんな事もできるんだ

世界に行けるんだ、という夢を見せてくれました。

突き進むヒーローを見ているようでした。

漫画家に限らず

あらゆる業界で活躍するクリエイター達の少年時代に

ドラゴンボール連載当時の興奮と感動が根付いているでしょう。

その存在は、大樹です。

同じ舞台に立った僕ら世代の漫画家にとって

鳥山作品は近づく程により大きな存在と気づかされました。

怖いくらいに。

でもまた、飄々としたご本人に会えるとただ嬉しい。

僕らは血液レベルで鳥山先生が大好きだから。

鳥山先生の残された創造性豊かな世界に

敬意と感謝を込めて、心よりご冥福をお祈りいたします。

天国が先生の想い描いた通りの愉快な世界でありますように。

岸本斉史先生

突然のことで何をどう書けばよいのか正直わかりません。

ただ今は鳥山先生にいつか聞いて欲しかった事、想いをお伝えさせて頂きたく思います。

小学生低学年でDr.スランプ、高学年でドラゴンボールとずっと先生の漫画と一緒に育ち、生活の一部で先生の漫画が隣にあるのが当たり前でした。

嫌なことがあっても毎週のドラゴンボールがそれを忘れさせてくれました。何もなかった田舎少年の僕にとってそれは救いでした。

本当にドラゴンボールが楽しすぎたからです!

大学生のときです。突然、僕の生活に長年当たり前にあったそのドラゴンボールが終わりました。

とてつもない喪失感に襲われ何を楽しみにすればいいのか分からなくなりました。

でもそれは同時にドラゴンボールを生み出してくれた先生の偉大さを心から知る事ができるきっかけでもありました。

僕も先生のような作品を作りたい!

先生のようになりたい!

と、先生の後を追いかけるように漫画家を目指すうちにその喪失感もなくなっていきました。

漫画作りが楽しかったからです。

先生を追いかける事で新しい楽しみを見つける事が出来ました。

先生はいつも僕の指針でした。

憧れでした。

先生にはご迷惑かもしれませんが勝手に感謝しています。

僕にとってはまさに救いの神であり、漫画の神様でした。

初めてお会いした時、緊張し過ぎて一言も喋れませんでした。

ですが手塚賞の審査会で何度もお会いするうち話せるようになりました。

ドラゴンボールチルドレンとして尾田さんと2人して子供に戻りまるで競争するかのようにいかにドラゴンボールが面白かったのかをはしゃいで話した時、まんざらでもない様子で少し恥ずかしそうな笑顔をされていたのが忘れられません。

今、先生のご訃報を受けたばかりです。

ドラゴンボールが終わった時以上のとてつもない喪失感に襲われ...

まだこの心の穴にどう対処すればよいのか分かりません。

今は大好きなドラゴンボールも読めません。

先生へお伝えしたいこの文章もまともに書けている気がしません。

世界中の皆んながまだまだ先生の作品を楽しみにしていました。

もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら...すみません...

それはわがままな事なのかもしれませんが、悲しいです先生。

鳥山明先生、45年もの間たくさんの楽しい作品をありがとうございました。

そして本当にお疲れ様でした。

残された家族のみなさまにおかれましては今はまだ深くご傷心のことと思われます。

ご自愛くださいませ。

鳥山明先生の安らかな眠りをお祈り申し上げます。

“ものぐさ”だった鳥山明さん 超サイヤ人の金髪、消すはずだったアラレちゃんメガネ…「逸話」多数

「ドラゴンボール」「Dr.スランプ」などで知られる漫画界のレジェンド鳥山明(とりやま・あきら)さんが1日、急性硬膜下血腫で死去した。68歳。愛知県出身。名作を数多く生み出すレジェンドながら気さくで、また緻密なキャラクターを生み出す一方で「面倒くさがり」という、愛される多数のエピソードで知られていた。

 1980年に「Drスランプ」が連載を開始し、瞬く間に人気を集めた。その後、1984年から「ドラゴンボール」連載がスタート。アニメ化・映画化と次々と映像化され、日本国内にとどまらず、世界各国で愛される作品となった。

