「私は日本人」 アメリカ人歌手の発言が猛批判されたワケ、日本人にはわかりにくい文化の盗用という大問題

「私は日本人」 アメリカ人歌手の発言が猛批判されたワケ、日本人にはわかりにくい文化の盗用という大問題

 アメリカの歌手、女優、ファッションデザイナーであるグウェン・ステファニ(53歳)が、ファッション誌『アルーア』のインタビューの中で、「My God, I'm Japanese and didn't know it(自分がこんなにも日本人だとは知らなかった)」と発言し、大きな議論となっている

 もちろんこれは、ステファニが民族的に日本人だという意味ではない。彼女はイタリア系アメリカ人であり、明らかに「白人」である。これは、彼女が日本文化の「超ファン」であることを表現する意図があったのだろう。

 ステファニが、東京・原宿のストリートファッションを彷彿とさせるスタイルの日本人・日系人女性4人に囲まれてライブをしていたことは、彼女のファンであれば知っているはずだ。そして、ステファニはその4人を「ラブ、エンジェル、ミュージック、ベイビー」と呼び、人前では日本語しか話さないように要求していたこともある。

 彼女は明らかに、「日本らしさ」を自分のイメージの一部にしているのだ。

■アジア系編集者が感じた不快感

 ところが、ステファニが自分は日本人だと何度も主張した(短いインタビューの間に何度も言っていた)ことは、このインタビューを行った『アリューア』の編集者を不快にさせた。が、それには理由がある。

 この編集者、ジェサ・マリー・カラオはアジア系アメリカ人で、アメリカに住む“真の”アジア人女性である。明らかな少数派である彼女は、明らかな白人で特級階級に属するステファニとはまったく異なる経験をしているからだ。

 「私は、自分の外見のせいで人種差別的な言葉を投げかけられ、ニューヨークの地下鉄で一緒に移動する父親の安全を心配し、祖父母がアジア人であるという理由で攻撃され殺されるのを見て怒りで沸騰した女性だ」と、10日に公開された記事でカラオは書いている。「私は、この活気に満ちた創造的なコミュニティの一員であると主張しながら、痛みや恐ろしさを伴う物語の部分を避けることができる人がうらやましい」。

 つまり、カラオにとってステファニの発言は、「Cultural appropriation(文化の盗用)」にあたるというわけだ。文化の盗用については詳しく後述するが、簡単に言えば、ある文化圏の要素をほかの文化圏の人が利用することを指す。マジョリティ側がマイノリティの文化を盗用することが問題とされることが多い。

 カラオのコメントは拡散され、テレビやソーシャルメディアで、アメリカのみならず、世界中で議論された。

■厳しい立場に置かれているアジア系アメリカ人

 歴史的に、アジア系アメリカ人とそのイメージは、アメリカ人によって、個人的にも、メディアにおいても、軽蔑的に扱われてきた。アジア人は、その外見、文化、アクセントなどに関する人種的中傷や侮辱の対象になってきた。

 そして、トランプ氏がコロナウイルスを「チャイニーズ・ウイルス」と名付けてアジア人に責任を押し付けて以来(ほとんどのアメリカ人は日本人、中国人、韓国人、フィリピン人などの区別がつかない)、その無礼が暴力や死へとエスカレートする例が増えている。

 実際、アメリカ連邦捜査局(FBI)によると、2019年から2020年にかけて、アジア系アメリカ人や、アメリカに住むアジア人に対するヘイトクライムはそれ以前に比べて77%増加した。そして、2020年3月から2021年6月までの間に、9000件以上の反アジア人ヘイト事件が報告されている。こうしたヘイトや暴力への認識を高めるために、#StopAsianHateキャンペーンが行われるようになったのだ。

 だから、カラオがインタビューの際にステファニが日本人だと主張したことが不快だったのは理解できる。実際、ステファニは日系アメリカ人としてアメリカで暮らすという非常に現実的な危険に直面することはないだろうし、ステファニの言葉がカラオのような人々にどう影響するかを気にしない無知による無神経さは、アジア人に対する“崇拝”は自分のイメージを高めるから、という理由に限定されていることを示している。

 では、ステファニの言動をめぐる炎上は、日本とどう関係があるのか。1月半ば、中東衛星局「アルジャジーラ」のデビッド・マクエルヒニー記者はステファニ発言をめぐる騒動を取り上げ、「CNN、ガーディアン、CBS、ABC、NBC、バズフィードなどの(アメリカ)メディアは、カラオのインタビューとその結果起こったソーシャルメディアで騒ぎは取り上げたものの、これに対する日本人自身の見解への言及はまったく報道していない」と指摘した。

 そこで、同記者は日本にいる日本人にインタビューすることで、「日本人自身」がこのことについてどう思っているのかを報道した。そして、カラオのような注文の多いアメリカ人はステファニの発言を問題視しているが、日本人自身はこの論争に困惑していると結論づけた。日本では、文化の盗用は現状では、大きな問題ではないと考えられている、と。

 と、なると日本人はこの問題はまったく無関係なのだろうか。それを判断するには、文化の盗用とは何かを理解する必要があるだろう。

■うまく伝えられているメディアは少ない

 文化の盗用は複雑なテーマであり、文脈によって変化する。残念ながら、多くのメディアがこの問題を単純化して説明しようとすることで、その危険性が不明瞭になったり、失われたりしている。

