H&M、制服姿の女児の広告を撤回 ⇒ 主な抗議理由は「性的表現」よりも「ルッキズム助長」だった(オーストラリア)

H&M、制服姿の女児の広告を撤回 ⇒ 主な抗議理由は「性的表現」よりも「ルッキズム助長」だった(オーストラリア)

制服姿の女児を使ったファストファッション大手「H&M」の広告が、抗議を受けて中止されました。オーストラリアで1月に起きたこの騒動が、2月中旬に日本でもニュースが広まり、SNSではさまざまな意見が出ています。

広告が撤回されたのは「児童を性的に表現している」と苦情を受けたからとCNNなどの海外メディアが報じています。

調べてみると、そうした声も一部にはありましたが、実際に抗議運動の主役となった人の投稿をみると、「女児のルッキズム(外見至上主義)を助長する」という抗議理由だったことが分かりました。

問題となった広告は?

アメリカのタブロイド紙「ニューヨークポスト」によると、問題となったのはH&Mが29.99オーストリア・ドル(約3000円)で販売している学生服をPRするため、1月にFacebookに掲載していた広告です。

この広告には、白い半袖シャツに灰色のジャンパースカートというおそろいの制服を着た少女2人の写真が掲載。ピンク色の内装のスクールバスのような空間で、ポーズを取っています。

そして「Make those heads turn in H&M's Back to School fashion(H&Mの新学期ファッションで注目を集めよう)」というメッセージが添付されていました。

オーストラリア教育旅行ガイドによると、現地の新学期は、1月下旬または2月初旬から始まるため、これに合わせた広告だった模様です。

メディア評論家の抗議理由は「女児のルッキズム助長」だった

この広告を問題視したのはオーストラリアのメディア評論家のメリンダ・タンカード・リーストさんでした。

1月16日、X(旧Twitter)にこの画像を投稿。少女らに対してルッキズム(外見至上主義)を助長する内容だと連続したメッセージでH&Mの公式アカウントにメンションを送って抗議しました。

それはこんな内容でした。

「このFacebookのスポンサー付き広告にはどのような意図がありますか? 低学年の女子生徒は一般的に『注目を集めたい』とは思っていません。私が学校で関わっている多くの人々は、自分たちの外見に不必要な注目を集めたくないため、1人になって学んだり楽しんだりすることを望んでいます」

「女の子の親は一般的に、娘が学校に行くとき、バスに乗っているとき、授業中に他の人が見ているとき、頭を『向けない』ことを好みます。なぜ小さな女の子は自分の外見、体、そして『スタイル』に注目を集めるべきだという考えを煽りたいのですか?」

「おそらくマーケティングチームに一言かけて、『ルッキズム』を願望目標として評価する文化の中で成長しようとすでに苦労している思春期前の少女たちの注目を集めないような何かを考え出してはいかがでしょうか?」

H&Mが3日後に謝罪して広告撤回

この抗議から3日後、H&Mの公式アカウントはXでタンカード・リーストさんに謝罪しました。

「この広告は現在削除されています」と広告撤回を発表した上で、「この件により不快な思いをさせたことを深くお詫びし、今後のキャンペーンの提示方法を検討してまいります」と結んでいます。

一部で「子供を性的対象にするのはやめて」という声もあった

ただ、全く「児童を性的に表現している」という抗議がなかったかというと、そうではなさそうです。「子供を性的対象にするのはやめてください!!」という声もXでは確認できます。

先ほどのタンカード・リーストさんらが創設した団体「コレクティブ・シャウト」も、H&Mに広告を削除するように呼びかける特設ページを設置。

このページは「hm_sexualises_girls」(H&Mが少女を性的にしている)というURLになっているほか、「何十年にもわたり、少女たちの性的な扱いに反対してきた私たちは、ただちに懸念し、ソーシャルメディア上で彼らを非難した」という記載がありました。

「女児の性的対象化につながる」H&Mの広告に批判殺到→削除し謝罪 消費者は広告とどう向き合うべき?識者に聞いた

衣料品大手「H&M」が1月、オーストラリアで展開したキャンペーン広告に「女児の性的対象化につながる」といった批判が集まり、広告を削除・謝罪する騒動があった。日本でも広告の“炎上”事例は多く見られるが、われわれ消費者は広告における表現をどう見極めるべきなのか、識者に聞いた。

