「心の復興」って何だろう 癒えない傷、そっと見守る #知り続ける

「心の復興」って何だろう 癒えない傷、そっと見守る #知り続ける

 東日本大震災の発生から11日で11年。東京電力福島第1原発事故で打撃を受けた地域を含め、被災地の人々は当時の生々しい記憶を抱き、時に迷いながら歩み続けている。

■凄惨な光景、打ち明けた妹

 偉い人が口にする「心の復興」って何だろう。疑問を拭えずにいる。

 石巻市のNPO法人職員永沼さやかさん(27)には、震災の語り部をしている妹がいる。志野ほのかさん(23)。実家で同居し「ほのぴ」と呼んでいる。

 妹はあの日、当時住んでいた東松島市野蒜(のびる)地区の野蒜小体育館で津波に遭った。泥水が渦を巻き、2階に逃げられない車いすの高齢者らをのみ込んだ。石巻西高1年だった永沼さんが戻ると自宅は流失。祖父志野五男(いつお)さん=当時(65)=が亡くなった。

 妹が小学6年で目にした凄惨(せいさん)な光景。3年が過ぎたころ、初めて家族に打ち明けた。その後、進学した石巻西高で防災活動に参加し、被災経験や避難の大切さを語るようになった。

 永沼さんは妹が震災を見つめ直し、乗り越えられたと思っていた。

■津波の記憶に苦しみながら

 昨年5月、宮城県で震度5強を観測した地震。喫茶店で過呼吸になったと聞かされた。今年1月の津波注意報では「地震や注意報のたびに、あの時の津波や遺体がフラッシュバックする」と涙していたことを母親から教わった。

 就職し、仙台にバスで通うようになった妹を永沼さんは気遣う。「これまでも夜中の地震で動揺することはあった。今は何かあれば1人で対応しなければならず、不安だろう」

 明るい性格で語り部を続ける妹ですら、一瞬で過去に引き戻される。家族を失った親戚や友人も気分が沈みがちだ。どうすれば深い心の傷は癒えるのか。「復興した」と言えるのか。

 「自分に何ができるのかずっと考えても答えは出ない。ここまで何もできないと感じさせられる出来事はないと思っている」

 2015年8月、妹と一緒に語り部を務め、初めて知ったことがある。

 津波が流れ込む野蒜小体育館。幼なじみと「絶対に生きよう」と約束し、浮き上がれるようランドセルを浮輪代わりにしようとした-。「生きていてくれて本当にありがとうとしか思えなかった」

 あれから6年半がたった。つらい体験と向き合いながら語り続ける妹には無理をしてほしくないと伝えている。

 活動を見守りながら同時に想像する。復興したと見なされる被災地に、消えることのない記憶でこの先も苦しむ人が大勢いるのだろう。

 1月、河北新報社が実施した会員制交流サイト(SNS)の震災11年アンケートに、こう記した。

 「震災は決して終わったわけではないことを多くの人に知ってもらいたい」

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