【羽生結弦「105日間の新婚生活」の真相】母親はお相手を“完無視”か、“追い出し部屋”と化していた愛の巣
羽生結弦の結婚は、間違いなく国民の関心事だった。だが、わずかな期間で終わった結婚生活をめぐって、お相手の実名報道に踏み切った地方の新聞社の“主張”が物議を醸している。《男なら最後まで守り抜けよ》──さまざまな選択肢があったなかで、羽生はなぜ離婚を選択したのか。【前後編の前編。後編を読む】
黒いフードつきジャンパーを羽織った羽生結弦(28才)が、アイスリンクの上をこちらに向かって飛び込むように滑ってくる。まるでラグビーのタックルのような勢いでカメラがなぎ倒され、画面が粉々に割れる演出が施された。
11月24日、羽生はファン向けの動画を公開した。タイトルは「Goliath」。旧約聖書に登場する巨人の兵士の名だ。タイトルそのままに、氷上で見せるいつもの優雅さとは異なり、情熱的という言葉とも違う激烈さを見せた羽生。彼の胸に去来していた思いは何だったのか──。
その1週間前の11月17日、羽生は公式SNSで離婚を発表した。
《互いを心から尊敬し、大切にしていく覚悟を持って結婚いたしました。それぞれを守るために様々なことを考えながら共に乗り越え、過ごしてきました。そんな生活の中で、お相手は、家から一歩も外に出られない状況が続いても、私を守るために行動し、支えてくれていました》
新婚生活の近況を語ったかに思えた内容は一変する。
《現在、様々なメディア媒体で、一般人であるお相手、そのご親族や関係者の方々に対して、そして、私の親族、関係者に対しても、誹謗中傷やストーカー行為、許可のない取材や報道がなされています》
そういった事態にあることを明かし、
《私が未熟であるがゆえに、現状のままお相手と私自身を守り続けることは極めて難しく、耐え難いものでした。(中略)お相手に幸せであってほしい、制限のない幸せでいてほしいという思いから、離婚するという決断をいたしました》
と続けた。8月4日の結婚発表からわずか105日での離婚劇を、芸能やスポーツメディアはもちろん、NHKや全国紙までもが速報を打った。
離婚発表文のなかで、《お相手》と表現され、一度も「妻」と呼ばれなかった元結婚相手のAさんは、羽生より8才年上の元バイオリニストだ。結婚後は、羽生が拠点をおく宮城県仙台市で暮らしていたとされる。
羽生は昨春、仙台市内の高級マンションの最上階にある、隣り合った2部屋を購入した。1部屋1億円はくだらないその部屋を、羽生はキャッシュで購入している。1部屋には羽生の両親と姉が暮らし、もう1部屋で、羽生は新婚生活をスタートさせたようだ。Aさんはそこで息を潜める生活を送っていたという。
「母親の言うことは絶対」
もともと、AさんはバイオリニストとしてCDを出し、有名アーティストとの共演経験があるなど、ステージ上でスポットライトを浴びてきた有名人だった。しかし、羽生との結婚を前に自身のSNSを削除するなど、表舞台から身を引いた形にして、「羽生結弦の妻」となる並々ならぬ決意を見せていた。“潜伏生活”への覚悟も持ち合わせていたはずだ。だが、Aさんにとって結婚生活には別のハードルがあったようだ。
羽生は日本を代表するトップアスリート。その知名度は計り知れない。その彼の才能を信じ、数え切れないほどの犠牲を払いながら全力でサポートし続けてきたのは羽生の母だった。
「スケート大会などの遠征はもちろん、合宿にも常に母親が同行するほどの母子密着ぶりでした。でも、あれだけのプレッシャーの中で、羽生さんが最高のパフォーマンスを発揮できたのは、家族、とりわけ母親のサポートがあったからです」(フィギュア関係者)
そもそもフィギュアスケートをすすめたのは母親だった。姉が先に習っていたこともあり、喘息持ちだった羽生のために、屋内でほこりが少ないスポーツとしてフィギュアスケートを選んだ。