問題とされたのは、同社がオーストラリアのSNSユーザー向けに配信した広告。通学バスを模したピンク色の空間に制服姿の少女2人が立ち、こちらを振り返っている。「Make those heads turn in H&M’s Back to School fashion(H&Mの『バック・トゥー・スクールファッション』で注目を集めよう)」(※ バック・トゥー・スクールは新学期の意)というコピーが添えられており、この文言に疑問を投げかける声が上がった。

広告における性的表現や児童ポルノなどの問題を扱うオーストラリアの作家、メリンダ・タンカード・リースト氏はXで広告を批判。「私が学校で関わる子供たちの多くは自分の外見に不必要な注目を集めたがっていない」「なぜ少女が自分の外見や体、スタイルに注目を集めるべきだという考えを煽ろうとするのか」とした。

他のXユーザーからも「女児の性的対象化につながる」「制服姿で振り向かせようというニュアンスがある」「ルッキズムの意識を植え付けてしまう」といった意見があった。

これを受け、同社は広告を削除。Xで「広告に不快感を感じた方々に深くお詫び申し上げる。今後の広告の方向性について検討する」と謝罪した。

こうした広告の“炎上”事例は日本でもよく見られるが、我々消費者はさまざまな広告の表現とどのように向き合えば良いのか。東北学院大学の小宮友根准教授(社会学・ジェンダー論)に聞いた。

ーーーH&Mの広告が批判を浴びた件について

小宮氏:児童への性的虐待に対する危惧、女性がより性的対象にされやすい現状への問題意識などが議論のポイントになっていると考えられる。

広告は一見すると、女の子を性的対象にする描き方はされておらず、むしろおしゃれをしようという女の子の主体性が描かれているともとれる。しかし、だから問題ないという話にはならない。あくまで広告には作り手がおり「どういう価値観を表現しているのか」が問われる。

つまり「自身の性的魅力を気にする主体」として女児を描くことが、現実社会における性差別や児童虐待との関係でどのように見えるのかが問われている。広告を作るという行為自体が社会的行為であり、作品が社会から切り離されたところにあるわけではないという点は留意すべき。

ーーー日本でもこうした広告の“炎上”事例は多い。広告が「性的である」といった批判、それに対する「表現の自由だ」といった反論、という構図の議論もよく見られるが、どういったポイントで広告について考えるのが適切か

小宮氏:前提として、憲法の「思想の自由市場」という観点で、企業が行う広告に対して市民が批判や議論をし、それに企業が反応するーといったやり取りは望ましいものである。

その上でジェンダーやフェミニズムに関する議論で言えば、「性的に」描かれることが問題なのではなく「性差別的に」描かれることが問題である。例えば女性ばかりが性的対象として描かれたり、家事育児をしているのが必ず女性であるといったステレオタイプなジェンダーロールに従った女性像が表現されたりしているものもそう。端的に言えば「ステレオタイプな表現がなされていないか」という観点から議論が行われてきた。

そうした議論が行われる背景には、現実社会で女性が家事育児の負担を多く担っている、性暴力やセクシュアルハラスメントの被害に遭っている、といったさまざまな現実の問題に対する認識がある。だからこそ、そういった認識の上にどのどうな表現が望ましいのか、という議論は必要。「性的な表現か、表現の自由か」といった不適切な構図が、必要な議論を阻んでいると感じる。

「公的な空間に性的な表現が出てきてはいけない」という主張は性差別とは全く別の話で、むしろ歴史的には、フェミニズムの議論はそうした主張に反対をしてきている。例えば女性差別的ではない愛や性愛の描き方は必要であるし、より最近であれば性的マイノリティーの人たちの権利が強く意識されるようになり、多様な愛や性愛の描き方が求められるようになってきた。

性教育的な文脈も含め、性的な事柄を語ること自体はフェミニズムの観点から見ても必要な場面はたくさんある。性的な事柄がいけない、という話ではなく「性的な事柄が語られる時にそれが性差別的でないかどうか」が重要で、文脈に照らして一つ一つの事例を考えていかなければいけない。

🍎たったひとつの真実見抜く、見た目は大人、頭脳は子供、その名は名馬鹿ヒカル!🍏