「エモい」は「あはれ」の子孫です…命削って作った三省堂国語辞典、始まって以来の大改訂
「サンコク」の愛称で親しまれている「三省堂国語辞典」が約8年ぶりに改訂され、第八版が今月17日に発売された。「スッチー」「MD」など約1100語が消え、「エモい」「黙食」といった約3500語を新たに収録した。ネット時代の辞書のあり方を考えて「命を削った」という編集委員の飯間浩明さん(54)に「サンコク始まって以来の大改訂」の裏側を聞いた。(デジタル編集部 谷中昭文)
「エモい」は「心が揺さぶられる感じ」
サンコクは「辞書は時代を映す鏡」という編集方針のもと、1960年の初版刊行以来、版を重ねてきた。今回の改訂では、約8万4000語を収録、約4%に当たる約3500語を新たに加えた。コロナ禍で広まった「人流」や「ソーシャルディスタンス」「黙食」などに加え、「エモい」などSNSで広まった新語も入った。
【エモい】(形)〔俗〕心がゆさぶられる感じだ。(略)〔由来〕ロックの一種エモ〔←エモーショナル ハードコア〕の曲調から、二〇一〇年代後半に一般に広まった。古語の「あはれなり」の意味に似ている。(「三省堂国語辞典」)
飯間さんは「『エモい』なんて言葉は2、3年で使われなくなるという見方もあるかもしれない」としながら、「漠然と自分の好感を示す便利な言葉は、長い間使われる傾向がある」と解説する。たとえば、平安時代に生まれた「あはれ」は、しみじみとした気持ちを表す言葉だが、「いとあはれ」と好感を示す表現として長く用いられた。「『エモい』は『あはれ』の子孫みたいなものです。便利な言葉をそう簡単には手放さないだろうと判断したのです」と話してくれた。
40年経て入った「赤信号みんなで渡れば…」
一方、「なぜ今さら」と話題になったのが「赤信号みんなで渡ればこわくない」の収録だ。
【赤信号みんなで渡ればこわくない】〔句〕おおぜいでやれば、悪いことでも堂々とできるものだ。〔一九八〇年に、漫才コンビのツービートが広めた〕(「三省堂国語辞典」)
タレントのビートたけしさんが組んでいたコンビのギャグが元ネタのこの言葉だが、これまで「ギャグは国語辞典には載せない」という考え方で過去の改訂では収録されなかったという。真理をつく表現は、時代を追うごとに市民権を得ていき、ことわざとして認識されるようになった。「これは新語ではなく『今まで載せてなくてごめんなさい』という気持ちで載せたんですよ」と飯間さんは話す。
多くの新語が収録された一方で、約1100の語が消えた。客室乗務員を示す「スッチー」やミニディスクの略語「MD」がサンコクから消えた。掲載しなかったのは「使う人が少なくなったからだけではありません。優先順位の問題です」と説明する。
「我々は日常の言語生活を送る上で必要だと考えられる言葉を、約8万語という枠を設けて選びます。何十万語という規模の大辞典とは違い、約8万語に限って独自の観点で説明する。日本語として基本的な言葉や、日常生活に絶対必要な言葉を詰め込んで、空いたところに何を入れようかとなった時、『スッチー』よりは『キャビンアテンダント』を、『MD』より『サブスク』を入れたいよねという考えになるのです。今回は比較の問題で退場してもらいました」
掲載する、しないの基準は?
