ドイツ人が「無料でも」お茶や水の提供を断るなぜ

ドイツ人が「無料でも」お茶や水の提供を断るなぜ

日本人の多くはいつでも、どこでもモノが手に入る生活に慣れてしまっているが、一方でコンビニなどリアル店舗では人材不足が取り沙汰されているほか、今年4月にはトラックドライバーの労働時間に上限が定められる、いわゆる「2024年問題」に直面するため、消費者がこれまでのような便利な生活を享受し続けられるとは限らない。

そこで本稿では、ヨーロッパに長く暮らした経験を持つ筆者が、ヨーロッパの人々の事例を交えながら、限られたリソースを活かす生活について紹介してみたい。

タイパ重視がさらなる負担に

日本が経済成長していく中で「大量生産・大量消費」は当たり前となり、成長が停滞し、人口が減り始めても、企業、そして消費者はこのスタイルから抜け出せていない。

それどころか、最近では量、質に加え、「タイパ(タイム・パフォーマンス)重視/高速消費」の風潮も生まれ、企業は多くのリソースを投入し「サービスの質、量、待ち時間短縮」を追い求めるように。企業も社会も市場の需要を満たすことから逆算して必要なリソースを投入することで成長してきた。

だが、世界を見渡してみると、日本ほどサービスの質と量(さらに時間)を担保するためにリソースを注ぎ込んでいる国はめずらしいと気づく。

例えば、筆者は1985年から4年半、西ドイツ(当時)のデュッセルドルフ市に駐在員として勤務していた。当時、文化の違いで多くの戸惑いを経験したが、その1つに商店の営業時間がある。

ヨーロッパではキリスト教の考え方に沿って「日曜日は安息日であって働いてはならない」という決まりがある。土曜日の午後から日曜日は鉄道の駅や高速道路のガソリンスタンドにあるキオスクを除いて買い物はできない。

個人商店でも夏や冬の休暇を3週間ぐらい取って休業する。いつも行く肉屋も休店中に「どこどこのお店がやっているからそちらに行ってください」と張り紙がしてある。

深夜業態はあまり発展していない

個人経営の店が長期休暇を取ることは日本では考えられないことだが、ドイツでは消費者もそれを受け入れ、社会のありようとして普通のことになっている。現在もヨーロッパでコンビニや深夜営業のファミレスのような業態は発展していない。

ドイツには「大量消費」「使い捨て」の文化はない。家具など祖父母の代からのものを大切にメンテナンスしながら使っている。1985年当時すでにリサイクル・リユースが浸透していた。自宅で飲むビールも飲み終わった瓶を店に持って行ってビールを詰め替えてもらう。

また、そもそも大都市への憧れも薄く、自分の住む街でそこにあるものや製品で生活を構成する地産地消が普通だ。食生活も質素で多くの人々はそうした物質的な豊かさよりも、個人や家族との時間や趣味に使う時間を大切にしている。過剰にものを消費したり、無駄に時間を使うということはない。

ドイツはOECDの統計でも労働時間が最も少ない国だ。それでも経済大国として成長を続けている。消費者の要求が抑制的でも、経済成長できるモデルが存在しているわけだ。

日本にも「もったいない」という言葉があるように本来はものを大切にする文化があった。ところが、今の日本では、いつでも・どこでもモノやサービスが手に入ることが重視されているため、社会的リソースが過剰に消費されているのではないか(ここで言うリソースには従来の「ヒト、モノ、金、情報」に加えて「時間、環境負荷物質」も考慮している)。

もう1つドイツでの経験を紹介したい。ドイツの日本料理店に行った時のことだ。その店に限らずヨーロッパの日本料理店では、お茶や水は有料で提供されている。

ある時、私がよく知る店の店主に「日本ではお茶や水はタダで出しているのになぜ?」と聞いた。

その日本人店主は「最初の頃は無料で提供していたんですよ。多くのドイツ人のお客様から『注文していないものを出されても困る。無料というがコストはかかっているだろう。お茶も水も不要だからその分を食事代から値引きしてくれ』と言われて、それからは有料にしたんです」と教えてくれた。ドイツ人らしい合理的な考え方だ。

サービスは無料か安いもの、と考える日本人

日本人はサービスを無料、あるいは安いものと理解していることが多い。実際には、どのようなサービスにもコストがかかり、リソースを消費している。つまり、そのサービスを生み出すバリューチェーンの中で誰かが負担しシワ寄せを受けているのだ。

日本における社会的リソースが縮小する中、今後は日本の消費者もすべてのサービスにはコストとリソースが生じていることを理解し、それぞれの消費生活を再検討する必要がある。

一方で、企業による価格政策の見直しも必要だ。サービスの提供に適正な対価と適正なリソース配分でバリューチェーンを再設計し透明化し、その中で不当な過重労働や低賃金労働を生まない構造に転換する。

アマゾンはヨーロッパでは、イギリス、ドイツなど8カ国でビジネスを展開しており、無料配送サービスを含むアマゾンプライムも提供しているが、年会費は例えば、イギリスの場合、95ポンド(約1万7000円)、ドイツでは89.90ユーロ(約1万4000円)と、日本(年間5900円)の2倍以上に設定されている。

サービスにはコストがかかり、それをモノやサービスの価格に含めるのは当たり前のこと。それを受け入れて購入するか否かは消費者側に選択肢がある、というわけだ。

ヨーロッパ企業はアメリカ型の「株主重視の利益至上主義」ではない。特にドイツでは多くのステークホルダーの中でも「従業員」「社会」を重視した経営を行う企業が多い。

筆者が勤めていたシェフラー社は1945年にシェフラー家の兄弟が創業した会社だが、その兄弟が「戦後の焼け野原のドイツの復興のために起業した」もので復興のための資材の製造や地域の雇用を生み出すことを第一義に掲げていた。

今でもその精神は受け継がれ、適正な利益を生み出すことで永続的に雇用を生み出し、社会貢献することを経営の根幹に置いている。生み出す製品やサービスが利益を生むことは企業理念の追求のためには不可欠であると考えている。

必要なコストを転嫁するのは自然なこと

従って、製品やサービスの提供に必要なコストを価格に転嫁することは自然なことであり、その上で市場での競争力がなくなれば製品やサービスのポートフォリオを見直し事業の組み替えを絶えず行うのがつねだ。必要なコストをバリューチェーン上にある会社や人に押し付けてまで、量や質、サービスの向上を追求しようという考えはない。

筆者は2019年までドイツ企業に勤めていたが、出張に行った時や、ドイツ人の同僚・取引先とのやり取りから、駐在当時のドイツの風潮や人々の意識、傾向は今でも存在すると感じる。

若い人たちはネットで情報を集めたり、モノを買ったりしているが、「大量消費」の傾向は見られない。ドイツでは、シュレーダー政権時代に国の財政健全化を推し進め、その際には国を挙げて「節約プログラム」を推進し、財政健全化を図っているなど、財政に見合った生活は当然のこととして受け入れられているのだろう。

今まで享受してきた「便利さ」について、コストやリソースを念頭に何を諦め、何を今後も残していくのか。日本は「便利さの断捨離」をするタイミングを迎えているのではないか。

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