北海道でヒグマの目撃急増 釣り客死亡も、春の駆除解禁

北海道でヒグマの目撃急増 釣り客死亡も、春の駆除解禁

 北海道各地でヒグマの目撃通報が相次いでいる。道警によると、今年1月~5月20日の通報件数はここ5年で最多。釣り客が襲われて死亡するなど人身被害も出ている。個体数増加が背景とされ、道は絶滅の恐れから30年以上前に廃止した春の駆除を解禁するなど対策を強化。担当者は「フェーズが急速に変わった。個体数の積極的な管理が必要だ」と指摘する。

 幌加内町の朱鞠内湖で5月14日、釣りに来ていた男性(54)が死亡した。翌15日には周辺でハンターが体長約1.6mの雄グマを駆除。男性の死因はクマに襲われたことによる全身多発外傷と判明した。札幌市や室蘭市などでは住宅地に近い場所でもクマが目撃されている。

 道警によると、今年は5月20日までの目撃通報が487件で2019年以降で最多。人身被害も朱鞠内湖の件を含めて5月20日までに3件発生している。

 道によると、道内のヒグマ生息数は2020年度に推計値で1万1700頭。1990年度の5200頭と比べて約2.3倍に増え、目撃や被害増加につながっているとみられる。

「待って、怖い!」クマが車に“突進” いったん茂みに消えるも…再び現れ、さらに追走 北海道で目撃相次ぐ

畑を歩く親と2頭の子グマを捉えた写真。

5月22日の午前6時半過ぎ、札幌市西区の住宅街で親子とみられる3頭のヒグマが目撃された。

付近の小学校では、一時児童の登校を見合わせる事態となり、不安が広がっている。

住民:

子供1人で外で遊ばせておくのは、ちょっと怖いなって思うときもあります。

一方、こちらは北海道の新冠町で、5月19日に撮影された映像。

運転している男性:

ちょっと待って!

同乗している女性:

え?待って、怖い!

親子とみられる2頭のクマが、バックで逃げる車を追いかけて来る。

クマはいったん、道路脇の茂みに姿を消したが、再び道路に現れ、追いかけてきた。

運転している男性:

マジで後ろから車来たら死ぬし。

同乗している女性:

怖い。

その後、クマは茂みの中に入って、見えなくなった。

「あっち行って」の意思表示 繰り返し出没のクマ増加か

なぜクマは車に向かってきたのだろうか。

クマの生態に詳しい専門家は…

酪農学園大学 環境共生学類 佐藤喜和教授:

子グマを守るために、ブラフチャージと言いまして、威嚇するために少し突進するけれども、攻撃するつもりはなくて、「あっち行ってくれ」というような行動をしているところかなと思います。

母グマが攻撃するふりを繰り返すことで、相手にいなくなってほしいという意思表示という。

警察によると、北海道で5月16日までに寄せられたクマの目撃情報は411件に上っていて、過去最多だった去年の同時期より30件以上多いという。

目撃情報が増えている原因について、専門家はこのように指摘する。

酪農学園大学 環境共生学類 佐藤喜和教授:

クマの個体数は増加傾向にありますし、分布が人里周辺にまで拡大してきている。

目撃件数というのは、出没しているクマの頭数ではなくて、1頭のクマが繰り返し現れることで積み上がっていきますので。繰り返し出没する個体が多いために、全体の件数が上がっているようなことかなと思います。

車に衝突したクマが? 事故翌日に“悠然と歩く姿”を目撃…専門家「頑丈だからダメージ大きくない」

24日午前8時ごろ、北海道紋別市でクマが目撃された。このクマは、前日に近くの道路で車と衝突したクマと同じである可能性があるという。

クルマに衝突したクマか…ダメージはどの程度だったのか?