 「ドラゴンボール」は全42巻。単行本に挟まれたミニ漫画「最近のわし」「これを書いてたころのわし」などで、長期にわたる連載中のさまざまなエピソードが記されている。

 例えば、スーパーサイヤ人が「金髪」の理由は、「ベタを塗る手間を省くため」という“ものぐさ”なエピソードは有名。これが高じ、全編をサインペンのみで描いた「POLA&ROID」という漫画も誕生したほどだった。

 また、敵が必殺技で街を全て吹き飛ばすシーンがあるが、これも「背景を描くのが大変だったから」という理由から荒野にしてしまったというエピソードも。

 さらに、「Drスランプ」単行本第16巻では、アラレちゃんの「トレードマーク」になったメガネについて「ロボットが近眼だったらおもろいかな~という、ほんのギャグのつもりでメガネをかけさせたのだが いつの間にかトレードマークになってしまい、メガネをはずすきっかけをうしなってしまった。ホントはメガネをかくのは わりと めんどくさいので とってしまいたかったのだが…」と本音を明かし、笑いを誘っている。

 それでもこだわり抜いた圧倒的な画力で唯一無二の魅力を放ち、読者の心をつかんで離さなかった。鳥山氏の“面倒くさがり”が、伝説的な長期連載を支えた一面もあった。

 世界中に愛された鳥山さん。突然の訃報に、各界から追悼の声が止まらない。(中村 綾佳)

 鳥山さんは1978年に集英社「週刊少年ジャンプ」52号で読み切り作品「ワンダーアイランド」でデビュー。その後「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」と大ヒット作を生み出し、いずれもテレビアニメ化、映画化され、国内のみならず世界的に愛された。漫画のみならず、「ドラゴンクエストシリーズ」などのゲームのキャラクターデザインなど幅広く活躍。今年3月4日、読切作品「SAND LAND」プロジェクト発表会が開かれたばかりで、新作アニメ「ドラゴンボールDAIMA」の公開も控えていた。

『Dr.スランプ』漫画家・鳥山明さん死去 デビューから約46年 功績を振り返る

『DRAGON BALL』や『Dr.スランプ』などで知られる漫画家の鳥山明さんが1日に急性硬膜下血腫のため亡くなったことがわかりました。68歳でした。

1955年4月5日、愛知県に生まれた鳥山さん。1974年、県立工業高校のデザイン科を卒業し、広告関係のデザイン会社にデザイナーとして入社しました。

その後、1977年にデザイン会社を辞め、1978 年に『週刊少年ジャンプ』の読切作品『ワンダー・アイランド』で漫画家デビューしました。

関連書籍によると、漫画家になったきっかけについて、最初はお金目当てだったとインタビューで明かし、「たまたまマンガを募集してたから、応募してみたんです、あとは意地です」と語っていました。

鳥山さんの名を知らしめたのは、1980年に連載がスタートした『Dr.スランプ』。自称・天才科学者の則巻千兵衛と、千兵衛が生み出したアンドロイド・アラレちゃんが繰り広げる痛快ドタバタギャグ漫画で、1981年にはテレビアニメ化され、アラレちゃんは大人気キャラクターとなりました。

さらに、1984年にはのちに大ヒットを記録する『DRAGON BALL』の連載がスタート。主人公・孫悟空が、7つそろうとどんな願いもかなうというドラゴンボールをめぐって大冒険を繰り広げる物語は人気を博し、コミックスは全世界累計2億6000万部を超えています。(2024年1月時点)

『DRAGON BALL』は、1986年にはアニメ化され、その後数々の映画も公開されています。

2013年には、第40回アングレーム国際漫画祭の40周年記念特別賞を受賞。 2019年には、フランス芸術文化勲章シュバリエを受章しました。

2023年8月には、冒険ファンタジー作品『SAND LAND』が映画化され、アメリカなどでも上映され、北米最大規模の映画祭・ファンタジア国際映画祭で、審査員特別賞を受賞するなど、世界的にも評価されていました。

