谷村新司さん追悼「徹子の部屋」特別編が17日放送

谷村新司さん追悼「徹子の部屋」特別編が17日放送

 谷村新司さんの訃報を受け、テレビ朝日では17日の「徹子の部屋」(月~金曜・後1時)を「追悼・谷村新司さん」とすることを決めた。

 過去の映像で谷村さんを振り返る。

谷村新司さんの事務所が談話、「アリスを今後10年続けようとしていた」「天の星となって照らし続けてくれる」

 バンド「アリス」のメンバーとして活躍し、ソロとしても「昴―すばる―」などをヒットさせた、歌手の谷村新司(たにむら・しんじ)さんが8日、死去した。74歳だった。葬儀は近親者のみで15日に行った。

加山雄三さん「兄弟のように慕ってくれて楽しかった、弟が先に逝ってしまった」…谷村さん死去

 所属事務所の発表によると、谷村さんは今年3月に腸炎で手術を行い、療養を続けていた。

 所属事務所のコメントは以下の通り。

 本人も回復に向けて頑張っておりましたので、本当に残念に思います。とても穏やかな顔で旅立ちました。昨年は、活動50年を迎えてアリスの記念ライブ「ALICE GREAT 50(FIFTY)」を有明アリーナで開催し、アリスメンバーの堀内孝雄・矢沢透と共にここからリスタートして10年続けようと目標を立てて本人も楽しみにしておりました。

 日本語の精神文化を大事に歌詞を紡いできた谷村でしたが、代表曲でもある「昴―すばる―」は沢山の方々とのご緑の道を継いでくれました。生前「歌と音楽は目に見えないからこそ 海も空も超えていく」と、たくさんの国にも出掛けていきました。

 歌を創作し、歌い伝える旅を続けてきた人生でしたが、この度、来世への戒名を頂戴し「天昴院音薫法楽日新居士」(てんぼういんおんくんほうらくにっしんこじ)と名付けられました。まさしく、天にある星となって私たちを照らし続けてくれることだろうと思います。歌と音楽にピリオドはなく、皆さまの心にいつまでも残ることを願って心よりの感謝を深く申し上げたいと存じます。これまでに沢山の「愛」をいただき、本当に有難うございました。

歌手の谷村新司さん死去 備前焼通じ交流 作家・山本雄一さん「もう会えないと思うと悲しい」【岡山】

「昴」や「いい日旅立ち」などのヒット曲で知られる歌手の谷村新司さんが、10月8日に亡くなったことを16日、所属事務所が明らかにしました。74歳でした。2023年3月に腸炎の手術を受け、療養を続けていたということです。

谷村さんは長年、「日本六古窯」の1つ備前焼を制作していて、人間国宝の故・山本陶秀さん、長男で県指定重要文化財の備前焼作家・山本雄一さん(備前市在住)とも1970年代後半頃から付き合いがありました。

山本さんによりますと谷村さんは全国ツアーの移動の合間に自宅を訪れることもあったほか、10年以上前には備前市の工房に泊まり込みながら作品を制作しました。

また、谷村さんは2011年3月に岡山市の天満屋岡山店で、歌手の加山雄三さんとの作品展も開いていて、この時は山本雄一さんと一緒に制作した備前焼の陶板などが展示されました。

山本さんは数年前に岡山市で開かれたディナーショーの際、谷村さんと会ったのが最後になったということで、OHKの取材に対し「もう会えないと思うと悲しい」とコメントしています。

「昴」「チャンピオン」「いい日旅立ち」…谷村新司さん主な記録【オリコン】

 シンガー・ソングライターで、3人組バンド・アリスのメンバー、谷村新司さんが8日に死去した。74歳だった。

【ランキング】ヒット曲多数 谷村新司さん関連作オリコンランキング

 谷村さんは1965年、高校3年時にアマチュアのフォークトリオ「ロック・キャンディーズ」を結成。解散後、71年にアリスを結成し、翌72年に「走っておいで恋人よ」でデビュー。「冬の稲妻」(77年)、「チャンピオン」(78年)などヒットを連発し、78年には日本人アーティスト初の日本武道館3daysを成功させた。