「食が細く、喘息もあったため健康管理はまず食事から。食材も味付けもすべて、お母さんがOKしたもの以外、彼は口にしませんでした。おまけに敏感肌で皮膚が弱かったり、犬猫などの動物アレルギーがあったりしたので、身につけるものの素材はもちろん、クリームなども決まったものしか使わなかったんです」(前出・フィギュア関係者)
晴れて結婚したAさんが、伴侶として羽生を支える役割を担おうと意気込んだのは想像に難くない。前述したように、彼女は表舞台にも一線を引いた。にもかかわらず、始まった“新婚生活”は、想像とはまったく異なるものだったようだ。
「アスリートの体は繊細です。指先まで神経をとがらせて演技をする羽生さんであればなおさらでしょう。目にするもの、口にするもの、触れるものすべてに気を使わなければなりません。そして、羽生さんの体のことを隅から隅まで知っているのは、彼のお母さんです。
しかし、結婚後、Aさんに対して、お母さんから食事の献立や食材、味付けなどについての指定やアドバイスは、まったくなかった。隣の部屋に住んでいるのに、それまでの羽生さんを支えるルーティンの助言もなく、完無視だったというんです」(スケート関係者)
最近は、アスリート妻が食にまつわる資格を取得し、パフォーマンスを支えるケースがよく聞かれる。
「Aさんも、そういった妻像を描いていたのかもしれません。しかし、フタを開けたら食事を始めとする体調管理も一切させてもらえない。プライベートといっても、アスリートの生活はストイックですが、そこにはかかわれない。しかも、深夜の練習に帯同するのは羽生さんの両親と姉だけで、自分の出る幕はない。
昼夜逆転する羽生さんとは生活リズムも異なりましたから、外出できず家ですることも一切ないとなれば、愛の巣もただ孤独なだけで、いつか出て行くだろうと予期される“追い出し部屋”のように感じてしまっていたとしても不思議ではありませんよ」(前出・スケート関係者)
加えて、羽生からの母への信頼も絶大だった。
「もともと親子ってひとつの細胞からできているわけじゃないですか。親子だからこそわかる言葉にしなくても伝わる絆や愛情ってあると思います」
2018年11月、羽生はP&Gのウェブインタビューでそう話していた。
「羽生さん本人も母親の言うことは絶対。彼自身が羽生結弦は母親なくしては成り立たないと考えているので、母親を否定することは、自分が否定されることと同じという思いなのでしょう。
ただ、その信頼ぶりと結び付きの強さは、当人たちにしか理解できないものだったのかもしれません。隣同士とはいえ、マンションの2部屋は両方合わせて『羽生家』のような状態だったようです。Aさんも家族の絆の強さは理解していたでしょうが、ともあれ、Aさんからすれば“新婚夫婦の新居”ですからね。戸惑いもあったと思いますよ」(前出・スケート関係者)
(後編へ続く)
【羽生結弦「105日間の新婚生活」の真相】ファミリー企業に入らなかったお相手 地元紙の実名報道に物議
日本中の注目を集めた羽生結弦の結婚は、わずか105日で終焉を迎えた。離婚発表文では「お相手」と表現し、1度も「妻」と呼ぶことなかった羽生の離婚劇。羽生はなぜ離婚を選択したのか。【前後編の後編。前編を読む】
昨年7月にプロスケーターに転向した羽生。今年1月には、自身のマネジメントや肖像権管理を行う法人の取締役に、姉と同時に就任した。さらに結婚後の9月には、羽生の両親も取締役に加わった。代表を弁護士が務め、ほかに取締役に名を連ねるのは、長らくマネジャー役を務め、同社の窓口になっている女性のみ。羽生のファミリー企業であるのは明白だ。別のスケート関係者が話す。
「ですが、そこにAさんの名前はないんです。家族全員が名を連ねているのに自分だけが入っていないということに、疎外感を覚えても仕方ないでしょう」(マネジメント会社は、Aさんが取締役に入っていない理由について、「回答を控える」とした)
