ベテラン記者コラム 自国開催五輪開幕、一生ものの感動得る機会失い残念

ベテラン記者コラム 自国開催五輪開幕、一生ものの感動得る機会失い残念

1998年2月、長野冬季五輪を取材した。開会式や、清水宏保が金メダルを獲得したスピードスケート男子500メートルなどで、観客と選手が一体となるさまを実感した。世界選手権なども取材していたが、やはり自国開催の五輪は格別だった。

五輪がどういうものかを認識し、初めて見たのは72年の札幌冬季大会。〝日の丸飛行隊〟が表彰台を独占した70メートル級ジャンプの中継を、小学校の授業時間に先生が教室のテレビで見せてくれたのは、今でも生き生きとした記憶だ。自国で五輪が開催されることの大きさを子供時代に実体験したといえるだろうか。

80年、日本がモスクワ五輪のボイコットを決めたときに、山下泰裕(現日本オリンピック委員会=JOC=会長)が無念の涙を流した姿も鮮明に覚えている。スポーツの価値は平和だからこそ実現できるのだと学んだ。

新型コロナウイルスの世界的流行で1年延期された東京五輪が、いよいよ開幕する。2013年9月の招致成功の際に多くの国民が歓迎した大会だが、今では賛否が巻き起こり、大半の会場は無観客となった。

ここにきて急激に噴出したスキャンダルは別として、否定的意見の多くは、コロナの終息が見えない中で、五輪より優先すべきことがある-という考えと理解している。

ただ昨今はワクチン接種が進み、新規感染者の大半は重篤化の恐れが少ない若い層になった。感染者が増えても重症者は増えず、医療体制は窮迫していないという指摘もある。観客上限を政府方針の「収容人員の半分または1万人以下」とし、適切な感染対策を取っていれば、新規感染者は限りなく0に近付くというスーパーコンピューター「富岳」の試算もある。

ワクチン接種で先行した米英では劇的に感染者が減ったが、人口比ではまだ日本より少し多い。それでも大リーグやサッカー欧州選手権などでは大勢の観客がマスクもつけずに観戦。F1英国GPには14万人もが入場した。日本でもプロ野球やJリーグは対策を取って観客を入れている。

なのになぜ五輪は無観客かと、首をかしげたくもなる。開催都道県の知事は安全マージンを大きく取る判断をしたのだろうが、駅前の〝宴会〟を規制する方が効果は高いのではないか。

無観客開催のむなしさは、コロナ禍当初のBリーグ取材で痛感した。応援も熱もないスタンドの前で戦う選手。あれが五輪でも繰り返される。選手がふびんでならない。見る側としても、現場の熱を体験し、得られる感動と思い出は、テレビ観戦とは段違いなのに…。

一生に一度に近い自国開催の夏季五輪で、多くの人がかけがえのない、一生ものの記憶と経験を得る機会を奪われた。コロナという世界の不幸を呪わずにいられない。

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