失われた30年、復活しない日本企業とアメリカ企業の決定的差、問題にするのを避けてきた不振の最大原因は?

失われた30年、復活しない日本企業とアメリカ企業の決定的差、問題にするのを避けてきた不振の最大原因は?

多くの日本企業がグローバル競争を強いられ、苦しんでいます。「国際競争を戦っていくためには日本の個々の企業の戦闘力を上げなければならないが、いっこうに上がっていない」と指摘するのが、ボストン・コンサルティング・グループ出身で、事業再生の専門家であり、ミスミグループ本社のCEO(現在は名誉会長)も務めた三枝匡氏です。三枝氏が日本企業を元気にする手法を解説します。

※本稿は三枝氏の著書『決定版 戦略プロフェッショナル 戦略独創経営を拓く』から一部抜粋・再編集したものです。

■日本の企業組織でプロが育ちにくいワケ

 アメリカ人の元気復活を駆り立てていたのは何だったか。私はその最大の要素として彼らの「プロフェッショナリズム」を挙げる。

 ベンチャー・キャピタリスト、ベンチャー経営者、斬新な論理開発を行う学者やコンサルタント、あるいはバイオ産業や金融工学など先端企業を率いる経営者・学者・技術者、一気呵成の改革を目指す大企業のプロ経営者など、アメリカの新時代を切り拓いていった人々に共通していた特性は「戦略志向」「リスク志向」「プロ志向」である。それらすべてに共通した基盤として、金持ちになりたいという「マネーへの渇望」があった。

 プロ人材は「個人の突出」が許されるカルチャーがあってこそ育つ。日本の組織は逆だ。

 昔から今に至っても、日本の企業組織ではプロが育ちにくい。集団主義の規範を守らせることと、一流のプロフェッショナリズムを育むことは、組織論において1つの「対立概念」なのだ。しかもそこに「マネーへの渇望」を加えたら、日本の大企業でそれを満たすことは絶望的になる。

 半世紀前にさかのぼる日米の競争の歴史を、私は「世界の事業革新のメガトレンド」と呼んでいる。

 日本は1960年代からの30年間で、繊維→白物家電→テレビ→特殊鋼→鉄鋼→自動車→そしてアメリカ人が絶対に負けないと豪語していた半導体分野にまで浸食していった。当時の勢いからすれば、今日の日本の半導体産業の悲惨な負け姿は何が起きたのか想像できない。1980年代後半、アメリカでは歴史上空前のリストラの嵐が吹き荒れた。

 ところが1990年代に入ると、アメリカは急に元気を取り戻す。アメリカは黄金の1950年代をピークにして、30年間じわじわと凋落していったが、日本の繁栄は1991年前後がピークだった。その頂点から、突如として一気に谷底に落ちて、低迷した。

 日本企業は多くの分野で世界競争から脱落し、国の財政も悪化したままになる。初めは失われた10年と言われたが、いまや失われた30年が経過した。日本とアメリカは戦後の60年間に、前半は「アメリカ>日本」、後半は「日本>アメリカ」と、30年間単位のシーソーゲームを演じたのだ。

■1980年代から見えていた「組織劣化」

 60年間のシーソーゲームの前半で、日本組織の「横並び精神」は1つの強みだった。当時、それは日本にとって戦略適合だった。しかし大組織の中で出る杭は打たれる。日本のリーダー行動はしばしば「突出」よりも「うまく収める」ことが重視される。そうなると組織のリスク志向は減退し、必然的に本人の経営的力量も上がらない。事業戦略は後追いになる。それが日本的組織の宿命だった。

 私はバブル破綻後の1994年に『経営パワーの危機』を出版した。そこに描いた日本企業の「組織の劣化」「経営者人材の枯渇」の姿は、出版の10年前にすでに観察していたものである。バブル破綻に先立つ1980年代前半には、日本企業の組織活性低下の症状はすでに見えていたのだ。

 メガトレンド後半30年間の長期停滞は長い。大学を出た人材が、50歳を過ぎるまで、投資や経費を抑制するように頭を叩かれ続け、その体質は後輩世代にも刷り込まれていった。多くの日本企業が長い期間その状態に支配され、企業の戦闘力は、毎年、少しずつ、明確に意識されないスピードで落ちてきたと思う。