法人登記における取締役の就任は、何も名前が記載されるだけではない。取締役に就任することではじめて、役員報酬を得ることができるようになるのだ。
「“羽生ブランド”が生み出すお金は莫大です。もちろん、誰がどれほどの役員報酬を得ていたかはわかりませんし、もしかしたらゼロという人もいたかもしれませんが、それでもAさんが自分の名前がないことで、羽生さんの活動の支えとして認められていない、と思ってしまってもおかしくありません」(前出・別のスケート関係者)
そもそも、羽生は結婚発表時にも、「入籍」の一言で済ませ、まるで「Aさん隠し」のような方針を貫いた。そのため、当初Aさんの存在はベールに包まれ、さまざまな臆測が飛び交った。結婚発表から1か月ほど経った9月中旬、Aさんの素性を実名で報じたのは、Aさんの故郷・山口県の地元紙だった。
「報道以降、その新聞社には羽生さんのファンと思しき人たちから“本人が名前を出していないのに、なぜ報じたんだ”という意見が多く寄せられたといいます。さらに、羽生さんの離婚発表文に《許可のない取材や報道がなされています》と記されたことで、現在でも抗議の電話が殺到しているといいます」(同紙関係者)
同紙は、離婚発表直後、ネットメディア『現代ビジネス』の問い合わせに、次のように答えたという。
《羽生さんはあれだけの有名人。そして、奥さんとなったAさん(注・元記事では実名)も地元では有名なバイオリニストです。(中略)その事実を報じたまでです》
《プライベートが、プライバシーが、とメディアを批難する。羽生さんは少し前に写真集を盛んに宣伝していましたが、都合のいいときだけメディアを使い、都合が悪ければメディアのせいにする》
《彼女の名前が公になり、取材が殺到したら『じゃ離婚します』と。『いや、ちょっと待ってくれ』という思いです。我々からすれば地元の子が泣かされた。最後までAちゃん(注・元記事では実名)を守ってくれよ。男なら最後まで守り抜けよ。(中略)ひとりの人間を不幸にしたことに対する感覚が薄すぎるのではないか》
この指摘は大変に物議を醸し、現在に至るまで大論争となっている。
羽生は離婚の発表文で、Aさんを《一般人》と表現したが、地元周辺では「町が生んだスーパースター」と言われるほどに慕われていた。
「むしろ地元の誇りでさえあったんです。それなのに羽生さん側の都合で“ただの一般人”扱いして、結果的に彼女の実績まで隠してしまったのは、これまでの彼女の人生を否定されているような気がして、Aさんがとても気の毒に感じました」(地元住民)
かつて、羽生は自身のプライベート報道に対して苦言を述べたことがある。
「もちろん、プライバシーが脅かされてはいけません。しかし、彼ほどの国民的スターが結婚したとなれば、関心を集めるのは避けられません。隠そうとすればするほど、大衆の“相手が誰か知りたい”という気持ちを高ぶらせてしまった。最初に一度きりの会見を夫婦で開くなど、周囲が初期対応を指南できればよかったのかもしれません」(テレビ局関係者)
実際、11月に開催されたアイスショーでは、観客の多くが会場の「貴賓席」に視線を送り、新妻の姿を探した。貴賓席に、それらしい女性のシルエットが見えたことで「妻が来ていた!」というSNS上での書き込みが騒動に発展したほどだ。普段“節度”を持って羽生の応援をしているはずの熱心なファンでさえそんなものなのだから、ライト層の関心がどう動くかは容易に想像できただろう。
「羽生さんは現役時代、海外生活を送っていました。Aさんも、音楽活動の中で海外に行った経験があります。莫大なスポンサー収入もあるわけで、経済的にもしばらく海外生活をするのに充分な蓄えはあったはず。ストーカー被害も、以前から行きすぎたファンの蛮行として認知されていましたから、《家から一歩も外に出られない状況》に陥る以前に、取れる対策はなかったのでしょうか」(スポーツ紙記者)
ただ、周囲が羽生たちを取り巻く状況を、一枚岩で改善しようとしていたかは疑問が残る。
