「他の車の邪魔に…」避難ためらったトラック運転手 津波の脅威から守る“命の道”を走る#知り続ける

「他の車の邪魔に…」避難ためらったトラック運転手 津波の脅威から守る“命の道”を走る#知り続ける

3月11日で東日本大震災の発生から丸11年を迎えます。

あの日、土地勘のない運送先で津波に遭遇し、辛うじて逃げ出すことが出来たトラック運転手の大上秀喜さんは、「逃げるが勝ちですよね、何よりも。」と当時を振り返ります。震災から11年、「復興の要」として2021年12月に全線開通した三陸沿岸道路。トラック運送にとって何よりも重要な輸送時間の短縮を実現しただけでなく、津波の脅威からドライバーを守る「命の道」としての役割も果たしています。大上さんはこの道を通りながら、復興の歩みに思いを馳せます。津波が襲ったあの時と今、被災地に生きる人たちの心境の変化とは。

≪経験のない揺れ 避難場所もわからず≫

大型トラックに乗り込む1人の男性。岩手県久慈市の運送会社「十久輸送」に勤めるトラック運転手大上秀喜さん58歳です。この日は3月中旬から本格化する塩蔵ワカメの作業に欠かせない塩を積んで仙台港から岩手県宮古市重茂半島へと向かいます。片道4時間の道中、1人静かにハンドルを握り続けます。

11年前の東日本大震災発生時も大上さんはトラックを運転していました。薄曇りの空の下、荷物を受け取りに宮城県の仙台港に向かって南下している最中でした。「ちょうど松島の町を過ぎたあたりに揺れましたね。車がやっぱりでかいもんですからね。停められる所に停めないとという感じで」。かつて経験したことのない大きな揺れ。小回りの利かないトラックに乗っていたことに加え、土地勘のない場所だったため避難場所も分からずさまよいます。大上さんは多くの車が山側に向かう道に入っていくのを見ました。しかし、自分が運転するのは大型のトラックだったため、列に加わるのをためらい、そのまま30分以上かけて道なりに海に向かってしまいました。そして、たどり着いた仙台港の海辺で津波に遭遇しました。

≪九死に一生 トラックに助けられた命≫

大上さんは当時の場所に取材班を案内してくれました。「側溝のふたが、波が来たときに5mくらいボンボンと映画みたいに飛んでいるのが見えたんですよ。もうこれでお陀仏だなと思いましたけども。足で蹴飛ばしてサササッと上がって」。とっさに、津波によって浮いてしまったトラックの荷台に駆け上りました。高さは約3.5m。その直後、津波は勢いを増して大上さんのトラックを押し流しました。大上さんはその様子を携帯電話のカメラで撮影していました。濁流に襲われながらもトラックは木に引っ掛かり、幸い沖に流されることはありませんでしたが、日が暮れても大上さんはその場から動くことができませんでした。服装は作業着にジャンパーを羽織っただけで、寒さに震えていたといいます。「夜の8時くらいになったら波がちょっと落ち着いた」。夜になるとある光が見えました。同じく港で逃げ遅れた人が付近の倉庫で焚火をしています。大上さんは荷台から降りると、腰のあたりまで海水に浸かりながら倉庫にたどり着き、生き延びることができました。大上さんは今でも避難行動の遅れを悔やんでいます。「逃げるが勝ちですよね、何よりも」。 大上さんに限らず、大型トラックの運転手がほかの車の邪魔になることを恐れて避難をためらった例が多くあると言います。これを受け大上さんの会社を始めとする運送業界は、津波の恐れがある際は高台に避難することや、大型車での避難が難しい場合は車を捨てて逃げることを従業員に徹底しています。

≪命の道 三陸沿岸道路全線開通≫

岩手県トラック協会のまとめによりますと、東日本大震災で岩手県内の運送会社ではトラック445台が被災し、運転手など42人が犠牲になりました。あの日から11年、大上さんが今トラックを走らせるのは2021年に全線開通した三陸沿岸道路です。

三陸沿岸道路はよく使うのかとの記者の問いに、「もうこれだけですね。この道路だけですよ」と答えた大上さん。津波が来ないところに道路が走っていることについては、「良いことじゃないですか。高いところにあるし。何かあった時の緊急道路みたいな感じで」と話しました。2021年12月18日、震災復興をけん引する事業として取り組まれてきた三陸沿岸道路が全線開通しました。宮城県仙台市から青森県八戸市までの359キロが1本の道路でつながりました。新しい沿岸の大動脈は、津波の到達地域を避けて建設され、救急搬送や災害時には「命の道」となります。

≪大動脈とともに走る 運ぶ使命≫

仙台港から岩手県宮古市に向けて三陸沿岸道路を北上する大上さん。震災後も三陸沿岸を南北に走り続けてきた大上さんの目には、この11年間の復興の歩みが刻み込まれています。中心市街地が津波で壊滅した陸前高田市。かつてがれきに覆われていた街は、今となってはショッピングセンターを中心に店舗や公共施設が立ち並び、目まぐるしい復興を遂げました。大上さんは陸前高田市の風景の劇的な変化に目を見張ります。「一番はこの陸前高田ですよね。山を崩してかさ上げしたっていうのが(印象深い)。工事車両が通って混んでいるというか、せわしないという感じがあったんですよ」

天気にも恵まれ、行程は順調に見えましたが大上さんには気がかりなことがありました。大上さん「重茂に塩を運ぶ仕事を受注すると春が来ると感じるけど、春が近づくと絶対春雪が降ってくるから運転手としては胃が痛くなる時期ですよね」。天候を気にしながらの運転は11年前も今も変わりません。最終目的地である本州最東端の岩手県宮古市重茂半島。点在する集落に住む人々は、古くから漁業で生計を立ててきました。この日の夕方には、大上さんの言葉通り湿った雪が降り始めていました。予定より約1時間遅れでトラックは半島の先端に近い石浜漁港に到着しました。仙台港を出発してからおよそ5時間、それでも、三陸沿岸道が開通する前と比べると2時間の短縮です。開通前は天気によっては当日の到着を諦めることもしばしばでした。収穫したワカメに塩をつけて長期保存を可能にする「塩蔵ワカメ」。製造作業に欠かせない塩の袋を、大上さんは丁寧に荷下ろししました。運転手泣かせの春の雪ですがこの地域の漁家には恵みの雪でもあります。地元漁協の石村浩介組合長は「雪解け水とか出れば成長が良くなると昔の人は言っていたので。ワカメにとっては良いんではないかね」と話します。30世帯ほどのうち11世帯がワカメ養殖を手掛ける石浜集落。雪の中、塩が届くのを待っていた漁家たちが次々とそれぞれの作業場に運んでいきます。「塩はなくてはならない。こんな(雪が降る)天気に運んできてくれてありがたいことですね」と石村さん。

「ご苦労さんと言ってくれればその時は運転手であれば誰もが(うれしい気持ちになる)。(三陸道の効果は)大きいですね。今までは諦めていた当日の配送作業が『出来るかも』と思いますからね。ありがたい道路です」と大上さんは感謝しています。浜に塩が届いて里に恵みの雪が降る。あとはワカメの刈り取りを待つだけです。震災発生から11年。復興の要として築かれた三陸沿岸道路が人々の命と暮らしをつなげています。

※この記事は、IBC岩手放送とYahoo!ニュースとの共同連携企画です。

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