 ニューサウスウェールズ大学の社会学者で、アートやメディアが社会正義や政治とどう相互作用するかを研究しているミーガン・ローズ教授は、今回のステファニの発言の中には、文化の盗用の核心にある問題を象徴するものがあると主張する。同教授はステファニのみならず、原宿の「KAWAii(カワイイ)ファッション」のような日本のサブカルチャーが西洋諸国にどう紹介され、全体的にどのような影響を与えるかという問題点を研究している。

 例えば、ステファニはインタビューの中で、「もし(人々が)私が美しいもののファンであり、それを共有することを批判しようとするなら、それが正しいことだとは思いません」と語っている。「あれは創造性の美しい時代だったと思う……原宿文化とアメリカ文化のピンポン勝負の時代でした」「ほかの文化からインスピレーションを受けるのはいいことだと思います」とステファニは続けている。

 が、ローズ教授は文化間の関係はピンポン勝負だったことはない、と指摘する。

 「この比喩の前提は、ステファニと原宿ガールズの間には公平な競技場があることです」と、ローズ教授はいう。実際、これは「公平な試合」ではなかった。過去のライブなどでステファニは彼女たちに学生服を着させ、ステファニを崇拝するように頭を下げさせ、スカートを上げさせたりしている。つまり、双方は対等な関係にあったわけではない。

 それどころかこれは、日本の女性は従順でおとなく、みんな同じで、白人を魅了するための「小さな人形」であるという、アメリカで長年培われてきたオリエンタリズムのステレオタイプを助長するものだったと言っていい。

 「アジア太平洋研究所によると、アメリカにいるアジア人女性の最大55%が性暴力を経験している。彼女たちは信じられないような状況で生活しており、このことは、仕事や留学、旅行でアメリカに行く日本人女性にも影響しています」とローズ教授は話す。

 同教授はまた、人種差別は怒りや憎しみとして現れるだけでなく、「無邪気」「無害な楽しみ」として現れることもあるが、後者は他文化への「愛」として捉えられがちだ。ステファニのパフォーマンスは、原宿の子たちが下品で、風変わりで、幼稚であるという非常にネガティブなステレオタイプを助長し、アジア系アメリカ人に対する嫌がらせをするための「武器」にされてしまった、と説明する。

■「日本文化の勘違い」に慣れてしまっている

 一方、日本人が自国文化の盗用が取り沙汰されていることに無関心であることについて、アーティスト兼原宿ファッションのモデルであり、さらにはカワイイ文化の海外調査も手掛ける紅林大空(はるか)さんはこう話す。

 「残念ながらグウェンを知らない日本人が多いことに加え、『外国人』による日本文化の勘違いにも慣れてしまっているのだと思います。着物を着崩すモデルや、謎の漢字タトゥーなど、どれも日本人からすれば勘違いあるあるです。でも、どれも日本が好きでやっているなら嬉しいし、下品でなければいい。

 多くの日本で暮らす日本人は人種差別を受けたことがなく、文化や権利を盗用されることも滅多にないので警戒感がありません。私個人は他国の文化をおちょくってもOKだとは思いませんが、多くの日本人は人種差別や文化の盗用に無関心だと感じます」

 それでは、この逆パターン、つまり日本によるアメリカ文化の盗用はないのか。これについてカワイイ文化を追うライター、西園寺怜さんはこう説明する。

 「『アメリカの文化を日本人が模倣する』という点では、古くは1950~60年代のロカビリーブームが思い起こされます。戦後の貧しい時代から日本が復興し、当時のキラキラしたアメリカ文化に対する憧れが大きかったのだと想像します。現代では、ヒップホップやラップなどのアメリカ文化に傾倒する人々の多くは、よりアメリカ人に近づくために日本語も英語っぽく発音したり、ダボダボの服をブラザー系と称して着用しています。

 さて、これらが『文化の盗用』にあたるかどうか。答えは、そこに『愛』があるかどうかの問題だ、と私は考えます。自分の活動が、アメリカ国内の当該コミュニティーの人々を傷つけるものになる可能性があるのかについて考え、その点について彼らと直接話したり、一緒に活動する環境を持っているのかどうかが、『文化の盗用』と『文化の共有』をわけるものだと考えます。表面的なありきたりの知識しかないのに知ったかぶったり、ちゃかすのは問題外だと思います」(西園寺さん)

■文化の盗用かどうか迷ったら…

 西園寺さんは現在、ローズ教授や紅林さんとともにカワイイ文化に関する書籍を執筆中で、こうしたプロジェクトや協会設立を通じてカワイイ文化を正しく発信し、人種差別やこれに基づいたいじめを世界から撲滅することを目標としているという。

 文化の盗用とは権力であり、他者を抑圧するためにいかに文化が武器になりうるか、ということである。これは文化を共有したり、交換したりすることとは異なり、どちらかというと搾取に近いものである。

 もし自分や他者が文化の盗用を行っているのかどうか迷う場面があれば、西園寺さんがいうように、そこに愛や尊敬の念があるのか、さらにそうした行為が他者を不快感にしたり、他者を貶める可能性があるのかを考えるのがいいだろう。

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