「セイコーエプソン」時計部門の失敗 原因は“雇われワンマン” の「セイコーグループ嫌い」
「CI(コーポレートアイデンティティ)」とは、企業の存在価値を高めるためのブランド戦略である。
目下、CI音痴との批判に晒される経営者の一人に、「セイコーエプソン」の碓井稔会長(68)その人の名が挙げられている。セイコーエプソンの歴史を繙くと、「服部時計店」(現・セイコーグループ)の元従業員が戦時中の1942年、服部家と製造部門の「第二精工舎」(現・セイコーインスツル)から出資を受け、長野県諏訪市に創業した「大和工業」がルーツ。大和工業は第二精工舎の協力工場として、時計の部品製造や組み立てを担った。43年、第二精工舎が諏訪市に疎開工場を開設した。その工場と大和工業が59年に一体化したのが「諏訪精工舎」。61年、諏訪精工舎は子会社として、プリンター開発を手掛ける「信州精器」(のちのエプソン)を起ち上げた。85年にエプソンと諏訪精工舎が合併し、セイコーエプソンが誕生している。
東大工学部を卒業した碓井氏が「ブリヂストン」を入社後半年足らずで辞め、実家近くの信州精器に入り直したのは79年11月のこと。その後、技術者として、一貫してプリンター開発に携わりつつ、トントン拍子に出世の階段を昇った。2002年に取締役、07年の常務を経て、社長に就任したのは08年6月だった。