葬儀は近親者のみで執り行われたといい「静謐を望む本人の意向により、ご弔問・ご香典・ご供物・ご献花その他はご辞退申し上げます」ということです。また、お別れの会などについては未定とし、決まり次第発表されるということです。

『SAND LAND』、新情報解禁 鳥山明氏のコメントも到着「地味好きな僕では実現しなかった」

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ドラクエのスライム誕生秘話 当初の案は「ドロドロ」も…雨粒イメージしドラクエ世界観の原点作る 鳥山明さん死去

「ドラゴンボール」などで知られる漫画家の鳥山明さんが3月1日、急性硬膜下血腫のため亡くなっていたことがわかった。鳥山明さんは、人気ゲームの「ドラゴンクエスト」シリーズのキャラクターデザインも担当した。

人気のモンスターのスライムは、ドラクエの生みの親の堀井雄二さんの案で書かれたラフ画では、不定形でドロドロな見た目で、「人の顔などに張り付いて窒息死させる」というものだった。

ところが、鳥山明さんがデザインしたのは、おなじみの雨粒形に大きな目と口がついた、どこかかわいいスライムだった。

このデザイン一つで、ドラクエのモンスター=かわいくて愛嬌がある、という世界観が決まったのだという。

鳥山明さんが「ゲーム業界」に残した功績 『ドラクエ』×『FF』タッグ作も

2大RPGのクリエイターが集結した、スーファミ時代の名作も

『Dr.スランプ』に『ドラゴンボール』と、大ヒット作を立て続けに生み出し、その後も数々の作品を意欲的に世に送り出した漫画家の鳥山明さんが、急性硬膜下血腫で亡くなりました。この訃報は、「ドラゴンボールオフィシャル」公式X(旧:Twitter)で明かされたもので、2024年3月1日に永眠されたとのことです。

 鳥山さんが手がけたマンガ作品はもちろんのこと、アニメ化した映像作品も好評を博し、海外でも広く愛されました。マンガ史に残るその功績は、世界中のファンが知るところですが、鳥山さんの活躍は「ゲーム業界」にも及んでいます。

 国民的RPG『ドラゴンクエスト』シリーズのキャラクターデザインが特に有名ですが、鳥山さんが関わったゲーム作品は『ドラクエ』だけではありません。さまざまな作品を通してゲーム業界にも貢献した鳥山さんの活躍を3作品から振り返ります。

●夢の競演を実現させた『クロノ・トリガー』(1995年)

 ファミコン・スーパーファミコンの時代に、RPGの一大ブームが巻き起こりました。その火付け役とも言える『ドラクエ』シリーズと、後発ながら頭角を現した『ファイナルファンタジー』シリーズが、競い合いながらゲーム業界を大いに盛り上げていきます。

 そんなRPG黄金期の最中に生み出されたのが、スーパーファミコンソフト『クロノ・トリガー』です。中世風ファンタジーのRPGが主流だったなか、過去や未来を行き来するタイムトラベルを主軸に、SF要素も盛り込んだ意欲的な作品として大きな注目を集めました。

 また本作は、メインキャラクターのデザインを務めた鳥山さんに加え、『ドラクエ』シリーズの中核的存在である堀井雄二さん、『FF』シリーズの生みの親・坂口博信さんも携わっています。

 RPG黄金期の2大巨頭を生み出したクリエイター陣が結集し、まったく新しいRPGを作る。夢のような展開は、RPGファンの心を大きく揺さぶりました。ですがそれ以上に驚かされたのが、『クロノ・トリガー』の完成度でした。

 シリーズの展開数自体は、『ドラクエ』や『FF』に及ばないものの、スーパーファミコン時代のRPGを語る上で、『クロノ・トリガー』の存在感はこの2シリーズと比べても引けを取りません。

『クロノ・トリガー』のパッケージを見るだけで、当時のプレイ体験が鮮やかに蘇る。そんなファンも多いことでしょう。

00年代に『FF』坂口博信さんと再びタッグ!

