三洋出身の私がなぜ中国の小米科技(シャオミ)で炊飯器を作るのか

三洋出身の私がなぜシャオミで炊飯器を作るのか

“おどり炊き”の内藤毅氏に聞く

今年3月、スマートフォンなどを製造する中国の小米科技(シャオミ)は炊飯器を発売した。低価格かつ高品質の製品とネットを中心とした巧みなマーケティング戦略で、スマホメーカーとして急成長を遂げたシャオミは、テレビや空気清浄機、浄水器などに商品の領域を広げている。それでも、シャオミが炊飯器まで手がけたことに対しては、中国でも驚きの声が上がった。

 日本を訪れる中国人観光客が何台もの炊飯器を買っていく光景は記憶に新しい。多くの中国人が自国製ではなく日本製を信頼する姿は、中国国内で様々な議論を呼んだ。シャオミの炊飯器は独自の技術により、様々な種類のコメに対応していることを売りの1つにしており、発表会では開発に携わった1人の日本人の技術者の言葉が大きく紹介された。かつて三洋電機で「おどり炊き」シリーズを生み出し、大ヒットさせた内藤毅氏(68歳)だ。なぜ内藤氏がシャオミの炊飯器作りを手伝うことになったのか。現在広東省仏山市に1人で暮らし、シャオミ子会社の純米電子科技で働く内藤氏に話を聞いた。

まずシャオミが炊飯器を出すということに驚いたのですが、その開発に携わっている日本人が発表会で大きく紹介されたことにも驚きました。

内藤:3月の発表会で私の名前が出るとはまったく聞いていませんでした。ところが、大きく名前が出たので私自身、非常に驚きましたし、戸惑いました。

内藤さんが三洋電機で炊飯器の開発をしていたことは知っているのですが、その後、どのような経緯でシャオミの炊飯器開発に携わることになったのですか。

内藤:三洋時代のお話から始めましょう。炊飯器は東芝が1955年に初めて製品化し、その後、三菱電機が保温機能を備えた炊飯器を発売するなどして普及していきました。三洋も炊飯器を出していましたが、市場での存在感はほとんどありませんでした。私が炊飯器開発のリーダーになったのはそんな時代です。

 私はここで圧力式の炊飯器の開発に取り組みました。圧力式というと今でこそ当たり前の技術になりましたが、当時はばかげていると言われていました。通常のIH式に比べてコストはかかりますし、圧力がかかる分、安全性にもより注意が必要になります。しかし、我々にとっては圧力式にしか活路はなく、圧力鍋の技術などを生かし、1992年に発売しました。

 自信を持って売り出した製品でしたが、結果は出ませんでした。1年後に売り出した象印マホービンの製品は大ヒットしているにもかかわらず、私たちの製品は売れません。蒸気カットなどの機能を開発しても、消費者に認知してもらえません。赤字が続き、(炊飯器の開発をしていた)鳥取三洋電機の社長もついに「やめようか」と言うようになりました。

 役職者が集められ、社長は「これ以上続ける価値があると思うか」と問いました。続ける価値があると手を挙げたのは私1人だけ。それでも1人でもいるのであればと、もう1年だけ続けることが決まりました。

 私は当時炊飯器の製造を委託していた協力会社に籍を移し、設計から製造まで一から見直しました。こうして完成させたのが2002年に発売した「おどり炊き」です。

 口コミで評判が広がり、本当に売れに売れました。その後、炊飯器の機能競争は激しくなり、市場規模は拡大しました。今では10万円を超える製品も珍しくありません。中国の消費者に日本の炊飯器が人気なのも、こうした日本の技術競争の結果でしょう。

 「おどり炊き」でブランドを確立した三洋の炊飯器事業はそこから順調に歩みました。三洋電機はその後、経営再建が必要な状態になりますが、炊飯器とカーナビを手がけていた鳥取三洋電機は利益を出していました。鳥取三洋電機だけは別会社で生き残るのではといった話も出たほどです。

 結局は炊飯器事業もパナソニックに引き取られました。パナソニックの事業となり「おどり炊き」はやめようと言う声もあったと聞きますが、今でも「おどり炊き」はパナソニックのブランドとして使われています。5年持てばと思っていたブランドが14年も続いているのですから、うれしいですね。