 アリスの活動と並行してソロ活動も行い、「昴 -すばる-」(80年)がヒット。山口百恵さんに楽曲提供した「いい日旅立ち」(78年)、日本テレビ『24時間テレビ』のテーマソング「サライ」(92年)を加山雄三と共作するなど、誰もが知る多くのヒット曲を世に送り出した。

■谷村新司さんに関する主なオリコンランキング記録

▼谷村新司さん シングル作品累積売上TOP5

1位「昴」(1980年4月1日発売)

 オリコン週間シングルランキング最高2位、累積売上67.6万枚

2位「22歳」(1983年10月1日発売)

 最高14位、累積売上27.6万枚

3位「群 青」(1981年7月5日発売)

 最高15位、累積売上19.9万枚

4位「陽はまた昇る」(1979年6月5日発売)

 最高21位、累積売上13.1万枚

5位「三都物語/こころ前線」(1992年6月25日発売)

 最高41位、累積売上13.0万枚

▼アリス シングル作品累積売上TOP3

1位「チャンピオン」(1978年12月5日発売)

 オリコン週間シングルランキング最高1位、累積売上78.0万枚

2位「冬の稲妻」(1977年10月5日発売)

 最高8位、累積売上55.4万枚

3位「秋止符」(1979年12月20日発売)

 最高4位、累積売上50.5万枚

▼谷村新司さん 関連シングル作品記録

小川知子・谷村新司「忘れていいの」(1984年2月25日発売)

 オリコン週間シングルランキング最高21位、累積売上14.9万枚

加山雄三・谷村新司「サライ」(1992年11月16日発売)

 オリコン週間シングルランキング最高20位、累積売上13.2万枚

▼谷村新司さん作詞、作曲作品記録

・谷村新司さん 作詞作曲

山口百恵「いい日旅立ち」(1978年11月21日発売)

 オリコン週間シングルランキング最高3位、累積売上53.6万枚

・谷村新司さん 作詞

堀内孝雄「君のひとみは10000ボルト」(1978年8月5日発売)

 オリコン週間シングルランキング最高1位、累積売上96.9万枚

・谷村新司さん 作曲

山口百恵「一 恵」(1980年11月19日発売)

 オリコン週間シングルランキング最高2位、累積売上27.7万枚

※オリコン調べ(2023年10/16付現在)

ありし日の谷村新司さんをしのぶ ニッポン放送、親交あるパーソナリティーが過去の音源や曲を通じ追悼へ

 ニッポン放送は2009年から12年まで「谷村新司 まぁるい日曜日」などでパーソナリティーを担当した谷村新司さんの悲報に、谷村さんと親交のあったパーソナリティーの番組で過去の音源や谷村さんの楽曲をオンエアし、在りし日の谷村さんをしのぶことを決定した。

 17日は「上柳昌彦 あさぼらけ」(午前4時30分)、21日は「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」(午前5時)、22日には「イルカのミュージックハーモニー」(午前7時)でオンエアされる。

宮根誠司、生放送中に谷村新司さん訃報「ちょっと言葉にならない」別荘に遊びに行った思い出

 フリーアナウンサーの宮根誠司が16日、日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」で、シンガー・ソングライターの谷村新司さんの訃報に「言葉にならない」とショックをにじませた。

 番組途中で飛び込んできた谷村さんの訃報。宮根は「言葉にならないです」と言うと「腸炎で療養されているっていうのは聞いておりましたが、アリス、元気になって復活されると思ってましたし、北海道にね、別荘を建てられまして」と、谷村さんの別荘に遊びに行った事を振り返った。

 「その時に言われたのは、50代で70代の準備をしとかないとダメだよ、60代じゃできないからって。70になったら楽しむんだよって。谷村さんは別荘建てられて、60歳超えてから免許を取ってドライブさせてもらってアリスの曲を聴いて…」と思い出を語り「それ以来とってもよくしてもらって…。ちょっと言葉にならない」とショックはありあり、「ぼくらの青春時代はアリスでしたから」ともつぶやいていた。