●鳥山さんも登場!? 「つかみ」が奥深い『トバルNo.1』(1996年)

 アーケードゲームの『ストリートファイターII』をきっかけに、対戦格闘というジャンルが一気に花開きました。その勢いは2D格闘だけに留まらず、『バーチャファイター』や『鉄拳』といった3D格闘にも広がり、それぞれが独自の発展を遂げていきます。

 そんな時代に生まれたPlayStationソフト『トバルNo.1』は、『バーチャファイター』や『鉄拳』などに関わったスタッフが集まった「ドリームファクトリー」が開発した3D格闘アクションゲームです。本作もまた、2大巨頭に関わったスタッフが交わる、夢のような作品だったと言えます。

『トバルNo.1』が特に特徴的だった点は、「つかみ」から始まる多彩な駆け引きにあります。掴んだ後にどんな行動に移るか、掴まれた側がいかなる対応を見せるか、戦いの主導権を奪い合うやりとりが熱い作品でした。まや、上段・中段・下段の攻撃が各ボタンに割り振られているなど、3D格闘の初心者でも遊びやすい作りになっています。

 鳥山さんの魅力は本作のキャラクターにも存分にこめられており、3D化を前提としたデザインやシルエットながら、一目見ただけで惹かれ、記憶に残るものになっています。また、鳥山さんをモチーフとした「鳥山ロボ」が隠しキャラとして登場する点も見逃せません。

 本作の評価を受け、翌年には続編の『トバル2』も発売され、こちらでも鳥山さんがキャラデザを担当しました。

●坂口さんと再び手を組んだ『ブルードラゴン』(2006年)

 2005年にマイクロソフトが発売したゲーム機「Xbox 360」は、そのパワフルな性能を活かし、『The Elder Scrolls IV: Oblivion』から『アイドルマスター』まで、幅広いラインナップで攻勢を仕掛けます。

 しかし同世代の「PlayStation 3」や「Wii」の活躍もあり、特に日本市場では苦戦を強いられました。そうした状況のなか、鳥山さんがキャラクターデザインを手がけたRPG『ブルードラゴン』が、マイクロソフトから発売されます。

 本作には坂口さんも深く関わっており、鳥山さんと共作するのは『クロノ・トリガー』以来。この1点だけでもゲームファンの心を揺さぶりますし、日本人の好みと「鳥山さんデザインのキャラクター」との親和性は言うまでもありません。

 日本市場での拡大を狙う施策としても注目を集めた『ブルードラゴン』は、その目論見通り、国内での販売台数の後押しに貢献しました。

 また、後に『ブルードラゴン プラス』や『ブルードラゴン 異界の巨獣』(いずれもニンテンドーDS)がリリースされてシリーズ展開したほか、コミカライズやTVアニメ化なども実現。鳥山さんが生み出したデザインは、さまざまな媒体に広がっていきました。

 今回は、鳥山さんが関わったゲーム作品のなかでも、特に注目を集めた3本に絞ってお届けしました。このほかにも、さまざまな作品に関わっており、その影響も計り知れないほどです。

 直近では、鳥山さんが短期集中連載したマンガ『SAND LAND』を原作とした、同名のアクションRPGの発売が控えています(2024年4月25日発売予定)。こうした展開が盛り上がるなか、当然の訃報に多くの人が驚き、悲しむ声が広がっています。

 マンガやゲームをはじめ、数多くの作品に関わり、世界中に名作を届けたクリエイターに、哀悼の意を表します。

『ドラゴンクエストXII 選ばれし運命の炎』ティザートレーラー

そして伝説へ…

Dragon Quest Ⅲ ゾーマ戦BGM 「勇者の挑戦」 Hero's Challenge

ドラクエのスライム誕生秘話 当初の案は「ドロドロ」も…雨粒イメージしドラクエ世界観の原点作る 鳥山明さん死去

ドラゴンボールのベジータとアラレちゃんが戦うシーンが何度見ても面白いw

もしもサイヤ人編にアラレちゃんが乱入したら【ドラゴンボールネタ】

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