「結婚以降、羽生さんをトップにしたスポーツ紙は、以前ほどの売り上げにはならなくなっていました。やっぱり羽生さんは“アイドル”ですから、結婚は如実に影響した。羽生さん人気で潤っているビジネスもあるわけで、そういった人たちにとっては、羽生さんが円満な結婚生活を送っていることは、別に歓迎すべきことではなかったんです」(前出・スポーツ紙記者)
同様に、離婚に至るまでの早さを気掛かりに思った人もいたようだ。羽生は発表文で、離婚の理由はあくまでも相手の幸せを願ってのことと取れる主張をしている。だが、離婚はすべてをなかったことにできる、“都合のいいリセットボタン”ではない。
「Aさんの“羽生の元妻”という肩書は一生消えません。彼女の戸籍には残ります。それで、彼が言う《制限のない幸せ》が戻ってくるわけがないじゃないですか。以前は地元小学校で無料ライブなどをしていましたが、もう田舎ではそういった活動もできないでしょう。離婚という選択肢の前に、一度一緒に人生を歩もうと誓った妻に対して、ほかにできることはなかったのか、疑問でなりません」(別の地元住民)
「ジャニーズ問題と同じ構図です」
羽生の祖母や親族も、ほとんどが相手はおろか、結婚することも報道を通して知ったほどだった。それは、Aさん側も同様だった。
4才からバイオリンを始めたAさんは、中学卒業と同時に東京の高校へ進学し、故郷を離れた。その際、上京したAさんを見守ったのが、当時テレビ局に勤務していたジャーナリストの叔父だった。Aさんが、叔父がかつて勤務し、退職後も携わっていたテレビ局の報道番組でバイオリンを披露したこともあった。
だが、“父親代わり”だったはずのこの叔父でさえ、「ぼくは(結婚や離婚の背景を)よく知らないんです。だから、取材には答えられないんですよ」と話すだけだった。
たしかに、実情を知る人が少なくなれば、“情報統制”は容易になるのだろう。だが、結婚は「人生に一度きりの慶事」であってほしいと願う女性は多い。その喜びの声を、親族にさえ伝えられないAさんの苦しみを、羽生は理解していたのだろうか。加えて、これまで羽生に関するニュースをめぐっては「テレビやスポーツ紙を中心に、最低限の取材マナーを守り、配慮をしてきた」と話すのは、別のスポーツ紙記者だ。
「インタビュー取材などは、すべて羽生さん側のチェックが細かく入ります。事前の取材内容から始まり、言葉のニュアンスまで、本当に一字一句です。特にスケート以外の話を聞くのはご法度で、少しでも聞こうものなら、“取材拒否”されかねない雰囲気があるんです。まるで、旧ジャニーズ事務所がメディアをコントロールしていた問題と同じような構図ですよ」
こうした羽生の報道に対するスタンスには、著名人も反応。《許可のない取材や報道》という文言に、ジャーナリストの江川紹子氏は自身のブログで《当人の『許可』がなければ取材も報道もしてはならない、となれば、メディアは本人が望む情報だけを拡散する宣伝媒体としか機能しなくなる》と警鐘を鳴らした。
離婚発表5日前の11月12日の深夜、「『職業 羽生結弦』の矜持」(日本テレビ系)が放送された。プロ転向後1年を経た羽生に密着したドキュメンタリー番組だ。CM撮影に臨んだ羽生は、密着カメラに向かって「“素材”として頑張ります」と話した。
「彼はセルフプロデュースに長け、自らが優良コンテンツだと自覚している。その役割をわかっているからこそ“素材”という言葉が自然に出てきたのだと思います。それだけに、周囲やファンから自分がどう見られているか、その視線の変化に大変敏感なんです。密着された時期は今年7月下旬で、結婚発表の直前。その後のあまりに大きな変化は、“素材”としても耐えられるものじゃなかったのでしょう」(前出・スポーツ紙記者)
結婚発表から離婚まで105日──。一生の愛を誓い合ったはずの2人にとって、あまりにも短い新婚生活だった。