谷村新司さん(74)急逝、「来年アリスで復帰」を望み闘病中だった

 歌手の谷村新司さんが、病のため東京都内の病院で急逝していたことが10月16日、分かった。74歳だった。今年の3月に急性腸炎のために手術を受けて、入院しながらの治療を報告。堀内孝雄(73)、矢沢透(74)との3人組「アリス」の全国ツアーを延期して、6月30日には、年末恒例のクリスマスディナーショーなども休止すると追加発表していた。年内いっぱいの休業を決断して、治療に専念していたが、ついに帰らぬ人となってしまった。

 また1人、大御所アーティストが天国へ旅立った。今年は、1月に元YMOの高橋幸宏さん(享年72)、ロックバンドのシーナ&ロケッツの鮎川誠さん(享年74)、3月には坂本龍一さん(享年71)と、1970年代から活躍していた人気ミュージシャンが亡くなっていたが、谷村さんまで逝ってしまった。

 3月から闘病生活をしていることは公表されていて、毎年、生放送のフィナーレで加山雄三(86)とともに「サライ」を歌っていた日本テレビ系24時間テレビ『愛は地球を救う』も欠席。往年のファンたちを心配させていたが、再びマイクを握ることは叶わなかった。

 谷村さんを知る音楽関係者によれば「来年アリスとしてもう一度舞台に立つことを目標に闘病生活を送っていたが、病状は日に日に悪化。谷村さんの知人や友人たちも連絡がとりにくくなり心配していたところだった」とのことだ。

日本中が口ずさんでいた名曲『サライ』

 息の長い歌手人生だった。太平洋戦争直後の1948年に大阪で生まれて、高校時代からフォークグループ『ロック・キャンディーズ』を結成。19才だった1968年にデビューした。1971年には、盟友の堀内と『アリス』を結成。当初は売れずに苦労したが、谷村さんがラジオ番組『MBSヤングタウン』や『セイ!ヤング』のDJとして人気者になり、1975年の『今はもうだれも』がヒットした。その後は『冬の稲妻』、『涙の誓い』、『ジョニーの子守唄』、そして、オリコンチャートや音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)で1位を取った『チャンピオン』(1978年)などで、国民的な知名度を獲得した。

 ソロとしても幅広く活躍した。1978年に作詞作曲した『いい日旅立ち』は、当時の超人気アイドル山口百恵に楽曲提供し、大ヒットに導いた。自身も1980年の『昴-すばる-』が60万枚セールスを記録して、NHK紅白歌合戦に初出場。同曲は、中国でも空前の大ヒットを飛ばして、中華圏を中心にした東アジアでも、その名を轟かせた。後の2004年からは、創立96年の歴史を誇る中国・上海音楽学院で、教授も任されていた。

 また、1984年の女優・小川知子(74)とのデュエット曲『忘れていいの-愛の幕切れ-』でも、歌唱中に谷村が小川の胸元に手を入れるセクシーな演出で、お茶の間を大いに賑わせたこともあった。

 1990年代は加山との『サライ』、2000年からはアリスを再始動と、デビューから55年間。ずっと歌手活動を続けていた。今年が初めての闘病、長期休養だった。

 前出の音楽関係者は「これまで大病を患ったこともなく、ずっと元気でした。6年前には、22才の渡米中に失効して以来、再交付していなかった自動車の運転免許を68才で取得。『勉強も楽しかった。ゆくゆくは大型免許やけん引免許も取ってみたい』と意気揚々だったので、本人ももっと長生きしたかったはず」と惜しんだ。

 毎年夏の終わりの8月末の日曜夜は、日本中が口ずさんでいた『24時間テレビ』の名曲『サライ』。すでに加山も昨年限りで歌手活動を引退していて、谷村さんの死去で、この名デュエットは、本当に永遠に復活しないこととなった。

 1つの時代の終わりを告げる訃報だった。

【谷村新司「昴ーすばるー」】リサイタル 2023「THE SINGER」4/14(金) 愛知県芸術劇場 大ホールにて開催!

🍎たったひとつの真実見抜く、見た目は大人、頭脳は子供、その名は名馬鹿ヒカル!🍏