 だから、日本人はアメリカや中国に対抗して、攻めの戦略を追えといきなり言われても、すぐに頭も行動も切り替えられない。

 日本の組織劣化という下向きの伏線は1980年代に動いていた。それはアメリカが強さ復活への出口をみつけようと新しい論理開発にのたうち回っていた1980年代と、完全に時期が重なる。2つの伏線は1990年前後に、もはや伏線ではなく、一気に表面化してきて交差した。メガトレンド後半30年間の大逆転が始まったのである。

 ここで、「事業革新のメガトレンド」から得られる教訓を、現実直視のストレートな表現でまとめてみたい。

 ①日本人は経営の「知的創造」で負けた。

 日本の経営はメガトレンド前半30年間で素晴らしい経営成果を出したが、長い年月をかけてアメリカ人によって解析され、見破られた。日本人は商品開発には熱心だったが、同じくらい重要な「経営手法の開発」には十分な金も時間もかけなかった。経営の新しい「論理化・敷衍化」で後手に回り、自ら先手を打つ改革を推進できなかった。

 ②日本人は「個人の経営的力量」で負けた。

 内向き志向が強く、サラリーマン化が進み、会社の大改革や世界市場で勝ち抜くために個人として必要な「経営リテラシー」「経営フレームワーク」を、自らの成功失敗体験の中で磨いていく機会から遠ざかってしまった。

 ③その結果、近年、世界の事業革新のメガトレンドの変化がますます加速しているのに対して、日本人の多くは後から追いかけることしかできなくなっている。

 今後、日本の経営を革新するためには、「組織問題」がつねに「戦略」と抱き合わせで扱われなければならない。当たり前に聞こえるだろうが、これが簡単ではない。社長自らが毎日、事業のことと同じ熱心さで、「組織の劣化」に対して「今そこにいる人々」の目を輝かせる組織を保つには何が有効かを考えているだろうか。事業戦略と組織問題をセットにして、改革を試し続ける必要がある。

■不振企業で必ず直面「経営者人材の枯渇」「組織劣化」

 この後は、日本人がこの状況から抜け出るための参考として、私が過去30年間、経営者ないしターンアラウンド・スペシャリスト(事業再生専門家)として試みてきた改革手法について述べる。

 バブル破綻後に不振に陥った上場企業に行くと、例外なく直面したのは「経営者人材の枯渇」「組織劣化」の問題だった。改革に背を向け、時に背後から改革者に弾を撃つ人がいる組織を、いかに新戦略に向けて束ねていくのか。その手法(フレームワーク)を編み出すために、苦渋の試行錯誤を重ねた。

 不振企業の元気復活のためには、誰しも、まず通常の「戦略」の観点から、いま追っている事業戦略が正しいかどうかをやり玉にあげる。私のビジネス人生でも、初めはそれが当たり前の手順であった。

 ここでの「戦略」とは、市場競争に対する自社の戦い方、社員から見れば会社の「外」に向けた打ち手を点検し、それを斬新でより有効な内容に組み立て直すことを意味している。

 しかし私は、バブル崩壊後の大企業の中に入って事業の再生を手がけるようになってから、その手順に問題があることに気づいた。改革案作りをするのにまず「戦略」から入ると、それはいかにも当たり前の改革手法に見える。けれども、実はそれによって、業績不振を生み出しているもっと根の深い問題を見過ごしてしまい、会社の本当の元気回復を先送りにしてしまいかねないことに気づいたのである。

 もっと大きな問題とは、「ビジネスプロセス・組織」の問題である。多くの幹部や社員が、事業不振は他の部署や個人のせいである(自分だけはちゃんとやっている)という心理を抱いている。本来なら経営判断は明るい昼間に「正しい、正しくない」の議論をきちんと行って決めるべきだが、実は組織の陰ないしはアフターファイブに「好きか、嫌いか」の感情を伴う「組織の政治性」がはびこっているのだ。

 事業再生専門家というのは、経営がかなり悪くなり、もうあとがないという状況が見えてきてから、依頼を受けるのが常である。行ってみると、ほぼすべての企業で歴代の経営者が改革と称するものを行ったことがあり、ほとんどが「戦略」の問題を表層的にいじり回して、結局は大した効果が出ずに短命の改革で終わり、その結果、社内にあきらめが広がっているというパターンを起こしていた。

 そのような会社では、顧客と競合を意識して最善の戦いをするための「ビジネスプロセス」や「組織体制」が崩れているのがほとんどだ。それが会社の根っこに潜んでいる最大の不振原因なのだが、日本企業の多くがバブル崩壊以降の30年間、それを問題にすることを避けてきた。