シャオミからかかってきた1本の電話

内藤さんはこの間、どうされていたのでしょうか。

内藤:私は62歳まで鳥取三洋電機で働いて1年間ブラブラした後、「おどり炊き」を開発した時に籍を移した協力会社に呼ばれて2年ほど働きました。その後はゴルフや釣りや野菜作りなど好きなことをしていました。でも2年もやっていると飽きてしまう。好きなことをしていても、製品を開発し、ヒットさせるような喜びはないのです。

 シャオミから連絡をもらったのはそんなことを考えていた2014年秋ごろのことでした。

 それまでも中国との縁がまったくなかったわけではありません。三洋時代に低価格の製品は中国の工場に生産を委託していました。広東省の省都、広州市から北に20~30kmほどのところでしょうか。三洋に勤めていた時は何度も来ていました。でも三洋をやめて縁は切れてしまいました。

 シャオミではその頃、炊飯器を作る計画が立ち上がっており、製造委託先として私が三洋時代に付き合いがあった広東省の工場を選んでいたそうです。そんな縁もあり、シャオミから日本人を探しているという話があった際に私の名前が出てきたようです。

それで連絡が来たのですね。最初は電話でしたか、それともメールでしたか。

内藤:まず電話だったと思います。ただ「詳しくはメールで」という話でした。その後、何度かやりとりをして、(シャオミの子会社で炊飯器の開発を手がける)純米電子科技の楊華会長と会いました。まず日本で会い、私が純米の本社がある上海にも行きました。

 三洋時代から数えると中国の技術者との付き合いは20年ほどになります。これまで付き合いから私が感じてきたのは、中国の技術者は皆とても優秀だということです。にもかかわらず出てくる製品は安物ばかりでつまらない。これは私の中にある長年の疑問でした。

中国の製品がつまらないのは経営の問題

技術を生かしてブランドを育てるよりも、手っ取り早くお金を稼ごうという会社が今も中国にはたくさんあると思います。

内藤:私も経営の問題だと思っています。実は昔の三洋も安いものをたくさん売ろうという考えでした。ところが楊さんと話をしてみて、この会社は少し違うと感じたのです。良いものを作り、ユーザーの信用を得て、ブランドを構築していくという考えでした。

 こうした理念を聞き、この会社は中国の製造業を変える会社かもしれないと感じました。そして、この会社が世界を変える様子を見てみたいと思ったのです。これが、私が中国に来た大きな理由でしょうか。

 最終的に純米で働くという決断をして、開発拠点があるここ広東省仏山市に来ました。それが2015年初めのことです。広州市からほど近いとはいえ、この周辺に日本人はあまりいません。店などに行っても広東語しか通じないことも多く、最初は苦労しました。

実際に純米に入ってみてどのように感じましたか。

内藤:外観のデザインや操作性に関しては日本よりも厳しいのではないかと思います。すべての開発段階で親会社のシャオミのチェックが入るのですが、フタと本体の間をもっと狭くできないのかなど細かな指摘が入ります。こういった点は、中国の一般的なメーカーとは一線を画すと感じた、当初の印象の通りですね。

技術流出を防ぐのはますます難しく

 現在販売している炊飯器は999元(約1万5000円)ですが、私としては少し安すぎると感じています。ブランド力を高めるためにも、もっと高い商品があってもいい。

 現在は毎日フル生産で予約済みの商品を作っている状態です。炊飯器の市場は日本が年間約600万台。一方、中国は年間5000万台とも言われます。やはり10倍近い購買力はすごい。今後は機種を増やしていければと思っています。そして、いつかは日本人が中国に炊飯器を買いに来るような商品を作れればと思います。

日本人が中国の企業で働くことに対して技術流出につながるといった声もありますが、どのように考えていますか。

内藤:もちろん流出してはいけない技術はあるでしょう。こうしたものは国として守らなければなりません。ただ、炊飯器について言えば、流出するような技術は残っていません。日本で炊飯器を買い、分解すれば分かるものばかりです。

 それに今や中国企業が日本の企業を買収することが珍しくない時代です。東芝の白物家電子会社を買収したのは、炊飯器でも中国トップシェアを握る美的集団です。技術を一企業の中だけ、日本の中だけで独占するのは、今まで以上に難しいと考えるべきでしょう。

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