「人間洗濯機」50年前の夢、今度こそ…前万博で設計した83歳技術者、25年に「実現」へ
2025年大阪・関西万博で、技術者として2度目の夢に挑戦をする人がいる。1970年の大阪万博で話題を呼んだ「人間洗濯機」を設計した山谷英二さん(83)(京都市北区)だ。当時の技術は「満足のいくものではなかった」と語る山谷さんは、再来年の万博に向けて若い技術者らと新たな人間洗濯機の開発を進めている。
手探りの開発
流線形のカプセルの中にモデルが入ると、ジェットバスのように泡が噴射して全身を洗う――。70年万博のサンヨー館で展示された「ウルトラソニックバス」(通称・人間洗濯機)は、新時代の暮らしを予感させる技術の一つだった。
「もう一度、万博に挑戦できる。技術者として、こんなにうれしいことはない」
そう語る山谷さんは、現在はパナソニックホールディングス傘下となった家電メーカー「三洋電機」の若手技術者として、この設計と開発を手がけた。
創業者で当時の会長だった井植歳男さん(故人)から開発を命じられたのが28歳の時。商品化を目指すものだと思っていたところ、半年ほどして万博向けだと知った。
既に開幕まで1年あまりで「商品なら完成を待ってもらえばいいが、万博はそうはいかない。正直参った」と振り返る。実験的な開発のため多くの人手は割いてもらえず、部品の発注、予算管理も一人でこなした。
技術も手探りだった。小さな泡が水中ではじける際、超音波が生じるという論文を発見。その微細な振動で体を洗うアイデアを思いついたが、超音波を発するほど小さな泡を実現するのが難しかったという。
心残り
70年3月15日に開幕した大阪万博で、人間洗濯機は好評を博した。1日に4、5回、各回15分ほどの実演に多くの人が詰めかけ、大阪万博を振り返る時は、必ず紹介されると言ってよい展示の一つだ。
しかし、山谷さんは「技術面では、あまり納得がいく出来ではなかった」と話す。展示した装置は、理想とするほど小さな気泡を生み出せていなかったのだ。
山谷さんは、閉幕してからも、技術を改良して商品化したいと願い、思いつくたびに新たなアイデアを書き留め続けた。しかし、部署の異動や別の会社に転職したことも重なり、実現できなかった。技術者人生で唯一の心残りとなった。
「これなら…」
20年ほど前に勤め先を退職してからも、山谷さんは人間洗濯機への思いを断ち切れず、「どこかの企業に持ち込もう」と考え、企画書を練り続けていた。
そして数年前、あるテレビのCMを目にした。大阪の企業「サイエンス」が開発したシャワーヘッド「ミラブル」だ。小さな泡が汚れを浮かせて落とす仕組みで、自身が考えた「超音波」とは理論が違うが、「これで人間洗濯機が実現できる」と衝撃を受けた。
思い切って電話すると、サイエンスは、大阪・関西万博で大阪府などが出展する大阪ヘルスケアパビリオンに参加し、「ミライ人間洗濯機」を展示する準備を進めている最中だった。
会社に足を運び、サイエンスの青山恭明会長(63)が、70年万博で人間洗濯機を見た少年の一人だと知った。「当時の開発のコンセプトや、万博展示のノウハウを教えてほしい」と協力を求められ、技術顧問に就任した。
現在は、万博に向けた開発日程などを助言する立場だ。実際の開発は、孫のような年齢の若手技術者たちが担う。
「万博は、普段とは違う発想で、自由に未来の希望を形にできる夢のような機会。チャンスとして楽しんでもらいたい」と、後輩にエールを送る山谷さん。
来場者があっと驚く装置の完成を、誰よりも心待ちにしている。
ワイヤレステレホン、動く歩道…70年万博の挑戦、今は普及
1970年の大阪万博では、「未来」を感じさせるような技術が披露され、後に社会で普及した。日本電信電話公社(現NTT)が手がけた電気通信館では、携帯電話の原型となった「ワイヤレステレホン」が展示され、話題を集めた。会場内では「動く歩道」や電気自動車「エキスポタクシー」、モノレールが来場者を運んだ。