茶色い姿の動物が、草むらの上をゆっくりと歩いている。24日午前8時ごろ、北海道紋別市でクマが目撃された。

クマは辺りを見渡しながら、山の方へ向かっていく。

この近くでは前の日にも…。

道路を飛び出してきたクマが、車と衝突した。

このクマと、今回目撃されたものが、同じクマである可能性があるという。

車とぶつかった時、かなりの衝撃があったように見えるが、クマは大丈夫だったのだろうか。

専門家「さほどダメージは大きくない」

専門家はこう話す。

広島フィールドミュージアム・金井塚務氏:

当たる角度が浅いのと、頭に当たっていなさそうなので、さほどダメージは大きくないと思う。普通に歩いているので、同じクマだとすれば「痛かったなー」くらいで回復しているのだろう。野生動物は、みんな頑丈。頭を内出血するようなダメージを受けない限り、割と大丈夫

市は引き続きパトロールを行うなど、警戒を強めている。

ヒグマに引っぱられた右腕が根元から千切れた!子供を喰われた店では12年後にも被害に【飼育グマ喰い殺し事件】

 おそらく偶然だろうが、北海道・弟子屈町で飼育グマによる人身事故が12年間で3件も発生しているので、以下に見てみよう。

 昭和44年(1969年)9月15日、北海道川上郡弟子屈町屈斜路の土産物店で、釧路から遊びに来ていた会社員の長男(5)が、オス・メス2頭のヒグマが飼われている柵の中に入り込み、そのうちのオスが男児に襲いかかり、脇腹に噛みついて二度三度と振り回した。

 近くにいた人たちがすぐに追い払い、男児を助け出して町内の病院に運び込んだが、間もなく容態が急変し、1時間後に死亡した。

 このとき、医師が血液型を間違え、B型であるのにA型100ccを輸血してしまったので、当初は医療ミスが原因とされた。だが、同日夕刊では、クマによる傷が右脇腹から骨盤にまで達していたことが死因であったと訂正された。

 事故当時、父親は車が故障したため現場にはおらず、知人に世話を任せていたという。土産物店の店主小浜良造(42)は、警察と町役場から危険だから全面に金網を張るよう改善勧告されていたが放置していた。

 噛みついたクマは3歳8カ月のオスで、体長120センチ、体重100キロであった。

 昭和56年6月22日、この屈斜路の土産物店で店主・小浜良造の悲鳴がした。

 長男が駆けつけたところ、成獣を飼育している檻の中で小浜が血まみれになって倒れ、回りをヒグマがうろついていた。長男は猟友会に頼んで、その場で3頭を射殺、小浜を救出したが、すでに死亡していた。後頭部陥没骨折のほか、手足を噛まれるなどの傷をうけていた。

 当時、同店では7頭のヒグマを飼育しており、小浜みずから毎日世話をしていたという。檻は鉄パイプで造られ、左右の檻にそれぞれ成獣3頭、幼獣4頭が飼われていた。

 事件が起こった季節がちょうどヒグマの繁殖期にあたり、気が立っていたことが原因のひとつとされている。男児が死亡した事件から12年後、店主みずから噛み殺されてしまったという皮肉な事件であった。

(北海道開拓記念館研究年報第10号所収、犬飼哲夫・門崎充昭『北海道における近年の飼いグマによるヒトの被害』と新聞報道をもとに構成)

 なお、弟子屈町では、昭和50年10月17日、「川湯アイヌコタン」で、広場で遊んでいた3歳の女児が、飼育中のツキノワグマの檻に手を差し込んだところ噛みつかれ、右手人差し指を喪失してもいる。 檻は2メートル四方で、径10センチほどの丸太を組んだものであった。隙間も10センチほどあったにもかかわらず、周囲には柵がなく、自由に檻に近づける状態だった。

 飼いクマに殺される事件は、北海道全体でみれば、意外に数が多い。

 昭和4年12月9日、富良野市の東大演習林事務所勤務の佐藤利三郎が外出から戻り、いつものように鉄檻に飼われている4歳ほどのヒグマに手を伸ばしたところ、クマが佐藤の右手を捕まえ、力いっぱい檻の中へ引っ張り込んだ。