■事業の不振の原因は2つに分けて考える

 どうすればいいのか。私は事業の強さ復活を狙う再生プロジェクトを繰り返すうちに、事業の不振の原因を、あえて大きく2つに分けるフレームワークに行き着いた。「戦略」(会社の外に目を向けた戦い)と、「ビジネスプロセス・組織」(会社の内部に目を向けた戦い)をまずはいったん分けて、病気の原因と改革法を整理するのである。

 どちらも最終的には市場での勝ち負けに影響している。両者は深くつながっており、従来はこの2つを含めて「戦略」と総称することが多かった。

 ところが、バブル崩壊後の日本企業の活性化に取り組み始めてから、私は改革の「入り口」としては、この2つを明確に分けて考えることが重要だと気づいた。

 不振企業では、まず社内のビジネスプロセス・組織の病気を抜本的に治して「戦う体制」を組み立て直す。つぎに、その結果として前よりも小ぶりで機動力の上がった事業単位それぞれにおいて、あらたに抜擢した経営者人材が、最適と思える戦略を個別に立案する。

 改革の後半では、レベルアップしたビジネスプロセス・組織と、市場に向けた新戦略を合体させ、総合的な改革を進めていくという手順である。

 「戦略」と「ビジネスプロセス・組織」の2つはそれぞれに対処するフレームワークが異なり、社内の組織力学が異なり、実行するときの具体的行動も異なる。その意味で、この2つをまずは峻別して組み立て、そのあと矛盾が出ないように2つを整合ないし融合させながら改革を進める手順が大切なのだ。

 最後のまとめとして、以上の考え方と実行手順をまとめておく。

1.不振会社を元気にするために改革を目指す場合、戦略をいじり始める前に、まず「創る、作る、売る」の組織機能が「肥大化」していないかを点検する。事業組織ごとに「創る、作る、売る」のワンセットが含まれていて、自律的に経営のできる小ぶりな体制を整えることを狙う。顧客ないし競合に対して、組織の対応スピードが上がり、自社の強みが最速で発揮されるようなビジネスプロセス・組織のコンセプトを目指す。

2.現実に、ビジネスプロセス・組織の改革を行うのは簡単ではない。社内からさまざまな抵抗が出る。長い年月、肥大化した組織にどっぷり浸かってきた幹部・社員にとっては、今までのやり方がいちばん自然なのである。しかし妥協してはならない。不振企業の再生では、この組織デザインの点検が改革の出発点になるのだ。

3.業績不振企業でなくとも、多くの日本企業がこの組織問題で効率を落としている。それが多くの日本企業において、重要な、隠れた戦略課題になっているはずだが、ほとんどの日本人がそれに気づいていない。

4.前よりも小ぶりになって速く回る事業組織を設計したら、次いで、「気骨のある人材」を選び出し、各事業単位の長に抜擢する。そのうえで、事業毎にビジネスプラン(事業計画)を組む作業を行わせる。

5.そのためには、選ばれた彼らが戦略リテラシーを高めるよう、集中的な戦略教育を行う必要がある。ミスミの場合、CEO就任以来、私は自ら塾長として役員・社員を対象に『戦略と志』講座を開催してきた。この講座はCEO退任後も続けており、その開催日数は20年間で150日前後になっている。

6.各事業責任者はそこで学んだ戦略フレームワークをベースに、自分の「ビジネスプラン」を作成する。戦略論理と「現実の事業の苦しい実態」の間を行ったり来たりしながら、自分なりの突破口を探す。企画スタッフにやらせるのではなく、事業責任者が自分の手でビジネスプランを書き、それを自分で実行し、1年後に更新することを繰り返す。

7.企業トップは、小ぶりになった事業組織の責任者が作るビジネスプランに「それで勝てるのか」を問い続ける。それには社長自身が高い経営リテラシーを持つことが必要だ。簡単ではないが、けれどもそれをあきらめたら、会社を元気にする望みは絶たれる。社長が「自分もあなたの船に乗ったよ」と言える計画を作らせる。社長を頂点に、事業ラインに沿って、ハンズオンの指導を行うことがポイントである。

8.この段階では、立案した戦略は「仮説」に過ぎない。だから、それを実行に移せば「うまく行かない」が頻発する。それでいい。戦略とはそういうものだ。人に作らせたものでなく自分で考え抜いた戦略であれば、たとえうまくいかないことが起きても、①崩れた部分の感知が早い。②各事業は「小ぶりの組織」になっているから、修正行動が迅速になる。③それによって経営者人材としての学びの蓄積スピードも加速される。

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