UFOの残骸か?ヤマトタケルの遺物か?千葉県・鋸山の麓に祀られる「謎の円盤」

UFOの残骸か?ヤマトタケルの遺物か?千葉県・鋸山の麓に祀られる「謎の円盤」

 千葉県・房総半島の一角にある金谷神社には、謎の巨大円盤が祀られている。その昔、房総沖の海底から引き揚げられたものだと伝えられるこの円盤の正体は、いったい何か? オカルトへの好奇心からその背景にアプローチしてみると、思いがけない歴史上の人物の影が見えてきた。(フリーライター 友清哲)

● 日本はUFOのホットスポット!?

 近年、アメリカ国防総省が正式にUFO(未確認飛行物体)に関する報告書をまとめたり、UAP(未確認異常現象)に関する情報公開サイトを開設したりと、UFOを取り巻く“公式”なニュースが相次いでいる。「ついに公にUFOが語られる時代が来たか!」とオカルトファンが沸き立つのも当然のことだろう。

 ちなみにUFOに代わる「UAP」という呼称を使い始めたのは他ならぬNASAで、これには空中で確認された未確認の事象をオカルト的なものではなく、あくまで国防に関わる未知の現象として扱う意図がある。要は、現代科学で解明できない現象は確かに存在しているものの、それらは必ずしも宇宙人に直結するわけではないと言いたいわけだ。

 そのアメリカ国防総省が、「日本がUAPのホットスポット」だと公式に発信しているのをご存知だろうか。いわく、UFO及びUAPの目撃報告が日本は突出して多いそうなのだが、実際に自分の目で見たことのない筆者としてはあまりピンとこないものがある。

 しかし、日本全国にくまなく目を光らせてみると時折、天から降ってきたのではないかと思わせる、不思議な遺物に出くわすことがある。千葉県富津市の一角に祀られている、奇妙な“円盤”もそのひとつだ。

 千葉県・房総半島の西南、東京湾に面してそそり立つ鋸山。鋸の歯のようにギザギザした稜線がその名の由来とされる、標高330メートルの山である。

 都心からの交通の便が良く、ロープウェイも通っていることから1年中トレッキング客の絶えない人気スポットだが、本稿の目的地はこの山の麓にある。そこに、今から500年以上も前に海底から引き揚げられたという、謎の巨大円盤が祀られているのだ。

 JR内房線の浜金谷駅を降り、鋸山を目指して10分ほど歩いていくとその途中、住宅地の一角に金谷神社という小さな神社が建っている。ロープウェイ乗り場は本当にもう目と鼻の先だから、ほとんどの人はまずその存在を気に留めることなく通り過ぎてしまうに違いない。

 この神社の社殿の脇に設置された社の中に、“それ”は鎮座している。

● 円盤を引き揚げたら海が荒れ、 真っ二つに割れていた

 ガラス越し見物できるその不思議な円盤は、直径1.6メートル、厚さ11センチ。鉛色と錆色が入り混じり、ひと目で長い年月を刻んできたものであることがうかがえる。

 自然の造形とは思えないきれいな円形で、中央あたりで真っ二つに割れているのがいかにも物々しく映る。材質はよくわからないが、過去の調査によって鉄製であることが確認されているそうだから、やはり人工物なのだろう。

 これは一体何なのか? 正体を探るべく社伝をひもといてみると、この円盤が引き揚げられたのは、1469(文明元)年6月某日のことと記されている。房総沖の海面の一部が不自然に光っているのを見つけた村人たちが、その正体を突き止めようと船で沖合へ出たところ、海底に沈む奇妙な円盤を発見したという。

 しかし、およそ1.5トンもある巨大な円盤だけに、引き揚げるのは容易ではない。そこで村人たちは、金山彦神を祀る金谷神社に祈願することにした。金山彦神は、鉱業や鍛冶など金属に関する技工を守護する神様だ。

 すると、途端に大嵐がやって来て、7日間に渡って海が荒れ続けた。荒天が去ったあと、再び村人たちが沖合へ出てみると、件の円盤は真っ二つに割れていたそうで、晴れて円盤を引き揚げることが叶ったのだという。

 この円盤の正体については誰にもわからなかったが、鉄製でありながら腐食していなかったことから、いつしか村人たちの間で不老長寿を祈る信仰対象となり、「鉄尊様」の愛称で大切に守られることになった。これが、金谷神社の円盤に秘められた背景である。

● 正体はヤマトタケルの落とし物?

 この謎の円盤について、UFOの残骸ではないかとする声は少なくない。しかし、円い形をしているからといって空飛ぶ円盤と結びつけるのは、あまりに浅はか過ぎるだろう。

 実は、これをしっかり科学の目で精査した研究者も複数いる。たとえば江戸時代の高名な国学者である平田篤胤は、この円盤についてヤマトタケルの遺物であるとの自説を主張している。ヤマトタケルが東国征討の際、浦賀沖から房総半島へ向かう途中で、船首についていた大きな鏡がはずれて落ちたものだというのだ。

 確かに、この円盤の片面には幅6センチほどの枠がついていた痕跡が確認されていて、元は巨大な鏡の土台であったと捉えることに無理はないように思える。

 もっとも、そもそもヤマトタケルが実在していたかという議論もあるし、東国征討は2000年も前の出来事として伝えられている。鏡そのものは日本でも紀元前2世紀ごろから作られていた痕跡があるものの、研究者の間では当時の製鉄技術に見合わないとの意見もある。

 ヤマトタケルの落とし物とする説には、ロマンの観点から魅力を感じるが、それ以上でもそれ以下でもないという印象だ。

 ちなみに当地には、この円盤の正体はについて、「海を支配する海龍王が使っていた釜の蓋」であるという、さらにロマンティックな伝承もあるようだが、さすがにうのみにすることはできない。結局、謎は深まるばかりである。

● 日本古来の製鉄技術の産物なのか!?

 そうした議論に、1つの模範解答を示したのは、古代の製鉄技術に詳しい工学博士の長谷川熊彦氏だ。長谷川氏は円盤を分析し、これが日本古来の製鉄技術である「たたら製鉄」の手法で造られたものと結論づけている。

 これは近世まで使われていた製鉄法で、木炭を使って砂鉄や鉄鉱石を低温加工することで、純度の高い鉄を生産できるのが特徴。一時期は国内の製鉄のほぼすべてを賄ったほど、高度な技術として広まったという。

 これが事実なら、たたら製鉄の発祥は5世紀もしくは6世紀とされているから、少なくともヤマトタケルの線は消えることになる。それでも歴史上の貴重な遺物であることに変わりはなく、謎の円盤は「金谷神社の大鏡鐵」として、1966(昭和41)年に千葉県の有形文化財に指定されている。

 ただし、この大鏡鐵がたたら製鉄の産物だとしても、何の目的で造られたものなのかという疑問は解決していない。教育庁が示す一応の見解としては、宮城県・塩竃神社にある製塩用の鉄鍋と形状が似ていることを根拠に、製塩に用いられた道具の一部とされているが、実物を目にした立場からすれば、いまひとつ説得力は薄いように思う。

 結局のところ、大鏡鉄の正体は今も謎のまま。鋸山付近には弥生時代後期の遺跡が散見され、住居跡や土器などが多数出土しているから、今後その正体を知らしめる新たな物証が発見されるのを待つしかないのかもしれない。

 不思議な円盤は、静かに境内の片隅でその時を待っている。

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