 佐藤が悲鳴を上げると、佐藤の長男の妻が飛び出してきて、腕の引っ張り合いとなった。檻の中のクマはますます猛り狂って強引に腕を引っぱり、ついに佐藤の右腕が根元から千切れ、引き抜かれてしまった。直ちに旭川市内の病院に運んだが、出血多量のため翌日死亡した。

 クマは日頃、利三郎に馴れていただけに、この悲惨な出来事は人々を驚かしたと『富良野こぼれ話』(富良野市郷土研究会、昭和54年)にある。このクマは翌日、アイヌに依頼して射殺された。

 最後に、考古学者・米村喜男衛の甥が、飼育中のヒグマに襲われた痛ましい事故を紹介しよう。

 米村は、大正2年(1913年)、アイヌ文化研究のため訪れた網走でモヨロ貝塚を発見。以後、網走に居を構え、本業の床屋のかたわら、日夜、貝塚の調査研究に没頭。北方系の渡来文化「オホーツク文化」の存在を明らかにし、「考古学者の床屋さん」として著名な市井の学者であった。

 昭和11年、自らが収集した資料をもとに「北見郷土舘」を開設したが、そのわずか2年後に悲劇が起きてしまった。

 新聞での第一報は情報が錯綜していた。

《十一日午後零時半頃網走町北見郷土館境内に飼育していた三歳のひぐまが檻の上部を破って飛出し附近をうろついているとは知らず、米村同館主事の弟理髪業米村喜重三郎氏の二男明英さん(六つ)が店員に連れられ、いつものように餌を携へ熊に近寄った途端、熊は同君に飛びかかり頭部をかきむしり人事不省に陥らしめた、明英君は網走病院にかつぎ込まれ内山院長の応急手当を受けたが頭髪全部剥脱し見るも無惨な重傷で生命危篤である》(『小樽新聞』昭和13年12月13日夕刊)

 しかし実際の情況はかなり異なっていた。以下は『北海道における近年の飼いグマによるヒトの被害』(上掲書)の記録で、こちらは詳細な検証を元にしている。

 12月11日午前、北見郷土館付近でスキー遊びをしていた子供数人が、飼育中のクマ檻にストックを入れ、クマを突くなどして悪戯したところ、クマが怒って暴れ出した。

 檻は角材を組んだ木造であったが、基礎部分に組んだ丸太がずれ落ちて隙間が生じ、ヒグマが這い出てきたので、子供たちはスキーを滑らせて逃げた。

 午前11時頃、使用人の青年が明英(4)を連れて給餌に訪れたところ、檻の外にヒグマがうろついていて、2人を見て駆け寄ってきたので、青年は明英を放置して400メートル離れた米村宅に走った。

 明英は日頃からこのクマをかわいがっていて、子熊の頃には一緒に入浴するなどしていたので、事件当日も給餌に連れていくことをせがんだという。

 米村が現場に急行すると、明英は雪の中に倒れて泣いており、ヒグマは放り出されたエサを無心に食べていた。米村が名前(「べーべー」という)を呼ぶと走り寄ってきたので、難なく捕まえて立木につないだ。

 明英は頭部に全治3週間程度の傷を負っていたが意識は明瞭であった。しかし、搬送先の病院で麻酔を施したところ、術後も意識が戻らず、午後6時半に死亡してしまった。つまり死因は医療ミスであった。

 北見郷土館では鉄筋コンクリートの畜舎を新築中で、吹雪のため完工が遅れていた矢先の悲劇であった。加害クマは1歳11カ月のオスで、明英の頭部の傷は、ヒグマがじゃれついた際に勢い余ったものと思われた。

 事件後、このヒグマは警備員によって手斧で撲殺されてしまったという。

中山茂大

1969年、北海道生まれ。ノンフィクションライター。明治初期から戦中戦後まで70年あまりの地元紙を通読し、ヒグマ事件を抽出・データベース化。また市町村史、各地民話なども参照し、これらをもとに上梓した『神々の復讐 人喰いヒグマの北海道開拓史』(講談社)が話題に。

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