辞書に掲載する語としない語の基準はどこにあるのか。「現在、多くの人が使用しているかどうか。そして、一時的ではなくこの先も使われそうかという2点」だという。
コロナ禍の中で辞書の編纂(へんさん)作業もリモートワークで行われ、クラウド上のファイルに編集委員らがそれぞれ新語候補や削除候補の項目をアップロードし、掲載するか削除するかについて、編集委員らが「印」をつけて判断していくのだという。
一方、今回は掲載を見送った言葉もある。「ブイチューバー(Vtuber)」がその一つだ。「バーチャルユーチューバー」の略で、動画配信サイトのユーチューブの投稿動画で、人の代わりに情報発信するキャラクターのことをいう。
18年のイベント「今年の新語」(三省堂主催)でも5位に選出されたが、今回の掲載は見送られた。ネットのはやり廃りは読めないところがあり、今後も使用されるか判断がつかなかったという。ただ、SNS上では「入っていないのか」と残念がる声も目にしており、「惜しかった。次の第九版でこの言葉があれば、ぜひ掲載したい」と飯間さんも苦笑した。
動画配信の普及でアクセント追記
今回の改訂に8年もの歳月を要したのは、大幅な大改革を行ったからだ。今回から収録されている約8万語のほとんどに、アクセントを付け加えた。
背景には、動画配信が身近になったことがあるという。インターネット上で配信動画を視聴する人が増え、ユーチューバーという職も生まれた。飯間さんは「アナウンサーだけでなく、多くの人が自分の音声で情報を発信する時代になった。そうした時にアクセントを入れていないのは不親切なのではないかという判断になった」と話す。
アクセントの基準としたのは、発音が身につく幼少期に関東圏に住んでいた人の言葉だという。「全国共通で通じる違和感のないアクセントということであって、各地方の発音などを否定するものではありません」と飯間さん。
SNSは用例採集の「主戦場の一つ」
インターネットやSNSの普及で辞書を作る際の「用例採集」も様変わりしたという。テレビや新聞、雑誌をはじめ、世の中にあふれている言葉の使い方をメモにして辞書作りに生かす作業のことだが、今や「SNSは主戦場の一つです」。
ネット空間で新たな意味を発見することもあるという。例えば、「自愛」だ。
【自愛】[一](名・自サ)《手紙》自分の体を大切にすること。〔相手に使う〕(略)[二]<1>自分への愛。自己愛。(略)<2>〔俗〕自分へのごほうび。「ご自愛スイーツ」〔2010年代からの用法〕(「三省堂国語辞典」)
「自愛という言葉は相手への思いやりを示す言葉だと思っていたら、自分へのご褒美の意味で使うこともあるのですね」と飯間さん。ある時、インスタグラムで「ご自愛スイーツ」という言葉とともに菓子が載っている投稿を見つけ、「#ご自愛」で検索すると多くの例が出てきた。そうした実例を踏まえ、意味を追加したという。
「もやもや」を解消するお手伝い
改訂作業について「命を削りました」と飯間さんは振り返る。初めて「サンコク」の改訂に携わった時は30歳代だったが、第七版発行時には40歳代、そして今は50歳代となり、約20年を辞書のために費やしてきた。「睡眠も浅くなったし、病院に行くことも増えたし……。生活の全てを辞書に集約している感じです。昭和の頃ほど売れるわけではないし。でも辞書は必要なものだと思うから、やめられないんですよね」としみじみと話す。
「言葉のジオラマを作りたい、ダイナミックで、動いているものを捉えたような。それが作れたら満足です。オタクなんです」と言葉が熱を帯びた。
サンコクの使い方について、飯間さんは「あなたが言語生活で困った時の相談相手にしてください。この辞書は上から目線で『言葉はこう使いなさい』と教えるものではありません。日々の言語生活で感じる『もやもや』を解消するためのお手伝いをしたい。それが作り手からのメッセージです」
サンコク始まって以来の大改訂とされた今回は、累計1000万部が発行され、辞書としては好調なスタートを切っているという。東京・新宿に本店を構える「紀伊國屋書店」では、12月の「辞書ジャンル」で単独トップだ。担当編集者である三省堂の奥川健太郎さんによると、電話やメールでも様々な反響が届いており、中にはラジオのアナウンサーから「アクセントも意味も確認できる。使いやすくなった」とコメントが寄せられているという。電子版も発売されており、紙の辞書では掲載されていない削除項目や省略箇所についても見ることができる。
いいま・ひろあき 1967年、香川県生まれ。早稲田大第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編者。著書に「三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―」(新潮文庫)、「辞書を編む」(光文社新書)など。
